ロンドン野郎

カナダのオンタリオ州ロンドン市で4年半暮らしたロンドン野郎。 この度本家大英帝国ロンドン市(近郊)へ参上。

飛行機の電源が突然落ちたら・・・

2009-12-20 18:03:06 | 飛行機

デトロイト国際空港の話ついでに、もう一つ飛行機ネタです。 今回トロントからデトロイトまでは、カナダ製の小型のジェット機ボンバルディアCRJ200。 元々はノースウェスト航空の機体だったのですが、既にカラーはデルタに塗り替えられていました。 あ、写真のメープルリーフのマークの飛行機は、トロント空港なのでエアカナダの機体です(今回は特に関係ありませんでしたが)。

Img_1837

ま、それは本題じゃなくて、少々遅れ気味ながら、とりあえず全員ゲートから機内に搭乗し、席に着いたのですが、いつまで経ってもドアは閉まらず、操縦席付近で何やらコソコソやっています。 メカニックも乗り込んできました。

Img_1824

その内に、突然機内アナウンスが。 『3台あるコンピュータの1台が作動不良を起こしているので、一旦飛行機の電源を全て落として、再起動を試みます』。 飛行中じゃないので、特に驚くことも無いのですが、飛行機の電源が突然落ちると何が起こるのか、というのが次の写真です。

Img_1830

電源を落とした瞬間に、逆に最低限の非常用のランプが点灯するんですね。 天井のEXITの照明に加えて、座席に沿って床に張られた通路誘導の照明もオン。 座席のポケットに入っている非常時の対応の小冊子には、『床の誘導灯に従って避難して下さい』、と書かれていますが、実際に点灯しているのを見るのは初めてです。飛行機が不時着したりしたら、こうなるんですね(いきなり墜落じゃ、こんなの見ることもありませんけど・・・)。

Img_1826

それで、結果どうなったかというと、やっぱりコンピュータの再起動はうまく行かず、全員一旦機外に退去。 最終目的地がデトロイトという乗客は少ないので、みんなデトロイトでの乗継便の時間を気にしてやきもきです。 ロンドン野郎の場合は、デトロイトでの成田便への乗継時間が4時間もあったので、幸いにも余裕はありました。 結局、もう駄目かと思われた頃になって、『たった今直ったので搭乗再開!』とのアナウンス。 2時間遅れの出発でした。

Img_1829

さすがに命が掛っていますから、故障している飛行機を『なんでもいいから飛ばせ!』と騒ぐお客さんはいませんが、乗り継ぎがあったりすると、旅程が全部滅茶苦茶になることもある訳で、大迷惑です。 ちなみにロンドン野郎の経験でも、機体の故障で本当に日本への乗継便に間に合わなくなったことがあります。 その時は航空会社がホテルを用意して、食券を出してくれました。 ま、それで済む、ということではありませんが、文句を言っても仕方ないということでしょうね。


赤い翼を追え!- 最後のNWA ノースウェスト航空

2009-05-08 07:45:37 | 飛行機

日本からアメリカへ行く空の旅。 もちろん、JALもあれば、ANAもあり、更にAA、UA、CO、DLといった米系の航空会社数ある中で、最大の路線を持っていたのが、NWA ノースウェスト航空 Northwest Airlineでした。 最近は世界同時不況の中便数も減らしているみたいですが、最盛期にはハワイを除くアメリカの本土だけでも日本から一日8便は運航していたと思います。

Img_0237

特に成田空港をアジア各国へのハブ空港にしていた関係もあり、このロゴのジャンボジェットがサテライトにズラリと並び、日本では大変なメジャーな米系航空会社だと思っていたのですが、実はアメリカの航空会社の中では第五位、米系大手の中では意外にも規模で最下位だったんですね。

Img_0182

アメリカ国内のハブ空港としては、デトロイト、ミネアポリス、メンフィスなんかで、特にデトロイトは、オンタリオ州ロンドン市にも近い関係があり、ロンドン野郎もお仕事の旅で、かなりの頻度で使用していました。 日本→デトロイトは一日3便も出ていたんです。 デトロイトからオンタリオ州ロンドン市にはNorthwest Air Linkっていう系列のコミューター便のプロペラ機SAAB340で約一時間。 そういえばロンドン野郎が2003年にオンタリオ州ロンドン市に赴任した時もノースウェスト航空でした。

