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ニースで作曲「海賊」

2024-08-07 21:01:00 | ロマン派
演奏に行った時に帰りに寄った住之江公園の蓮。

暑い日でした。
午後からは花がしぼみます。

ひまわりも植わっていました。

暑い中、釣りをしている子どもたちがいました。
ブルーギルでも釣ったかな?と思って覗いてみましたが、入れ物もなく、リリースしているみたいでした。
真っ黒に日焼けして毎日来ているよう、子どもといえどたくましい海賊のようでした。

ルイ エクトル ベルリオーズ(1803-1869年)フランス共和国コート=サンタンドレ生まれ、フランス帝国パリ没

「序曲 海賊」H101
1831年4月から5月にニース に初めて滞在し、序曲『リア王』、『ロブ・ロワ』序曲と『メロローグ』の作曲を開始しました。

以来、ベルリオーズはこの街に特別な愛着を抱いていました。

1844年8月1日に自ら主催した大規模な産業祭のストレスの後、ベルリオーズは予定していたバーデン=バーデンへの旅行を延期し、代わりに友人のアムサット博士の助言に従って、9月をニースで過ごすことにしました。

ニースでの滞在については『回想録』(第53章)に簡単に触れられていますが、ベルリオーズはニースで序曲『ニースの旅』(海賊に後に改称)

1610年のニース
の作曲を開始したことには触れていません。
この曲は滞在した塔にちなんで名付けられ、ベルリオーズはそれを『ポンシェットの塔』と呼んでいました。

1843年のポンシェット

20世紀初頭のポンシェット

この新しい序曲は、他のいくつかの作品とともに、1844年11月5日に姉のナンシーに宛てた手紙( CG第924号)で初めて簡単に触れられています。

この作品は、1845 年 1 月 19 日のコンサートで初演されました。1845 年の初めにシルク・オランピック( CG nos. 934、937 )
1837 年、テンプル通りのオリンピック・サーカス
(産業祭のため4回のコンサートが開催され、ベルリオーズは1000人以上のミュージシャンを雇いましたが、演奏者にかかる費用は、収益で完全には賄えませんでした)で行った一連のコンサートの最初の曲でした。

1 月 26 日の雑誌「ル・メネストレル」の書評で簡単に触れられているように、この新作は大成功しなかったようです。
ベルリオーズ自身もこの曲に満足していず、1845年から1852年の間に大幅に改訂しました。

ベルリオーズは長年ジョージ ゴードン バイロン(1788-1824年)
1824年バイロン
の作品の崇拝者で、例えば回想録(第 36 章) では 1831 年にローマのサン・ピエトロ大聖堂でバイロンの
The Corsair(海賊) を読んで感銘を受けたと書いていますが、そこには、また彼の他の著作にも、序曲le Corsaire がバイロンの作品に触発されたり関連したりしたという記述はありません。

当時流行っていたこともあり、関連がないとも言い切れません。

後にはハンス フォン ビューローが気に入り、ピアノ編曲をベルリオーズに依頼し、定番曲のように演奏して回るなど人気の演目になりました。



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2 コメント

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ハスの花 (asateru0628(モコ))
2024-08-07 11:46:50
蓮の花は綺麗です。
水の中の土は、泥なのに花がきれいです。
そして実も良いよね
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Unknown (m-fluteangel16)
2024-08-08 11:16:11
モコさん、蓮の花きれいですね。
泥の中から咲くなんてすごいですね。
ハスの実はミネラルたっぷり含んで体に良いそうですね。
果托もなんだかおもしろい形ですね。
返信する

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