ロンドン野郎

カナダのオンタリオ州ロンドン市で4年半暮らしたロンドン野郎。 この度本家大英帝国ロンドン市(近郊)へ参上。

なごり雪? (もう春なのに・・・)

2008-03-28 10:53:46 | ロンドン街歩き④

今日は3月27日。 もう4月になるというのに、外ではシンシンと雪が降っています。 天気予報によると今晩は気温も氷点下4℃くらいまで下がって結構積りそうな気配です。 今年はこの辺りでも記録的に雪が多い冬だそうです。   

先週末のオンタリオ州ロンドン市の様子です。

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ダウンタウンの中心にあるヴィクトリア公園はまだまだこんな様子。 ステージ前のアイス・スケート・リンクはもう閉鎖になっていました。

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もう春なのに・・・

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その辺の街角も、歩道の除雪の雪だまりがこんなに残っています。

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駐車場の除雪の後は、2メーター近い雪山になっています。 こういう中にビールでも突っ込んで冷やしておけば天然冷蔵庫です。

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ビジネス街もこんな様子。

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ワンコロは相変わらず元気だねぇ。 犬公園のひとコマです。


か、火事!?

2008-02-19 11:41:45 | ロンドン街歩き④

ロンドン野郎が生息するオンタリオ州ロンドン市ダウンタウンのアパートメント。 先ほど、夕飯の為に中華屋さんに寄って帰宅したら、何か様子がおかしい。 何かどころか、アパートメントの周囲を多数の消防車が囲んでいるんです。

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わっ!なんだこりゃ? 一瞬、自分の部屋が丸焼けになっていることを想像してしまいました。

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これは、消防指揮車というやつでしょうか。 何かすごくものものしい雰囲気です。

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ちょうど騒ぎが終わった頃だったのですが、話を聞いてみると12階あたりで火災警報が鳴って、みんなあわてて降りてきたそうです。 一応、大事ないことが分かった後も、エレベーターが不通で、お年寄りやペットを連れた階段を登れない住人たちがまだロビーに残っています。 普段見掛けないような人が大勢です。

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あまりにもエレベーターが動かないんで、8階まで階段で上がっていったら、かなり息が切れました。 明らかに運動不足のせいです。  この建物は17階まであるので、最上階付近の人は本当に大変だと思います。

まあ、色々なことがあるものです。 ちなみにロンドン野郎は、万一のために、消化器ぐらいは自前で部屋に用意していますが、火事になったらどうやって逃げるか、多少の準備と心構えくらいは必要ですね。


インスリンの生まれた場所(その2)

2008-02-17 09:22:19 | ロンドン街歩き④

このブログのかなり初期のころ、インスリンの生まれた場所 ということで、このバンティング博士の博物館を紹介しました。 今更ながらなのですが、実は今日初めてこの博物館の中を見学してきました。 以前紹介した時は日曜日でCloseしていた事情もあったのですが、なかなか興味深かったので少し追加で紹介したいと思います。

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バンティング博士は、第一次世界大戦にカナダ医療部隊の一員として従軍し、復員後トロントで外科医の勉強。 そして、オンタリオ州ロンドン市のこの場所に小さな医院を開きました。  その医院のあった家が博物館になっています。 言うまでも無いことですが、バンティング博士のインスリンの発見はカナダのみならず世界の医学史上最大の発見の一つといわれています。

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この家に彼がいたのは、実はほんの一年。 しかも、この一角は産業地域だったこともあって、患者さんは全然来ない。 家はタダで貸してもらっていたものの、数か月で診療から得た収入は僅かに4ドルだったそうです(今の価値とはちがうにしても、あまりにも・・・ですね)。 この頃、ウエスタン・オンタリオ大学で内分泌学の講義も受け持っていたそうです。

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彼は、患者さんも来ない町医者としては不遇な暇な日々を、専門書を読んだりして過ごしていたらしいのです。 この辺からは博物館のガイドのお姉さんの受け売りです。

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そして、運命の日、1920年10月31日 は突然にやってきました(その時歴史は動いた!)。 深夜まで本を読んでいたバンティングは、ベッドの上でハッと血糖値をコントロールするインスリンの存在を予見させるある事を発想したのです。 インスリンは膵臓から分泌される体内物質で、その分泌異常が『糖尿病』になるのです。 

