暇人に見て欲しいBLOG

別称(蔑称)、「暇人地獄」。たぶん駄文。フリマ始めました。遊戯王投資額はフルタイム給料の4年分(苦笑)。

夏あったこと3

2005年08月29日 13時09分21秒 | 日記系
7月31日

 いやはや、危ないめに遭った。
 いや、危ないというより嫌、なのだけど。
 私は昼に、いつものようにビラ配りをしていた。
 普段はビラを数十枚だけ手に持って残りは袋に入れておくのだが、今日はその袋がなかった。
 おかげで持ちにくいし配りにくいし、という悪条件であった。
 それはまだいい。
 私はもたもたしながら頑張って配っていた。
 しかし突然、横合いから衝撃を受けてふっとんだ。不意打ちだった。
 なんだ!? と思って横を見ると、オジサンが立っていた。
 突き飛ばされたらしい。
 気が動転していたので、顔はよく覚えていない。太めの人だった。
 私が何が何だか分からない、というふうにだまっていると、オジサンはいきなり手を出した。
 ビラをくれ、ということなのかと思って渡してみると、「こんなもん要らねえ!」という感じに投げ捨てた。
 そして再び私を突き飛ばした。
 通行人が軽く悲鳴を上げた。
 私はかろうじて倒れず、誰かにぶつかったりはしなかった。
 持っていた二百枚のビラも無事だった。
 そのオジサンはしつこくこちらをにらみ、逃げる私を追った。
 また何度か突き飛ばされたが、身構えていたので体勢は崩れなかった。
 私はしかたなくビラ配りを中断して、一度退散した。
 幸い、オジサンは追いかけてこなかった。
 私はぐるっと回り道をしてすぐ現場に戻った。
 オジサンは消えていた。
 私はなにくわぬ顔でビラ配りを再開したが、またくるのではないか、と不安でしかたなかった。
 それにしても、一発目は危なかった。
 不意打ちだったので危うく倒れるところだった。
 体が無意識に反応したのか、こけたりしなかった。
 それにしても、あれはなんだったのだろう。
 彼はなんの目的であんなことをしたのだろう。
 さっぱり分からない。
 酔っ払い……のようには見えなかった。
 顔は赤くなっていなかったから。
 ビラ配り経験者の社員の人にこの話をすると、
「それは恐かっただろう」
 と同情してくれた。
 しかし別段、恐かったわけではない。
 恐かったのはむしろ、自分の反射神経である。
 昔、長い間、少林寺拳法を習っていたから、反射的に反撃してしまうかもしれないというおそれがあった。
 それがプライベートな時間なら喧嘩になってもいいが、あいにく業務中である。取っ組み合いなんて始めれば、即刻クビだし、会社のイメージダウンになってしまう。
 私にそういう理性があって助かった。
 なかったら痛い目を見ていたのは彼のほうだろう。
 お互い、助かったわけである。
 それにしても不思議でならない。
 彼はいったい何がしたかったのか。
 差し出したあの手はなんだったのか。
 謎は謎に包まれたまま、闇の中に消えてしまった。
 オジサンと一緒に消えてしまった。

 なんだかとってもネタっぽいが、嘘ではない。ノンフィクションである。
 とりあえず、夏休み版日記では嘘はついていない。
 真実をありのままに語っているだけの、報告書だと思って下さい。

 少し前に、ビットマップイメージというので絵を描いた。
 マウスで描くのはほとんど初めてのことで、思うように描けなかった。
 それでもなんとか人の横顔らしいものが描けた。
 しかし困ったことに色の種類が限られており、はだ色がなかった。
 しかたなく、黄土色でスプレーしてまばらに色つけした。
 影の部分は薄い灰色で描いた。スプレーでぼかしたりした。
 目は面倒なので瞑(つぶ)った状態のものを描いた。
 要するに、睫毛と二重まぶたを描いただけである。
 太い線と細い線の平行線をかいた、といったほうが正しいかも。
 眉毛はなんとなく髪とは違う色にした。
 描いたときは影がただの灰色にしか見えなかったが、何日かして改めて見てみると、これが影らしく見えるのである。
 不思議である。
 背景色は一度すべての色を試してみて、よいものを選んだ。
 うん、なかなかの出来である。
 ……と、長々と描いたが絵を見てみないことにはさっぱりだと思う。
 ぜひ見てほしいのだが、掲載する方法を知らないので出来ない。
 というわけで、ご想像にお任せします。


