親子だなあと思う瞬間がある。
息子から、縄文人のDNAは・・・などという話を聞かされたら
父親はDNA辺りを調べていて
日本人のDNAは、かなり古く、
ネアンデルタール人に近似している。と、話す。
(つまり、もっと古い?)
親子やねえ・・・と思いつつ・・・。
実際、弥生人と縄文人というあたりの
混血?の話は
古事記の中にひそんでいるのではないかという思いが有った。
古事記の中で熊襲などと言われているのが、
実は縄文人で
弥生人(渡来人)が、日本を統制?していくというところかもしれない。
この辺りのことで、
YPP遺伝子をググって、みたところ
アイヌ・東北のほうに日本人独特のYPP遺伝子がおおくみられていた。
高天原の場所を九州だと考え
天孫降臨で降りてきたのが弥生人だとすれば
追いやられ北に逃げ延びたのが、縄文人だったような気がしてくる。
そんなことを考えていると
息子がいう。
日本人は恐怖遺伝子というのが多いんだ。
だから、一人で何かやるより
みんなで何かするというのが得手ている。
と。
だが、代理は逆に思う。
日本人の遺伝子の中には
氷河期を超えてきた痕跡があるという。
これは、ずいぶん前に、恐怖遺伝子が形成されていたからではないか?
恐怖遺伝子というのは、言い換えれば
ーこのままじゃ、危ないーと、いう事でしかない。
氷河期を迎え始めて、このままじゃ凍え死ぬという恐怖を感じる。
どうするだろう?
当然、食料の備蓄とか、暖をとる方法とか考えるだろう。
これが、氷河期を乗り越える知恵に成っていったと思う。
一方で時代はもっと新しくなるが
例えばローマ帝国 ギリシャ アクアポリスが衰退したのは
砂漠化による。
ところが、恐怖遺伝子をもつ日本人なら
木がなくなったら大変な事に成るのではないだろうか?
と、いう恐怖を感じる。
すると、植林をおこなう。
そして、面白い記事を見つけた。
*ネアンデルタール人由来のTLR1とTLR6、TLR10遺伝子を最も多く持つのが日本人。
どの集団よりも高く、約51%が持っていた。*
ところが、
ネアンデルタール人の化石がみつかった
母系DNAの方のルーツであるアフリカ人のネアンデルタール人近似値は
一番、遠いというのである。
なぜ、アフリカの方がネアンデルタール人から離れたか?
と、いうのは、わからないが(考えていない)
日本人にネアンデルタール人の遺伝子が多くあるというのは
先の氷河期を超えたという痕跡で
理屈が通ると思う。
今と同じ気候であったかどうかはわからないが
あたたかな、アフリカから出発したネアンデルタール人は
北へ行くほど、
「このままじゃ、寒くなって死ぬんじゃない?」
と、いう
恐怖遺伝子の原初を経験することになっただろう。
そして、日本に渡ったか?
(地続きだったか?)
海を渡るのも恐怖だったろう。
そして、
それ以前、なぜ、アフリカをでていったか?
それは、例えば干ばつとか疫病とか猛獣とか
このままでは、暮らしていけないという「恐怖」を覚えたからだろう。
その中でみた、例えば、砂漠化するほど植物をかりとってしまう農法?工法?のこわさとか
こういうものも、みにしみて、DNAにきざみこまれたのではないだろうか?
そして、日本という国が島国であったろうことから、
疫病もアフリカ全土に蔓延するなどということもない。
海という防御壁があったのも、
恐怖を癒していったことだろう。
そして、元からいただろう縄文人(原住民?)との混血もあったことだろうし
恐怖遺伝子も受け継がれ、
氷河期ものりこえてこれた。
と、考えれば、日本人にネアンデルタール人の遺伝子が残ってもおかしくない。
そして、
オーストラリアのように、
進化が別の方向になったか
有袋類なんてのがいる。
そういう生き物がそのままの形で生き残れたように
日本でもネアンデルタール人という遺伝子が継承されて残ったと言う事だろう。
一方で、アフリカのネアンデルタール人は
例えば、疫病とかで絶滅に近い形になって
DNAの変革がおきてしまったという考えも成り立つ。
と、いうのが、
太古のネズミは
たしか、卵を産んでいたと思う。(うろ覚え)
それが、ある時ウィルスにやられほぼ絶滅したのだけど
このウィルスがDNA に入り込んでしまった。
すると、ウィルスにやられながら何とか生き延びたネズミの世代交代ののち
胎生で、子供を産むように変わっていってしまったという。
ウィルスが入りこんだことで
DNA が革命をおこしていったということになるが
例えば、アフリカのネアンデルタール人も
ウィルス・疫病・干ばつ などにやられて、ほぼ絶滅状態になったとしてもおかしくない。
で、なければ、
ネアンデルタール人がアフリカから出ていく理由がないだろう。
そこで、恐怖をおぼえたネアンデルタール人が
大きな旅をはじめ?
日本におちついて、オーストラリアの様に原種?がのこっていった。
人類を存続させるのは「恐怖」なのかもしれない。
現代の多くの痛ましい事件を見ていて思うのは
不謹慎な言い方だが
人に刃物をかざす
人を殺す。
そんなことをすること自体が恐ろしい。ことだと思う。
多くの人は人を傷つけることに「恐怖」をもつ。
それは、そのこと自体への恐怖だけでなく
ここで、頭に血が登って、一時の感情で事件を起こしたら
自分の人生も破滅する。
家族も路頭に迷う。
家庭も崩壊する。
そういう恐怖だってあろう。
もしも・・から、先を読めるのは、当然のことだろうけど
もしもを思い起こさせるのは
恐怖心あってのことかもしれない。
そういう「恐怖遺伝子」も、
混血によって、うしなわれてきているのと
ー日本人は恐怖遺伝子というのが多いんだ。
だから、一人で何かやるより
みんなで何かするというのが得手ている。ー
の言葉をひっくり返せば
一人で何かできる人間はすごいように聞こえなくもない。
日本人の風刺に
船が沈みそうになったら
ーみんな、もう海に飛び込んでますよー
と、いえば良い。と言われるがごとく
ーみんなと同じという安心感ーを揶揄されるが、
逆に
一人で何かできる人間は、恐怖遺伝子が薄いのかもしれない。
生き延びていくという意味合いで考えれば
恐怖遺伝子は
大事な要素に思えてきた。
数々の事件をみていて思うのは
こんなことをしたら両親が悲しむ
とか、
悲しませることへの恐怖とかからして、
薄まっていると感じる。
考古学や人類学は嫌いじゃないけれど
そういう学問的な興味ばかりでなく
ネアンデルタール人が日本人の中で生き延びた根源が
恐怖遺伝子であるとするなら、
真摯に
畏敬の念、畏怖の念という
「恐怖」をも思い起こしていかなければならないのではないだろうか?
歴史から学ぶという言葉があるが、
歴史を学ぶとは、違うところに
着目してしまう代理である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます