ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

ギリシャの時事ニュース、文学、映画、音楽がよくわかる
ギリシャの森林再生を支援する『百年の木の下で』の公式ブログです。

モリボス・アート・フェスティバル 続き

2009-11-30 | 絵を描く



今回持って行ったのは ”OLD HOUSES OF MYTILENE”
「ミティリー二の古い家 」のシリーズと 
モリボス、ペトラを描いた
「みずのいろどり」"COLOR OF WATER" シリーズ。

ほとんどが2002-2006年に
レスボス島で描いた作品です。

ギャラリーに足を運んでくれた方たちは半数が地元レスボスの方
半数がギリシャ国内外からの観光客でした。
アテネ、テサロニキから家族で夏休みに来ている方,
ベルギー、イギリス、フランスの長期滞在の方
そして、以外と多かったのがギリシャ移民の2世や3世の方たちです。

ギリシャで個展をするのは初めてのことだったので
日本とギリシャでどんな好みの違いがあるのかとても興味がありました。

例えばミティリーニに住んでいる人が
「あ、ここ知ってる、うちの近所だ」
と言ってくれたりすると やはりとても嬉しいものです。

逆にレスボスの人たちは、日本人がどういうところを
選んで描いているのか興味があったようです。

日本でも同じですが 絵を見に来てくれる方は
自分でも描くという人が多いものです。


日本との違いは、ギリシャ人のお客さんは話し好きで
長く話し込んで行かれる方が多くて、
盛り上がり、楽しいということです。ご自宅に招いてくれた方
友人になって、現在もメールの交換をしている方もいます。

残念ながら忙しくて写真を撮りわすれてしまいましたが、
ギャラリーにはリムノス島の白ワイン
レスボス島のウーゾ、ソフトドリンクと
オリーブのピクルスやナッツなどのおつまみ
お菓子などを市が用意してくれていました。

数点の絵と共にポストカードを買って下さった方が
たくさんいらっしゃいました。

ギャラリーでは一枚2ユーロで販売したのですが
まだ 小学校低学年くらいの子がポケットから大切そうに
2ユーロ硬貨を出し、4種類の中から真剣な目で
選んで買ってくれたのはとても嬉しいことでした。

今年の夏 レスボス島で個展をしたいちばんの収穫は
多くの方に出逢えたこと、私が描いたレスボスの絵が現地
の方の目に触れる機会があったことです。




モリボス・アート・フェスティバル

2009-11-28 | 絵を描く


会場は昔、税関として使われていた立派な古い建物。(赤い矢印)
レスボス島モリボスの港にあります。

モリボス港は周辺に良質のオリーブオイルを産出する村々があり、
トルコまで5~6キロという海上輸送に最適な港でした。

ギリシャの島では北風に備えて 東あるいは西に向いて
開いた港を作っていることが良くあります。

モリボスもその例のひとつで、風から守られているだけでなく
北向きに位置する隣村のペトラの海岸では水温が低い時でも
モリボスの海岸で泳ぐと暖かかったりします。



百年以上たっている建物の中はこんな感じ
天井が高く床はモザイクです







朝、ギャラリーに来て窓を開くと、遊覧船が出発するところでした。
これまで個展やグループ展をさせてもらった中でも
一番景色のいいギャラリーです。



そして窓の下はタベルナ



新鮮なタコが売り物で、店の名前もズバリ「オフタポディ」(ギリシャ語のタコ)



