暇人に見て欲しいBLOG

別称(蔑称)、「暇人地獄」。たぶん駄文。フリマ始めました。遊戯王投資額はフルタイム給料の4年分(苦笑)。

乙一デビュー作『夏と花火と私の死体』を読んだよ~もう秋だけど。

2014年11月01日 22時44分03秒 | 最高傑作執筆10周年企画

6分間の読書は、ストレスを軽減する。

という話を聞きました。

血液を調べるとストレスも数値として測れる時代なんですね。

これはやはり「現実を忘れる」ことで起こるストレス解消法なんだそうです。

読書の偉大さ、想像をめぐらせ妄想の世界で生きる素晴らしさがわかりますね。

べつにそこまでストレスに参っていたわけでもなかったのですが、たしかに煮詰まってきた感はありました。

と、言いますのも。

このBLOG上でべちゃくちゃとアイディアを吐き出しても「小説が1㍉も進まない」んです(苦笑)。

手の内を晒してゆくだけ。

そこで、新たな情報を得るために、そして原点回帰のために、敬愛している作家さんのデビュー作をさくっと読み返していました。

乙一『夏と花火と私の死体』

本には『優子』という短編も収録されていますが、表題作のみ読了しました。

6時くらいから読み始めて約3時間で読み終えられました。

よく1分間コラムを最速3分で読む男ですから、逆算してほんの1時間程度で読める長さです。

ちょっと長い短編小説ですね(中編の範疇かも)。

この夏花ですが、四日間の奇跡の話で、四部編成でそれぞれ同じくらいの分量になっているんです。

これは乙一先生が多くの作品で実践している手法で、
これにこだわってしまうと乙一の真似、パクリストと呼ばれかねないので真似できないです(苦笑)。

おそらく脚本とかで使われる手法なのですが、それを小説にも適用できるとするんですね。

というか、それを小説の世界でやってはいけないというルールもマナーもないので。

シナリオライターも小説家も、お話を作り文字で表現するのは同じ!

言葉の魔術師ですね。

それにしてもまさか、デビュー作からこだわっていたとはね。

一部の作品ではページ数単位で完璧に四分割しているほどのこだわりようです。

そこにどんな意味や効果があるのかは知りませんが(苦笑)。

形式美ってことなのかな。

それぞれ1冊ずつにしてもページ数が揃っていたら気分がいいですよね。

結構大変なことだと思いますがね。

決めました。

この感想文、書き終わったら、缶コーヒーを、飲もう!

ご褒美で報酬系を高めればいい文章が書ける……はず。

とはいえ、読書感想文にその本を手に取った経緯を延々と書いておもしろかったでまとめる男です。

だって、おもしろかった、以外になにがあるってんですか!

学生の時分に「悪い例代表」で音読しましたよ、恥ずかしかったわ。

まぁ、そういうわけで期待はしないでください(苦笑)。


さて。

夏花はミステリー形式のサスペンスです。

ミステリーの中でも倒叙物であり、伏線を回収する意外なオチが待っています。

さらりと伏線を張るので読み返して「ここにあった!」と気づきました。

あと、一読だけではなにがどうなっているか私には理解できないので、
読み返してあぁこのシーンこんな意味だったのかと改めて気づいた次第です。

ある種の恋愛モノとも言えるのですが好きになる理由や根拠などはほぼ皆無で、
「好きだから、好きなんだよ」という、もういっそ清々しい話でした。

どろどろ恋愛が苦手な方にも読みやすいでしょう。

あと『笑っていいとも』でも見てなよ、というセリフには笑いました。笑っていいんですよね?(笑)

今年の3月いっぱいで終わってしまった、国民的長寿番組。

乙一さんの尊敬しているタモリさんの司会でした。

そのほかにもやたら番組名や実在の会社団体の名称が盛り込まれており、
物語が持っている非日常感との対比になっていました。

なるほど、実在の名称や聞き馴染みのある名前などで
――現実との混同を避けるのではなく――物語の異常性を浮き彫りにするわけですね。

しかしまぁ、私は親和性を危惧するのでキャラ名は変えたいですけれどね。

夏花ってこういう筋書きだったよなぁ、くらいには覚えていた作品だったので、演出などを見れましたが、伏線とその回収は見事としか言いようがなく。

これがまぐれ当たりのホームランだなんてよく言えたもんだなと思いましたが。

明らかに意図的に演出しているし、物語の展開もサスペンス調で秀逸。
メリハリもできている。

これは素人の作品ではない。

と思ったら、これ人生で書いた小説の第2作目なんですよ。

書き上げたという意味では第1作? なのかな?

