福山の鞆に沼名前神社というのがある。
よみかたは、
ぬなくま神社という。
ここを調べていたのも、千木からが始まりだった。
おおわだつみをまつっていたが、地千木だった。
おおわだつみだと、天千木ではないのか?
海が、ご神体と取って良いと思う。
なので、天千木だろうと・・・
ところが、地千木。
由緒をよんでいくと、
神功皇后が航海の祈願しておおわだつみを祀った。
伊勢神宮の場所替えでもわかるが、
社を建てる場所(いやしろち)を探すのは、大変なのである。
だとすると、航海の途中
(神功皇后についての疑問は置いといて、とりあえず)
神功皇后とて、そんなに時間はとれない。
*********イヤシロチとは・・・ - rokufuu ページ! (creative-earth891.com)
イヤシロチは「弥盛地」と書きます。
その意味は、「良い想い、良い氣(エネルギー)が充満している土地」のことです。
その土地では、呼吸はゆったりし、脳波も安定し、身体が柔らかくなり、力も強くなり、健康状態を保持しやすい。
また、人が集まり、農作物も豊作で、物が腐りにくく、建物の耐久性もすぐれ、食品等は美味しくなり、商売をすると繁盛する。
古くから存在する聖地である神社仏閣は必ずと言っていいほど、「イヤシロチ」に建てられています。
ケガレチは「氣枯地」といい、
悪い想い、悪い氣(エネルギー)が充満している土地のことである。
呼吸や脳波も乱れ、身体は堅くなり、力も弱くなり、病気になりやすい。
カラスや害虫が集まり、植物も枯れやすく、物が腐りやすく、建物も劣化しやすく、商売をしてもうまくいかない。
また、魔の踏切、事件現場、自殺の名所などは、間違いなく「ケガレチ」といえます。
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すると、民間信仰とかの元からある、小さな社を立て替え・祀り替えしてしまう。
と、いう事が起きる。
いやしろち、であるし、通常、社などあれば掃除したり草を抜いたりと整備するので
いっそう、心地よい土地になっていることが多い(=後ほど、別件を書く・・疑問だったこと)
もし、建て替えられていたとしても
千木まで建て替えないと、思う。
天千木を地千木にしたり
地千木を天千木にしたり
は、しないと思う。
すると、後々に、もう少し横にあった素戔嗚を合祀した・・・とあり
(小さな、木の看板のようなものに書いてあった)
神功皇后は、素戔嗚を快く思わなかったのではないか?
元々は、(もしかして)素戔嗚だったかもしれない。
(気比神宮あたりも同じことを書いたが)
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沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は、鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも称され、大綿津見命(おおわたつみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)をお祀りしています。
今から千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦に御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、綿津見命を祀り、海路の安全をお祈りになられたのが、当社の始まりです。
さらに、神功皇后御還幸の折、再びこの浦にお寄りになり、綿津見神の大前に稜威の高鞆(いづのたかとも:弓を射る時に使った武具の一種)を納め、お礼をされたところから、この地が鞆と呼ばれるようになりました。
須佐之男命は、鞆祇園宮と称され、元は鞆町内の関町に鎮座していたが、慶長四年の火災で焼失し、草谷(現在地)に遷座の後、明治九年綿津見神を合祀し、相殿として奉斎されています。
残念ながら、この祇園宮の創建については不詳です。
旧社格は国幣小社。また延喜式内社です。現在は神社本庁所属の別表神社です。
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そして、神功皇后の航海なるものを調べたり、
素戔嗚のことを調べたりしはじめたのだが、
その途中で
申し訳ない、場所も神名(数名いたと思う)も様式もわすれてしまっているのだが
通常、その神々ならば出雲のほうをむくはずが、
四国のある地域(ここも、名前が思い出せない)をむいていて
出雲(素戔嗚)とその地域との関連をにおわせていた。
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そのことを知ったとき、邪馬台国の場所を調べ始めたのとで、
狗奴国の位置候補を2か所くらいに絞れた。
(確か、伊勢の近くと、四国の上に書いたある地域とおなじような場所だったと思う)
そして、奴奈川姫をしらべはじめ・・・たころ、
奴が翡翠を表すと判ったとき、
ん?ぬなくま神社・・沼名前になっているが、奴なくまが本当かもしれない。
などと、考え、で、どういう意味?とトンデモ論で、紐解こうとした。
ところが、
いくつか、書いた隠し言葉のこともあり
もうすこし、調べることにした。
すると、よく、注目してみると
前と書いて「くま」と読ませていることに気がつく。
熊襲征伐は、前祖征伐ということじゃないか?
