ギリシャを空から観ていただきました。美しいですね。もしも今夜見る夢をリクエストできるなら、私はぜひこれをお願いすることでしょう。
さて、これまで長年ギリシャに関わっている中でいろいろな質問をされます。「ギリシャ音楽ってどういうの?」という質問、これには困ります。なんと答えようかなぁと考えているうちに、「ア~そうそう、ギリシャと言えば『日曜はダメよ』ですよね!。それから『ゾルバのダンス』もね・・」などと追い討ちをかけられると、もう言葉に詰まってしまいます。
先の2曲はもちろん名曲ですし、世界的に「ギリシャ音楽」の存在を知らせた功績があるわけですが・・・どちらも1960年代のごく短い間に相次いでヒットした映画の挿入曲です。もし、あなたが外国の人に「日本音楽の代表的なのは?」と訊かれて、石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」と美空ひばりの「悲しき口笛」と答えますか?
昨年3月「百年の木の下で」とKompania ILIOSの有志により、ΤΡΑΓΟΥΔΙΑ ぎりしゃのうたという本を出版しました。その制作時に音源を探していると、同じ曲で異なった歌詞が多数存在したり、逆に同じ歌詞が違うメロディーで全く違う言語で唄われていたりします。そしてそういう場合往々にして コメント欄では「これは私の国の歌」「いや、僕の国の歌を君の国が盗んだ・・」などと、論争が激しく乱暴な言葉が書き込まれているのです。愛国心を否定するわけではありませんが、ちょっとお門違い。
音楽や歌は千年の旅びとです。例えば、どこかの小さな村でうまれた旋律が、畑を超え風に乗って隣の村へとどいたり、収穫祭で皆が唄って、歌詞が何番にも増え、その地域で手に入る楽器で演奏できるコードになり、踊りやすいようにリズムがアレンジされていったでしょう。遠くから嫁入りした若い母親が唄う子守唄が子どもを通して伝わって、新しい土地に根づいたりもしたでしょう。録音器やラジオが登場するまで、その旅人の歩くスピードはとてもゆっくりしていたはずですが、休む事なくどこまでも歌の旅は続きます。
新しい命の誕生をことほぎ、季節の移ろいに色を染め替え、戦火の中をくぐり、心に芽生えた愛を育み、その喪失を痛み、国は栄え、そして滅び、海を越え、谷を渡り、亡き人を慟哭し、家族の繁栄と豊穣を祈り、音楽と歌は旅をしてきました。
歌は旅人ですが、そのパスポートに国籍の欄はありません。
ギリシャ音楽は現在の国境で囲まれた地域だけで生きているのではなく、大まかにいってもエーゲ海の東ではトルコのアナトリアの雰囲気をたたえてアジア大陸へ繋がり、北部ではバルカン半島の尾根へ、イオニア海側では太陽の溢れるイタリアの南ヨーロッパ、地中海文化圏へ繋がっているのです。
さて、その旅を具体的に体感していただくチャンスがあります。
5月26日土曜日、横浜の大倉山で新しい試みのパーティーが催されます。国境にとらわれない旅人としての音楽や歌を楽しもうという企画です。みなさまのご参加をお待ち申し上げます。
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「大倉山 音の旅」 パーティーのご案内