看板代わりにタコの足がぶら下がってます



通りに面した窓の下にはスイカ売りのトラックが来ています。




2009 Summer Art Festival のプログラム



オープニングで
向かって左がモリボス市長ステリオス・カランドニス氏
右はミティリーニ出身でベルリン在住の写真家レオニダス・ゲギオス氏

みんなの前で なにかひとこと挨拶をと言われたので、
カバフィのΤΟΥ ΠΛΟΙΟΥ(船上で)という詩を
英語とギリシャ語で朗読しました。 


続く




レスボスの王冠 モリボス

2009-11-25 | Lesvos
Molivos 2008


6月30日のブログでお知らせしていたように
レスボス島のモリボスで毎年行われるサマー・フェスティバルに
招かれて アート展を催してきました。 

その詳しい報告は 後ほどにして

まずは美しいモリボスを写真でボルタ(散歩)するように
ご紹介しましょう。


エーゲ海では朝早く泳ぐのが好きです。
ギリシャの海水はべたべたしないのです。
タオルを持たないで行っても大丈夫なくらい。

モリボスのビーチから続く石畳の道の両脇は
大木が涼しい木陰を作っています。



坂道はなだらかに村の中へむかう



おやおや 道の真ん中に誰かが路上駐車してます



ちょっとひとやすみして見下ろすと
さきほどのビーチがよく見えます。



さて もう少し上の方へ・・・・
登るほどに道は狭く急になってきます



高台にある教会からトルコがすぐそこに見えます。




続く・・・


時間の残酷

2009-11-16 | 私のギリシャ物語


著書『ギリシャ愛と詩の島』を読んで下さった方々に後日譚をひとつ。

ギリシャ人が語る12の物語からなるこの本。
その最初の3話に登場するのがディモス・ナッソスで
1919年生まれの彼は今年91歳。 
ギリシャの友人の中でも最高齢だ。

レスボス島のモリボスにいくと必ず彼を訪ねるけれど、会いにいく前の日は
決まって怖い。「ディモスは亡くなったよ」と告げられるのが怖いのだ。

若いときは美丈夫だった彼も80を過ぎて心臓のバイパス手術をし、
足腰も弱ってきて 一日のうち数時間しか彼の王座に座ることはない。
彼の王座とは 娘夫婦に譲ったレストランの前におかれたテーブルのことだ。

モリボスの港を見下ろし、緑濃いトルコの山影を望む、その場所で 
彼の思い出語りは私をコンスタンティノポリスのスパイスバザールへ、
燃え上がる1922年のスミルナへ、
ナチと戦うパルチザンの山奥の隠れ家へと連れて行ってくれた。

彼の話を聞きながら、自分の父の思い出話をなぜもっと
聞いてあげなかったのだろうと心が痛む。

どこの国でも この年代の人々は物語の宝庫であり、聴く耳さえあれば
おしげもなく とっておきのストーリーを語ってくれる。

ディモスにはもうそれほど 長い未来はないだろうと私も思っていた。
でも 彼は実によく生きた。スミルナから両親の腕に抱かれて脱出し、
様々な職業をこなし、モリボスに駐屯したナチの裏をかき 
戦後初のレストランを村に開いた。

私が出会った時 彼は83歳だった。
長年連れ添った妻マリアは白髪になったが壮健で
レストランを継いだ娘を助けてキッチンで料理をしていた。

ふたりの息子はそれぞれメインストリートに店を持ち孫も大勢いる。
彼ら家族に見守られて 穏やかな最後を満足とともに迎えるだろう
と誰もが考えていた。


今年の7月、「元気そうね、よかったわ」と
久しぶりにあったディモスにカメラを向けると
彼は耳もとに花を挟み
「あぁ このとおり私は元気だよ。」と微笑んだ。

キッチンに妻の姿がないので、
「マリアはどこなの?」と私が訊くと
「マリアは出かけていてな・・・私はここで待っているんだよ」
「もう3年になる・・・」

2年前の冬 彼の妻はクリスマスのクッキーを焼いていた。
マリアのクレアビディスは最高だと、村の誰もが知っている。
夕方、家の中を甘い香りが満たし、雪のような粉砂糖をまとった
クッキーがたくさん出来上がった。 
「エレニさんのところへお裾分けにいってくるわ」と
マリアはいった。

「5分で戻るからと出ていって、二度と戻ってこなかった。
この先の石段で転んで頭を打って、あっけなく死んでしまった。」
ディモスはもう微笑んではいない。
「心臓が悪い私がこうして90歳を超え 
一度も医者にかかったことがなかったマリアが
さよならも言わないで逝ってしまうなんて・・・」

私はなんといっていいかわからなかった。
先に亡くなるのはディモスと私も思いこんでいた。

「娘は良くしてくれる、だがね、妻を亡くして私はひとりになってしまった。
マリアと最初にあったのは彼女が3歳の時だった。近所で育った幼なじみの
私たちは結婚して70年間一緒だったんだ。マリアなしで、私はもう私ではない。
とるにたらない誰かになってしまった。それでも生きていかねばならない、
元気だけれどね。これほどつらいことはないよ」


時として 
時間はとても残酷な運命を用意している。
 






パンとHANG

2009-11-07 | ギリシャから
Dew Droplets


ギリシャの友人でミュージシャンのΣΠΥΡΟΣ ΠΑΝさんを紹介します。
来年5月に来日予定です。現在 彼のコンサートを計画中ですので
決定しましたら このブログで詳細をお知らせいたします。


