ロンドン野郎

カナダのオンタリオ州ロンドン市で4年半暮らしたロンドン野郎。 この度本家大英帝国ロンドン市(近郊)へ参上。

ストラットフォードの街(町おこし大成功)

2006-07-24 08:03:00 | ロンドン周辺の街歩き

Dscf0056_1 ロンドンもそうですが、オンタリオ州には本家イギリスの地名にちなんだ町があちらこちらにあります。 ロンドンから北東に車で一時間弱くらい行ったところに、ストラットフォードという人口約3万人の小さな町があります。 このストラットフォードという地名は本家イギリスではシェークスピア生誕の地としてとてもよく名前が知られています。 オンタリオ州のストラットフォードが本家と元々どのように関係があったDscf0018_1のかは定かではないのですが、今この町は「芝居の街」として北米では大変な知名度を持っています。

1953年。トム・パターソンというジャーナリストが思い立っDscf0033_1て、ここでシェークスピアの芝居を本国にストラットフォードに倣って始めたのが事の起こりです。 その後、この芝居は夏の恒例の行事となり、著名な俳優や演出家も集まるようになってきました。 それと共に名声も上がり、今ではオンタリオ州ストラットフォードの演劇フェスティバルDscf0042には全米から毎年50万人もの観光客が集まります。

街の中に3つの本格的な劇場があり、5月から11月のシーズンにシェークスピアの芝居を中心にいくつもの出し物が上演されます。 シェークスピア劇だけではなく、ミュージDscf0041 カルのプログラムも含まれているので、多少言葉が分からなくても大丈夫です。 一番大きなFestival劇場は2,300名、Avon劇場は1,100名、一番小さいTom Patterson劇場が500名と、出し物によって使い分けられています。

ロンドン野郎が行ったFestival劇場では、Dscf0001上演の時間になると開始を知らせるファンファーレが高らかに演奏され、雰囲気を盛り上げます。 劇場の内部は五角形のステージを囲む形で、客席とステージの一体感が生まれる設計になっています。 芝居の幕間には、テラスに出てワインDscf0051 なんかを楽しむ余裕もあります。 但しこれをやると、英語の台詞が子守唄になりがちな日本人は確実に睡魔に襲われるので要注意です。

町の中心街も「シェークスピアの街」らしく演出されています。 中心には本家と同じエイボン川が流れ、Dscf0029 白鳥が優雅に泳ぎ、こぢんまりとした街ながらも、アンティーク・ショップやレストラン、それにチョコレート屋等が軒を連ね、観光客をあきさせないようになっています。 レストランの一軒は日本人の経営で、日本と全く同じカツカレーの裏メニュ ーが我々の間では密かに有Dscf0057_1名です。

この芝居による「町おこし」が無ければ、きっとオンタリオ州ストラットフォードなんて、地元の人以外は誰も知らない農業地帯にポツンとある小さな田舎町だったと思います。


The Home County Folk Festival

2006-07-23 10:12:37 | ロンドン街歩き①

Img_4110_1 Blog更新、少しサボっていました。 今日は7月22日。 オンタリオ州ロンドンはこのところ天候不順で、ちょっと暑い日が続いたと思ったら、雷ゴロゴロの雨模様です。 今朝は少し肌寒い16℃。 雨がポツポツ、遠くで雷鳴が響いている、少し怪しい天気でした。 このところ少し仕事で疲れ気味だったにもかかわらず、悲しい事に朝は6時キッカリにいつもの条件反射で目が覚め、TV Japanの日本時間夜7時の NHKニュースで九州南部の大雨のニュースを見ながら、東京の友人宅へスカイプ電話。 ちょっと小腹が減ったので、スパゲッティ・ペペロンチーノ・アリオオリオなんぞをブランチ代わりに作って、暑かった昨年2005年モノのナイアガラのワイナリーStrewnの白を優雅にもチビチビ(このくらいの贅沢はたまにはお許しください)。 本棚にあった阿川佐和子さんのエッセー「タタタタ旅の素」なんかをソファーで横になりながら眺めていると、意識が別の世界に遠のき、気が付いたら午後の1時すぎでした(要するにただの昼寝です)。Img_4072

