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ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

ギリシャの時事ニュース、文学、映画、音楽がよくわかる
ギリシャの森林再生を支援する『百年の木の下で』の公式ブログです。

ギリシャの本 1

2008-11-30 | ギリシャを知る本


『独裁政治と戦う女優半生記 ギリシャわが愛』
1975年 合同出版発行 
メリナ・メルクーリ著  藤枝澪子・渡辺ゆき訳

「世界でわたしのもっとも愛するギリシャ、なのに
ギリシャの海、ギリシャの丘、ギリシャの太陽、
ギリシャの丘の陽ざしの照りかえしを、
私はみることはできない。
私はギリシャに帰ることを許されていないのだ。
だからこの本を書いている。」

と始まるこの本は私の古い友人だ。

海を渡るのも含めて 14回にも及んだ
引っ越しにも 箱やスーツケースに入れて大切に
してきた。私の蔵書ラベルをみると

「1977年12月3日 購入
初めてギリシャを訪ねた日から3年」とある

本のページをめくっていると色あせた新聞の切り抜きが落ちた。

「ゼウスが末娘の死を悼むかのように この日
アテネには冷たい雨が振り注いだ」という
メリナ・メルクーリの死を伝える
1994年3月8日付の朝日新聞だ。

亡くなるまでに彼女は多くのことを成し遂げている

原書”I was born Greek" がアメリカで出版された
1971年当時 彼女はギリシャ正教会から破門され
軍事政権から国籍を剥奪されて
亡命を余儀なくされていたが
軍事政権が崩壊した74年に帰国を果たし

77年メリナは国会議員に選ばれ
81年にはギリシャ初の女性国務大臣となる
84年には文化大臣として来日も果たしている

90年 彼女が心から望んでいたと想われる
アテネの市長選には落選

93年に返り咲いたものの
ライフワークといっていたパルテノンの彫刻返還を見ることなく
この世を去った。

本の冒頭で描き出される 彼女の祖父にまつわるストーリーは
現在のアテネしか知らない人には驚きの連続だろう。
 
まるでちいさな村のようだったアテネで
30年アテネ市長を務めたメリナの祖父は 
数百人の名付け子を持つだけでなく
その名前をすべて覚えている
まさに部族の長といった存在である

その祖父に溺愛されていたお気に入りのメリナは

祖父のボディーガードを使って 教師に圧力を加え
卒業試験をインチキでパスする 
甘やかされた少女は女優になりたいがために
16歳でギリシャで一番裕福な男と結婚。

祖父や父の束縛から逃れる唯一の方法が結婚だったのだ。

どうしようもないお嬢さんから女優へ そして 
自分の意志でというよりは
激動する時代の流れに巻き込まれ
政治活動家となり
あげく
パスポートを持たない亡命者の身へと 
進む道はどんどん険しくなって行く。

これ以上の 
細かい部分はぜひ読んでみて下さい。

ひとりの女性の自覚と自立への成長の課程が 
大国の支配と軍事政権からの解放を模索する
ギリシャという国の自立と成長にオーバーラップして
進行する様は胸に迫る臨場感がある

