そんな訳で、当然のことながら、夕暮れ時にはケベック料理(ケベック風フレンチ)を求めて旧市街のダウンタウンに繰り出します。
今となってはあまりよく覚えていないところもあるのですが、こういう通りにレストランが軒を連ねていました。 で、ケベック料理とは何ぞや? 簡単に言うとカナダならではの食材をふんだんにつかったフランス風料理っていうのが、定義じゃないかと思います。 結局よく分からないんです。 でも、やっぱりカナダの中では定評があって、オンタリオ州でもちょっと名の通ったレストランって、「ケベック州出身のシェフが・・・」ってのを売りにしているところが多いんです。
結局予約なしで、このお店に入りました。 でも、食べたものの記憶があまりないんです。 お店の雰囲気と出てきたものが、今一つ不釣り合いだった印象があります。 基本的に観光客がメインのお客の場所だから・・・ということもあったかも知れません。 この当時は未だブログも始めていなかった関係も合って、お料理の写真とか、完全に撮り忘れていました。
一方、ロンドン野郎一行が泊まったホテルは、少々間違えて、現在の新市街のダウンタウンのビジネスセンターみたいな場所だったのですが、その近辺にはビジネスマン相手と思われるカフェレストランみたいなお店が点在していました。 前日の到着時に、あるお店にフラリと入ってみたのですが、ワインのおつまみ的なメニューは抜群に美味しかった。 やっぱり、この街で本当に美味しいものを求めたら地元民が普通に行きそうなお店をピックしておくのが正解だったかも知れません。
Saint-Paul通り。 レストラン街のすぐ近くのこの通りには、アンティーク・ショップが並んでいるんです。
夜で閉店後でしたけど、ショーウィンドから覗きみるとなんでも鑑定団的西洋アンティークがぎっしりです。 残念ながらロンドン野郎的には全く鑑識眼が無いので、価値があるのやらないのやら・・・
そういえばオンタリオ州ロンドン市には、毎週定期的に開催さえるアンティークのオークション会場が常設でありました。 歴史の浅いこの国で、カナダ人は意外にアンティーク好きなのかも知れません。
話が後先になってしまっていますが、ケベックシティで先ず最初に訪れたのがシタデル(要塞)のある高台。 この一帯が戦場公園 Parc des Champs de Batailleという名前の公園です。 2005年7月の両親を連れてのカナダを旅です。
古戦場なんて言うと、関ヶ原や長篠の合戦みたいなことを思い出しますが、ここはもう少し時代が新しい1759年に英仏戦争の勝敗を決める最後の大きな戦いが行われたことで有名だそうです。 その結果、フランスはアメリカのルイジアナを含めて北米の植民地から撤退することになり、ケベックは英領となりました。
丘の上から見下ろすセントローレンス川。 川と言っても、この先大西洋まで繋がっていて、大型の外航船もこの街まで遡ってくることができるんです。
ここにならべてある大砲は、英仏戦争の時代からみると少々新しいもの。 雰囲気作りのモニュメントです。
ケベックだけではないんですけど、冬の長いカナダでは、短い夏にはこうやって街の至る所を花で飾ることが多いんです。
植木の手入れに余念がありません。 でも、冬になれば芝生は枯れ、公園も雪に閉ざされ、また次の春を待つことの繰り返し。
これも戦場公園の丘の上からのセントローレンス川の眺め。 今更ながら、本当に天気の良い日だったんですね。
こんな写真を撮るのもアホみたいですけど、ちょっと面白ったので。 ワンちゃんのウ●チ袋のボックスがありました。 オンタリオ州ロンドン市あたりでは決して見かけなかったと思うんですけど、よっぽどフン害の問題でもあったんでしょうかね。 確かに本家のフランスでもワンちゃんのウ●チが道端に落ちているのをよく見かけました。 これって、文化の違い?