Img_0185

この赤い尾翼がノースウェスト航空の目印。 アメリカの航空業界では『赤い翼を追え!』っていう合言葉があったそうです。 これはハブになっているデトロイト空港が五大湖に接した位置にあることから気流、天候が急変することが多かったため、こういう悪条件に慣れているノースウェスト航空のパイロットは信頼抜群だったそうです。 悪天候の中、後を飛ぶ飛行機はただひたすらこの赤い翼を追ってゆくことで、無事目的地に到達できるっていう訳です。

Img_0257

最新のビジネスクラスの機内。 座席は新しいコクーン型のフルフラット。 10年くらい前にファーストクラスを廃止したこともあって、ビジネスクラスの座席はスペースもゆったりで比較的充実しています。  この機体はB747-400。 アメリカの航空会社の中では特にジャンボの保有数が多かったのも、飛行距離の長い太平洋線が充実していたせいなんですね。

Img_0190

ただ、機内のサービスは日系の航空会社と比べるすべもなく、ひどい扱いを受けることも度々。 それに機内もあんまりきれいじゃないこともありました。 お食事の質も??? とはいいながらも、ロンドン野郎がお仕事の旅で乗った距離はやっぱりノースウェスト航空が一番多かったと思います。

Img_0241

昨今の原油価格の高騰等の厳しい事業環境の中、1926年創業のこの伝統ある赤い翼も、デルタ航空の傘下に入りました。 完全な経営統合で、機体のデザインも近いうちにデルタ航空のものに統合されることになっています。

これまでいろいろNorthworstとか悪口を言ったりしながらも、やっぱりこの航空会社が近い将来消滅してしまうと思うと、一抹のさみしさを覚えるロンドン野郎です。 でも、逆に言うと、頻繁に利用していただけあって、何故この航空会社が消えてしまうのかある意味分かるような気もしなくもありません。


エア・カナダのハイテクなビジネスクラス

2009-01-08 08:03:00 | 飛行機

もう少し飛行機の話題なのですが・・・カナダを代表する航空会社エア・カナダ Air Canada。 元々はカナダ国営の航空会社という歴史があるのですが、2000年にCP カナダ太平洋航空を吸収合併して、カナダの空を実質的に独占する航空会社になりました。 

Img_6504

ところが911以降の世界的な航空不況の波を受けて、2003年には民事再生法適用申請。 要するに倒産です。 そんな訳で再建中という状況が長く続いています。 その影響か、料金が高い。 時には突然のように間引き運行を行う。 機内持ち込み手荷物で思いついたように難癖をつける。 だとか、サービス面では文句を言いたいことも多いのですが・・・

Img_0132_2

エアカナダの最新のビジネスクラスは超ハイテクです。 少し前に紹介した香港のキャセイパシフィック航空の配置と似ていますが、LED照明なんかをふんだんに取り入れたもっと最新鋭のシートと機内装飾なんです。

Img_0131_2

ちなみにこの機体はボーイング767。 本来は決して新しくもなく、長距離を飛ぶ飛行機でもないのですが、日本への太平洋路線にも就航しています。

Img_0135

シートは各種の体勢モードが用意されていて、オヤスミ・モードにすると完全にフラットなベッドに変身します。 機内の照明は完全にLED化されていて、機外の明るさ、食事時間、オヤスミ時間に合わせて、明るさだけではなく光の色まで細かく調整される優れもの。

Img_6498

空港のラウンジもこんな風にハイセンスなデザインです。

でも、こんなんで、本当に北米の強豪航空会社の間で再建なるのか、少々心配してしまうロンドン野郎はやっぱり貧乏性でしょうか。


アメリカ空軍博物館 その弐

2007-11-27 12:29:02 | 飛行機

  少し間が開いてしまいましたが、オハイオ州デイトンのアメリカ空軍博物館見学記その弐です。 兎に角、この博物館は広い。 時間の制約もある中で、昼食も取らず、ヘロヘロになりながら超早足で巨大な館内を歩きまわりました。