緊迫する状況の中でもユーモアを失わない
彼女の飾らない語り口が魅力的だ

古い本ですが 公立図書館で見つけられることも多く
現在もamazonのマーケットプレイスに数冊出品されている。





パナヨータ

2008-11-25 | 私のギリシャ物語


δρόμο δρόμο:ロマの女性と子供たち

パナヨータ
小さなわたしの友達
どこにいるのだろ

レスボスの通りで
ロマの少女を見る度に
あなたのことを憶う

そして気づく
あなたはもう小さくも
10歳でもないと

そして
あなたの30年を想う

金歯のロマの
よく肥えた中年の女性が 
祭りでにぎわうカフェニオンの
テーブルからテーブルへと声をかけ
近づいてくる

「あなたの運勢を占いますよ」
といっているのか それとも
「手編みのレースはどう 安くするわ」

花もようの長いスカートが
太い腰まわりに揺れる
編んだ長い髪を覆うスカーフを
直す手が陽に焼け 荒れている

「パナヨーティ パナヨタキ! 
あなたでしょ?」
思わず声が出そうになる私に
あなたは決して気づかない

私たちの時間は 海の蒼さに溶込んで 
空に映し出され 風が運んでいった

パナヨータ
私たちは出会っただけで 
知合うことができなかった

パナヨタキ 小さなパナヨータ
私の中のロマの娘
今も旅を続ける

δρόμο δρόμο 
といいながら




*δρόμο ギリシャ語で「道」あるいは「旅」





ロマの音楽

2008-11-23 | ギリシャ音楽


ロマの音楽についてコメントを下さった方がありましたので
私のコレクションの中から CDを一枚紹介したいと思います。

写真のCDはイスタンブールのタキシムで見つけて買いました。
2001年9月11日の夜のことでした。
世界が大きく変わったあの日です。

ニューヨークの貿易センタービルが
崩壊するのをホテルのロビーにあるテレビで見たその夜、
前日まで 真夏のようだった イスタンブールの石畳に
冬のような雨が降り注いで街を暗く包み込んだのを 
濡れた靴の冷たさとともに想いだします。

さて、ギリシャ政府とトルコ政府、
国レベルの関係はなかなか進展しませんが
トルコではギリシャの音楽がとても人気があります。

(逆もまたしかり アテネから遠いレスボス島では 電波がよく届く
トルコのテレビ番組を見ているからか トルコ語がわかる人も多くいます)

新リラになるまで CDはギリシャよりトルコで買う方が安く
イスタンブールのミュージックショップで
ダララスやアレクシウのCDを買っていました。

Ελληνες Τσιγγάνοι : Songs of Greece's Gypsiesという
タイトルのこのCDは
ひなたの枯草のような温かく乾いた声のΕλενη Βιταλη
エレニ・ビタリ(女性)と
澄んだ青空のようなボーイソプラノの少年(当時)Κωστας Παυλιδης
コスタス・パヴリディスの歌声に
βασιλης Σαλλεας バシリス・サレアスのクラリネット演奏が
哀愁をかき立て

アルバムのタイトルにもなっている最初の曲は

『私にはとどまる場所も 希望もない
でも
どこかにあるはずの祖国を
思わない日はない・・・』

というギリシャ語の歌詞で始まり
スロバキア語なのか ルーマニア語なのか
あるいは ロマの言葉なのか
私にはわからないフレーズが続くのですが

聞いていると むかし旅したルーマニアの平原に落ちる夕陽や
見渡す限りのひまわり畑の中の石ころだらけの道を行く
くたびれたキャラバンが目に浮かぶようで
お気に入りの一枚です

Ελληνες Τσιγγάνοι : Songs of Greece's Gypsies
Amazonのダウンロードストアで購入できます

無料試聴もできますので
ぜひ 聞いてみて下さい

ロマをもっと知りたい方には この一冊

イザベル・フォーセンカ著 くぼたのぞみ訳
『立ったまま埋めてくれ』青土社
をお薦めします 

このタイトルが気になるでしょう?

死んだ時には
「せめて立ったまま俺を埋めてくれ
 これまでずっと
 ひざまづいて生きてきたのだから」

という ロマの詩人の言葉からとったのだそうです。
強く胸をうたれる本です。

幼い恋の逃避行

2008-11-18 | ギリシャから


先週のKATHIMERINIに気になる記事がありました
KATHIMERINI 2008/11/11______________________________________________

ギリシャ中部Karditsa:カルディッツア近くの村、
Sofades:ソファデスに住む13歳の少女を
自宅から誘拐した容疑により16歳の少年と 
その友人4人(いずれも未成年)が身柄を拘束された。
16歳の少年が少女と結婚するために連れ出した、とされる。

事件発生から30分後に 6人の少年少女は
地元ジプシー(ロマ)の野営地にいるところを発見され
少女は両親の元に連れ戻され
5人の少年らは警察に身柄を拘留された。

*ジプシーという言葉はKATHIMERINI In Briefの原文のまま
____________________________________

ニュースは表面しか伝えません。
この事件は 少年の一方的な片思いで少女を誘拐したのでしょうか

それとも二人は愛し合っていて駆け落ちしようと相談し
それに少年の友人らが手を貸したのでしょうか

真実はこの短い記事からは伝わってきません。

それにしても30分後には 発見されるという幼さです。

この事件の背後に見えてくるものがあります。

少年がロマであり 少女はロマではないことが
事件を大きくしたのでないでしょうか。

おそらくは少女の両親が騒ぎ立てて・・

ロマはギリシャでチンガーノス(男性)チンガーニ(女性)と呼ばれ
社会のアウトサイダーと見られています。
多くは集落の外に建てたテントや
キャンピングカーなどに家族単位で暮らしています。