SPYROS PAN  ΣΠΥΡΟΣ ΠΑΝ  スピロス・パン
HANG演奏家 ギリシャ人 アテネ在住

それは運命的な出会いだった。ある日、
偶然天上の調べのようなhangの音を聴いたスピロ・パンは、
その演奏を学びたいと決意、hangの生まれ故郷であるスイスへ向かった。

演奏法をマスターするうちに、ひとりの演奏家の手のひらから生まれた
hangの音色は、聴いてくれる人たちがいて初めて音楽となることを悟り、
2007年から2009年にかけて、時には独演であったり、
あるいは地元のミュージシャンとの競演をしながら 
hangを手にヨーロッパ、アジアを旅して回る。

演奏の場はインドの孤児院、アテネのガン・センターからのラジオ放送、
カナダのTVドキュメンタリー、アートのインスタレーション、ヨガ・センター、
美術館など さまざま。聴衆の規模、ステージの大小にこだわらない、
その場を共にする人々との交流を大切にする演奏活動を続けている。

2009年 秋 ソロ・アルバム“Hanging on a Dream”でデビュー。
2010年5月 来日予定 日本を演奏しながら自転車で回り、
様々な地方の人々との交流を計画中。


HANG DRUMについて
ハンあるいはハング・ドラムはスイスのベルンで2000年に誕生。
Hangはベルンの方言で「手」という意味である。
その名前が示すように人間が素手で演奏するために作られた
最も新しい打楽器。 

癒しと高揚の両面を併せ持った不思議な音色と、
持ち運び可能な形状から人気が出た。
セラピーに使われるなど注目を集め、
ヨーロッパを中心に若い演奏家が多く生まれているが、
日本ではまだあまり知られていない。

追記
iPhoneのアプリケーションには2008年から
既にHangが登場している。
iPhone アプリ




ほぼにちギリシャ語

2009-11-01 | ギリシャへ

Πέντε μικρά γουρουνάκια
ΑΓΑΘΑ ΚΡΙΣΤΙ/ Μετάφραση: Ελένη Γονατοπούλου


五匹の子豚 アガサ・クリスティー/桑原千恵子訳/早川書房

名探偵ポアロのTVシリーズが好きでよく見ていました。
しかし、この本を開いてみるまでポアロのファーストネーム:
エルキュールが Ηλακλής イラクリスなのだと気づきませんでした。

神経質で女性的ともいえる探偵ポアロと巨人ヘラクレスの落差!
名づけ親クリスティーのちょっと意地悪なジョークなのですね。

それはさておき 本題に入りましょう。

「どうやってギリシャ語を勉強したんですか」という質問を
よくいただきます。実はあまり『勉強』したことがないんです。

ギリシャが好きで何度も行くうちに
少しずつしゃべれるようになりましたが
ダララスやアレクシウのギリシャ歌謡から言葉を学んだような私は
数年前まで、読み書きがほとんどできませんでした。

ある時 思い立ってギリシャで集中講座を受けました。
それでも 読んだり書いたりは今もちょっと苦手です。

日本に住んでいて 外国語を勉強し「続ける」のはそれが
ギリシャ語でなくてもなかなかむずかしいことです。

ひとつの方法として 耳を鍛えるためインターネットで
ギリシャ語のラジオ放送を聞いています。 

無料でアクセスできるいろいろな局を試してみましたが、
音楽の選曲が私好みという理由から Ξάνθη
からのΟμορφη Πολη オモルフィ・ポリ89.9 FMという局 をよく聞きます。
歌を聴くことは複雑なギリシャ語の動詞の活用形に
慣れるのにとても適していると思います。

もうひとつほぼ毎日やっているのは早く読むための練習。
同じ本を日本語とギリシャ語で一緒に読んでいます。

わからない単語をひとつひとつ調べてじっくり
読んでいては『勉強』のようで読む楽しさがないからです。
『勉強』嫌いで怠け者の私には向いているようです。

これはギリシャに短期間住んでいた時始めた練習法で、
最初は童話をギリシャ語で読むことからはじめました。
「白雪姫と七人の小人」や「眠れる森の美女」など
誰もがストーリーを知っている物語。 
つまらずどんどん読み進めます。そして気になる単語だけを辞書で調べます。
しかし「猟師」とか「こびと」などあまり日常で役に立たない語彙ばかりが
増えるので読む物を選ぶようになりました。

ギリシャの小さな村の書店でも見つかるものでなおかつ
日本語にも翻訳されているものを探していると
選択肢が限られていて
自然とアガサ・クリスティーを読むことになってきました。
というわけで今読んでいるのは上の2冊です。

ほぼ毎日続けています。ありきたりですが「継続は力」です。