8月1日

 小生、今日は変人よろしくやっていた。
 高知県の真中で、ビラを持ったまま突っ立っていた。
 道行く人を眺めまわしていた。
 まるで彼女候補探す飢えた狼のような目で品定めをしている……ように見えただろう。
 ――違うのだ、誤解しないでくれ。
 小生は顔に無表情の仮面を貼り付けておいて、心の中でそう叫んだ。
 今回の仕事は街を歩く人々のなかから限定条件を満たしたターゲットにのみビラを渡すという、困難な仕事であった。
 その限定条件とは……中学生以下の子供、であった。
 休日ならそんなものは腐るほどいるが、平日で時間が遅いということで、ほとんど皆無であった。
 おかげで小生は子供連れの親子を必死に探さなければならなかった。
 しかしそのキョロキョロという行動が道ゆく人に不審に思われたのだろう。
 彼女いなさそうな青年がそんなことをしていたのだから、飢えた獣に見えたかもしれない。
 しかも小生はビラを持っているわりに、全然配ろうとしないのである。
 ――そんなの渡す相手が見つからないんだから、仕方ないじゃないか!
 と、いくら小生が心の中で抗議したところで無意味なのである。
 小生、完全に変人――いや、変質者扱いされていた。
 どうにも納得いかない理不尽な状況に立たされながらも、これは仕事だ、と自分を言い聞かせて必死に耐えた。
 しかしそのうち、本当に自分は変質者で若い女子(おなご)を求めている獣なのではないか、と錯覚してしまいそうになった。
 錯覚が発展すると暗示になる。
 人間は、最も暗示にかかりやすい生物である。
 つまり小生、あのまま錯覚をつづけて暗示にかかっていたら、本当に獣になっていたのである。
 そう考えると、恐ろしい。
 人間は精神に支配される動物です。
 取り扱いには、十二分に、注意しましょう!

 ただひとつ嬉しかったのは、他の場所で配っていた有能なバイト仲間より、多くビラを配れたことである。
 どうですか。変質者も馬鹿にならないでしょ。
(同情票を集めてただけかもしれんが)


8月2日

 実は昨日、赤川次郎先生のデビュー作『幽霊列車』を読了した。
 朝起きてからバイトに行くまでの時間をフル活用して、一気に読んだ。
『幽霊列車』は連作長編推理小説である。
 表題作「幽霊列車」に始まり、「善人村の村祭」に終わる、氏の意欲作。
 意欲作、というのはボクの勝手な感想であり、実際のところは分からない、ということを念のために言っておこう。
 実を言うと、ボクは赤川氏の作品をあまり読んでいないから、滅多なことは言えない。
 しかし、この『幽霊列車』には意欲的という印象を与える何か――勢い(あるいは若さといったものか)――があった。と、ボクは思う。
 特に一作目などは、トリック自体はたいしたものではない(謎が明かされたときはその簡潔さに呆気にとられたものだ)。
 たいしたものではないが、これが実に巧妙で、面白い。
 壮大で緻密なトリックも確かにすごいが、簡単なトリックで壮大さを演出するのもまたすごい。面白い。
「幽霊列車」には、後者の魅力がある。
 あ……。
 今考えてみれば、このボク自身も、どちらかといえば、後者のタイプの作品を書く(あくまで「どちらかといえば」である)。
 いやもちろんそれは、ボクが壮大で緻密なトリックを思いつけるほどの経験も頭もないからであって、要するにしかたなくそういう作品を書いているわけである。
 妥協している、といってもいい。
 からくも、氏も、あとがきでそのようなことを語っている。
『(前略)緻密に組み立てた謎とき小説は、頭の構造上不可能である』
 ボクなどは、「そんな馬鹿な!」と思ってしまう。
 氏の作品はそんなに簡単に書ける代物ではないし、少なくともボクが自分で「推理小説だ」と思っている拙作よりも、複雑であったりする。
 赤川次郎氏が書けないのなら、ボクに書けるはずがない。
 ボクには、「緻密に組み立てた謎とき小説」は書けないのである。絶望的に。
 あなたは非凡な才能をお持ちなのだから、そんなに自分を過小評価しないでください。
 才ある者の謙虚さは、ときに才なき者の絶望につながる。
 言葉は恐い。
 どんな言葉がどんな効果をもたらすか、書いた本人にはなかなか分からないものである。
 まぁ、かといって言葉に対して神経質になりすぎるのも考えものだが。
 ……ところで、ボクは何の話をしていたんだっけ?

