6月である。
6月といえば梅雨である。憂鬱である。紫陽花である。台風である。
5月末日の昨日、糸井重里氏と村上春樹氏の競作本『夢で会いましょう』を読了した。
感想は、「こりゃ、二人のファンじゃない人は読んじゃダメだね」だった。
カタカナの言葉をテーマにショートショートを展開してゆく二人の小説家。
正直言って、おもしろい作品・おもしろくない作品、てんでバラバラに散りばめられていてビックリした。
読んでいて分かったのだが、小生はどうも糸井氏の作品が嫌いなようだった。
「また糸井のやつかよ」と思いなら、春樹氏の作品を待った。
嫌い、と言ってしまうと語弊があるかも知れない。
糸井氏の作品には彼なりの独特な世界があり、おもしろい作品も多数見受けられた。
しかしどっちかと言うと、春樹氏の作品のほうが「はずれ」が少なかったと思う。
いや、たぶんこれは好みの問題だから、どっちが優れているかは判断できない。
両氏に見られるのは、とりあえず「変」だということだった。
とんでもなく「変」だった。
気を抜くと二人のワールドに引き込まれそうなほど、変だった。
人によっては「こんなのただの落書きよ」というかも知れない。
そんな危うさが両氏にはあった。
しかしそれは力量不足ということではなく、思いつくまま書いたらこうなった、といったしれっとした印象だった。
色んな作風、色んな登場人物・舞台。
多種多様の世界を両氏は紡ぎ出していた。
それらに共通するのは「変」というただ1点だった。
はっきり言って、すごい。
よくもまぁ、こんなにぽんぽんと問題作が書けるものである。
呆れるほど感心した。
そして、自分もやってみたくなった。
「あぁ、またかよ」と思う読者がいるかも知れない。
なぜならそもそもこの日記(正しくは嘘日記のほう)を書こうと思ったのは、乙一氏の『小生物語』という日記集に感心したためだったからである。
無理かな、とは思うのだが、たとえ無理でも挑戦してみるのが若い証拠なのである。
まだ十代の小生、今のうちに色んなことに挑戦するべきである。
年をとってしまうと、そんな気力もなくなってしまうから。
そんな小生、いよいよ定期テストが近づいてきた。
それだけではない。
なんと、小説のデータを記録していたフロッピーディスクが壊れてしまった。
最初からタイピングしなおさなくてはならない。
災難である。災難すぎる。悲惨だ。悲劇だ。
運命とはなんと非情なものか。
そういうわけで、2月に完成していた小説はまたいちからやり直しである。
残念。
6月といえば梅雨である。憂鬱である。紫陽花である。台風である。
5月末日の昨日、糸井重里氏と村上春樹氏の競作本『夢で会いましょう』を読了した。
感想は、「こりゃ、二人のファンじゃない人は読んじゃダメだね」だった。
カタカナの言葉をテーマにショートショートを展開してゆく二人の小説家。
正直言って、おもしろい作品・おもしろくない作品、てんでバラバラに散りばめられていてビックリした。
読んでいて分かったのだが、小生はどうも糸井氏の作品が嫌いなようだった。
「また糸井のやつかよ」と思いなら、春樹氏の作品を待った。
嫌い、と言ってしまうと語弊があるかも知れない。
糸井氏の作品には彼なりの独特な世界があり、おもしろい作品も多数見受けられた。
しかしどっちかと言うと、春樹氏の作品のほうが「はずれ」が少なかったと思う。
いや、たぶんこれは好みの問題だから、どっちが優れているかは判断できない。
両氏に見られるのは、とりあえず「変」だということだった。
とんでもなく「変」だった。
気を抜くと二人のワールドに引き込まれそうなほど、変だった。
人によっては「こんなのただの落書きよ」というかも知れない。
そんな危うさが両氏にはあった。
しかしそれは力量不足ということではなく、思いつくまま書いたらこうなった、といったしれっとした印象だった。
色んな作風、色んな登場人物・舞台。
多種多様の世界を両氏は紡ぎ出していた。
それらに共通するのは「変」というただ1点だった。
はっきり言って、すごい。
よくもまぁ、こんなにぽんぽんと問題作が書けるものである。
呆れるほど感心した。
そして、自分もやってみたくなった。
「あぁ、またかよ」と思う読者がいるかも知れない。
なぜならそもそもこの日記(正しくは嘘日記のほう)を書こうと思ったのは、乙一氏の『小生物語』という日記集に感心したためだったからである。
無理かな、とは思うのだが、たとえ無理でも挑戦してみるのが若い証拠なのである。
まだ十代の小生、今のうちに色んなことに挑戦するべきである。
年をとってしまうと、そんな気力もなくなってしまうから。
そんな小生、いよいよ定期テストが近づいてきた。
それだけではない。
なんと、小説のデータを記録していたフロッピーディスクが壊れてしまった。
最初からタイピングしなおさなくてはならない。
災難である。災難すぎる。悲惨だ。悲劇だ。
運命とはなんと非情なものか。
そういうわけで、2月に完成していた小説はまたいちからやり直しである。
残念。
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