Img_1139

博物館の目玉の一つ、B-29の数倍の大きさがあるB-36戦略爆撃機。 大戦中に完成できず、戦後の初飛行となった。 あまりの大きさに6発のレシプロ・エンジンでは足りず、4基のジェット・エンジンを追加し、冷戦時にソ連を直接攻撃することが想定されていた。

20071103_0540

あまりにも巨大なB-36は長距離飛行を前提としていた為、護衛戦闘機がついて行くのは不可能。それでこんなミニ戦闘機を開発し、B-36の胴体にフックでぶら下げて連れて行く事が計画されていた。

Img_1287

これも博物館の目玉。 世界で一番美しい旅客機ロッキード・コンステレーションの軍用版C-121。 写真はレーダーを搭載した早期警戒機のバージョン。

Img_1320

朝鮮戦争時に北鮮が使用したミグ15。 この戦闘機が登場した際には、米空軍は一時パニックに陥った。 従来の戦闘機では対抗できず、最新鋭のF-86 が投入された。

Img_1292

ミグ15の発展改良型のミグ17。

Img_1297

そして、共産圏の標準装備となった超音速戦闘機ミグ21。

Img_1388_2

何と、ロシアの新鋭主力戦闘機ミグ29の展示まであった。 どこからくすねてきたのかと思ったら、ソ連崩壊後モルドバ共和国から購入されたものらしい。

Img_1318_2

ミグ15の天敵、F-86セイバー。 日本の航空自衛隊でも長く使われた。

Img_1299

ミグ21の天敵F4ファントム。 これも日本の航空自衛隊の主力戦闘機として使われていた。 元々海軍機なので、空母への着艦フックが標準で装備されている。

Img_1394

現代の米空軍、そして日本の航空自衛隊の主力戦闘機F-15イーグル。

Img_1387

米空軍の準主力戦闘機F-16ファイティング・ファルコン。 写真は米空軍のアクロバット、チームサンダーバーズ仕様。

Img_1311

そして、就役から間もない米空軍の今後の主力戦闘機F-22ラプター。 あまりにもコストが高く、配備はなかなか進んでいない。

Img_1383

ステルス爆撃機B-2。 エイを連想させる無尾翼の異様な形状。 飛行機もここまで来てしまうと、航空ファンのロンドン野郎でも少し引いてしまう。

Img_1420

話は飛んで、オンタリオ州ロンドン市へ戻る途中寄ったレストランWaffle House。 60年代のアメリカ映画を思わせる古典的なコーヒーショップ・チェーン。 オハイオも含めて南部の方に手広く展開している。

Img_1426_2

メニューは典型的アメリカ食堂メシ。 店の中にはジュークボックスまであって、なかなか”らしい”雰囲気を出している。 『ウチは人種差別はしません』なんてことがわざわざ書いてあるところがやっぱり南部の店かも知れない。

そんな訳でオハイオ州デイトン市を後にしたのですが、家に帰ってから見逃した歴史的な飛行機がいつくかあることに気が付き、Webで確認したところ、メインの格納庫の他に別棟の実験・研究機展示施設があることが判明。 今ツアー第二弾を企画中です。


アメリカ空軍博物館 オハイオ州デイトン

2007-11-19 04:13:39 | 飛行機

今回はかなりマニアックな話題です。

少し前のことになるのですが、カナダのオンタリオ州ロンドン市を車で西南に下り、アメリカの国境を越え、オハイオ州デイトン市にあるアメリカ空軍博物館に出張って参りました。 同行は筋金マニアのS君、デトロイトのT君、それに日本から出張中のKさん。

勿論、車はSuzuki XL7。 アメリカの国境で係官に”遊ばれて”少し手間取ったりした事もあったのですが、ロンドン市を朝の5時に出発して、片道約600キロの道のり。 ハイウェーを大疾走して現地にたどり着いたのがようやく午後1時過ぎです。 この博物館は世界最大の航空博物館と言われていて、B52やB36といった超巨大爆撃機が軽く入ってしまうハンガー(格納庫)が3つ並んでいます。 5時の閉館時間までにどこまで見られるかが勝負。 こうなると昼飯なんか食っている場合ではありません(見学中は本当にひもじかった~)。