「今日の日記は何か変だ」と思ったそこのあなた。
 勘がよろしい。
 実はいつもと少し文章の性格を変えてみた。
 ついさっき、『多重人格探偵サイコ』1,2巻のあとがきを読んだのである。
 いやー、面白かったね。以前読んだときよりはるかに理解できた。
 大塚英志はなかなかくえない男だよ、と思った。
 大塚氏のあとがきは面白い。笑える面白さではない。
 味がある、といえばいいのか、完全に大塚流、という感じなのだ。
 あのケンカ越しの姿勢もいい。
 なかなか「やってくれる」作家である。
 と、なんだか抽象的なことばかり言っているけれども、やっぱりこの良さは実際に彼の文章を読んでみないことには到底分からない。
 かといって、読んでみても分からなかったりするのだが。

 いま、ドラマ「海猿」を見ていた。
 ちょこっとだけ見た。
 見ていて思った。
 加藤あいと後藤真希は似ている。
 いや多分、顔の造りはそんなに似ていない。
 二人とも、痩せている点がもっとも似ているのである。
 もう、病的なまでに痩せている。
 とくに加藤さんなんかは、死相が出ている……ように見える。
 僕のバイト先の会社は加藤さんをイメージガールに起用しているのだが、ポスターを見ていて、そう思ってしまった。
 痩せているだけじゃなく、なんだか顔色が悪いのである。
 生気が感じられない、という感じだ。
 半年後には死んでしまうのではないか、とかなり心配している。
 後藤さんもこれまた痩せすぎなのだが、彼女は大食いで、栄養失調では絶対にないから、心配はしていない。
 おそらく、カロリーの消費量が尋常でないのだろう。
 ファンを満足させるため、自分の理想に近づくため、彼女は日々ダンスや歌の練習を頑張っているのだろう。
 僕はぽっちゃりした彼女のほうが好みなのだが、まあ仕方ない。
 プロ精神が彼女を痩せさせているのなら、それでいいではないか。
 頑張る人って、美しいですよね。
 ……なんだか柄にもないことを言っている気がする。


8月3日

 今日は市民図書館で「カードキャプターさくら 封印されたカード」を観た。
 タイトルが間違ってないか不安だが、これは大人気アニメ「カードキャプターさくら」(略してカーキャプ)の映画第二弾である。
 実は小生、カーキャプのテレビ放送が始まった中学生のころ、妙にこのアニメにハマってしまって、ほとんどマニアのようになっていた。
 忘れっぽい性格で何度か録り逃がしたりしていたが、ほとんど毎回録画しながら観ていた。再放送が何回もあったので、全話収めていると思う。
 近所の友人らを集めて鑑賞会なんかもよくやった。
 誰も口にしなかったが、みんな主人公のさくらちゃんに惚れていたに違いない。
 まぁ、そんな昔話はさておき。
 都合で未だ観ていなかった映画版カーキャプ第二弾を今日、ようやく観ることができたのである。
 しかし、途中、DVDに傷があったためか観れない個所があった(映像が止まってしまう)のは、非常に残念であった。公共のDVDはよくこのようなことが起こる。少なくとも小生の観たDVDは全部そうであった。おそらく自由奔放な子供たちが粗末な扱いをしたためであろう、と推測する。
 みなさん、公共の物は大切に扱いましょう!

