少年がここへと足を運んだのは、単なる好奇心からだっただろう。少なくとも、少年本人はそう感じていたはずである。
ここは廃墟だった。人はおろかネズミの棲む気配すらない、がらんとした空間。昼夜を問わず真っ暗なその場所に、少年はたった一人でやってきたのである。
雨が降っていたわけではない。雨宿りをするのにはこの場所は適しているだろうが、そうではなかったのである。ここにたたずむ闇とは裏腹に、外の世界は光に満ち溢れていた。
少年がここへ来たのは冬の寒い日のことだった。暖房器具などあるはずもなく、この生き物の気配がしない、しんとした空間は、冷たい空気を張りつめていた。
その静寂を、少年の足音が霧散させた。コンクリの床が少年の靴裏にはじかれ空気を振動させる。振動は廃墟の壁などに反射し、音は反響する。
その極端に早いやまびこに、少年は何を感じていただろうか。多くの者がそうであるように、恐怖を煽られただろうか。あるいは何も感じてはいなかったかもしれない。
足音が幻想的に反響する。ある者にとっては、それは恍惚となるほどの快感だったかもしれない。
少年が奥へと進むにつれて、闇は深さを増してゆく。しかし闇の深まるスピードと、少年の目が暗闇に慣れるスピードはあまり変わらない。だからもしかすると少年は、自らが更なる闇へとすすんで進んでいることになど、気づかなかったかもしれない。気づいていたかもしれない。
いつのことだったろうか。少年ではない他の誰かが、この廃墟に足を踏み入れたことがあった。ここでは時間の感覚がなくなる。あっても意味はないし、光ない場所で時間を感じることは難しいのである。
その誰かは、少年と同じようにこの場所を訪れ、奥を目指し闇を歩いた。しかししばらくして足を止め、引き返していった。その行動の裏でどのような思考がなされたのか、それはどうでもよいことである。
廃墟を訪れる者は珍しかった。もっとも、時の流れの読めないこの地において、その頻度などはあまり意味を成さないのかもしれない。
ともかく、迷い犬はなかなか現れない。だからこそ貴重なのである。
珍しいというより、ほとんど運命の巡り合わせのようなものなのかもしれない。つまり、少年がここを訪れたのは、偶然ではなく必然であった、ということである。そう考えるのも、悪くはない。
少年は、いつかの誰かとは違い、引き返さなかった。ゆっくりとではあるが、着実に奥へと近づいている。足音はとっくに外に漏れなくなっているだろう。
これで少年は、もう外の世界とは隔絶された。少年はすでに、この暗闇の住人なのである。
カツン、カツン、……
足音はすでにはっきりと、大きくなっていた。少年はもう間もなく、この場所へとやってくる。この廃墟の最奥部へ。
さて、どんな顔をしているのだろうか……。
私はあまりの興奮のために、ヨダレを垂らしそうになった。舌でかき集め、ひといきに嚥下する。久しぶりの獲物に、胸がうち震える。
カツン、カツン、カツン。
ようやく、少年が現れた。少年の足音が前方でやむ。
暗闇でもはっきりと物が見える私の目にまず飛び込んできたのは、少年の姿ではなく、氣……いわゆるオーラというやつだった。少年の纏う氣が私の目には眩しい……。それほどに、少年の氣は強大であり、禍禍しいのだった。……眩しいというのは語弊があるかもしれない。少年の氣の色は、黒――つまり闇だったのだから。
………………。
私は絶句するしかなかった。
少年は、迷い犬などでは決してない。そんな馬鹿な見当をつけた自分が浅ましくも愚かしい……。
少年は、それこそ悪魔と呼ぶにふさわしいだろう。
………………。
「あなたは、誰ですか」
絶句する私に少年が、問う。声はいやに鋭かった。
私は答えた。
「……私は、あなた様に遣える者でございます」
「僕はあなたのことなど知りません。本当のことをおっしゃって下さい。あなたは何者ですか」
その言葉はあまりにも静謐で、冬の冷気とあいまって、私の体をゾクリとさせた。
「占い師でございます。この廃墟に閉じ籠り、迷い人を占うことを生き甲斐としてきました」
「そうですか。では僕はお邪魔でしたね。僕は迷い人ではありませんから。
お邪魔しました」
少年は踵を返して、去っていった。
何の感情もない、カツン、カツン、という冷たい音を響かせて……。
しばらくして、自分が茫然としていたことに気づく。全身を、冷たい汗が濡らしていた。
初めてだった。ここへ来た者を外へ帰したのは。
なぜなら、ここから一歩も出ない私の食糧は、ここへ自らやってくる、好奇心旺盛な人間だけなのだから……。
