当時中学生だった私は1983.8.4から3日間、初めての泊りがけ一人旅を四国へ行って来ました。
目的は四国全線乗りつぶしとDF50に逢うことです。
まだ瀬戸大橋は無く、四国へ入るには宇高連絡線で高松に、とても遠くに来た気持ちです。
DF50はいつどこで見られるのかその頃の私には知るすべが無く、とりあえず四国をぐるりと回れば逢えると思ってました。
まずは徳島方面へ行きましたが空振り、初めて逢えたのは乗り換え待ちをしていた深夜の阿波池田駅でした。貨物の入れ替え作業をしているようでしたが、暗くて遠かったので写真はボツ。
夜行の快速に乗って高知県の中村へ、窪川に戻り予土線で愛媛県入り。次にやっと逢えたのは高松へ戻る「しおかぜ」と行き違い待ちで発見あわてて飛び降り写したのが上の写真です。あまりに突然だったので何処の駅か分からなくなりました。
最終日は前日高松運転所にDF50が待機していたのを確認していたので、行ってみることにしました。
その時に偶然高架橋の上からの走行シーンを撮影することが出来ました。
あの時からずいぶんと時間が経ちましたが、自宅近くの交通博物館に展示しているDF50を見るたびにこの時のことを思い出します。
目的は四国全線乗りつぶしとDF50に逢うことです。
まだ瀬戸大橋は無く、四国へ入るには宇高連絡線で高松に、とても遠くに来た気持ちです。
DF50はいつどこで見られるのかその頃の私には知るすべが無く、とりあえず四国をぐるりと回れば逢えると思ってました。
まずは徳島方面へ行きましたが空振り、初めて逢えたのは乗り換え待ちをしていた深夜の阿波池田駅でした。貨物の入れ替え作業をしているようでしたが、暗くて遠かったので写真はボツ。
夜行の快速に乗って高知県の中村へ、窪川に戻り予土線で愛媛県入り。次にやっと逢えたのは高松へ戻る「しおかぜ」と行き違い待ちで発見あわてて飛び降り写したのが上の写真です。あまりに突然だったので何処の駅か分からなくなりました。
最終日は前日高松運転所にDF50が待機していたのを確認していたので、行ってみることにしました。
その時に偶然高架橋の上からの走行シーンを撮影することが出来ました。
あの時からずいぶんと時間が経ちましたが、自宅近くの交通博物館に展示しているDF50を見るたびにこの時のことを思い出します。