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ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

ギリシャの時事ニュース、文学、映画、音楽がよくわかる
ギリシャの森林再生を支援する『百年の木の下で』の公式ブログです。

旅する音楽

2014-03-18 | ギリシャ音楽

ブログを続けていると、時折とても面白い発見があるものです。先月の事ですが、ルテナンさんという方が過去ブログ『歌の島のソロン』にコメントをくださいました。その内容がとても興味深いので、ここで皆さんに紹介したいと思います。

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「“ウスクダラ”の源流とその展開」というのが、私が長年追求しているテーマの一つです。
こう書くと大袈裟ですが、単なる興味本位の趣味。
暇なときにちょこちょこ検索しているだけです。(^_^;

2003年のドキュメンタリー映画「Whose is This Song ?(原題:Чия е тази песен?)」に
Solon Lekkas が登場していました。
昨年末、YouTubeに上がったのを観たのです。
トルコ、ギリシャ、アルバニア、ボスニア、マケドニア等々、同じメロディの歌が多数。
しかし、最もひっかかったのは Solon Lekkas 。
独特の節回しのみならず、「あれ?Apo Xeno Topo とは歌詞が違う!」と気になること、気になること。
とてもタダ者とは思えませんし ...。

前述の映画は、登場人物の人と成りや、各地でのこの歌の呼称さえ、ろくに語ってくれません。
そこでラテン字表記のキーワードで検索、さらに自動翻訳でズルして、読めない文字での検索 ...。
でも、けっきょくカタカナ表記「ソロン・レッカス」と入力して、最も納得の“和文”が得られようとは!
まさに“灯台下暗し”とはこのこと。
今年の10大ビックリのうちの一件は、早くも決定です。ありがたい事です。
お陰さまで得心いたしました。(^。^)

因みに、この映画の中のソロンの部分を抜き出した動画が、YouTubeに転がっていました。
これ、何度見ても良いし、愉快です。
(このブログのコメント上で、動画リンクが有効なのかどうか分かりませんが、貼っておきます)

『Solon Lekkas』
http://www.youtube.com/watch?v=3uDb2yXsCZI&hd=1 
ギリシャのことが知りたくなったら、またお邪魔したいと思います。(^_^)

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ウスクダラという曲を日本人の歌手で聴いたことがありましたが、ルテナンさんに指摘されるまで、日本の歌謡曲がレスボス島のソロンの唄うアマネとは結びつきませんでした。

『ÜSKÜDAR'A 』は1953年にアーサー・キットEartha Kitt が唄ってヒットしたので、1954年に日本では江利チエミさんがカバー曲として発売されたようです。

こちらには『18-19世紀のオスマン音楽』として取り上げてありますが、ルテナンさんによるとアルバニア、ボスニア、マケドニアにも同じ旋律があるそうですので、今後の研究の成果に期待したいと思います。

ルテナンさんなにか新しい発見があったら、ぜひ報告して下さいね。お待ちしています。

 

 


週末小旅行はいかが?

2012-05-22 | ギリシャ音楽

今週の土曜日、楽しい催しが企画されていますのでご案内します。

主催者さんによると、肩の凝らない、でも興味深い集まりになりそうですので、期待度高し。

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皆でつくる、皆で歌い躍る、
皆で楽しむミュージックパーティー「大倉山 音の旅」

2012年5月26日(土)
13:00開場~途中入退場自由~17:00頃まで 
東横線大倉山駅すぐ 地中海料理カヴァヌーラ4Fパーティールーム

横浜市港北区大倉山2-2-1(旧・太尾町392)ERUMU392ビル
お店そのものは2Fなのですが、パーティールームは4Fにあります。
お店に入らずに4Fまでお越し下さい。

(階段ですが頑張ってください!
足のお悪い方はご連絡ください、お手伝いします!)

会費¥3500(ビュッフェ)※飲み物の追加は別料金
遅れてご来場の際お料理が終了している場合は減額致します。


ギリシャ風の建物が並ぶ大倉山の商店街
アテネのそれと同じ名前「エルムゥ通り」。
ギリシャ語ΚΑΜΠΑΝΟΥΛΑカバヌーラ(カンパニュラ、ツリガネソウ)
の名を持つレストラン。
(なぜか公式表記はカヴァヌーラですが)

そんな場所で、縁のあるギリシャの音楽や踊りを楽しんでみたい、
その多様性に大きく影響しているお隣ブルガリアやトルコ、
周辺の国々の話題も入れながら
あまり馴染みの無い方々にも気軽に体感していただけるような
場を作りたい、ということで今回の企画に至りました。