この博物館はライト・パターソン空軍基地の一角にあるのですが、オハイオ州デイトン市は人類初めての飛行機を飛ばしたライト兄弟が育ち、自転車屋を経営していた土地柄もあり、航空産業が盛んな場所です。 この空軍基地の名前もライト兄弟から取ったものです。 ライト兄弟の初飛行はノースカロライナ州のキティーホークという町の海岸ですが、実際はデイトンからそこまで運んでいったようです。

Img_1139

実は第二次大戦中にはアメリカには空軍という組織は無く、戦後1947年に陸軍飛行隊が独立して空軍になったという歴史があるので、この博物館には海軍関係の展示はありません。

Img_1144

軍の管轄の博物館なので、厳しい荷物検査とかあるかと思ったら、全くノーチェック。 年間100万人以上の市民が訪れる観光名所ということもあってか、驚くほどオープンだった。 しかも無料です。 にしても、敷地が広い。

Img_1153

ライト兄弟の飛行機。 ライトフライヤー号の改良型。 ちゃんと二人が座って乗れる構造になっている。 最初のライトフライヤー号は、一人だけが腹ばいになって乗る構造だった。

Img_1164

第一次世界大戦期の戦闘機。 当時は布張りの複葉機、三葉機が全盛だった。 よくこんなもので飛んでいたものだ。

Img_1190

第二次大戦初期の米陸軍飛行隊の主力きカーチスP40。 見た目とは違って、鈍重で運動性が悪く、日本の零戦とはまったく勝負にならなかった。

Img_1170

スピットファイアが出るまでの第二次大戦初期のイギリスの主力戦闘機ホーカーハリケーン。 こんな精悍に見える機体でも、実は胴体の一部は布張り。

Img_1228

第二次大戦中を通してドイツの主力戦闘機だったメッサーシュミットMe109。 次々と改良型が作られたが、英国本土防空戦Battle of Britainでは、航続距離が短く、ドイツ側爆撃隊の大損害の原因となった。

Img_1188

日本の零式艦上戦闘機21型。 言うまでもなく、第二次大戦中の日本海軍の主力戦闘機。 21型は初期型。 展示機の色が少し変。

Img_1255

川西紫電改も現在レストア中で、近々展示されるらしい。 第二次大戦中に日本が作った最高の迎撃機との説明が書いてある。

Img_1328

P51ムスタングを二機つなぎ合わせた珍戦闘機。 なんでも、こうすれば、爆撃機の長時間の護衛任務でも、操縦席のパイロットが交代で休めるそうだ。

Img_1195

こちらも変り種戦闘機P39エアコブラ。 エンジンが機体の中央に搭載されていて、長いシャフトでプロペラを駆動する変な構造。

Img_1224

主に欧州戦線で使用された重爆撃機B17。 堅牢な作りで、今でもアメリカでは飛行可能な機体がたくさん残っている。 機首の絵がなんかすごく下手くそ。

Img_1216

ウルトラ・ベストセラー旅客機ダグラスDC-3の軍用版C47スカイトレーン。 あまりにも沢山作られ、第二次大戦後民間に大量に余剰機が放出され、民間航空の飛躍的発展につながった。

Img_1245

日本にとっては憎っきB29。 展示機は長崎に原爆を落とした実物。 『これで戦争を早く終わらすことができた』というアメリカ側の主張が書かれていた。 飛行機としてB29をみると、極めて洗練された構造になっていて、技術力を改めて感じさせる。

Img_1231

ドイツが開発したロケット迎撃戦闘機メッサーシュミットMe163。 日本でもこの情報を基に秋水が開発されたが、間に合わなかった。 秋水の実機はカリフォルニアの民間航空博物館Planes of Fameに展示されているのを見たことがある。

Img_1235

ドイツが第二次大戦末期に実用化させた世界最初のジェット戦闘機。 メッサーシュミットMe262。

Img_1226

やはり第二次大戦末期にドイツで実用化された空対艦誘導弾。 やはり日本がどんなに背伸びをしても届かなかった技術力の差を認識。 尤も、こういった新技術は結局どれもがToo Lateで、戦局の挽回とはならなかった。


展示機の数があまりに多くて、紹介しきれないので、以下次号、という事で・・