男性は農作業の手伝いや 家具や台所用品の修理
女性は お祭りでの風船売りや レストランを回って
カップルにバラの花を売ったり 手相を見たりして
生計を立てています。


事件の少年少女二人がたとえ成人同士で 
真剣に愛し合っていたとしても
彼らの家族も地域社会も その結婚を許さないでしょう。

そして 恋は障害があるほど燃え上がるもの。

さて
この記事が私の目をとらえた もうひとつの理由は
少年と少女の年齢がロミオとジュリエットと同じだったからです。
シェークスピアのロミオは16歳 ジュリエット14歳。

『ロミオとジュリエット』の初演は1595年と言われていて
イタリアに伝わるもとの物語は1530年頃とされています。

ロミオとジュリエットの場合は家族同士 敵対していたけれど
彼らが若すぎるから反対ということではなかったように思います。

それにしても 400年以上の時が過ぎても 
社会がこれほど急速に変化していても
人間の心や情熱はそれほど早く変わるものではないのですね。

この二人は今どうしているのでしょう。気になります。

*写真はこの事件とは関係ありません

季節のお便り

2008-11-15 | 百年の木の下で
いつのまにか 風が冷たくなって クリスマスカードや
年賀状など季節のお便りを出す時期がやってきました。

『百年の木の下で』が企画制作した4枚のアートポストカード。
お買い上げいただくと
売り上げが寄付金となってギリシャへ届けられ 
ギリシャの森林再生の支援となります。


寄付金の収支は
今年5月までの経過

支援活動を開始した昨年10月から今年10月までの収支

寄付先
をご覧ください。

KATHIMERINI2008/10/07の記事によると
山火事で失われたペレポネソス半島の落葉森林が元通りになるには20年
針葉樹林は100年かかると予想されているそうですので
できるだけ長く支援を続けていきたいと思っています。

オルゴールとギリシャ雑貨のお店Saturdayさんで取り扱っていただいています。1セット630円です。


事務局から直接郵送することもできます。
事務局からお買い上げいただく場合は組み合わせを選ぶことができます。
(たとえばおなじ絵柄を12枚など・・)

国内の送料は9セットまたは合計36枚まで180円
10セットまたは合計40枚以上お買い上げいただくと無料となります。
「百年の木の下で」事務局
hyakunen-noki@hotmail.co.jpへお知らせ下さい。


「風のなかひとり心の声を聞く」


「いいんだよ そのままで 笑ってごらん」


「過ぎた日も 明日も おなじ宝もの」


「青い光を集め あなたの元へ届けたい」

緊迫! してる? 

2008-11-14 | ギリシャから


PHOTO BY KATHIMERINI

記事の見出しは
『防護服に身を包み経財省前を封鎖する機動隊』

「なぁに またギリシャのデモの話?珍しくもない」

と私も思いましたよ。
警官たちの足もとを見るまでは・・・
あれっ・・
野良君がのんびり昼寝してませんか?
労働者の味方か 警官側なのか? 

たまたまお気に入りの昼寝の場所なのか?

記事の緊迫した内容と 
のほほんとしたアテネの野良犬の寝姿

なんだか、とってもギリシャっぽいニュースです。

KATHIMERINI 2008/11/12_________________________

中部と北部ギリシャにある4つの繊維工場の労働者らが 
未払い給料の支払いと解雇の取り消しを求め
アテネ中心部の経済省前でデモを行った。

経済省前では、先月末にもThomas Lanaras氏経営の
繊維工場の労働者らが同様のデモを行い警官隊と衝突した。

デモに参加した労働者の多くは給与が5ヶ月も未払いである
と主張している。



スペイン王妃

2008-11-13 | ギリシャから


写真:時事通信

スペイン国王夫妻が来日中で ニュースでよくお見かけします。

ソフィア王妃はギリシャ国王パウロス1世の長女。
ギリシャ王室から嫁いだ王妃です。
ギリシャの王位は廃位されてギリシャ元王室一家はロンドンに住んでいます。

ヨーロッパの王室には普通の家庭から
花嫁がやってくることが多くなりましたが
生まれながらのプリンセスのソフィア王妃は
スペイン王室にとけこみ 多くの国民から慕われています。

