青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

華氏451度〔新訳版〕

2020-01-23 07:53:52 | 日記
レイ・ブラッドベリ著『華氏451度〔新訳版〕』

1953年に刊行された『華氏451度』は、ブラッドベリの代表作であり、1967年には映画化もされている。日本でも何度か翻訳されているが、今回私が読んだのは2014年に早川書房から出版された伊藤典夫訳のものだ。

華氏451度――この温度で書物の紙は引火し、そして燃える。それは、思考や表現の自由が殺される温度と言ってもいい。

全ての情報が政府によって管理された近未来のアメリカ。
人々に許されている情報は、〈ラウンジ壁〉と呼ばれるモニターや〈巻貝〉と呼ばれる超小型ラジオなどが垂れ流す、思考することなく受け取れるものに限られ、あらゆる種類の本の所持が禁止されている。これを犯した者は、ファイアマンと呼ばれる焚書専門機関の隊員によって隠し持っていた本を住居ごと焼かれ、逮捕されることになっている。451と刻印されたヘルメットを被ったファイアマンは、国家権力の代行者だ。

焚書の理由は、本から齎される有害な情報が、人々を惑わせ社会秩序を乱すことを防ぐためとされている。
密告が推奨され、互いの生活を監視するのが日常となっているが、そこに疑問を持つ者は殆どいない。焚書の効果は覿面で、人々は数年前の出来事や親しい者との関係すら朧気にしか思い出せないほど、思考力、判断力、記憶力が低下している。一見穏やかだが、半ば死んでいるような社会だ。

「いい仕事さ。月曜にはミレーを焼き、水曜はホイットマン、金曜はフォークナー。灰になるまで焼け、そのまた灰を焼け。ぼくらの公式スローガンさ」

主人公のガイ・モンターグは、祖父の代からファイアマンの仕事に就いている。
モンターグは仕事に誇りを持っており、火を燃やすのを愉しんでいた。彼が昇火器に触れると、ケロシンの充満した家は忽ち猛火に包まれ、夜空を赤と黄と黒に染め上げてゆく。熱風に撒かれた本が、鳩のように羽ばたきながら死んでゆく。炎が有毒な情報を浄化するのを眺めていると、心身が高揚し格別の快感を得られるのだ。
しかし、このところ幾晩か、帰宅する途中の道で、彼はかつて経験したことのない雲を掴むような感覚に襲われていた。誰かに呼ばれている気がする。

そんな日々が続いたある晩、彼はクラリス・マクラレンという少女から話しかけられる。彼女は最近になって両親と伯父と一緒にモンターグの隣家に引っ越して来た。
クラリスは17歳だが学校には行っていない。その代わり、伯父から様々なことを教わっている。国が善良な市民には決して教えない〈イカれた〉情報だ。
クラリスは〈ラウンジ壁〉を殆ど見ない。だから、〈イカれた〉ことを考える時間がたっぷりある。散歩をし、目にしたものの意味を考えるのだ。
クラリスはモンターグに、遠い昔、ファイアマンは火をつけるのではなくて、火を消すのが仕事だったと言う。が、現役ファイアマンのモンターグは、それを知らなかった。
別れ際、モンターグはクラリスに「あなたは幸福?」と聞かれる。

家に帰り寝室に入ると、妻のミルドレッドが、〈巻貝〉を耳に突っ込んだまま、睡眠薬の過剰摂取で意識不明になっていた。
モンターグは救命職員を呼び、薬で汚染された血液の入れ替え処置をしてもらう。この種の事故は割とよくあることらしく、救命職員は大忙しだ。
翌朝になると、ミルドレッドは、昨晩自分が死にかけていたことをすっかり忘れていた。

モンターグは、毎日のようにクラリスと会った。
クラリスは雨の日に外出して、雨粒を口に入れるのが好きだ。森を歩き回って、鳥を眺めたり蝶々を集めたりするのも好きだ。彼女は聞いたこともない話をたくさんしてくれる。彼女との会話は楽しい。タンポポで顎の下を擦ったらなんて話、モンターグは全然知らなかった。
クラリスと別れた後、モンターグは雨に向かって数秒だけ口を開けてみた。

