音楽の喜び フルートとともに

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再演されたバレエドナウの娘

2024-10-01 21:00:00 | ロマン派
月曜日、2:00ドルチェ楽器さんでバスフルート見てもらいました。


リペアの人によると、タンポが古くなっていてイビツになっていてタンポ交換が必要だそうですが、ノーブランドの楽器と言うことで、部品が入らないことから調整不能だそうです。

それでも、油だけはさしてくれました。
やっぱり新品パールのバスフルートをおすすめされましたが…

梅田から本町に移動。
御堂筋線の本町駅から徒歩9分。

写真は信濃橋跡。
ここからまだ歩きます。

背中にはバスフルート、コロコロにコンサートフルート楽譜とすだち25個。
アンサンブルのみんなにわけようと思って。重い〜!

夕方5時から本町スマイルズミュージックで練習室を予約。
今川さんとクーラウのフルート二重奏op81を2時間練習。
これは、10月5日フルートアンサンブル「エスカル」の合宿で榎田先生のアンサンブルレッスンを受けるための練習です。

その後、広い部屋に移って11月24日今川さんのフルート教室の発表会で「エスカル」有志メンバーで演奏するボワモルティエのフルート五重奏とミュージカルから編曲で「踊り明かそう!」の初合わせ。2時間。

荷物は重たかったけれど、充実の1日でした。
すだちも喜んでもらえて嬉しかった〜!


信濃橋は、西横堀川に架けられていた橋の一つです。

 西横堀川は、永瀬七郎右衛門によって開削されたと伝えられ、土佐堀川から道頓堀川にかけて大阪の中心部を南北に貫流する川で、その沿岸には種々の商家、なかでも材木商と瀬戸物商が軒をつらねていました。

 信濃橋は、古くは富田町橋(とみたまちばし)その後は問橋(といばし)と呼ばれ、元禄年間(1688~1704)の記録に信濃の名がみられます(橋長13間1尺 約25.9m、幅員2間 約3.9m)。

 大正2年の市電の開通に伴い、三径間の単純鋼鈑桁の鉄橋に架け替えられました(橋長23.0m、幅員22.0m)。

 その後、阪神高速道路の建設が進められるなか、昭和39年から同46年にかけて西横堀川が埋め立てられ信濃橋はその姿を消しました。
大阪市 ホームページより

全く面影はありません

ドナウの娘(ドナウのむすめ、原題: La fille du Danube)は、1836年に初演された全2幕のバレエです。

ドナウの娘』を演じるM・タリオーニ(左)とJ・マジリエ(右)(1836年)
『ジゼル』(1841年)で知られるアドルフ・アダン(1803-1856年)フランス共和国パリ生まれ、フランス帝国パリ没

の曲に一世を風靡した名バレリーナ、マリー・タリオーニ(1804-1884年)

のために父フィリッポ・タリオーニ(1777年–1871年)

が台本と振付を手がけました。

1880年にマリウス・プティパ

がレオン・ミンクス

の編曲によりサンクトペテルブルクで再演した後、長らく上演が途絶えていました,
1978年にピエール・ラコット(1932年 - )
が、フィリッポがアダンに与えた指示書などをもとに復元し、ブエノスアイレスのテアトロ・コロン劇場

においてギレーヌ・テスマー(フルール・デ・シャン)とミカエル・ドナール(ルドルフ)を初演キャストに迎えて上演しました。

なお、1999年にPaul Chalmersも、タリオーニ版の復刻をイタリアのヴェローナ・バレエ団のために発表しています。 

「ドナウの娘」
第1幕
ドナウ川の岸辺で発見され、村娘として育った美少女フルール・デ・シャン。

彼女には将来を誓い合った恋人ルドルフがいます。

ある日、男爵の城で花嫁を選ぶ舞踏会が催され、村に住む未婚の娘が全員招かれる。フルールは身体が不自由なふりをして求婚を逃れようとしますが、却ってその姿を哀れに思った男爵から求婚されてしまいます。

男爵
それを止めようとしたルドルフは男爵の従卒たちに捕らえられ、進退窮まったフルールは城のバルコニーからドナウ川に投身してしまいます。

第2幕
フルールの投身を目の当たりにしたルドルフは、男爵や従卒たちを振り切って自分も川に身を投げます。

パベル・ゲルト(ルドルフ役)(1880年)
ルドルフが辿りついたドナウ川の水底には、ドナウ川の女王と沢山の水の精たちがいます。女王は「水の精たちの中からフルール・デ・シャンを見つけよ」とルドルフに命じます。

彼は見事にこの試練を乗り越え、女王の祝福を受けて、二人は共に地上へと還ります。