つまり、縄文人を北へおいやった討伐ということではないか?
と、思い
ぬなくま(沼名前)に隠されたことを考えてみようと思った。
ぬの名前
沼名前をすなおによむと、ぬまなまえとなる。
これをまず、ぬ+ま+なまえ
「ぬの真のなまえ」・・・なにが?
「ぬは真のなまえ」と、読むと
ここが、奴?
ここの名前が「ぬ」?・・・
(神功皇后のおかげで、前には何と呼ばれていたかもわからない。)
前をくまとよむと
「奴の真の名はくま」
いや?
(熊襲の)熊の真の名は奴?
が、あえて、隈にしなかったのは、
名前というだけでなく
文字通り「この土地の前、海の向かい側?」
と、とると
出雲のほうでなく、そのあたりを向いていた神がいたことが符合する。
奴国と素戔嗚と出雲の関連を調べなきゃいけない。
弥生時代にかつて存在した倭人の国で、現在の福岡市や春日市など福岡平野一帯を支配していたとされる。領域内には那珂川と御笠川が流れ、弥生時代の集落や水田跡、甕棺墓などの遺跡が各所で確認されている。また文献上に現れる最古の国家でもある。
また海人族研究の第一人者である宝賀寿男は海神族(漁労民)と天孫族(農耕民)が衝突・共存した地として葦原中国に比定している。
訳文:女王国より北は、その戸数、道程を簡単に記載し得たが、その余の旁国は遠く険しくて、詳細を得られなかった。
次に斯馬国(中略)次に奴国が有り、ここが女王の境界の尽きる所である。その南に狗奴国が有る。
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斯馬国(中略)次に奴国が有り、ここが女王の境界の尽きる所である。その南に狗奴国が有る。
狗奴国の場所を仮に剣山付近と考えると
素戔嗚につながってくる。
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実に単純であるが、剣山伝説。
四国の聖域 5つの疑問から剣山にまつわる噂を検証! (ateliernao.net)
剣山の山頂近くにある鶴岩と亀岩があります。
剣山はもともと昔は鶴亀山と呼んでいました。
鶴と亀といえば「かごめかごめ」という歌があります。
歌詞はヘブライ語の発音と似ており、そのまま訳す
ことができます。
簡単にいうと「山に隠され守られた契約の箱を取り出せ」
という意味です。
契約の箱というのはアークともいわれている秘宝のことです。
映画でもよく取り上げられているので名前を聞いたことがある
人もいるかもしれませんね。
亀岩の下を数年かけて掘り続けたところ、巨大な球体型の
太陽岩を発見したそうです。
ほかにもさまざまなものが発掘されましたが、政府により
発掘作業はストップされ発掘品も没収されてしまいました。
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かごめは籠の目でありダヴィデ王の紋章とも言われています。
また籠の編模様にみられる籠目はダビデの星である六芒星の
形をしています。
籠は文字を見ると竹で龍が封印されている状態です。
籠る(こもる)ともいいますよね?
龍神は国常立尊(クニノトコタチのミコト)でありルシファーです。
厳正で口やかましいので他の神様が東北に押し込めてしまいました。
閉じ込められていた3000年の間に国常立尊は霊界にいたので
閻魔大王になりました。
そこで東北は鬼門と言われている由縁です。
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剣山の山頂にある宝蔵石神社のお祭りは山頂に向かって神輿が
担がれます。
その日が7月17日であり、この日は旧約聖書でノアの箱舟が
大洪水を回避してアララト山腹に漂着し新しい時代が始まった日です。
古代ユダヤの風習が残る京都の八坂神社でも同日に祇園祭が開催
されます。
そして同じ時期にイスラエルで開催されるお祭りはシオン祭りです。
どちらもほぼ1ヶ月お祭りが続くのが特徴です。
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全部取ってくると、それで終わりそうなので、
読みに行ってくださってると仮定して
ちょっと、きになることのみ、抜粋転載しました
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素戔嗚が12支族であるのは、間違いないような気がしてきます。
そして、神功皇后は
もしかして、航海祈願ではなく、
素戔嗚の名前を消すのが目的だったかもしれない。
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こう書いてみると、
神功皇后もいただろうし
卑弥呼もいた。
と、いうほうが、正解のような気もしてきます。
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卑弥呼や奴国や狗奴国の場所をあいまいにしなければならなかった。
と、いうことになると、
鞆のもともとの名前がなんだったか?
さすがに、古すぎて出てこない・・・。
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