 昨日の「はねるのトびら」は凄かった。感動した。以上。
 というわけにもいかないので、少しだけ書く。
 あまりテレビを見ないわたしはほとんど初めて見る番組だった。
 矢口さんが出るというウワサだったので見た。
 わたしは矢口さんが好きである。
 あの屈託のない開けっぴろげないい意味で馬鹿で素直でハツラツとした在り方が良い。
 ただし、少々加減を知らないところがたまにキズ。
 いや、それも長所といえばそうなのだけど。
 矢口さんはコントに参加した。
 わたしはよく知らないが馬場さんのコントである。
 いやーもー、内容は言えない。言えないほど酷い。
 酷かった。実に酷かった。
“加減を知らない”矢口さんの本領発揮であった。
 彼女はもはやアイドルではない。芸人である。
 わたしは今後、矢口真里という人を芸人アイドルと呼ぶことにする。
 彼女の芸人魂は、すでにプロレベルであった。
 顔がほんのちょっと磯野貴理子に似ているが、芸人魂では矢口さんが勝(まさ)っていると思う。
 あぁ、もちろん、若さとか可愛さとかもね。


8月4日

 8月後半は京都に行くので、僕に残された夏休みはあと十日余りになってしまった。
 まだぜんぜん課題をやっていなかったので、今日は市民図書館で一日中頑張ろうと決意して、いざ向かった。
 11時ごろ着いて、まずは勉強するための席を選んだ。
 すでに多くの人が勉強しており、空いている席はあまりなかった。
 近くに若い女の子のいるところは恐くて勉強に手がつきそうにないので、おばさんの隣に座る。目の前では女性が突っ伏して寝ていた。
 僕はとりあえず無難な環境地理学のレポートに取り掛かった。テーマは自由ということなので、『島の名前』という本を参考に、島の名前をただ並べて書くことにした。

・ハワイ諸島
 オアフ島(「人の集まるところ」の意)、マウイ島(ポリネシア神話の半神半人の若者マウイにちなむ)、モロキニ島(「友達」の意)、ハワイ島(「故郷」「聖地」の意)、カウアイ島(「収穫の時」「豊かな時」「恵みの時」の意)、ラナイ島(「こぶ」の意)

 といった感じである。
 しかしそれでは規定の文字数に足りないし、レポートらしくないので、ウンチクを少々書き加えてみる。
 たとえば。
 ハワイ諸島は大洋底から噴火した火山列島で、ハワイ島がもっとも新しい島である。太平洋プレートに乗って毎年6.5センチずつ日本に接近している。あんまり長く生きるとハワイ諸島にぶつかるので、ほどほどに生きましょう。
 とまぁ、こういった具合である。

 とりあえず走り書きでメモして、今度は応用数学Aの課題に取り掛かった。
 数列の問題で、簡単だった。
 行列式の値を求める問題は、方法はどうあれ、途中で間違えなければ答えが出てくる。速さよりも正確さの求められる問題なのである。
 僕は計算が苦手で「どんくさい」というくらい遅いから、速さを求めない地道にできるこの問題はありがたい。
 二問目を解いて、「よっしゃ、三問目いくで~」と思ったところで、突然声がした。
「今日は2時で閉館になります。工事をするので十日間ほど休館させていただきます」
 おぃおぃ、そりゃないぜ、と思いながら、しぶしぶと退室し図書館を出た。
「こうなったら一日中勉強してやるぜ! 計画」はこうしてあっけなく失敗した。
 いやその前に、間にちょくちょく『風の聖痕(スティグマ)』を読んでいたからとっくに失敗していたのかも。
 しかたなく僕はブラブラすることになったが、ふと思いついて町営の図書館に行ってみた。
 市民図書館でも探してみたけれど、ここにも「乙一」の本がなかった。
 なぜだ、なぜなんだ。
 たしかに乙一作品は変かもしれない。
 しかし迫害されるほどではないはずだ。
 なーぜーだー!
 ともかく、僕は時間つぶしに小説を読むことにした。
 長編を読むほど時間がないので短編集がいい。
 結局、石田衣良先生の『約束』を手にとって「約束」を読んだ。
 なるほど、かなり普通の小説である。
 平凡、という言葉がよく似合う。
 と、書いてみるときっと石田先生のファンが怒るだろう。
 誤解しないでほしいけど面白くなかったとは言ってない。
 けっこう、面白かった。合格点である。
 ただ……まだ石田先生の魅力は計れない。
 まだまだ魅力が見えてこない。
 これではまだ(石田先生に対する)評価ができないので、保留としておこう。

 最近、推理小説(特に短編)が読みたくてうずうずしている。
 今日、我孫子武丸先生の作品を手に入れたので、明日はそれを読む所存である。

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