本人いわく「ワープロの練習のために書いた意味のある文章」だそうな。

おもしろいとも思ってなくてなんとなく応募したら大賞とってしまって、賞金断ってでも辞退しようか迷ったそうな。

おそろしい……

奇才ですね、天才。

天才って天性の物を努力して磨く人なんですよね。

人類全員に個性って備わっているんですが、その感性に従わない人がほとんどってことです。

というか。

道に迷うんですよね。

突き抜けた個性であれば、その道を極めようと思うじゃないですか。

けど、才能が多いとどれにしようか悩むでしょう。

器用貧乏って本当に困りますよ。

だって何かに没頭して頑張りたいけどどれも決め手に欠けるし、
優先順位なんてないから同時にこなすしかなく、
結果、しっちゃかめっちゃかでどれも大成しないんですよ。

仮に優先順位つけてひとつのことを始めても、他の分野も気になって迷子になる。

だったら専門家じゃなく、「万能家」になればいい。というのが哀川潤《人類最強》ですが(これは西尾維新)。

なんでも、何個でもやればいい、とにかくやれ。みたいな。

けれど人生は、時間は有限です。

沢山のことを同時にやる器用さがあればあるいは可能なのかもしれませんが、その点では不器用でした。

いくら才能があっても取り組まなければ、こつこつタイプの凡人に追い抜かれてゆくんです。

そうしてなにひとつ満足に頑張れない。

結果、小説家になる。自腹で。

作家という仕事は何の才能があっても困らない職種ですし。

クリエイターの糧になるのは経験もそうですが、なにもできない悔しさも原動力になるのでは。

なんて。

感想文から話が逸れまくりましたが(苦笑)。

物語を創作するというのは、知識と経験が種となり妄想によって熟成されることなんじゃないか、と。

妄想の原動力は感情・心の動きです。

もしそこそこ幸せな環境でそこそこ楽しい毎日を過ごしていたら、そこで満足してしまうじゃないですか。

生活の中でなにか大きな不満や不安・悩みを抱えているからこそ、なにかを創って発散させるんです。

小説とは、作家からのお悩み相談みたいなものなんですよ。

読者からファンレターという名の処方箋いただいちゃったり、ね。

処方箋欲しさに自腹切ってまで本出すやーつ~♪

(苦笑)

承認欲求が、満たされるのだろうか?

人気になるって怖いですよね。

それだけ多くのヤブ医者に遭う確率高いですし。

うっかりカミソリ付きのファンレターを開けちゃった日には……

指怪我して書けなくなる~~~~~~

まぁでも。

自己満足の小説が、世間に受け入れてもらえるなんて、そこまで甘いとは思ってません。

もし、ウケるのなら、すでにこのBLOGの読者から処方箋もらいまくってるはずなんですから、ね。

無いと思う可能性に賭ける。

ともかく。

夏花はおもしろいし、乙一先生の味が濃いですよ。

ブックオフとかで108円であると思うので探してみてはいかがでしょう?

茣蓙 炬燵 卓袱台 など、結構難しい漢字もあったなぁ。

ルビがあるので読めますが、同じページだと初回にしかルビがないので、たまに探すことになりますが(苦笑)。

漢字は自由に使って、ルビは出版社に任せるのがいいんだろうなぁ。

しかしぶっちゃけ文章はまだ稚拙な面もありましたね、さすが17歳。

三十手前のボクが、許してもらえるだろうか……

 

 

 



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