私の住んでいるロンドンのダウンタウンのビクトリア公園のことをこの前少し書きました。  昨晩の金曜日から日曜までの3日間、ビクトリア公園ではThe HoImg_4042 me County Folk Festivalと称した夏祭りをやっています。 今日の空模様ではちょっとどうかな?っていう状況だったのですが、本当に気持ちの良い夕立上がりの夕暮れになってきました。

Fork Festivalって何?と聞かれるとまた答Img_4076えに窮してしまいますが、公園中央のステージではカントリー・ソングのバンドが何組も出演、観客はステージの前で折りたたみ椅子を広げて楽しんでいます。 こちらでは公共の場で酒を飲むと即お縄になってしまImg_4054うので、酒は無しですが、公園には屋台が並んで、レモネードやちょっとしたお菓子やスナックなんかを売っています。 日本の縁日とは品揃えが少し違いますが、それでもリンゴ飴(Apple Candy)や綿菓子(Cotton Candy)は日本とどういうわけか共通でImg_4086す。 思わずお好み焼きや焼きそば、ソースせんべいを探してみたくなりますが、そんなものは間違ってもないのが寂しい限りです。

屋台と言えば、食べ物だけではなく、工芸品や絵を売る店も結構たくさん出ています。 中には思わず手を伸ばしたくなるような素晴らしいものもImg_4103あるのですが、そんなものを買っていると部屋中がガラクタで充満してしまうので、ここは我慢。 お店の人には一文の得にもならない写真だけ撮っておしまいです。

8月に入るとロンドン市民待望の恒例のRib Festaもあり、この時期のビクトリア公園は週末の催し物が目白押しです。


痛いお話

2006-07-10 11:30:25 | うんちく・小ネタ

あぶらふさんのBlogで遠州の歯医者さんのお話を伺いました。 ここカナダで私が体験した歯医者さん事情をご紹介します。 アメリカと違いカナダではOHIPと呼ばれる国民健康保険制度がしっかり完備していて、一般的な病気であれば殆ど無料で治療が受けられます。 一方、その分税金がとんでもなく高いとか、医学教育が進んでいるのに、カナダで医者をやってもOHIPの制度で治療費までがんじがらめになっている事から、「全然儲からない」と、アメリカに医療の人材が流出して行くという現象まで起こっているそうです。

然しながら、歯医者さんは基本的に「OHIPではカバーされません」。 虫歯なんていうのは病気扱いされないんでしょうかね。 職場や個人で医療保険にでも加入しない限り、全部個人負担になってしまいます。

私がカナダに赴任した直後の2年半前。 当時生活がなかなか落ち着かず、赴任先では勝手が分からず、英語もへたくそで半分バカにされながら、よっぽどストレスが溜まっていたのでしょうね。 日本で治療した奥歯がある日急に冷たいものに凍みるようになりました。 「知覚過敏かなぁ」なんて悠長に迎えた週末。 大爆発。 死ぬほどの痛みが始まりました。 夜も眠れず、おまけに熱まで出て、七転八倒。 薬局で市販している、4時間毎に服用する鎮痛剤も、30分しか持ちません。 土日泣きながら苦しんだ後、月曜日になってから、以前紹介され、簡単な治療で一度行った事のある歯医者さんへ電話を掛け、「Emergency!!!!!!」と駆け込みました。 私の半ベソ状態の電話が功を奏したのか、さすがにこういう時は「予約云々」は言いません。

この歯医者さんに最初に行ったときには、非常に細かい問診表に色々書き込まされた上に、「何か治療結果に問題があっても責任は問いません」みたいな念書等にいくつもサインをしました。 北米ではよっぽど医療訴訟が多いので、警戒を怠らないのでしょうね。

電子辞書を片手に英語で症状の説明は至難の技ですが、何とか理解して貰ったみたいで、歯の根っこが化膿して内部からの圧力で大変な状態だったのを穴を開けて緩和し、今後の治療方針について相談。 「あなたの選択肢は2つ。 抜いてしまうか、お金と時間を掛けて根管治療をするか」。 どうして私の貧乏がばれたのかは兎も角、会社がちゃんと医療保険を掛けているのでお金の問題は無い旨説明し、「根管治療」を選択。 一週間後に正式に予約を入れてその日は終わりでした。 こちらのやり方は必ず何か選択肢を提示し、選ばせるのです。 その後の治療は基本的に日本と同じ方法でしたが、さすがに高いお金を取るだけあってか、毎回1時間くらいの時間を掛けて徹底的に消毒と洗浄を繰り返し、素人目にもかなりひどい状況だったにもかかわらず、4回目には最終的な根管治療に漕ぎ着けました。

治療費はしめて約2千ドル弱だったと思います。 その後痛む事もなく済んでいるので、実際かなり腕の良い歯医者さんなのかも知れません。 この先生には、親知らずを抜いたり、昔の日本での不完全な根幹治療の再治療、取れた差し歯やブリッジを治してもらったり、これ以外にも本当にお世話になっています。 不思議なのは、日本では何回も通わなければならないような場合でも、こちらでは半分以下の治療回数で済んでしまいます。 やる事の集中度と徹底度が日本とは全然違うようです。 お金が掛かるといっても、結果としてはやはりこちらの方がお得かなという気がします。

ちなみに、親知らずなんかの抜歯で、歯が斜めに生えているとか、ちょっとやっかいな場合には専門医が紹介されるようです。 経験者の話によると、「全身麻酔」で抜歯を行い、フラフラ状態で当日中に帰宅を求められるそうです。 これは少しヤバイかもしれません。


カナダ・デーと幻の花火大会

2006-07-04 09:39:00 | うんちく・小ネタ

7月1日はカナダの建国記念日「カナダ・デー」です。 勿論カナダには日本のような深遠な神話まで遡る歴史がある訳でもなく、またアメリカのような独立戦争を戦った事もありませんが、1867年7月1日に英領アッパーカナダ(現オンタリオ州)、ロアーカナダ(現ケベック州)、ブランズウィック州、ハリファックスのあるノバスコシア州への自治権付与を認める英領北米法が英国議会で成立した事から、英連邦の自治領としてのカナダが始まったそうです。 その時にオタワが首都になりました。 当時南北戦争が終わり、産業革命とあいまってアメリカが本格的に力をつけてきた事から、アメリカの影響力を防ぐために本国がカナダの統一を急いだというのが背景にあったそうです。

Img_2963 歴史の話はそれくらいにして、カナダ・デーの名物は花火大会です。 アメリカの独立記念日7月4日の花火も有名ですが、これに対抗するためか3日早い1日はカナダ各地で花火が上がります。 この時期、日没もかなり遅いため、花火が始まるのは夜の10時頃からです。

ロンドン野郎が住んでいるダウンタウンのマンションImg_2962_1(こちらではただのアパートと言う)の8階からは、テムズ川沿いの公園から上がる花火が高層ビルの間に良く見えます。 昨年、一昨年と花火見物宴会をここで催しました。そして、今年も日頃お世話になっている方に大勢お集ま り頂き、7時ごろからダラダラと宴会を始め、開始予定の10時を待ちました。 然し・・・10時になっても花火は上がらない。 遠くトロントからこの花火のためにお出でいただいたお客様もいるっていうのにどうなっているのか。 10分くらImg_2954い過ぎたころから少々焦り始めてきましたが、どうしようもありません。遠くでは小さな花火が細々上がっているのが見えますが、肝心の場所では何の動きもありません。 10時半になっても何も始まらず、宴会は急遽、幻の焼酎「森伊蔵」試飲会、兼DVD映画大会にうやむやの内に変更と相成りました。 主催者としては、とんだ冷や汗、赤っ恥モンです。

では、この日の花火大会はどうなったのか? 実はそのころロンドンには弱い雷雲が迫っていて、ちょっと風が強く吹Img_2944いていたことから花火大会はキャンセル、そして「翌日に順延」にな ったというのが真相だったんです。 そのことを地元紙のWEBサイトを見て知ったのが翌2日の10時直前。 部屋から独りで眺めるしかありませんでした。 一日遅れの花火は例年通り、この部屋からも実によく見えました。 きっと来年こそは、と、リベンジの念に燃えていますので、このBlogをご覧になっている方も、是非予定に入れておいて下さいね。 飛入り大歓迎です。