スペイン王妃となってからも
生まれ故郷ギリシャの自然保護に積極的にかかわっておられて 
地中海ウミガメ カレッタ・カレッタの生態調査を後援しています。

魚は食べるが、動物の肉は食べない菜食主義者で
闘牛を鑑賞しないことでも知られています。

写真は宮中晩餐会に到着した時のもの
この日のメニューが気になりますね。


踊る男1

2008-11-08 | ギリシャ音楽
ギリシャの音楽プロモーション映像を見るのが好きです。
なかでもΠασχάλης Τερζής:パスハリス・テルジースの
ものはストーリーがあって面白いです。

Πασχάλης Τερζής - Άφησέ με μόνο - Afise me mono


修理中の船の名前がセサロニキ号
ギリシャに行ったことのある人なら必ず覚えている
あの空色に塗った金属製の3本足テーブル
安っぽいレッチーナのボトル
船を修理するドライドックで踊る男
という設定が気に入っています。

「男は泣かないなんて そんなの嘘だ
 5分で良いから ひとりにしてくれ 
 思い切り泣いたら 元通りさ
 泣いてるのを誰にも見られたくないんだ・・」

歌詞に深い意味はありません。

それにしてもブズーキ奏者に無理矢理(?)かぶらせた
帽子が似合わないこと

さて 本題ですが
ここで踊っている人はまるでバレー・ダンサーのようです。

ステージで踊るのに慣れた人でしょう。
うまいんだけど 味がない・・・

では、「踊る男2」のダンスと見比べて下さい。

(同じブログ内に2つの映像を並べる方法がわからなかったので分けました)




踊る男2

2008-11-08 | ギリシャ音楽
「踊る男1」を先に見て下さいね

Πασχάλης Τερζής - Μες στο παράπονό μου - Mes sto Parapono mou



歌詞やセリフがわからなくても 
ストーリーは誰にでも 読み取れるでしょう

病気でひとり暮らしの老人が 
別れを言うためにでしょうか
訪ねて行く先は

愛する娘と幼い孫 
歓迎してくれない義理の息子 
かつて愛した人

最後に 波止場でひとり踊るシーンが 
心に残ります。

ただ踊らずにはいられない。
誰のためでもなく
自分のために踊っているんでしょうね。




New Acropolis Museum

2008-11-07 | ギリシャから


KATHIMERINI 2008/11/06_____________________________________________

在ギリシャ バチカン大使Patrick Coveney氏は
パルテノン神殿の彫刻の一部を一年間の期限付きながら
New Acropolis Museum:新アクロポリス博物館へ
貸し出すことを発表した。

これは今年の1月に亡くなったギリシャ正教会の
クリストドゥロス大主教からローマ法王ベネディクト16世に
対する要請に基づく決定だ。

ギリシャの文化大臣Michalis Liapis氏はこれをきっかけに
最終的にはパルテノンのすべての彫刻がギリシャに返還
されることを望んでいると語った。

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という記事をみて そういえば
New Acropolis Museum:新アクロポリス博物館はいつ開館するのだろうと
調べてみましたが early 2009「2009年の始め」ということしか
わかりませんでした。「始め」は1月? 2月?
人によっては3月も始めだろうし、それってあまりに主観的!

確か最初の案としては2004年のオリンピックにあわせて
公開ということだったような・・・

その後 今年(2008年)春という話になり・・
今年の夏 アテネに行ったら まだ工事中で 
でも もうすぐ・・・という話でしたが 

まぁ 気長に待ちましょうか

ということで探してみると
youtubeに建設中の映像がいろいろありました。
これはオフィシャルだと思います。

ギリシャの建築で驚くのはやはり大理石の豊富さと美しさ
それを仕上げる男たちの腕!

