旦那と好きなものと私

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ED60

2010-06-17 18:17:58 | 旦那の写真
1985年頃 阪和線杉本町にて(重連の後ろはEF60)

ED60はそれまでの茶色でデッキの付いた機関車から青色新型直流電気機関車の一番手としてデビューし1986年に廃車になるまで阪和線を中心に活躍してました。

宅配便が普及する前に鉄道小荷物(チッキ)と呼ばれるものがあり駅から荷物を発送し送られきた荷物を駅まで受取るシステムで子供のとき母に連れられ阪和線の鳳駅まで荷物を取りに行ったことがあります。その時に私がはじめて見た電気機関車がED60でした。


1982年 鳳駅にて

その後、鉄道小荷物は無くなり、阪和線からは貨物列車も走らなくなりました。


1985年 鳳駅にて


1985年 富木駅付近

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急行「阿波」から特急「うずしお」

2010-06-16 17:51:35 | 旦那の写真
1983,8,4 高松駅にて

宇高連絡船を高松で降りると四国各地に向かう様々な列車が待っていました。
徳島方面には特急が無かったためこの急行「阿波」が主役で中には徳島までノンストップの列車もあり今の特急「うずしお」も顔負けの韋駄天ぶりでした。


(1994,6,25 瀬戸大橋線茶屋町にて)
瀬戸大橋開通後は特急に格上げされ名前も「うずしお」に一部は岡山まで足を延ばしました。


(2003,10,11 高徳線引田~讃岐白島間にて)
さらに高速道路対向にスピードアップした新型車両が導入されました。

次は電化して更なるスピードアップか?

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可部線廃止区間

2010-06-15 13:15:01 | 旦那の写真
2003,11,30にて廃線になった可部線の可部~三段峡へ廃線前の2003,9,14に行ってきました。


車で深夜に大阪を立ち早朝加計駅に到着。当駅始発の三段峡行きに乗り込みます。


スタフを受け取り出発です。


およそ25分で終着駅三段峡に到着。山が迫りもう先には進めない感じですが計画では日本海側の浜田まで行くつもりだったそうです。


三段峡の駅前にはC11蒸気機関車と存続を願う横断幕が。
(ちなみにメモを取っている女性が妻です。)


折り返し三段峡駅から加計駅に戻ります。


加計駅からは当駅発可部行きの列車の走行写真を取るべく車で移動。


(水内~安野間にて)
列車はとてもゆっくり走るので途中2箇所で追い越し撮影することができました。


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西鉄北九州線

2010-06-14 15:47:16 | 旦那の写真
1992,9,12 魚町電停付近にて(小倉駅の近く)

かつて北九州市内に多くの路線があった西鉄の路面電車です。80年代から徐々に路線の縮小があり撮影した地点も翌月には廃線になり小倉の駅付近から路面電車がなくなりました。そんなトカゲの尻尾きり(残った方が尻尾?)の様な延命策は長くは続かず一部は筑豊電鉄の路線として残るものの西鉄としては全廃しました。

最近では路面電車を見直す自治体が増えてきてますが私の地元の堺では存続の危機が迫っているようで心配してます。

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真岡駅(1987)

2010-06-13 17:01:31 | 旦那の写真
1987、8,6 栃木県真岡駅にて

現在は真岡鉄道の駅でSLの形をした駅舎が建ってますがJRになって間もないこの頃はアナログで国鉄の香りが残る駅でした。


ポイントの切り替えは手動です。(沢山あるので間違えないように!)


列車が到着します。直立不動でお出迎え。


タブレット(通票)交換をして出発進行。

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紀州鉄道

2010-06-12 17:42:43 | 旦那の写真

昨年引退したキハ603です。ライトの位置や前面窓が改造される前で1985年頃の姿です。

大分県の大分交通耶馬渓線からやって来た当時の車齢は15年でしたがそれから34年間和歌山の地で活躍し続けました。


こちらは1989年に廃線のなった日高川駅です。雑草が生い茂ってますが駅も車両も現役です。



今でも線路が残っているそうです。復活するつもりがあるのでしょうか?


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近鉄8000系

2010-06-11 21:27:42 | 旦那の写真
只今高架工事中の東花園駅にて1987年ごろの撮影です。

この当時、近鉄電車ではマルーン一色塗りからホワイトとマルーンの2色塗りへ変更中でしたが、上の写真を見て今とはチョット違うのが解る人はなかなかの観察力です。

正解は前面窓周りの白色塗装の範囲が当初は車両番号の上までありましたが後ほど車両番号の下までに変更になっています。なぜ変更されたのか解りませんが「タヌキみたいでかっこ悪い」とでも言われたのかな?

(鶴橋駅にて)


1987年 大和西大寺にて まだ1色塗装もありました。


1984年 大和西大寺にて


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クモルクル

2010-06-10 18:03:36 | 旦那の写真
1994,7,9 阪和線東貝塚付近にて

顔は103系なのに車体はトラックの荷台になった変な形の電車がクモル145+クル144です。

「ル」は配給車の車両記号で「配る」の「る」から取ったそうです。その名のとおり工場から工場へ部品を運ぶのに使われていた為、いつ現れるか解らない幻の車両です。そんな車両に偶然出会う機会が2回あったので発表します。


1987,8,5 品川駅にて(車輪を配給中)

現在では工場間の輸送にはトラックを使用するようになり1編成を残し全て廃車になりました。

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グランドひかり

2010-06-09 10:23:51 | 旦那の写真
1994,6,25 岡山駅にて

「グランドひかり」こと100系新幹線はそれまでは0系ばかりでどれも同じ車両ばかりだった新幹線が始めてモデルチェンジをして登場しました。中でもJR西日本所属のV編成には2階建て車両が4両もありホームではその大きさに圧倒されます。東の新幹線には全部2階建ての大きな新幹線がありますが東海道山陽新幹線は300系以降は背が低くなって屋根が見えそうです。

100系以降さまざまなスタイルの新幹線が登場しましたが個人的にはこの100系が最高だと思います。


華々しくデビューした100系でしたが時代の流れについて行けなくなり今は短くなって「こだま」として余生を送ってます。

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ほのぼのSUN-IN

2010-06-08 10:14:35 | 旦那の写真
1994,11,2 木次線出雲横田駅にて(対向列車の車内から撮影)

1987年から2009年まで主に山陰地方で活躍したお座行き列車です。

この日は出雲坂根駅の三段スイッチバックと亀嵩駅の蕎麦を目的に木次線(備後落合→亀嵩)に乗車しました。

米子行き普通列車 備後落合にて(まだトイレが設置される前なので窓が健在)


広島行き急行「みよし」(三次までは普通)旧ちどり色のキハ58


勾配がきついのか同乗していた保線の人が降りてレールに砂を撒きながら進む区間(キハ120が軽くてパワーが在りすぎ?)

偶然「ほのぼのSUN-IN」にすれ違うなどサプライズの多い体験乗車でした。

存続の危うい木次線ですが、現在はトロッコ列車「奥出雲おろち号」が走ってます。是非乗りに行きたいです。

(タイトルと本文が違ってる?



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