旦那と好きなものと私

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クハ481ボンネット型コレクション

2010-06-30 09:44:00 | 旦那の写真
素人の私が撮影したクハ481系ボンネット型を集めてみました。

(1番上は1986.10.31 大阪駅にて)


(1986.5.3 大阪駅にて)
カメラマンがいっぱいですがこの後「サロンカーなにわ」が入線します。


(1987,12,30 北陸線長浜駅付近にて)
まだ国鉄オリジナル


(1994,2,5 東海道線山崎付近にて)
「ゆうとぴあ」連結の為スカートが切り開かれました。


(93,10、11 青森にて)
「白鳥」に使用する車両は塗装変更されました。


(1997,5,3 北陸線倶利伽羅駅付近にて)
「白山」カラー。489系ですが仲間と言う事で。


(1994,9,24 鹿児島本線福間駅にて)
以前にも紹介済みですが九州に登場した最強のカラーバリエーション。

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115系旧福知山線色

2010-06-29 09:36:18 | 旦那の写真
1986年福知山線全線電化時に登場したカラーです。


評判が悪かったのか程なくこちらの塗装に変わりました。

ところで最近、広島、岡山方面で福知山線の旧塗装からブルーのラインを省いたような黄色1色に塗り替えられた電車が登場したきました。これらは出たとたん酷評されてます。歴史は繰り返されるのでしょうか?

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111系四国色

2010-06-28 10:25:33 | 旦那の写真
1992.11.4 瀬戸大橋(宇野)線姉尾付近にて

国鉄の直流近郊型電車の決定版113系の基礎になった111系が最後に活躍した地が四国でした。

2001年に改造され印象がすっかり変わった113系と入れ替わりに引退しました。

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キハ183-100「おおとり」

2010-06-27 09:41:55 | 旦那の写真
1988,2,16 函館駅にて

キハ183-100番台は中間車のキハ184を先頭車に改造した車両で4両登場しました。その独特のスタイルから「ボウズ」と呼ばれてます。

特急「おおとり」は1988年3月の青函トンネル開通まで函館から網走まで1往復だけ走っていった列車名です。ダイヤ改正により札幌で分割されそれぞれ「北斗」「オホーツク」になりました。

青函トンネルの開通で北海道と本州はレールで結ばれましたが道内の列車は札幌中心に変わってゆきました。

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はじめて見た北海道の列車

2010-06-25 09:05:28 | 旦那の写真
1988,2,16 函館駅にて

この年の3月に開通する青函トンネルに使命を託し廃止となる青函連絡船に乗るため寝台特急「日本海」に乗り込み翌朝は「津軽海峡冬景色」の歌詞のとおり青森駅は雪の中。そこから青函連絡船「十和田丸」に乗船、竜飛岬に指をさす人は見ませんでしたが、まもなくあそこの地下を列車が走るなんてすごい事だなと感心しました。
函館までの所要時間はおよそ4時間、この日は波も穏やかで快適な船旅です。
北海道の陸地だんだん大きくなり函館山の形もはっきりとわかるようになるとまもなく函館に到着です、そして桟橋に接岸するときに見えた初めての北海道の鉄道車両がキハ183でした。


青函連絡船を押すタグボート


コンテナ車を積み込み中の檜山丸


キハ24(キハ23の北海道向けの気動車)

このあと函館市電にて市内見学その日の深夜0:40発連絡船で青森へ向かい、青森に到着後は先日紹介した南部縦貫鉄道を訪問して、盛岡から新幹線を乗り継ぎ大阪へと帰りました。

そんな私の初めての北海道はわずか10時間足らずでした。

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南海6000系

2010-06-23 09:53:31 | 旦那の写真
88年ごろ 高野線北野田駅にて

昨日の7000系とほぼ同じデザインと性能ですが車体がステンレス製の所が大きく違います。

こちらも最初は非冷房でしたが後に冷房化と車体更新の行い全車現役で活躍中です。

子供のときからよく利用した車両で夏のある日に窓を全開にしていたら帽子を飛ばされた思い出があります。
又学生時代には通勤電車では珍しくなった片開きの扉を「ギロチンドア」とちょっと恐いあだ名で呼んでました。

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岸ノ里駅にて南海7000系(更新前)

2010-06-22 18:14:42 | 旦那の写真
84年ごろ岸ノ里(現・岸里玉出)にて

高架工事前の岸ノ里駅は地上を通る南海線を汐見橋に向かう高野線がオーバークロスしてなんばに向かう線は急カーブと急勾配で南海線に合流してました。
南海線が高架に成ると汐見橋へ向かう線は分断され、なんばへ向かう急カーブは残ってます。

この当時の製造からおよそ20年経っていた7000系は冷房化と車体更新が始まった頃で新車のように生まれ変わっていました。
(写真は更新前、方向幕は一部の車両に先行して取り付け)

それからさらに25年以上経った今でも現役で元気に走ってます。

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485系「雷鳥」上沼垂色

2010-06-21 20:13:08 | 旦那の写真
1994,2,5 東海道線山崎付近にて

JRになって車内の改装(指定席)や塗装の変更を行っていたのでグレードアップ車とか主に特急「北越」に使用されていたので北越カラーなどと呼ばれていましたが所属基地の名前から上沼垂色が今の定番のようです。

大阪では新潟行きの「雷鳥」や青森行きの「白鳥」で見ることが出来ましたが、今ではどちらもなくなりお目にかからなくなりました。


1993,10,8 大阪駅にて

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クモハ485-200番台

2010-06-19 10:06:05 | 旦那の写真
特急車両としてはちょっと不細工な中間車に運転台を取り付けたスタイルの車両です。

途中駅で分割・併合するスーパー雷鳥の付属編成用先頭車として登場しました。

パノラマグリーン車の付いた基本編成は和倉温泉へ、短い3両の付属編成は富山へ、観光シーズンにはそこからさらに富山地方鉄道に乗り入れも行ってました。


(金沢駅での連結作業中。このあと向こうの貫通扉がガバッと開き連結されます。)




681・683系の増備により北陸線からは撤退しましたが、今は山陰線の京都側にて活躍中で連結作業も綾部駅などで見ることが出来ます。

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南部縦貫鉄道

2010-06-18 10:21:52 | 旦那の写真
1988,2,17

1997年休止2002年に廃止された青森県のローカル私鉄です。

東北本線の野辺地と七戸を結び、東北新幹線の七戸との連絡を期待していましたが、新幹線の建設方法が二転三転してるうちに廃線となってしまいました。

活躍していたキハ100形はレールバスと呼ばれ車体はまさにバスで変則ギアまで付いてます。


野辺地に到着したキハ102。巻き上げた雪で真白です。このあと竹箒で掃ってました。


七戸に向かう車内から。
乗り心地はお世辞にも良かったとは言えませんがそれがレールバスの醍醐味です。途中駅から小学生が通学の為に乗り込み車内はにぎやかになりました。

現在旧七戸駅構内にレールバスが保存されイベント時に運転されています。


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