昇火局に出勤すると、モンターグは機械仕掛けの猟犬に吠え立てられる。
この猟犬たちは、書物隠匿者の摘発のために開発された機械で、感情を持っていないはずだ。猟犬の異変を気にするモンターグに、隊長のベイティーは、「なにかやましいことでもあるのか?」と声をひそめて笑った。

密告を受けて、モンターグはベイティーらと共に旧市街のとある三階家の摘発に出動する。
住人の老女は、イングランドのラティマー主教が死の直前、ともに処刑されるリドリー主教にかけた言葉を引用する。狂信的なカトリック教徒として知られるメアリー一世は、プロテスタントの指導者を数多く処刑したが、ラティマー主教はその犠牲者の一人だった。

「男らしくふるまいましょう、リドリー主教。きょうこの日、神の恵みによってこの英国に聖なるロウソクをともすのです。二度と火の消えることのないロウソクを」

老女は正面のポーチに出ると、ファイアマンたちの罪の重さを量るように、彼らを見据え、キッチンマッチを擦った。ケロシンが充満した家屋は老女ごと火の海になった。

老女の死に衝撃を受けたモンターグは、その夜眠ることが出来なかった。きっと明日も眠れないだろう。
ミルドレッドは今夜も耳に〈巻貝〉をはめ込み、モンターグの知らない遠い人々の声を聴いている。それは明日もその先の日々もきっと変わらない。
ミルドレッドは〈ラウンジ壁〉と〈巻貝〉に心を奪われていて、夫婦の間に会話らしい会話は久しくない。それどころが、二人とも、自分たちの出会いがどんなものだったのかも思い出せない。モンターグは、自分たち夫婦の間には壁があり、相手が死んでも泣かないだろうと思っている。

モンターグは、ミルドレッドにクラリスの話をする。
毎日モンターグの世界にいたクラリスが、ふっつりと姿を見せなくなって、既に四日も経っていたのだ。マクラレン家はもぬけの殻だ。ミルドレッドは、はっきりと思い出せないが、クラリスは死んで一家は引っ越したらしいと言う。彼女は思い出せないことばかりだ。

モンターグは、ミルドレッドに暫く仕事を休みたいと持ち掛ける。
それに対して、ミルドレッドは「本なんか持っているのがいけない。その女の責任よ」と真っ向から反対する。妻にとって、老女は考え無しの狂人に過ぎない。そんな女のために夫が無職になり生活の安寧を失うなんてあり得ない。
しかし、モンターグは、老女は自分たちよりも正常だったと感じている。本を千冊焼いて、女をひとり火焙りにした……つい数日前まで香水のように感じていたケロシンの匂いを、今は思い出すと吐き気がする。彼はもうファイアマンの仕事に誇りを持てない。


クラリスとの出会いから緩やかに変化しつつあったモンターグの価値観は、老女とクラリスの死をきっかけに、大きな変革を迎え、彼を大胆な行動に駆り立てる。
モンターグは、昇火局の保管庫から密かに押収品の本を持ち出すと、手当たり次第に読み始める。が、読書経験の無い彼には理解出来ないことばかりだ。彼は妻に協力を求めるが、彼女は夫を見放し通報する。