ちなみに、これがその時に使ったロンドン野郎の愛車Chevy Equinoxです。 オンタリオ州ロンドン市から1000キロの道のり。 結構疲れました。
第22連隊のシタデルの丘を下ると、ケベック・シティの旧市街が広がります。 まあ、見てくださいませ。 これ、本当にカナダ? 北米? 2005年7月の光景です。
ヨーロッパを旅した事がある方だったら、きっとどこかで見たような街並みの筈。
どうみても、北米の光景じゃありませんよね。
勿論、ケベックは旧フランス植民地。 言語もフランス語。 でも、たまたま英仏の戦争の結果、英国領になって、そのままカナダとして独立してしまった土地柄です。
今でもケベック独立運動ってものがあって、十数年前には本当にカナダから独立の機運が盛り上がってしまった事もあったんです。 そんな経緯もあって、カナダの公用語は英語とフランス語。 商品には必ず二ヶ国語併記が義務付けられていて、ケベックの人々がカナダ国民であることを認識してもらう努力しているんです。 こうなりゃ連邦政府も必死です。
こういう道の標識もパリの街角ですよね。
通りのはずれには、丘の上から見えた超高級ホテルシャトー・フロンテナックChâteau Frontenac。 このホテルの開業はなんと100年以上も昔の1896年。 開業当時から高級ホテルとしてこの地に君臨しています。
本当にお城みたいな巨大なホテルです。 別の言い方をすれば、本物のお城の無い北米の人たちが、本物のお城”みたい”に作ったのが、このホテルなんですね。 アルフレッド・ヒッチコックの映画『私は告白する』で、このホテルの厨房の中で、追っかけのシーンがあったのを思い出しました。
街角では大道芸人がお客さんを集めていました。 これはモンマルトルの丘?
この裏路地みたいな通り。 やっぱりパリの街角そのものに見えてきます。 でも、これはハウステンボスやラスベガスの某カジノホテルみたいなまがい物じゃなくて、ここに住んでいる人たちによって自然にできた本物の街並。 観光地と言いながらも少しばかり奥が深い。
実はその昔フランスのパリはロンドン野郎が本当に何度も足を運んだ街なんです。 勿論お仕事関係の旅だったけど、パリの街は自分の足で歩いて歩いて歩きまくりました。 だから、よけいこのケベック・シティの街並は不思議な感覚です。
これまた少し前のお話。 2005年7月来加した両親と当時の愛車Chevy Equinoxを走らせ、カナダ東部の旅へ出かけました。 先ずはケベック州の州都Quebec City ケベック・シティのお話です。
フランスの首都パリを思わせる美しいケベック・シティの街並を見下ろす丘の上にシタデルと呼ばれる要塞が城壁で囲まれています。
フランスと英国が戦った古戦場でもあるこの丘そのものは現在は公園になっていて、風光明媚な重要な観光ポイントでもあるのですが、要塞には現在でもカナダ陸軍第22連隊が駐屯しています。 勿論、現役の部隊です。
この連隊は、カナダ国内で唯一フランス語をベースにした部隊である一方、英国風の衛兵交代を毎日行っていて、その様子を一般の観光客にも公開しているんです。
一日一回、時間が決まっているのですが、ロンドン野郎達は本当にラッキーでした。 何にも知らずにフラフラと中に入ったら、偶然にも衛兵交代の儀式の直前。 大勢の観光客が待ち構えていたので、何事かと思っていたら、始まりました。
行進は軍楽隊と、歩兵部隊のコンビネーション。 本家英国のバッキンガム宮殿の衛兵とほぼ同じ制服と熊さん毛皮のふかふか帽子(これ、本物の毛皮なんでしょうかね?)。
バックにそびえているお城風の建物は歴史ある高級ホテルのシャトー・フロンテナックです。 このホテルはケベック・シティ最大のランドマーク。
行進の号令は全てフランス語。
丘の上からの眺望とマッチして、本当に美しい光景です。
そして、連隊のマスコットのヤギ君登場。 よく見ると角が金色に”塗装”されています。 メェ~惑でしょうね。
よく見るとかなり身長とか体格が結構バラバラですよね。
衛兵交代の儀式が終わり、記念撮影タイム。 この綺麗なお姉さんは”知らない”他人です。 盗撮? 人聞きの悪い! 勝手にロンドン野郎のカメラの視界に入って来たんです。
カナダの衛兵は熊さん帽子の脇に付いている赤いふさふさが目印なのかな?
ケベック・シティへ行かれる際には、是非事前に時間をチェックしてシタデル要塞へ侵入を試みてください!
これは必見ですよ。