楽器をお持ちの方には、演奏したくなったらご自由に始めてもらう。
音に反応して踊りたくなった人は、遠慮なく。
歌を覚えたくなったら、教えてもらって一緒に歌ってみる。
歌集をご購入くださった方は是非お持ちくださいね♪)
もちろん、見るだけ、聴くだけ、も自由。
緑濃くなる初夏の大倉山で、小さな異国の風を感じながら
思い思いにお過ごしいただければ幸いです。

途中でお散歩に退出されても構いません。
駅周辺の町並みや、大倉山記念館、梅林のある大倉山公園
などの散策も合わせてお楽しみください。


ご予約、お問い合せ kompania_ilios@yahoo.co.jp(担当:Hiraharaさん)


千年の旅びと

2012-03-25 | ギリシャ音楽

ギリシャを空から観ていただきました。美しいですね。もしも今夜見る夢をリクエストできるなら、私はぜひこれをお願いすることでしょう。

さて、これまで長年ギリシャに関わっている中でいろいろな質問をされます。「ギリシャ音楽ってどういうの?」という質問、これには困ります。なんと答えようかなぁと考えているうちに、「ア~そうそう、ギリシャと言えば『日曜はダメよ』ですよね!。それから『ゾルバのダンス』もね・・」などと追い討ちをかけられると、もう言葉に詰まってしまいます。

先の2曲はもちろん名曲ですし、世界的に「ギリシャ音楽」の存在を知らせた功績があるわけですが・・・どちらも1960年代のごく短い間に相次いでヒットした映画の挿入曲です。もし、あなたが外国の人に「日本音楽の代表的なのは?」と訊かれて、石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」と美空ひばりの「悲しき口笛」と答えますか?

昨年3月「百年の木の下で」とKompania ILIOSの有志により、ΤΡΑΓΟΥΔΙΑ ぎりしゃのうたという本を出版しました。その制作時に音源を探していると、同じ曲で異なった歌詞が多数存在したり、逆に同じ歌詞が違うメロディーで全く違う言語で唄われていたりします。そしてそういう場合往々にして コメント欄では「これは私の国の歌」「いや、僕の国の歌を君の国が盗んだ・・」などと、論争が激しく乱暴な言葉が書き込まれているのです。愛国心を否定するわけではありませんが、ちょっとお門違い。

音楽や歌は千年の旅びとです。例えば、どこかの小さな村でうまれた旋律が、畑を超え風に乗って隣の村へとどいたり、収穫祭で皆が唄って、歌詞が何番にも増え、その地域で手に入る楽器で演奏できるコードになり、踊りやすいようにリズムがアレンジされていったでしょう。遠くから嫁入りした若い母親が唄う子守唄が子どもを通して伝わって、新しい土地に根づいたりもしたでしょう。録音器やラジオが登場するまで、その旅人の歩くスピードはとてもゆっくりしていたはずですが、休む事なくどこまでも歌の旅は続きます。

新しい命の誕生をことほぎ、季節の移ろいに色を染め替え、戦火の中をくぐり、心に芽生えた愛を育み、その喪失を痛み、国は栄え、そして滅び、海を越え、谷を渡り、亡き人を慟哭し、家族の繁栄と豊穣を祈り、音楽と歌は旅をしてきました。

歌は旅人ですが、そのパスポートに国籍の欄はありません。

ギリシャ音楽は現在の国境で囲まれた地域だけで生きているのではなく、大まかにいってもエーゲ海の東ではトルコのアナトリアの雰囲気をたたえてアジア大陸へ繋がり、北部ではバルカン半島の尾根へ、イオニア海側では太陽の溢れるイタリアの南ヨーロッパ、地中海文化圏へ繋がっているのです。

さて、その旅を具体的に体感していただくチャンスがあります。

5月26日土曜日、横浜の大倉山で新しい試みのパーティーが催されます。国境にとらわれない旅人としての音楽や歌を楽しもうという企画です。みなさまのご参加をお待ち申し上げます。

詳細はこちら

「大倉山 音の旅」 パーティーのご案内

 


ビートルズが唄うテオドラキス

2012-03-11 | ギリシャ音楽

以前 エディット/ピアフが唄う ΜΙΚΙΣ ΘΕΟΔΩΡΑΚΙΣ ミキス・テオドラキスを紹介しましたが、ビートルズがテオドラキスをカヴァーしていたとは知りませんでした。

ビートルズはこの曲を1963年にBBCの番組中で演奏したということで、英語のタイトルは "Honeymoon Song"

 

そのギリシャ語版のオリジナルはこちら、

ΑΝ ΘΥΜΗΘΕΙΣ Τ'ΟΝΕΙΡΟ ΜΟΥ ”もし、あなたが私の夢を覚えてくれているなら”