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これがその日のメモ。 当時それを証明するために必要な設備も、資金も無かったバンティングは、家財を売り払い、トロント大学へ学生として入り、マクラウド教授との共同研究の形で、インスリンの存在を1922年に証明したのです。 その時に片腕となる大学院生ベストとも出会います。

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この時代の糖尿病。 特にⅠ型と呼ばれる、インスリンが殆ど分泌されない、若年期に発病することが多いタイプのものは、極端な食事療法で痩せ衰えた末、ただ死ぬしかない大変な難病でした。 上の写真は、初期の頃インスリンの投与を実際に受けた患者さんだそうです。 左上は見るからに痛々しいインスリン投与前の姿です。 右上のいかにも健康そうな丸々した子供が投与一年後。 そして、70歳を超えた今はこんな元気な爺さんになりました(右下)。

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当然のことながら、この世紀の大発見はノーベル賞(正面奥)の対象となり、実際に糖尿病を患っていた英国王ジョージ五世からはナイトの称号(左下のメダル)、その他にも数々の勲章を受けています。 ここからはサー・バンティングですね。

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サー・バンティングは、絵の才能も豊かで、ここに展示してあるような作品は今でもかなりの高値で取引されるそうです。

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この四名の共同研究者たち。 左側がバンティングと助手のベスト、右側がマクラウド教授と助手のコリップ。 ノーベル賞受賞後仲たがいすることになるのですが、インスリンの発明は世の中で苦しんでいる多くの人を広く助けたいというバンディングの主張で、パテントを取らず、彼らは発明そのものからは直接の利益を得ることは無かったそうです。

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博物館の並びの建物には研究にいそしむバンティング博士と助手のベストの壁画がありました。 彼の偉業を熱く語る博物館のガイドのお姉さんの様子からも、ロンドン市民、カナダ人がバンディング博士をいかに誇りに思っているかがよく分かります。

Banting House
(Birthplace of Insulin)

442 Adelaide St.
London Ontario N6B 3H8
Tel: 519-673-1752


極寒の街 - 冬のアライグマ?

2008-02-13 11:43:13 | ロンドン街歩き④

このところオンタリオ州ロンドン市は極寒の冬を迎えています。 今日、火曜日の夜は吹雪になっています。 先週末、極寒の街歩きで見つけたちょっとした光景です。

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珍しく青空が見えたものの氷点下17℃の中、強風が吹き荒れるロンドン市。 ロンドン野郎の生息しているアパートメントの前もこんな状態。

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近所の駐車場もこんな雪山が。 ありゃ! こりゃ何じゃ?

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雪の中にかわいいアライグマが二匹。 何か配電盤かなんかのケースにこんな写真がプリントされているんです。 ちょっと和むでしょ。

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そして、裏っ側はこんな風にメープルリーフが描かれています。 他では見かけないので、いわれは良く分りませんけど、そんなに前からあった訳じゃないと思います。 もしかすると、これから街中に増殖して行くのかも知れません。


ロンドンのロシア正教会

2008-02-05 12:38:56 | ロンドン街歩き④

カナダは移民、それもある程度世代の若い移民が多い国です。 オンタリオ州ロンドン市のような地方都市の中でも、それぞれの出身民族の文化を大事に守って暮らしている人たちがいます。 それが一番端的に表れるのが、食べ物と宗教ですよね。

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Wellington Rd.から少し西に入った住宅街の140 Fairview Ave. に、玉ねぎ帽子の屋根の付いた小さな教会があります。 これは、言わずと知れた、ロシア正教会の建物。

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1917年のロシア革命後、ロシア正教は大変な迫害を受け、数千人もの聖職者が”スパイ”等の名目で処刑されたり、1931年にはスターリンの命令で、ロシア正教の中心だった救世主ハリストス大聖堂までがダイナマイトで粉々に爆破されるといった信じがたい苦難の歴史があります。 おそらく革命後カナダにも相当の人数のロシア人が亡命してきている筈です。

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『宗教はアヘン』とのスローガンで共産党政権に徹底的に迫害されてきたロシア正教も、実は国外に逃れた人々や、ロシア市民の間で密かに信仰は続けられ、ソ連崩壊後の2000年にはスターリンに爆破された壮大な救世主ハリストス大聖堂もモスクワで再建されています。

普段我々日本人がこちらで生活していて、誰がロシア系、イギリス系、ドイツ系、オランダ系、ギリシャ系、ユダヤ系、と客観的に認識できる事はあまりありませんが、やはり母国の文化といったものはこうやって脈々と受け継がれているんだと思います。