旦那と好きなものと私

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南海8000系 初代

2013-11-20 15:18:09 | 旦那の写真
1988年北野田にて 1編成のみの孤独な存在、初代8000系です。

1975年当時、新たな制御機器の試作をかねて登場した初代8000系は外観は6200系とそっくりでしたが、制御機器が異なる為形式が分けられました。

見分けるポイントは、電気連結器が無いところぐらいで、写真を撮って現像してから「そうだったんだ!」な感じでした。


1988年 中百舌鳥にて

他形式と連結できないなど特別な運用がなされてましたが、2001年制御機器の更新時、6200系に合わせた改造がなされ同時に6200系に編入され、もっと見分けが付かなくなりました。




南海1521系

2013-11-16 09:53:16 | 旦那の写真
1980年代、南海電車の支線に行けば必ず1521系に会えました。


1984年 天下茶屋にて 天王寺線。


1985年 今池町にて 天王寺線は路線が短縮され今池町~天王寺になり離れ小島状態。1993年には廃線。


1985年 汐見橋にて 一時期、高野線汐見橋~岸ノ里でも使用。


1983年 羽衣にて 高師浜線、通過中の踏み切りはホーム延長で閉鎖。今は高架工事中。


1985年 高師浜にて 単行運転が基本でした。


1988年 加太にて 加太線。


1985年 和歌山市にて 和歌山港線。

1995年までに南海線では引退しましたが、一部が遠く離れた青森県の津軽鉄道に転属。


1998年 弘南鉄道 大鰐線津軽大沢にて

はるばるやって来ましたが、あまり活躍することなく廃車となりました。


和田岬線

2013-11-14 13:36:49 | 旦那の写真
1985.12.25 和田岬線に行ってきました。列車入選前のホームにはすでに沢山の乗客がいます。


兵庫側はDE10


和田岬側はDD13


満員列車に数分揺られ1駅で終点和田岬。乗客は近くの工場に消えて行き、駅前はすぐに静かに。


折り返しにやって来た列車もデッキにもあふれるほど満員。


乗客がいなくなってから専用車両の「オハ64」を観察。ホームがある片側だけ扉を追加。


車内にはほとんど椅子が無く貨車のよう。


沿線には腕木信号が現役。


スタフも活躍してました。

長らく尋ねていませんが、最近チョッと気になってます。



鍛冶屋駅

2013-11-10 15:39:58 | 旦那の写真
1990年4月1日に廃線となった鍛冶屋線の終点鍛冶屋駅のスナップです。

廃止間近の3月21日に訪れました。


ダイヤ改正のポスターに南野陽子さん。ファンだったので嬉しがってツーショット。


野村側にはキハ40。


鍛冶屋側には加古川線カラーのキハ37。


起点の野村駅は鍛冶屋線廃線後に西脇市駅に改称されました。


1992年 F1臨時列車

2013-11-03 07:29:48 | 旦那の写真
1992年10月25日 伊勢鉄道鈴鹿川橋梁にて

「F1鈴鹿グランプリ」に合わせ、臨時列車や増結が行われ普段は1両で走る事が多い伊勢鉄道の車両も全車フル稼働です。


普通列車にはJR車両も応援。


関西方面からの臨時列車。


寝台車なんて今では考えられない。


臨時快速には引退した「キハ82」も駆り出され奇跡の復活?


ヘッドマークが無いですがうれしいサプライズ!


キハ47が主体の臨時快速。


キハ58の「快速みえ」も増結。

この年の総合優勝はマンセルで、セナがホンダ最後の年でした。

名松線

2013-11-02 11:17:04 | 旦那の写真
国鉄時代から赤字ローカル線で有名だった三重県の名松線に1997年6月22日に訪ねました。

名松線は名張と松坂をつなぐ予定だったのですが名張側は未完成なのでバスで伊勢奥津に向かいます。


蒸気機関車時代の給水塔は今も健在です。


2005年に新駅舎が写真の左側に建てられました。


家城駅では上下列車がスタフ通票交換。この頃は腕木信号機も残ってます。

現在、家城~伊勢奥津は水害で長期休業中ですが再会に向けて動いてる様です。