ちょっと残念なのは新しい博物館に
コンクリートとガラスが多用されていること。

それにしても、
パルテノン神殿を建てた男たちはどんな風に働いていたのでしょう

最近の修復工事中、円柱の上の方で 
料理した鶏の骨の化石が見つかったという話を聞きました。

炭化具合から 数千年前のものだそうで、
パルテノン神殿の建築に携わっていた人が
持ってきたお弁当だった可能性が高いそうです。

ということは、工事現場で働いていた人の
奥さんかお母さんが作ったフライドチキン(?)
だったのか・・・いや いや
オレガノとレモン風味のチキン?

彼が お弁当を食べながら 円柱の上から見た
アテネの景色はどんな風だったのでしょう

などと 考えていると なんだか愉快になってきました。

New Acropolis Museum


映像の最後の方で クレーンに吊るされた青いコンテナを
たくさんの人たちが心配げに見上げているのは
中にカリアティッドが入っているからでしょうか。

「カリアティッドの引っ越し」についてのブログはこちら

公開している一階部分を訪問した詳しいリポートがkiyomulanさんのブログにあります。

映画『エル・グレコ』

2008-11-04 | ギリシャ映画
El Greco: The Movie (2007) trailer No.2


youtubeに映画『EL Greco:エル・グレコ』のトレーラー映像がありました。
ギリシャ語のサブタイトル!。ダンスのシーンが一瞬出てきますが、
クレタ島のダンスでしょうか?

ダウンロード購入できるようです。詳細はこちら
ギリシャ&スペイン共同製作 2007年公開 
監督はクレタ島出身のヤニス・スマラグディス

音楽は『炎のランナー』でアカデミー賞を受賞したヴァンゲリス
彼も本名エヴァンゲロス・オディセアス・パパサナシウ
Ευάγγελος Οδυσσέας Παπαθανασίουというギリシャ人です。

この数年フェルメールやゴヤなど画家を主人公にした映画が
よく製作されていますね。
『真珠の耳飾りの少女』は色彩と光線が素晴らしかった。

私はこの『エル・グレコ』を見てないんですが、
どなたか見られた方はおられますか?
これ以外にもyoutubeに映画『エル・グレコ』関連の
映像がたくさん見つかります。


「ギリシャ人」と呼ばれた画家

2008-11-03 | ギリシャから


エル・グレコ 『聖母戴冠』 ATHENS NEWS


ATHENS NEWS 2008/10/28___________________

アレクサンドロス・オナシス財団は、エル・グレコの手による名画
『聖母戴冠』をニューヨークのオークションで購入した。
落札額は公表されていない。

現在、National Gallerly:国立美術館で展示されているが
2年後に完成予定のOnasis House of Arts and Letters:オナシス記念館に収蔵される。

1541年クレタ島で生まれたエル・グレコは 
本名をドメニコス・セオトコプゥロス:
Δομήνικος Θεοτοκόπουλοςという。

青年時代にはイコンの画法を学び
イタリアでベネチア派の画法を習得
33歳でスペインのトレドに渡り
当時黄金期を迎えていたスペイン宮廷で重用される。

スペインの国力が衰えると彼の名声も歴史に埋もれるが
20世紀になって再評価される。

『聖母戴冠』は1603-1605年に画かれ
エル・グレコの死:1614年までスペインの彼の工房にあったが 
1913年オークションに突然現れるまでの経緯はよくわかっていない。

その後は世界中の美術収集家の手を経て 一時
フィリピンのマルコス大統領に所有されていたこともある。

____________________________
以上要約
元の記事はこちら

エル・グレコとはスペイン語で「ギリシャ人の男性」という意味です。
彼の名画は日本にもあり,ギリシャ風のネオクラシカル建築でも有名な
大原美術館(岡山県倉敷市)で『受胎告知』を見ることができます。

古代オリンピアで

2008-11-01 | ギリシャから
ギリシャ訪問の報告で書ききれなかったことをひとつ。

大好きなハリス・アレクシウのコンサートへ行くことも
実は今年の夏の私の大きな目的でした。
2年前 レスボス島のコンサートを1日違いで見逃してから
ず~っと この機会を待っていたのです。
彼女のHPにあるツアー・カレンダーで調べると私の滞在とコンサートのスケジュールが重なるのは
コルフ島、レフカダ島、古代オリンピアの3カ所でした。 

