ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

ギリシャの時事ニュース、文学、映画、音楽がよくわかる
ギリシャの森林再生を支援する『百年の木の下で』の公式ブログです。

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葡萄酒色の海

2010-04-27 | ギリシャから


4月26日、ギリシャ籍の船はフェリーもクルーズも全て休航していました。
ギリシャ船員組合Greek Seamen Federation (GSF)が24時間ストライキをうったのです。政府がカボタージュを解除し、ギリシャの海を外国籍の船にも解放しようとしていることに反対しているのがその理由。 ERTの元の記事:英語

カボタージュcabotageとは他国業者の船や飛行機が国内運航はできない状態のことです。

ギリシャ船員組合(GSF)は カボタージュの解除が実行されると多くのギリシャ人船員が職を失い、失業率が一挙にあがると警告しています。

GSFは29日にも24時間ストを実行するといっています。それにしても、日本の連休に併せてストをすることはないんじゃないのと文句のひとつも言いたくなるのですが・・

私には複雑な思いがあります。

前政権のコスタス・カラマンリス首相のかけ声で、国内の船会社間でフェリーの就航権の規制が緩和されました。つまり、ギリシャの船会社はこぞって儲かる路線(ミコノス/サントリーニなど)に自社の船を集中させたのです。

そして、人口の少ない小さな(つまり私にとって魅力的な)島へいく便はどんどん少なくなって、不便になっていきました。旅行者には不便ですみますが、島の住民にとっては死活問題です。

ピレウスからレスボスのミティリーニへ就航していた高速船ケンデリスはもっと儲かるミコノス行きの路線に使われるようになりました。

あげくの果てに船が集中した人気路線では競争が激しくなり、現在ケンデリスはエジプトの紅海で観光クルーズに使われています。

そのあおりを受けて、レスボスに住む私の親友は、ケンデリスで働く夫に年3回ほどしか会えなくなったのです。ピレウス~レスボス航路なら一日おきに会えたのです。

給料は増えたけど、悲しいと彼女はいつも愚痴っています。配置願いをすれば、職を失うかもしれないと彼女は寂しさを我慢してきました。

定年退職後は旦那様とゆったり一緒に暮らせることだけを楽しみにしていたのに、今の国庫の状況ではあてにしていた年金もどれほど貰えるのか・・

これが庶民の感情です。会社は儲かるのかもしれませんが・・

昨年、ギリシャ最大のピレウス港の港湾は中国の会社が運営権を買い取りました。これにも反対する港湾労働者の長い闘争とストライキがありました。

そして、これからは、外国の旗を掲げたフェリーがエーゲ海を牛耳るようになるのでしょうか?

ギリシャは古代からの海運国。地中海は2000年以上も彼らの庭でした。
地中海だけでなく、コロンブスがアメリカ大陸を発見した航海の船員も多くはギリシャ人だったとも言われています。

ギリシャの産業から海運業が消える、そんな日を見ないですみますように・・

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古代ギリシアに追いつけ

2010-04-23 | ギリシャを知る本

写真はAmazonから
アンティキテラ「古代ギリシアのコンピューター」の表紙

「難破船と宝物」と聴くとだれもが金貨や財宝を思い浮かべ、莫大な富と結びつけるでしょう。1901年、シミ島の海綿採りの漁師たちによって、アンティキテラ島沖に古代の難破船が発見され、古代ギリシアの大理石像やブロンズ像などが次々引き上げられます。

ギリシア文明の栄光の形見といえる新発見は時のギリシャ政府と国民の意気を多いに高めるのですが、一緒に引き上げられた小さな箱入りのブロンズの固まりに興味を持つ人はいませんでした。

この本で紹介されているのは 用途がわからないために便宜上「アンティキテラの器械」と名付けられた箱入りの小さな器械です。

近づく全ての科学者の探究心に火をつけ、虜にしてしまう不思議な器械の謎解きの100年をミステリー仕立てで書き上げたこの本に、科学もメカニックも天文学も苦手の私がどんどん引き込まれて一気に読んでしまいました。

ミステリーですのでここで種明かしをしてはいけませんが、2000年前にギリシア人がこれほどの先端技術を持っていたのは、誰にとっても驚きでしょう。
何かの偶然で近代の器械が古代の難破船の上に落ちたのではなどと考える研究者もいたのです。なぜなら歯車とゼンマイを使った現在の時計の基礎がヨーロッパに登場するのは15世紀になってからなのですから。

この技術が伝わっていれば産業革命が1000年早く起こったかもしれません。

それでは、どうしてこれだけの技術が伝わらなかったのでしょう。それは現在の私たちが夢中になっているリサイクルです。

帝国の力が衰え、貴重な金属だったブロンズはリサイクルされて、のちの社会に必要なものに作り替えられていき、地上にあったブロンズ像や「アンティキティラの器械」は溶かされ姿を消していきます。そして、体に錆と貝殻をまとって2000年の深い眠りについていたこの一個だけが、まるで近代の人間に対する古代ギリシアからの挑戦状のように海から姿を現すのです。

実際に、古代ギリシアの技術を解明するのに発見から100年以上かかっているのは興味深いことです。この本はまた現代科学の発展の百年史でもあります。


古代の記録を調べることで器械の働きと使用目的を探ろうとする人、舟の建造方法から年代を割り出す人、化学分野から炭素含有率検査法が発見され、エックス線、CTスキャン、などそのときどきの先端技術を駆使して現代人は古代ギリシア人に「追いつこう」とするのです。

息詰るような科学者たちの競争と対決の合間に人間くさいエピソードも登場します。

「ギリシア病」といわれた研究熱に取り付かれたり、名誉欲に駆り立てられ熱くなる科学者を尻目に「私らの古代博物館には美しい彫刻が山ほどあるというのに、外国人はなぜこの汚い金属のかけらに夢中になるのか」と首をひねる人や、

はたまた、世間ばなしでもするかのように「そういえば倉庫でちっちゃい金属のかけらをみつけたけど、なにか役に立つのかしら」と謎解きのヒントになる重要なピースを取り出す人などが顔を出し、いかにもと思って笑ってしまいます。

さて、「アンティキテラの器械」の正体とは・・
ふだん科学について読まない方にこそおすすめの一冊。

原題:DECODING THE HEAVENS 著者:JO MARCHANT
翻訳:木村博江 文藝春秋社 2009年刊


amazonのページでは最初の数ページを読むこともできます。
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パンさん到着

2010-04-19 | ギリシャから

スピロス・パンさんと本行寺のご住職

ロンドンで演奏会をしていたパンさんが15日午前、成田に到着しました。
その数時間後、アイスランドの火山噴火でイギリスの全空港が閉鎖されたニュースを聞き、このひとの運の強さに感心しました。

実はその数週間前のこと、ギリシャではストライキが繰り返され、アテネからロンドンへのフライトも数多くキャンセルされていたのですが、彼はうまい具合にストの合間をぬって出国できたのです。

さて、ふだん忘れがちになっていますが、ギリシャを大好きな私たちがいれば、同じように日本大好きのギリシャ人もいる。ごく当たり前なのに、実際に出会う機会はあまりありません。

スピロス・パンさんと出逢ったのは去年の夏夕暮れのフィロパポスの丘でした。
左手にライトアップされたアクロポリスを眺めながら友人と夕涼みボルタ中。どこからともなく不思議な調べが聞えてきます。

初めてのような、それでいて遠い昔に聴いたことがあるような心ひかれる音色に、導かれて歩いて行くと人だかりの真ん中に見たことのない珍しい楽器を弾いている青年がいました。

演奏後、私に日本語で話しかけてきたその青年こそスピロス・パンさんです。

今から7年ほど前に偶然この音を聞いた彼はいてもたってもいられなくなり、すぐにスイスへいってハングを買い練習を始めたそうです。毎日7~8時間の練習を経て自在に演奏できるようになり、オリジナルの曲も増えてきたのだそうです。現在はアテネを基地にヨーロッパ、アジアで演奏活動をし、最新のCDで注目を集めています。

パンさんは山を歩くのが好きで、ギリシャの島のモノパティ(古代からある人ひとりが歩けるような山道)の詳細な地図作りにも情熱を注いでいます。移動はできる限り自転車というギリシャには珍しいエコ・マインドな人です。

ギリシャの森林を保護再生する支援をしている「百年の木の下で」がどうしてパンさんを応援しているか。
理由は三つあります。

まず、彼の演奏する音楽がとても素晴らしいので、ぜひ皆さんに聴いてもらいたいということ。

もうひとつは私たちがギリシャを大好きなように、日本を大好きなパンさんが日本でより多くの人と出会えるようにしてあげたいということ。

最後に、彼が伝えるメッセージや音楽、ライフスタイルが、ひいては自然や環境を考える人や機会を増やすことに繋がると考えるからです。

優れた演奏家でありながら、けっこうお茶目なところもあるギリシャの若者にぜひ会いにきて下さい。
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ゾルバとミキス

2010-04-14 | ギリシャ音楽



ここにあるお宝映像は2000年ミュンヘンでのコンサ-トで再会したミキス・テオドラキスとゾルバことアンソニー・クインです。

この曲を作曲したミキス・テオドラキスと踊るために250マイルも(400km)離れたウィーンから駆けつけてきたのだと、クインはミキス・テオドラキスにいっています。

しかし舞台の上でクインのステップはもどかしいのです。なにしろ映画「その男ゾルバ」の撮影から40年以上たっているのですから。

そして、この曲の特徴でもあるテンポがはやくなる後半には、クインのステップはフラメンコみたいになってしまっています。

それでも素晴しいのは、つれられたテオドラキスが、たまらずに指揮台から降りてきてクインと同じように踊るところです。ふたりとも嬉しくて楽しくて、踊らずにはいられなかったのでしょう。

映画ではなくてカザンザキスの「その男ゾルバ」の中で、ゾルバが言葉の通じない男と知合いになり、言葉が詰まると考えを踊って見せるという下りを想いださせます。

踊りの原初とは、なによりも楽しむため、喜びを表すためなのだというのを、ふたりの偉大な人物がここに体現してみせてくれています。

オーケストラの人たちもみんな笑顔になっています。
いいなぁ、この場に居合わせたひとたち。うらやましい。

アンソニー・クインはこの動画の翌年、2001年に亡くなってしまいましたが、そんなこと信じられないくらい、元気です。

おまけ:クインが一生懸命思い出そうとしていた映画「その男ゾルバ」のダンスシーン



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2500周年

2010-04-08 | ギリシャから


4月10日(ユリウス暦:3月29日)はアテネで近代オリンピックの競技としてマラソンが初めて行われた日なので、ギリシャのメディアにこの時期、第一回優勝者のスピリドン・ルイスや、マラソンの起源についての記事がよく目にとまります。

3月29日ギリシャ政府のスポーツ大臣はルイスの帽子、トロフィーのレプリカとともにマラソン博物館に展示されるようにと、国が保管していたメダルをマラトン市長に渡しました。元の記事The Athens News:英語メダルが一般に公開されるのは今年のアテネ・クラシック・マラソンからといいます。

というのも、今年2010年はマラソンの起源から2500年目になるということから、10月に開かれるアテネ・クラッシック・マラソンはマラソン2500周年記念大会になるそうで、フルマラソン、5キロコース、10キロコース、パワー・ウォーキングの4種目で2万人の参加者を予定しています。公式ページ:ギリシャ語と英語

そもそも、マラソンの起源はPheidippidesという兵士がペルシャとの戦いで、アテナイ軍の勝利を伝えるため、紀元前490年9月12日マラトンからアテネを走り、伝令の役目を果たした直後、アテナイの城門で息尽きた..ということなのです。(実は紀元前450年という説も、兵士の名前がEuklesだという説もありますが・・)

女子のフルマラソンで2008年は田上麻衣さんが優勝2009年は尾崎朱美さんが優勝しています。さて、記念すべき大会で日本女子3年連続優勝となるでしょうか?



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聖火到着

2010-04-04 | ギリシャから
photo by ERT

4月3日午後 エルサレムから代表団に伴われ聖火Holy Fireがギリシャに到着した。聖火を乗せた特別機が着陸したアテネのベニゼロス空港では多くの信者らが出迎えセレモニーが行われた。

聖火はここで移され、再び特別機でギリシャ各地、ならびにエジプトのアレキサンドリアへと特別機で運ばれて行った。

もとの記事(英語)はこちらERT
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聖火と訳してしまうとオリンピックを連想してしまいますが、ギリシャ語ではもちろん異なる言葉です。それにしても、復活祭用にエルサレムから特別機で聖火が運ばれてくるとは知りませんでした。

2006年のニュース:聖墳墓教会で聖火を灯すギリシャ正教の主教の写真と記事(日本語)

今年は正教とカトリックの復活祭とユダヤのPassover(すぎこしの祭り)が同日に重なったため、衝突を懸念し、エルサレムでの聖火を灯す儀式は厳重な警戒のもと繰り広げられたということです。

今日のギリシャ語
聖火: Άγιο Φως または Φως της Αναστάσεως.
オリンピックの聖火: Η Ολυμπιακή Φλόγα

2010-04-05 追記:「聖火の奇跡」を行っている4月3日の聖墳墓教会の記事と内部の写真



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パリカリ・ム

2010-04-01 | ギリシャ音楽
Dalaras, Loizos-Deka palikaria (1974)



「デカ・パリカリア:10人のパリカリ」を唄うヨルゴス・ダララス/ΓΙΟΡΓΩΣ ΝΤΑΛΑΡΑΣ

1974年のダララスと2002年のダララス、ふたつのライブ映像を並べてみると、ギリシャという国とひとりの歌手が歩んできた30年がわかるような気がします。 

1974年、軍事政権を倒した直後の政治的な集会でのダララス、裾の広いズボンとヘアスタイルはまさに70年代ファッションです。このビデオは74年のギリシャの雰囲気を実によくとらえています。

この曲はマノス・リツォスΜάνος Λοίζοςの作ですが、抵抗運動の英雄だったミキス・テオドラキスΜίκις Θεοδράκιςの歌も多く唄っていたダララスは、軍政の暗黒時代から自由を勝ち取った新生ギリシャのパリカリ、希望の星のような存在でした。

しかし、この青年が30年後の21世紀まで、ギリシャの音楽界を牽引する大きな存在であり続けると、その時の誰が想像したでしょうか?

Dalaras- Deka palikaria (live,2002)



2002年のライブ映像はマノス・リツォスΜάνος Λοίζοςのためのトリビュート・コンサート。タバコもお酒も口にせず、声を大切に曲を選んで唄い続けてきたというギリシャの音楽界では珍しい彼の30年が見えるようです。

これまでにリリースしたダララスのソロのアルバムは75枚、競演のアルバムが55枚あり、その中に200万枚以上売れたゴールド、プラチナアルバムが多数あります。人口1000万人の国で、200万枚ですよ。公式ウエブサイト

彼の祖国ギリシャは激しく変化し続けてきたけれど、ダララスはまったくぶれずに生きてきたのだろうな。

パリカリとは若者、勇者、を示すギリシャ独特の表現ですが、ダララスは永遠のパリカリだと思います。

今日のギリシャ語
παλικάρι 若者、勇者  παλικάλια(複数形)

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