少し前になりますが、私のブロ友さんが『ちゃわんやのはなし』というドキュメンタリー映画の記事をブログにUPされていました。
私は、お茶をやっていた事もあり、焼き物が好きで、興味深くこの記事を読ませていただきました。
この映画の中に出てくる『沈寿官』という人は、16世紀末、朝鮮の役で薩摩軍により日本に拉致されてきた陶工の子孫に当たる人です。
(名前は世襲制で、代々の当主が同じ名前を名乗っており、現在は14~5代目くらいでしょうか・・・?)
当時の日本は、貴族や武将達の間では茶道がとても隆盛でした。
そして、茶をやる人々は、その道具類にも強いこだわりを見せたようです。
特に茶器は渡来物が珍重され、現在ではとても信じられませんが、一国に相当する茶器まであったと言います。
そんな時代でも、薩摩には陶器や磁器の技術はまだ無く、せいぜい土器(かわらけ)が焼かれていた程度だったのですから、『ヨーロッパの宝石にも匹敵する』というほどの焼き物を作りあげる陶工達は錬金術師だったのでしょう。
何しろ、焼き物の素材は土に過ぎないのに、そこから宝石を作り出すのですから。
そして実際に、薩摩藩は朝鮮から連れてきた陶工達が作り上げる焼き物で巨利を得、それが、後の倒幕のための一財源となったそうです。
ただ、薩摩側の思惑がどうであったにせよ、拉致されて、薩摩という異国の地で生き続けなければならなかった人達の心情は、私のつたない想像力では推し量る事が出来ません。
ブロ友さんの『ちゃわんやのはなし』というドキュメンタリー映画の記事に関連して、司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』という本を思い出し、再読しました。
本の詳しい内容は、ここには記しませんが、短編で有りながら、心に深く染みいる一冊だと改めて感じました。