ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

ギリシャの時事ニュース、文学、映画、音楽がよくわかる
ギリシャの森林再生を支援する『百年の木の下で』の公式ブログです。

EDASAより

2012-03-29 | 百年の木の下で

いつも「百年の木の下で」にご協力頂いてありがとうございます。

支援しているギリシャ、アッティカ地方の森林火災防止ボランティア団体:EDASAから先日緊急SOSがありました。今シーズン開始の訓練でパルニサ山に配備している消防車のポンブから水漏れしている事がわかり、急遽部品交換や整備が必要になったというのです。

「百年の木の下で」の中心メンバーにも急いで相談の上、先日送金した寄付金を使ってもらう事にしました。今日その領収書が届きました。かかった費用は私たちが送ってあげた支援金よりも大きな額でしたが、なんとかシーズン開始に間に合ってよかったと思います。

私たちの力は小さいかもしれませんが、実際にとても役立っているようでうれしいですね。できるかぎり長く応援していこうと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

「百年の木の下で」がEDASAに送った寄付金の領収書

EDASAが実際に払った費用

 

 


千年の旅びと

2012-03-25 | ギリシャ音楽

ギリシャを空から観ていただきました。美しいですね。もしも今夜見る夢をリクエストできるなら、私はぜひこれをお願いすることでしょう。

さて、これまで長年ギリシャに関わっている中でいろいろな質問をされます。「ギリシャ音楽ってどういうの?」という質問、これには困ります。なんと答えようかなぁと考えているうちに、「ア~そうそう、ギリシャと言えば『日曜はダメよ』ですよね!。それから『ゾルバのダンス』もね・・」などと追い討ちをかけられると、もう言葉に詰まってしまいます。

先の2曲はもちろん名曲ですし、世界的に「ギリシャ音楽」の存在を知らせた功績があるわけですが・・・どちらも1960年代のごく短い間に相次いでヒットした映画の挿入曲です。もし、あなたが外国の人に「日本音楽の代表的なのは?」と訊かれて、石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」と美空ひばりの「悲しき口笛」と答えますか?

昨年3月「百年の木の下で」とKompania ILIOSの有志により、ΤΡΑΓΟΥΔΙΑ ぎりしゃのうたという本を出版しました。その制作時に音源を探していると、同じ曲で異なった歌詞が多数存在したり、逆に同じ歌詞が違うメロディーで全く違う言語で唄われていたりします。そしてそういう場合往々にして コメント欄では「これは私の国の歌」「いや、僕の国の歌を君の国が盗んだ・・」などと、論争が激しく乱暴な言葉が書き込まれているのです。愛国心を否定するわけではありませんが、ちょっとお門違い。

音楽や歌は千年の旅びとです。例えば、どこかの小さな村でうまれた旋律が、畑を超え風に乗って隣の村へとどいたり、収穫祭で皆が唄って、歌詞が何番にも増え、その地域で手に入る楽器で演奏できるコードになり、踊りやすいようにリズムがアレンジされていったでしょう。遠くから嫁入りした若い母親が唄う子守唄が子どもを通して伝わって、新しい土地に根づいたりもしたでしょう。録音器やラジオが登場するまで、その旅人の歩くスピードはとてもゆっくりしていたはずですが、休む事なくどこまでも歌の旅は続きます。

新しい命の誕生をことほぎ、季節の移ろいに色を染め替え、戦火の中をくぐり、心に芽生えた愛を育み、その喪失を痛み、国は栄え、そして滅び、海を越え、谷を渡り、亡き人を慟哭し、家族の繁栄と豊穣を祈り、音楽と歌は旅をしてきました。

歌は旅人ですが、そのパスポートに国籍の欄はありません。

ギリシャ音楽は現在の国境で囲まれた地域だけで生きているのではなく、大まかにいってもエーゲ海の東ではトルコのアナトリアの雰囲気をたたえてアジア大陸へ繋がり、北部ではバルカン半島の尾根へ、イオニア海側では太陽の溢れるイタリアの南ヨーロッパ、地中海文化圏へ繋がっているのです。

さて、その旅を具体的に体感していただくチャンスがあります。

5月26日土曜日、横浜の大倉山で新しい試みのパーティーが催されます。国境にとらわれない旅人としての音楽や歌を楽しもうという企画です。みなさまのご参加をお待ち申し上げます。

詳細はこちら

「大倉山 音の旅」 パーティーのご案内

 


Who I Want To Be

2012-03-12 | ギリシャから

Who I Want To Be - Greek kids sing & play for Japan

東日本大震災から一年の昨日、ギリシャから素敵な映像が届きました。

『Who I Want To Be』はタイラー基金が推進する”Sing for Japan Project”のオリジナル楽曲で、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』に基づいた英語詞です。アッティカ地方の子どもたち(11−14歳)が呼びかけに答えたものです。

そしてこちら

Rie Fu さんの唄うビデオには岩手県大船渡市立盛小学校の子どもたちが合唱で参加しています。

昨日は誰にとっても感慨深い一日だったのではないかと思います。大船渡に限らず被災した子どもたちひとりひとりが幸せであることを願ってやみません。そして、そのために何ができるか考えたいと思います。


