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旦那と好きなものと私

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ミステリー機関車リレー号(1985)

2013-06-21 21:04:56 | 旦那の写真
国鉄が企画して、1985年の夏休み期間中3回開催された「ミステリー機関車リレー号」に8月20日参加しました。

天王寺発天王寺行で、その名の通り機関車を付け替えながら走ります。

まずは「DD51(番号不明)+DE10-1089」の牽引で関西線の王寺まで。

進行方向を変えて龍華機関区に入り、ここで「ED60-4+EF15-58」に交代。
(当時の「鉄道ファン」誌の記事によると2回目はEF58先頭で3重連だったそうです。)


今では通ることが出来ない、阪和貨物線を経由して阪和線を南下。


和歌山操車場には「EF58-66」が待っていて前方に連結して3重連を演出。
構内には和歌山線の電化で余剰となったキハ30系や貨車などが多数留置されておりました。


EF15+ED60+EF66の3重連デモ走行の後、EF58単機にて天王寺へと帰りました。

夏休み期間中の良い思い出です。


下津井電鉄

2013-06-20 02:43:45 | 旦那の写真
1985年8月23日 岡山県の下津井電鉄を訪ねた時の写真です。

当時、起点となる児島駅は、他の鉄道線とは接続しておらず、私も倉敷からバスにて向かいました。

手書きのイラストがいっぱいの可愛い電車には多くに人が乗り込んでました。


小さな駅をいくつか止まりやがて車窓に建設中の瀬戸大橋が見えてきたら終点間近です。


およそ20分ほどで終点、下津井駅に到着。


電話ボックスの前で万歳してるのは私です・・・(〃ω〃)


現役車両は3本在籍しており、これは2両編成(モハ103+クハ24)ここでは最新型。


3両編成(クハ22+サハ2+モハ102)はラッシュ時に活躍したそうです。


他にも構内には使用されなくなった車両が留置されており鉄道ジオラマのようで楽しくなります。


その後、1988年瀬戸大橋線が開通し、児島駅で接続されて便利になり、更に新車も導入され安泰かと思ってましたが、
再び訪れる事もなく1990年末に廃線となりました。

クモヤ90004

2013-05-08 22:58:27 | 旦那の写真
1986,10,5 日根野電車区で開催されたイベントにて

クモヤ90は旧型国電のモハ72を改造した事業用車両で一般には目に触れない貴重な車両ですが、地味なのでこの頃は人気がなかった様子です。

最近KATOからNゲージが発売されたので現存していれば人気の的だったかも。


沢山並んだ銘板を見ると「昭和23年近畿車両」「更新修繕昭和27年東急横浜」「改造昭和42年国鉄郡山工場」と読めます。

つまり戦後間もない頃に作られたので欠陥が多いため4年で修繕(モハ63→モハ72)
新性能電車が台頭して余剰になったので事業用に改造(モハ72→クモヤ90)とゆう事。


リニア鉄道館にて。右から2両目が同型(クモヤ90)を原型(モハ62)に復元したものです。


クハ103-1

2013-03-19 14:06:11 | 旦那の写真
2006,7,8 大阪環状線弁天町にて

国鉄通勤型電車の決定版103系のトップナンバーです。

1964年生まれで山手線等を走り、その後1976年大阪にやってきて環状線で長らく活躍、写真の頃には改造を繰り返し原型を保ってないけど存在することが奇跡的?。2007年から阪和線に移り2011年春まで活躍しました。

解体されずに残されているようですが、公開の予定などはまだありません。



環状線弁天町にて

2013-03-18 04:24:11 | 旦那の写真
80年代の大阪環状線弁天町駅に進入する外回りの103系です。

後ろに地下鉄中央線の駅が見えてますが、今では高速道路の高架橋が通っているので見えなくなってます。

弁天町と言えば「交通科学博物館」ですが、展示車両が新たに京都の梅小路に出来る博物館に移転するみたいです、そうなると寂しくなります。


秩父鉄道1000系

2013-03-12 22:11:41 | 旦那の写真
秩父鉄道1000系は、元国鉄の101系を譲り受け主力車両として長らく活躍しておりましたが、引退のカウントダウンが始まって残りわずかとてなってます。


オリジナル塗装(2006.7.8 白久付近にて)


おまけで国鉄時代(関西本線新今宮にて) 
 

113系 関西線快速色

2013-03-12 05:28:26 | 旦那の写真
昭和48年(1973年)電化された関西線の湊町~奈良を走る113系はオリジナル塗装され「関西線快速色」や春日大社由来の「春日色」等と呼ばれていました。

大阪環状線にも乗り入れて現在の「大和路快速」の原型を作りました。


湊町にて


湊町にて
右の103系ブルーですが関西線です。


王寺にて
奈良県内の桜井線や和歌山線(王寺~五条)でも活躍。


1984年 五条にて


和泉府中にて
青帯色が基本の阪和線でも時々走ってましたが目立ちます。


新今宮にて 1988年「ならシルクロード博」のヘッドマーク


JR化後、221系に置き換えられておりますが1編成ぐらいリバイバル塗装にならないかな?似合うと思うのですが・・・。

阪和線鳳駅1984年

2013-03-09 17:26:52 | 旦那の写真
阪和線鳳駅の建て替え前1984年頃です。


建築中(1985年3月)


写真は国鉄時代の1988年頃で、右手階段付近に「丹波屋」ができた以外あまり変わってませんが、
バスの入れない狭いロータリーと駅前に続く道路は拡張工事中です。

アクアエクスプレス

2013-01-08 06:38:50 | 旦那の写真
1992.9.11 博多駅にて(ピントも露出も合ってない・・・)

アクアエクスプレスは1988年キハ58系を改造して誕生した車両で、水戸岡鋭治氏が初めてデザインを手がけた車両です。

1992年まで博多と香椎線の西戸崎を走ってましたが翌年からは熊本に移り、急行「くまがわ」などに使用されていましたが2000年には引退して現存していません。残念(´・ω・`)

「はやたま」1984

2012-12-09 22:39:58 | 旦那の写真
1984年の冬休みに元祖、乗り潰し企画「いい旅チャレンジ20000キロ」に当時挑戦中だったので、紀勢線を一発クリアするために和歌山市発に乗り紀勢線全線走破した時の写真になります。

メモ書きもあったのでその日の編成を紹介。

機関車 天王寺~新宮   EF58-39
    和歌山市~和歌山 DE10-1135
    新宮~亀山    DD51-1032

客車  オハフ33-333 (和歌山市発)
    スユニ50-2047
    オハフ45-2201
    オハ47-2217
    オハ47-2211
    オハフ45-2103
    オハネフ12-2079(新宮まで)
     

「はやたま」号は天王寺と新宮を結ぶ夜行列車で、普通列車ですが寝台車が連結されていた為「はやたま」と列車名が付けられていました。
当時は他に京都~出雲市の「山陰」。門司港~長崎の「ながさき」がありました。



和歌山市発は客車1両だけで出発し、和歌山で天王寺発に連結。


寝台車は新宮で切り離し。
この年の改正で寝台車の連結は終了してしまい、今となっては貴重な10系寝台を利用しなかったのを後悔してます。


熊野市で東京からの寝台特急「紀伊」とすれ違い。列車はまもなく廃止に。


尾鷲でキハ82の「南紀」に追い抜かれ。


夜ふかしをしたことが無い良い子だったので徹夜で乗り通したせいか、後半は記憶がありません・・・。


紀勢線も新宮を境に東海と西日本に分かれたため全線直通の列車も今はありません。