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ヤマトの巫女の系譜

2010-08-06 21:36:48 | Weblog
古代日本の大和政権と巫女のかかわりというのを記紀中心に概観すると以下のとおり。

1 ヤマト・トトヒ・モモソ姫 崇神天皇の大叔母 箸墓伝説
 大物主神の神託 三輪山 大神神社 蛇神

2 トヨスキイリ姫 崇神天皇の皇女、初代斎王(いつきのみこ)
 天照大御神をまつる傾向

3 倭(ヤマト)姫 景行天皇の兄妹、ヤマトタケルの叔母 伊勢神宮 2代目斎王 初代斎王トヨスキイリ姫の姪

4 オキナガタラシ姫(オオタラシ姫 神功皇后) ヤマトタケルの子の仲哀天皇の妻、応神天皇の母
住吉大神の神託

5 飯豊皇女(イイトヨノヒメミコ) 履中天皇の皇女 女帝? 

※継体王朝から天智天皇

6 大来皇女(オオクノヒメミコ) 天武天皇の皇女 大津皇子の姉 伊勢神宮初代斎宮ともいわれる

上記の通り、天皇の皇女が天照大御神をまつる伊勢神宮の斎宮(斎王)として巫女となる制度の確立のながれとは別に天照大御神とは別の神の神託の例もある(モモソ姫、神功皇后)。イイトヨノヒメミコは、神託という巫女的(男性と一回だけ関係をもったとされるが)要素の色彩は薄い。

モモソ姫の箸墓伝説は異類通婚神話で類似の話は、これ以外にも記紀の大物主の神伝承や肥後国風土記等にもあり、神話の原型が継承されたものともいえる。

卑弥呼をモモソ姫や倭姫に比定する見解もあるが、卑弥呼が巫女であったかどうかは、実は魏志倭人伝からははっきりしない。魏志倭人伝の記述である鬼道をもちいて衆を惑わすという意味が巫女のお告げ的イメージを喚起させるだが、正確な文章の意味は不明だからである。

崇神天皇がモモソ姫の神託を、ヤマトタケルが倭姫から草薙の剣をさずかるなど巫女姫たちがその神的助言が政治的権力者に影響を与えていたことは、うかがえる。

伊勢の斎宮が安定的な制度として確立するのは天武天皇かららしいが、仏教の浸透と神仏習合から、巫女の神的助言が政治に影響を与えることはなくなっていく。というか、すでに古代の早い時期から巫女の発言の政治的影響力はなくなっていたのかもしれない。

ひとつの私見であるが、卑弥呼は、魏と外交を結び親魏倭王の称号の権威のもと国内の政治的影響力を高め維持しようとしたということは、「鬼道」による統治ないし政治的権威性というのは、長期にわたり維持できなかったことを物語るのではないか。つまり、単なる卑弥呼イコール巫女王というイメージだけで考えるのは歴史考察としては、単純すぎると思う。


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