ビートルズが唄うテオドラキス

2012-03-11 | ギリシャ音楽

以前 エディット/ピアフが唄う ΜΙΚΙΣ ΘΕΟΔΩΡΑΚΙΣ ミキス・テオドラキスを紹介しましたが、ビートルズがテオドラキスをカヴァーしていたとは知りませんでした。

ビートルズはこの曲を1963年にBBCの番組中で演奏したということで、英語のタイトルは "Honeymoon Song"

 

そのギリシャ語版のオリジナルはこちら、

ΑΝ ΘΥΜΗΘΕΙΣ Τ'ΟΝΕΙΡΟ ΜΟΥ ”もし、あなたが私の夢を覚えてくれているなら”

作詞はNΙΚΟΣ ΓΚΑΤΣΟΣ ニコス・ガツォスです。

半世紀も前の曲なのに、新鮮な感じがします。

このころのギリシャについて調べてみると、第二次世界大戦の終戦から10年たった1964年、ギリシャでは国民の平均所得は一挙に約4倍になったのだそうです。そういえば、同じ頃に日本も昭和30年代の高度成長期だったのでしたね。

関連記事

ピアフが唄うテオドラキス 2009/06/06

 


森を育てる

2012-03-08 | 百年の木の下で

「百年の木の下で」が応援しているアティカ地方森林火災予防ボランティアのグループEDASAは、森林の自然発火による山火事が起こりやすい3月から10月まで活動しています。

昨日(3月7日)の夜(ギリシャ時間)アテネ、オモニア広場の近くの古いビルにあるEDASA事務局で今年のシーズン開始のミーティングがありました。

2012年キックオフ集会の様子 EDASAFacebookより

今年の活動の開始に併せて「百年の木の下で」から寄付金を送りました。総額は37000円で2500円の送金手数料がかかり、1ユーロ109.33円の交換レートでしたので315,65ユーロ。先方の銀行が5ユーロの手数料をとるので実際にEDASA届くのは310.56 ユーロです。

EDASAの代表によると、昨年からギリシャ政府は寄付金にも税金をかけるようになった(エ~~ッ そんな!)ということですので、その分も差し引かれる事になるのだと思います。

これら手数料もろもろがもったいないと思い、実は昨年の夏か秋に私が持参して直接渡そうと計画していたのですが、ある事情から去年はギリシャへ行くことができませんでした。みなさんからお預かりした寄付金を届けるのに、時間がかかってしまったことをお詫び致します。

EDASAは活動を100%寄付金と個人のボランティアの労力によって運営している団体なので、現在のギリシャ経済状態のなか苦しみながら、それでもなんとか知恵を出し合い頑張って活動を続けてくれています。

また、EDASAは森林火災の監視や消火だけでなく、地域の野生動物の保護(密猟者の監視や動物の水飲み場の確保)、自然の植生を変えない植林(森で拾った種や木の実から苗木を育てて植える)高校の課外授業、なども積極的に行っています。

今回の寄付について「百年の木の下でからの援助は私たちに取ってとても大きな意味があります。心から感謝します。」とアテネのEDASA事務局から皆さまへお礼の言葉が届いています。

私個人からも改めて厚く御礼申し上げます。そしてこれからもよろしくお願い申し上げます。

 

EDASAについてこれまでの関連記事

真夏のイリオス 2011/08/10

EDASA 2011/07/08

お礼の手紙 2010/11/10

3年目の樹 2010/09/14

森を守る人 2010/08/01

 


働く

2012-03-06 | ちょこっとギリシャ語

3月が来ると私は理由もなく心がうきうきしてきます。

さて最近あるきっかけから、古典ギリシャ語の文法書を読んでおりました。

Ο ΒΙΟΣ ΒΡΑΧΘΣ Η ΔΕ ΤΕΧΝΗ ΜΑΚΡΑ 「人生は短く、芸術は永し」とか、

ΛΕΑΙΝΑ ΟΝΕΙΔΙΖΟΜΕΝΗ ΥΠΟ ΑΛΕΠΕΚΟΣ ΕΠΙ ΤΩ ΔΙΑ ΠΑΝΤΟΣ ΕΝΑ ΤΙΚΤΕΝ

「いつも一匹しか仔を産まないとキツネに非難された牝ライオンは『一匹ですよ、でもライオンですわ』と言った」など例文が

旧約聖書や、イリアスの冒頭やらイソップ物語からの引用で面白いのにつられて、読み進んでいくうちにある興味深い発見がありました。

古典ギリシア語で動詞ΠΟΝΩ:ポノ、ポナオは「いそしむ/せっせと働く」という意味ですが、この単語は現在では「痛む」という意味で使われているのです。

では、現在の「働く」ΔΟΥΛΕΥΩ:ドゥレヴォはいったいどこから来たのか?

皆さんにはもう察しがついたかもしれませんね。

この動詞は古典ギリシャ語では「奴隷になる」という意味だったのです。

やっぱりもともと働くのが好きじゃない・・・。という私自身も、働かなくてよければその方が幸せなのですけど

 

写真は農業に従事する古代ギリシアの奴隷を描いたアンフォラ。

オリーブの収穫でしょうか?