遠州地方、静岡県浜松市。 JR浜松駅から一つ西に高塚駅という東海道本線の駅があります。 場所の名前も浜松市南区高塚町。 実はここロンドン野郎の生息するマンションから歩いて行ける一番最寄りの駅。その高塚駅の南側にこの熊野神社はあります。
太平洋に面した海岸から約2キロのこの辺りは、平坦な砂地なのですが、この神社だけがちょっとした高台のようになっているんです。 この高台について、神社の由来書には二つの説が書かれていました。 両方ともこの地方を襲った津波に関わる話です。
その一つは、『高い丘を作って人々を救へ』という不思議な夢を見た神主さんが村人と共に当時の神社の裏山に土を盛り上げ、その後、この地を襲った安政東海大地震の津波の際に高塚の人々はこの高台に避難して被害を免れた、という話。
そして、もう一つの話は、少し怖いのですが、この地をかつて襲った大津波の結果、非常に多くの人々が亡くなり、その亡骸を葬った上に砂を海岸から運んで高い塚を作った、という話。 いずれにしても地名の高塚町はこの神社の小高い丘から由来しているのは間違いありません。
今後想定される東海大地震。 この場所にまで津波が到達することがあるかは分かりません。 万一の場合にはこの神社の高台は今の時代でも緊急の避難地になるのだと思います。 高さはすこし不安ですが。
この歴史ある神社には樹齢500年の御神木があります。 雲竜椎(うんりゅうしい)と呼ばれる椎の木です。 まさに御神木の名に相応しい堂々とした風格ある姿です。
周囲の地勢から考えても、ここは決して自然の高台ではなく、ある時代に人工的に盛られた地盤に間違いありません。 それも伝承が物語るように津波とは決して無縁では無い筈。 昔の人々の知恵なのでしょうか。
東日本大震災の後、地元の人たちもこの場所の意味をもう一度思い直しているとことでしょう。 ちなみにこの写真を撮ったのは2010年11月14日。 東日本大震災の津波の被害などまだ全く夢にも思わなかった時期です。
熊野神社
浜松市南区高塚町4708
(高塚駅前通りから路地をもう一本南側の奥に入ったところです)
ロンドン野郎が生息する太平洋に面した遠州地方。 ここは数年前に掛川市に合併された旧大須賀町の太平洋に面した一角。 遠州七不思議のひとつに挙げられている不思議なものがあります。
この地は古来から津波が幾度となく襲った土地。 困った村の衆は、その当時京の都で評判の陰陽師安倍晴明(あべのせいめい)に津波退散の祈祷をお願いしたそうです。 今から千年以上昔の話。
それを受けた晴明はこの地で熱心に祈祷を行い、霊験あらたかにも、その後ここを襲う津波は無くなったと言われています。 安倍晴明、皆さんご存知ですよね。 陰陽道を操る陰陽師。京都にある晴明神社は安倍晴明の屋敷跡。 映画や小説そして漫画で今や平安時代の大スター、安倍晴明がここいらに来たんですね。
その霊験あらたかな伝承から、その後疫病予防の信仰を集めるに至り、疫病が蔓延する度に多くの人が詣でたそうです。 塚の前には五芒星がありますね。
そしてこの塚。 赤い石が積み上げられています。 伝承によると、祈願の際には、この塚の石を一つ持ち帰り、成就の暁には別の石を加えて、二つにして返す。 そうするともう一つの石がどんな色であっても、赤い石に変わると言われています。
ちなみに、この写真は2009年1月に撮ったもの。 東日本大震災の後には、ここを詣でる方もきっと増えているのでしょう。 場所は国道150号線沿い。晴明塚と記された看板を目印に海側に入ったところです(非常に分かりにくい)。 一応住所としては掛川市大渕 3901-2ですが、Google Mapにも正確に出てこないので、その住所の近辺の国道150号線沿いがポイントです。
勿論、安倍晴明もおらず、陰陽道もすたれた現代。 津波には、即高台へ避難が必要です。
東京⇒”夢”下町バスは終点のJR両国駅へ。
JR両国駅の駅舎は今から82年前の1929年(昭和4年)に建てられた超レトロ。 その6年前の関東大震災で焼失した旧駅舎に替り建てられた建物が今でも現役です。
両国と言えば、やっぱり両国国技館ですよね。 下の写真でも分かりますが、国技館は駅のすぐ脇に隣接。 駅全体もそんな雰囲気が一杯。
相撲の場所の時期には大変な賑わいになる筈。 駅の周囲にもちゃんこ鍋を出すお店が沢山あります。 この駅には昭和初期の東京が確実に残っているような気がするんです。
そしてもう一つの両国の名所が江戸東京博物館。 江戸の街から明治時代の東京への移り変わりを展示する東京の象徴的な大規模展示施設です。
両国駅近辺には、これ以外にも、前回紹介した横網町公園、旧安田庭園、隅田川、回向院等々古い東京を感じさせる名所旧跡満載。
東京⇒”夢”下町バス。 料金僅か200円。 本当にお手軽なので、是非一度お試しください。
『東京⇒”夢”下町バス』 (←ここクリックね)。
下町バスが終点の両国駅に近づいたころ、バスの車窓からお寺のような壮大な建物が目に飛び込んできました。
バスを降りてから改めて確認してみました。
実はここは、お寺ではなく、東京都慰霊堂という施設。 元々は関東大震災の際に最大の悲劇となった本所被服廠跡に身元不明の犠牲者の霊を弔うために昭和5年に民間の寄付で建立されたものなんです。
関東大震災当時、空き地となっていた陸軍被服廠跡に多くの市民が避難してきたところに、震災の大火災が竜巻のような火災旋風を起こし、この地だけで38,000人もの犠牲者を出しました。 この犠牲者の数は、今回の東日本大震災の犠牲者をも上回る大変な悲劇でした。
この慰霊堂が建てられた際には、このような悲劇が二度と起こらないことを祈った筈なのですが、その後第二次大戦末期の東京大空襲で、またしても東京は大変な犠牲を払う結果となってしまいました。 結果、この慰霊堂は関東大震災と東京大空襲の二度に渡る東京市民の犠牲者の鎮魂の目的を持つ建物になったのです。
今はこの場所全体が東京都立横網町公園になっています。 是非、東京のこういった歴史にも関心を持ってもらいたいと思います。
東京都立横網町公園
東京都墨田区横網2丁目3-25
以下、次号へ続く