山火事の跡を実際にこの目で見たいと思っていたので、
迷わずペレポネソス半島にある古代オリンピアを選びました。
昨年の山火事から観光客が激減していると聞いてましたから、
行って少しでもお金を使ってあげようと思ったのです。

コンサート開始時間は夜9時だったのですが、アテネに住む友人と
ともに朝早く出ました。車で4時間ほどの道のりなので、
昼過ぎ出れば充分だけれど 古代オリンピアまでいって 
その遺跡と美術館を見逃す手はありません。


美術の教科書で見たでしょう?プラクシテレスのヘルメスがいました。


古代ギリシャ人と現代ギリシャ人 どっちも大柄!


ゼウスの神殿跡

美術館と遺跡を堪能し、広場のタベルナで早い夕食をとり 
日が暮れるのを待ちます。コンサートが開かれる古代劇場は
町からちょっと離れた 小さな集落にあります。
8時半頃村の中の細い道は大渋滞です。近隣の町村から観客が
詰めかけていました。 チケットは15ユーロでした。

おそらく5千人くらいの規模の野外円形劇場です。チケットは一種類、
席の指定なんかありません。小高い丘の頂上が入り口です。
急な石の階段を下りていって、なんとか空いている場所をみつけて座る。 
簡単なようですが、20分ほどの間に、5千人の人間が
入場してくることを想像して下さい。もし転んだりしたら大理石の
階段や座席で大けがをするでしょう。でも、中には杖をついた
お年寄り夫婦や赤ん坊連れた夫婦、妊娠した大きなお腹の女性もいました。

日本のコンサートでは 会場に多数のスタッフがいてロープを張って順路を
規制したり、入り口や使用する階段を指定されたりします。中に入ると、
ひっきりなしに「公演中は携帯の電源を切って下さい」だの
「スタッフの指示に従ってください」だの「公演中は席を立たないでください」
「・・・しないで下さい」ととてもうるさいですよね。
まるで 幼稚園の子供扱いです。

大人を自分では判断できない子供のように扱って 
黙々と従わせる日本のコンサートとは 空気感が全然違っていました。

オリンピアの野外古代劇場にいたのは ただ見を防ぐチケット切りの数人だけ。
広い会場のそこここで 席の取り合いから小競り合いが起こっていますが、
声を荒げるような人はいません。口論が始まると周囲の人が
「まあ、まあ」と取りなして なんとなくおさまります。
久しぶりにあった知人と挨拶を交わしたり、とてもリラックスした雰囲気です。

我先に押し合ったり、大げんかになったり、狭い階段で転倒するような
事故もなく(ホッ) 驚いたほどスムーズに劇場は満席になりました。
命令され、規則に縛られて行動するのではなく、状況を自分で判断し
大群集の中で行動できる人たちに感心しました。

注意する放送などもなく定刻を10分くらい遅れただけで
照明を二度ほどフラッシュさせたのを合図に
大歓声に迎えられ コンサートの始まりです。

コンサート中も泣き出す赤ん坊 人の前を横切る人 友人に手を振る人
携帯で話す人、もうやりたい放題ですが、気になりません。
何故 こんなに愉しいんだろうと自分でも不思議でした。

ギリシャの音楽は鑑賞するためではなく、楽しむためのものです。
野外に限らず、ギリシャのコンサートでは
観客があまりに大声で唄うので、歌手の声が聞こえないことがあるくらいです。

今回も 後ろの席のおじさんのダミ声を聞きにきた みたいだったのですが 
腹はたちません。私も負けずに大声で唄いましたから・・・

後半になると、お客さんが踊りだします。もう 皆が主人公状態。
この夜アレクシウは一番前にいた10歳くらいの少年が特に気に入ったようで
ステージに上げて2曲ほど一緒に唄いました。

月は既に傾き 美しいギリシャの夏の夜はふけて行きます。
暗い森に囲まれた円形の古代劇場は ステージからの照明に
照らされると観客がひとつになって楽しんでいるのがよくわかります。
それは、あたかも様々な人が仲良く暮らす・・
幸福な小さい天体のようでした。


古代オリンピアで唄うアレクシウ