ここは廃墟だった。人はおろかネズミの棲む気配すらない、がらんとした空間。昼夜を問わず真っ暗なその場所に、少年はたった一人でやってきたのである。
雨が降っていたわけではない。雨宿りをするのにはこの場所は適しているだろうが、そうではなかったのである。ここにたたずむ闇とは裏腹に、外の世界は光に満ち溢れていた。
少年がここへ来たのは冬の寒い日のことだった。暖房器具などあるはずもなく、この生き物の気配がしない、しんとした空間は、冷たい空気を張りつめていた。
その静寂を、少年の足音が霧散させた。コンクリの床が少年の靴裏にはじかれ空気を振動させる。振動は廃墟の壁などに反射し、音は反響する。
その極端に早いやまびこに、少年は何を感じていただろうか。多くの者がそうであるように、恐怖を煽られただろうか。あるいは何も感じてはいなかったかもしれない。
足音が幻想的に反響する。ある者にとっては、それは恍惚となるほどの快感だったかもしれない。
少年が奥へと進むにつれて、闇は深さを増してゆく。しかし闇の深まるスピードと、少年の目が暗闇に慣れるスピードはあまり変わらない。だからもしかすると少年は、自らが更なる闇へとすすんで進んでいることになど、気づかなかったかもしれない。気づいていたかもしれない。
いつのことだったろうか。少年ではない他の誰かが、この廃墟に足を踏み入れたことがあった。ここでは時間の感覚がなくなる。あっても意味はないし、光ない場所で時間を感じることは難しいのである。
その誰かは、少年と同じようにこの場所を訪れ、奥を目指し闇を歩いた。しかししばらくして足を止め、引き返していった。その行動の裏でどのような思考がなされたのか、それはどうでもよいことである。
廃墟を訪れる者は珍しかった。もっとも、時の流れの読めないこの地において、その頻度などはあまり意味を成さないのかもしれない。
ともかく、迷い犬はなかなか現れない。だからこそ貴重なのである。
珍しいというより、ほとんど運命の巡り合わせのようなものなのかもしれない。つまり、少年がここを訪れたのは、偶然ではなく必然であった、ということである。そう考えるのも、悪くはない。
少年は、いつかの誰かとは違い、引き返さなかった。ゆっくりとではあるが、着実に奥へと近づいている。足音はとっくに外に漏れなくなっているだろう。
これで少年は、もう外の世界とは隔絶された。少年はすでに、この暗闇の住人なのである。
カツン、カツン、……
足音はすでにはっきりと、大きくなっていた。少年はもう間もなく、この場所へとやってくる。この廃墟の最奥部へ。
さて、どんな顔をしているのだろうか……。
私はあまりの興奮のために、ヨダレを垂らしそうになった。舌でかき集め、ひといきに嚥下する。久しぶりの獲物に、胸がうち震える。
カツン、カツン、カツン。
ようやく、少年が現れた。少年の足音が前方でやむ。
暗闇でもはっきりと物が見える私の目にまず飛び込んできたのは、少年の姿ではなく、氣……いわゆるオーラというやつだった。少年の纏う氣が私の目には眩しい……。それほどに、少年の氣は強大であり、禍禍しいのだった。……眩しいというのは語弊があるかもしれない。少年の氣の色は、黒――つまり闇だったのだから。
………………。
私は絶句するしかなかった。
少年は、迷い犬などでは決してない。そんな馬鹿な見当をつけた自分が浅ましくも愚かしい……。
少年は、それこそ悪魔と呼ぶにふさわしいだろう。
………………。
「あなたは、誰ですか」
絶句する私に少年が、問う。声はいやに鋭かった。
私は答えた。
「……私は、あなた様に遣える者でございます」
「僕はあなたのことなど知りません。本当のことをおっしゃって下さい。あなたは何者ですか」
その言葉はあまりにも静謐で、冬の冷気とあいまって、私の体をゾクリとさせた。
「占い師でございます。この廃墟に閉じ籠り、迷い人を占うことを生き甲斐としてきました」
「そうですか。では僕はお邪魔でしたね。僕は迷い人ではありませんから。
お邪魔しました」
少年は踵を返して、去っていった。
何の感情もない、カツン、カツン、という冷たい音を響かせて……。
しばらくして、自分が茫然としていたことに気づく。全身を、冷たい汗が濡らしていた。
初めてだった。ここへ来た者を外へ帰したのは。
なぜなら、ここから一歩も出ない私の食糧は、ここへ自らやってくる、好奇心旺盛な人間だけなのだから……。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます