ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

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ギリシャ国歌

2014-06-23 | 私のギリシャ物語

最近ワールドカップで早起きしているので、日中とても眠いです。

ギリシャVs日本の試合でギリシャ国歌を初めて聞いた方も多いのでは?演奏を聴くと、短くてごくあっさりしているように思えますが、いやいや実は世界で一番長い国歌なんです。

4行のスタンザ(連)が158もあるので、行数で言うと632行。これを全部唄っていると、サッカーのゲームだと前半がつぶれてしまう?かもしれません。そこまでならなくても、起立して唄っている人たちが次々に昏倒する!、とか起こりそう。あまりに長いので、最初は3連まで唄っていたのが、現在では2連までとなっているようです。全部唄える人は誰もいないことでしょう。

長い独立戦争の後、ギリシャがロンドン議定書で独立を宣言した2年後の1832年にΔΙΟΝΥΣΙΟΣ  ΣΟΛΩΜΟΣ/ディオニシオス・ソロモスによって詩が書かれました。当時、首都はアテネではなくナフプリオンにありました。

そしてコルフ島のオペラ作曲家ΝΙΚΟΛΑΟΣ  ΜΑΝΤΖΑΡΟΣ/ニコラオス・マンザロスが曲をつけ1865年に国歌に制定されました。ちなみに、キプロス共和国も同じ2連を国歌としています。

内容は1792年に革命戦士たちの唄った詩からフランス国歌になったラ・マルセイエーズに近いです。ギリシャでも自由と独立は命をかけて戦って、多くの犠牲者の屍の上に勝ち取ったものなのです。


ギリシャ国歌「自由の讃歌」

私はあなた(自由)を知る

畏れ多いその鋭利な刃から

私はあなた(自由)を知る

地を統める大いなる力から

そして 尊い先人の骨から

原初のようによみがえる

讃えよ自由を!讃えよ自由を!

(拙訳)

この「先人の骨」という下りは、私にジュールス・ダッシン監督、メリナ・メルクーリ主演の映画「宿命」の印象深い一場面を想いださせます。

「宿命」は日本で公開された時の日本語のタイトルで、原作はΝΙΚΟΣ  ΚΑΖΑΝΤΖΑΚΙΣ/ニコス・カザンツァキスのΟ ΧΡΙΣΤΟΣ  ΞΑΝΑΣΤΑΥΡΩΝΕΤΑΙ「キリストは再び十字架に」です。

そのシーンはトルコ兵に終われ山へ逃げたクレタの村人たち、貧しい彼らは着の身着のままで、家から持ち出した財産はわずかに鍋釜、イスなどです。ひとりの老人はカラカラと音を立てる大きな袋を背負って長い山道を歩いて行きます。お腹をすかせた少年が聞きます、「おじいちゃん、その袋に何が入っているの?」老人は静かに答えるのです。「ご先祖さまの骨じゃよ、この骨の上にな、わしらは新しい村をたてるんじゃ。」と

私たちの国歌も実は同じ頃に歴史に姿を現します

開国し外交の式典などで必要になったものの、国の歌という概念などなかったに違いありません。英国のGod Save the King(現在は女王なのでQueen)に倣って 君主の栄光よ永遠なれという趣旨の歌が明治政府によって選ばれました。

1860年には福沢諭吉がFreedom, Libertyを「自由」と翻訳し、それまで日本になかった自由という言葉と概念は既に生まれていたというのに。あの時日本がフランス国歌に倣っていたら、国づくりも国民の意識も、その後の日本の歴史も違っていたのかも...しれません。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました

 

 

 


サランダ

2014-06-17 | ギリシャへ

頭にシャワーキャップでスイミング ΧΕΡΡΟΝΙΣΟΣ ΣΙΦΝΟΣ 

40、ギリシャ語でΣΑΡΑΝΤΑはサランタではなくサランダと読みます。

ギリシャの歌を翻訳していると「君は僕の心を42のかけらにしてしまうよ」とか、「40の波を超えて来たよ」とか、「40の真っ赤なリンゴ、どれを選んでもそれほど変わらないよ・・だから僕を選んで」、というような歌詞に良くでてきます。えーっどうして40?なんで42なの?と疑問は深まり、色々調べているうちにその意味がわかってきました。

実はギリシャの日常生活において、40は特に重要な数なのです。

赤ん坊は生まれてから40日間家の中で過ごす、つまり外出させないという古いしきたりがあります。この教えはアテネでは実践的ではなくなりましたが、島の村に行くと現在も守られています。

ギリシャの夏の風物詩は早朝と日暮れ前に浜に集合するおばさまたち、多くは立派なご体格。

よくそんなでっかいサイズの水着があったものだなぁと、驚かされます。帽子とサングラスをつけた堂々たるおばさま方は泳ぐというよりは、水に浮かびつつ数人でおしゃべりに熱中しています。井戸端会議ならぬ波間会議ですね。

話題は世界共通、ご近所のゴシップです。そんなビーチ・ガール(?)な彼女らがよく言うのが、サランダ・バニャ「水浴40回」。夏に40回海水浴しておくと、冬風邪をひかないという言い伝えです

ひと夏のうちに40回も海で泳ぐ事は日本ではむづかしいかもしれませんが。5月始めからから9月末まで夏のギリシャだからこそ言えるのかもしれません。それにギリシャのビーチおばちゃんたちは一日に朝と夕の2回泳いで(浮かんで)いる人もたくさんいます。

つまりサランダは「たくさん」という意味で使われているのです。

さらに、「40」を「たくさん」とする考えはギリシャだけでなく、多くの古い文明に共通するもののようで、旧約聖書のノアの洪水の下りには40日休む事なく雨が降り続けて洪水になったと書かれているし、日本では四十九日があるように、人が亡くなったら、イスラム世界では40日喪に服します。

さて、前置きが長くなりましたが、今年12月6日で、私が初めてギリシャの地を踏んでからちょうど40年になります。そして、今ギリシャはこの40年で一番の危機を迎えているように、思えてなりません。

以前ギリシャに関する書き下ろしの本を出版してから早くも10年が経ち、ギリシャの状況は大きく変わりました。最近はブログを書こうとPCに向かいながら、なかなか更新が進まなかったのには、できれば見たくない書きたくない現実がそこにあったからかもしれません。

長文、字数の多いブログは読まれないというのがネットの通説ですが、ひとつの区切りとして、これから40回に分けて少しずつ書いてみたいと思います。私の愛する美しい小国ギリシャのことを。ギリシャと私の40年を振り返りながら・・・