備後一宮吉備津神社
社伝では平安時代の初めの大同元年(806年)、備中吉備津神社より御分霊を賜り、備後国品治郡宮内(現在の福山市新市町宮内)の地に創建されたとされ、備後国の一宮として国中より尊崇を集めました。
福山市山手町に居た頃に 跳ね踊りがあったのですが、
跳ね踊りはあちこちにあって
実際 どれだけあるかわかりませんが
かなりの数がいまだに残っていると思います。
山手の跳ね踊りも一度は途切れたものの
再復興したということですから
その昔は もっともっと 各所に あったものと思います。
その跳ね踊り連が 一宮さんにこぞって(跳ね踊りを)奉納したというのですね。
各地から集まった跳ね踊り連の数は相当のものだったと聞いたことがあります。
それは、なぜだろうと思うのです。
例えば大三島の大山祇神社
国宝級の刀剣・鎧が奉納されているわけです。
国宝めぐり | 大山祇神社 (oomishimagu.jp)
俗なことを言うのですが
そこまでのものを奉納するということは
それなりの見返りがあるということでしょう。
ぼろぼろで今にもくずれおちそうな小さな神社に
「お宝」を寄進しないでしょう。
なにかしらの「象徴」や「権威」があったからこそ
寄進が多くなる ということを思うわけです。
すると、同じように
一宮(いっきゅう)さんも
なにかしら 権威をもっていたと考えられます。
吉備津彦から 近代までの間に
いろいろあったようなのですが
ここは 置いといて
吉備津彦の「権威」を探ってみたくなりました。
一方で
この近辺はスサノオが熊襲を討った時の
遠征のルート並びに帰還ルートにあたるようなのです。
スサノオ神社もありながら
吉備津彦がここまで勢力を伸ばせた(後世であっても)のは
何故だろうか?
とか
神石郡のほうでも 吉備津神社があり
ここで 跳ね踊りが開催されていました。
憧れのAudio 油木吉備津神社 秋の大祭 (fc2.com)
本拠地である備中吉備津神社を調べてみようと思います。
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