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ブランデンブルク第2番

2022-04-06 22:03:55 | バロック
今日はヴィオラの金重さんとピアノの坂田さんが朝からうちにきて合わせてくれました。

まずは、お茶とお煎餅。
おしゃべりをいっぱい。
日本の抒情歌をトリオに作り変えながら練習。

作り置きの豚肉根菜カレーと白菜の浅漬けの胡麻和え、かぶのかつお節和え。
ランチを食べてから、ドビュッシーのベルガマスク組曲からブレリュードと月の光を練習しました。
楽しかった~。
本番は6月、まだまだ練習できます。

ところで金重さん主催のコンサートでブランデンブルク2番もすることになりました。
前回バッハデイで楽器製作者の方が来場。今度は古楽器のトランペットを制作するので試したい。と言うことで、トランペットの活躍する2番。

ヨハン セバスチャン バッハ(1685-1750年)
神聖ローマ帝国 ザクセン選帝侯領アイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ライプツィヒ没

1705年ヴァイマール公の弟ヨハン エルンスト公の宮廷楽団にいましたが、4週間の休暇を得てリューベックに旅行しました。
ここで、マリア マルグレータとの結婚を条件に聖マリア教会への就職を持ちかけられますが、30歳年上だったことから断ります。 

職場に戻ったのは3ヶ月後で、前衛的な?作品を演奏したりしたことから非難されます。

1707年にミュールハウゼンで聖ブラジウス教会に移ります。
同じ年にマリア バルバラと結婚し、次々と7人の子どもをもうけました。

いくぶん条件はよかったものの、生活は苦しくいくつかの仕事を同時に受けてトラブルになったりしていました。

1708年ヴァイマールに戻りザクセン=ヴァイマール公国の領主ヴィルヘルム エルンストの宮廷オルガニスト兼宮廷音楽師になります。
以前の倍の給料をもらいますが、エルンスト公は宗教音楽を作ることを推進していて満足していませんでした。

1717年アンハルト ケーテン侯国に移り宮廷楽長になります。
ケーテン侯レオポルドは音楽に理解があり、バッハは世俗音楽など自由に作曲しました。

1720年マリア バルバラが出張中に亡くなります。

1721年ソプラノ歌手アンナ マグダレーナと再婚します。
彼女は自分でも稼ぎ、作曲もしてバッハを助けます。

しかし、この頃レオポルドがフリーデリカ公女と結婚。彼女は音楽嫌いで、宮廷楽団も縮小。
別の就職先を探します。

ブランデンブルク協奏曲は、

ブランデンブルク=シュベート辺境伯クリスティアン ルートヴィヒに献呈されました。
これは、バッハの就活のためにかつて書いたものと新しく書いたものをまとめたものです。

第2番は、トランペット リコーダー オーボエ ヴァイオリンの独奏楽器とヴァイオリン二本 ヴィオラ ヴィオローネ 通奏低音(チェロとチェンバロ)
で、構成されており、一楽章は、独奏楽器それぞれにソロが与えられます。

二楽章アンダンテは、トランペットは完全休止、ヴァイオリン オーボエ  リコーダーがカノン風に旋律を奏します。

三楽章はアレグロ アッサイ
フーガ風に展開します。







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