モンターグはベイティーの追及を受けることになるが、昇火局の隊長として歴史と書籍の知識を豊富に持つベイティーには歯が立たない。ベイティーは押収した本に目を通し、歴史を学んだうえで、本には意味のあることは何も書かれていない、と判断している。
このベイティーとの舌戦(と言ってもほぼベイティーが話しているだけだが)の場面は、怖くなるくらい現実の現代社会を予言している。
すべての情報は単純化とスピードアップが求められている。要約、概要、短縮、抄録、略称だ。芸術や娯楽は大味になり、スカスカの中身をバン、ボコッ、ワーオ!の刺激物で誤魔化す。楽しめさえすれば何でもいい。規律は緩み、哲学、歴史、外国語は捨てられる。母国語の綴りの授業は遠ざけられ、ついには殆ど無視されてしまう。政治ニュースは見出しの下に二行だけ。あらゆる手段をもって、人々はものを考える必要を奪われる。極めつけは〈ラウンジ壁〉と〈巻貝〉だ。この二つの中毒者は、PCやスマホなどの依存者に酷似している。
ベイティーの言う「これはけっして、政府が命令を下したわけじゃないんだぜ」「一般大衆は自分が欲しいものをちゃんと心得ている」「みんな似た者同士でなきゃいけない」は、詭弁ではない。人々が自ら望んで現状を受け入れているのだ。皆が平等であるように互いを監視し合って、余計なことばかり考えるはみ出し者は速やかに排除し、社会秩序を常に一定の水準に保つ。それが、平和な世界だ。

本書が刊行されたのは1953年だが、ブラッドベリはいつからこのようなディストピアを幻視していたのだろう?今、幻視と言ったが、本作はSFでありながら、多くの引用と暗喩が散りばめられた詩的で幻想的な空気を纏っている。文芸作品からの引用については、巻末に出典が纏められているので参考にしたい。
しかし、これほどの情報を持ちながら、そこに何の価値も見出さないベイティーとは、一体何者なのだろうか?「哲学だの社会学だの、ものごとを関連づけて考えるような、つかみどころのないものは与えてはならない。そんなものを齧ったら、待っているのは憂鬱だ。(略)人間が野蛮で孤独だってことを思い知らされるだけだからな」彼はなぜこれほどまで絶望し、自殺に近い死を遂げることになったのか?

ところで、本書には希望がまるで描かれていない訳でもない。
モンターグをサポートするのが、大学を追われた英文学者のフェーバー教授だ。
モンターグは一年前のある晩、公園でほんの一時間だけフェーバーの話を聞いたことがあった。「わたしは事実については話さんのだよ。事実の意味をこそ話す」と語ったフェーバーは、事実を知りながら何の意味も見出さないベイティーと対極にいる人物だ。モンターグはフェーバーに電話をかけ、彼の家を訪ねる。

友達になれたクラリスは死んでしまった。友達になれたかもしれない老女も死んでしまった。だが、彼女たちの死は、モンターグにフェーバーの存在を思い出させた。フェーバーとの再会は、グレンジャーら移動キャンプとの出会いに繋がった。
グレンジャーたちの登場から、本書の中で火は別の意味を持つようになる。彼らの登場する第3部のタイトルは「明るく燃えて」だ。
彼らは一度読んだ本の内容をいつでも完璧に思い出せる技術を完成させていた。だから、彼らは本を読み終わったそばから、焚火の中に入れて燃やしてしまう。職質を受けた時に違法なものは何一つ身に着けていてはいけないからだ。本を読んだ経験のあるモンターグは彼らに歓迎される。「一度だって正しい理由でものを燃やした事はなかった」モンターグが、この焚火に参加するということの意味。焚火を囲む彼らの一人一人が本そのものであり、図書館なのだ。
遠い昔から世界各地で焚書は行われていた。たくさんの知識が灰になった。人間の愚行の歴史を、グレンジャーは不死鳥に例える。我々は、自分が今どんな愚行を演じたかを知っている。記憶している人間が増えれば、いつかは愚行を止めることが出来る。いつか誰かに伝えるために、頭の中にいつでも取り出せる知識を無傷で保存し続けるのだ。それは、誰もが参加できる草の根運動だ。グレンジャーはこうも言う。

「われわれがただひとつ頭に叩き込んでおかねばならないのは、われわれは決して重要人物などではないということだ。知識をひけらかしてはならない。他人よりすぐれているなどと思ってはならない。われわれは本のほこりよけのカバーにすぎない、それ以上の意味はないのだからな。」
コメント