今ではフィルム一眼カメラ本体を売ってしまって実働するカメラはデジカメの部類となってしまいました。
しかし、昔はものすごくのめりこんでいてコンパクトカメラから一気にオートフォーカスのフィルム一眼レフのシステム構築をやってしまったものです。
そういうことでAPSコンパクトを買ってからしばらくして「月刊カメラマン」や「CAPA」といった安めの雑誌を買って色々と知識を習得していました。
ちなみに画像の「チョートクのカメラジャーナル」はとある事情で札幌に滞在してたときに買い集めていたものです。
今では私もかなり考え方が変わっているのですが当時、価格のピラミッド構造に縛られていた感は少なからずあります。
今、振り返って違和感を覚えるのは月刊カメラマンの年に一回のバイヤーズガイドにて毎年の如く繰り返されていた
OEM許すまじ
という某プロカメラマンの言葉です。
ぶっちゃけコシナのマニュアル一眼機で自分のブランドで売らず、有名メーカーの名前を借りる事が許せなかったのでしょうけど高い一眼との住み分けができていたのでそんなにめくじらを立てることでもなかったと思います。
少なくとも60~70年代の普及機のようにファインダーがスゴイ暗いということも巻上げがゴリゴリするという事もないですし(笑)。
それにしても私はフィルムとデジカメの勢いの転換点に立ち会ってたんだなと考えると感慨深いものがあります。
しかし、昔はものすごくのめりこんでいてコンパクトカメラから一気にオートフォーカスのフィルム一眼レフのシステム構築をやってしまったものです。
そういうことでAPSコンパクトを買ってからしばらくして「月刊カメラマン」や「CAPA」といった安めの雑誌を買って色々と知識を習得していました。
ちなみに画像の「チョートクのカメラジャーナル」はとある事情で札幌に滞在してたときに買い集めていたものです。
今では私もかなり考え方が変わっているのですが当時、価格のピラミッド構造に縛られていた感は少なからずあります。
今、振り返って違和感を覚えるのは月刊カメラマンの年に一回のバイヤーズガイドにて毎年の如く繰り返されていた
OEM許すまじ
という某プロカメラマンの言葉です。
ぶっちゃけコシナのマニュアル一眼機で自分のブランドで売らず、有名メーカーの名前を借りる事が許せなかったのでしょうけど高い一眼との住み分けができていたのでそんなにめくじらを立てることでもなかったと思います。
少なくとも60~70年代の普及機のようにファインダーがスゴイ暗いということも巻上げがゴリゴリするという事もないですし(笑)。
それにしても私はフィルムとデジカメの勢いの転換点に立ち会ってたんだなと考えると感慨深いものがあります。
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