しばらく記事を書かなかったらアクセス数が減少すると思っていたらそうでもなかった。
まだ3日程度なので関係がないのか、それともボクの書く記事を目当てにしている人が極端に少ないのか。
両方だろう。
あれから自費出版のことを少し調べたのだけど、どうやら250ページというのは多いらしい。
しかし、ハードカバーで薄いなんて内容負けの前にカバー負けである。
本負けか?
ところで。
あした、友人というか旧友がくるらしい。
7年ぶりに再会してからたまに会ったりしている不思議な縁の男だ。
学生時代に何年か同じ部屋だったので彼がホモとかではないのはたしかで、非常に安心している。
もしその確信が間違っていたら、ボクはもう死のうと思う。
さて。
なにしにくるんだろう……?
数か月前にLINEで失礼なことをしててっきり怒っていると思ったのだけど。
いや、怒っているから「いい加減気づけよ、そして謝れよ!」みたいな恫喝をされるのだろうか。
そうだとしても悪いのはボクなので致し方ない。
彼はボクのことを病人だとは思っていない。
クスリも飲んでいる、障害者手帳も持っている、このボクを。
人間のクズ、と思っているらしい。
それももはや否定できないし、社会的弱者を演じているというのも否定しきれないので。
そいでいて本を出版しようというのだから、まったくただ人でない。
そういえば昔、自虐癖があった。
あれはきっと自傷癖の代わりに自己防衛本能が働いたせいだろうと思う。
つまり、自分で自分を否定しておけば、他人に否定されても仕方ないと思えるわけである。
否定される、非難されることが前提の生き方。
よく考えたらまともじゃない。
けれど、それでも人間だ。
ボクという人はあまり他人を愛するといったことはしない。
せいぜい可愛い女の子にぞっこんになるだけである。
それはなぜなら、愛した途端に否定されるからだ。
もう少し説明を加えるならば、愛してしまう→自分をさらけ出す→傲慢な自我を見せつける→フラれる、ということだ。
以前の記事で、性悪説を唱えたと思う。
べつに人間すべてがもともと悪いというわけじゃない。
自分に限っては間違いなく悪物だ、という確信があるだけである。
確信というか、前提条件だ。
大前提。
そこを出発点にしなければ、自分ですら自分を許せない。
いままでの人生で、「あぁ生きててよかったぁ」と思うのは女子といい感じになったときくらいのもので、
でも結局、嫌われておしまい、というオチになる。
だからいまお付き合いのある女性友達というのは本当に稀有だ。
そのすべてがネットで知り合い、顔も知らない他人同士なんである。
これほどまでに距離を置いて、ようやくボクは悪さをしなくなる。
逆に言えば、会ったりすれば間違いなく嫌われる、という自負があるのである。
だから。
本を出す話はあまり多くの人には言っていない。
リアルで知っているのは家族だけ。
会社関係の人にも言っていない。
どこにそんなお金があるんだとか、最悪、給料が減じられる可能性もある。
そこまではなくとも、宣伝にするためにスポンサー的な商談を持ちかけられるかもしれない。
とくにうちの社長はわるびれなく宣伝すると思う。
帯書くからとか言いそうである。
そこに悪気がなく、会社は家族だ、みたいな愛至上主義みたいな精神だから余計に困る。
これらのデメリットを考えたり「おおごと」になるかもと考えるとやっぱり秘密にしておくのが良さそうだ。
とはいえ、普通、会社の同僚の誰かがツイッターなりLINEなりスカイプなりで繋がっていてすぐにバレるものだが。
会社でボクのそれらの情報を知っているのは0人だけである。
少ないというより、い無い。
ケータイの番号なら上司と、とあるきっかけで教えた先輩の2名がいるのだが、アドレスは誰も知らないだろう。
ところでいきなりですがクイズ(なぞなぞ?)です。
女性がいけばいくほどたかまり、男性はぎゃくにがまんしたほうがたのしめること、なーんだ?
女性がたかまり、男性ががまんしてたのしむこと……
この答えはお子様にはきついので、明言はしません(苦笑)。
それでは、今日はこのへんで。
おつかれさまでした!
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