作詞はNΙΚΟΣ ΓΚΑΤΣΟΣ ニコス・ガツォスです。

半世紀も前の曲なのに、新鮮な感じがします。

このころのギリシャについて調べてみると、第二次世界大戦の終戦から10年たった1964年、ギリシャでは国民の平均所得は一挙に約4倍になったのだそうです。そういえば、同じ頃に日本も昭和30年代の高度成長期だったのでしたね。

関連記事

ピアフが唄うテオドラキス 2009/06/06

 


300年

2012-02-13 | ギリシャ音楽

DALARAS-KONIORDOU "EROTOKRITOS" (MEGARO MOUSIKHS 1994)

300年というのは長いようですが、ギリシャの歴史全体から言うとそれほど昔でもありません。

ここで「エロトクリトス」を紹介したいと以前から思っていたのですが、ようやく気に入ったものが見つかりました。

30年ほど前にミティリーニの市立劇場でこのような朗読と音楽をみました。その時初めてエロトクリトスを知った訳ですが、ギリシャが日本で考えていた「西欧」ではないことを肌で感じ取った記憶があります。

この映像では珍しくダララスがクレタのリラを弾いてます。部屋を暗くして蝋燭を灯して繰り返し聴いていると、ギリシャの永遠の時間の流れに小船を浮かべて遊んでいるような気がします。

さて、「エロトクリトス」ではエロトクリトスという青年とアテネの王の娘アレティの恋が中心に語られるのですが、「語る」とここにわざわざ断ったのは古代もビザンチン時代もそして今も、ギリシャの詩は吟じて聴かせるもの、覚えて口ずさんで聴かせて楽しむものだからです。

この映像のパフォーマンスはビザンチンの雰囲気を良く伝えていると思います。そして、耳のいい方は気がつかれるかと思いますが、「現代ギリシャ標準語」にはないチェ、ジェの音がふんだんに出てきます。それはエロトクリトスが300年前のクレタの口語(話し言葉)を使って作られたからです。

1行15音節で2行ずつがペアになって韻を踏みます。これは日本の歌舞伎の台詞が5・7・5で語られるのにちょっと似ています。

エロトクリトスの作者ヴィキンティオス(ビンチェント)コルナロスは1553年にクレタ島で生まれ、1617年に没していますが、イギリスでは全く同じ時期にシェイクスピア(1564年生ー1616年没)が活躍します。東洋の端っこの日本ではそれにほんの少し遅れて歌舞伎が産声をあげるというもの大変興味深いことです。 

遠く離れた文化圏、言語圏で同時進行的に文化が成熟していくというのにはなにか理由があるのでしょうか?

もうひとつエロトクリトスの素晴しいところは300年を経た今も歌い継がれ、庶民が普段に口ずさんで愉しむものであることです。

次の映像を見るとそれがよくわかります。出演者たちは皆歌詞を暗記しているようです。

エロトクリトスの音楽は誰が作曲したのか不明なのですが、その伝統と15音節の詩の作り方がそのままパラドシアカと呼ばれる民謡に繋がり、人びとの心に根付き再び芽吹く時を待って、ソロモスやセフェリスなどの近代詩人が生まれ出てきたり、ライカといわれる歌謡になったりしたのだと私は考えます。

 (途中「エロトクリトス」から作詞:アコス・ダスカロプゥロス 作曲:マノス・リツォスの「キアン・タ・マティア・スゥ」に変わります)

 


ギリシャのうた

2011-06-18 | ギリシャ音楽

ΤΡΑΓΟΥΔΙΑ『ギリシャのうた』 GREEK SONG BOOK

3月13日に行う予定だったライブにあわせて「ΤΡΑΓΟΥΔΙΑ:ギリシャのうた」という本を準備してありました。

日本で、楽譜付きで、ギリシャの伝統曲(パラドシアカ)の歌集が出されたのはおそらく初めての事ではないかと思います。

表紙はオリジナルのデザインを1枚ずつアート紙に刷り上げた版画で、初版は限定100冊です。

この曲「ミロ・ムゥ・コキノ」を含む12曲を収めた愛蔵版書籍です。12曲それぞれにオリジナルのギリシャ語の歌詞(マケドニア地方やキプロスの方言を含みます)と楽譜、日本語の翻訳がついています。うたの地図やギリシャ音楽にまつわるエッセイも興味深いかと思います。全47頁。1500円。

この本にはカタカナやローマ字表記をあえて取り上げていません。今やYoutubeなどで現地の音源をいくらでも聴く事ができますから、ローマ字やカタカナで読んだ先入観を持たない方が良いと考えるのです。

上の映像の曲は私とKompania ILIOSのおふたり、曲を知っているけれど実際に唄うのは初めての方と私の4人でカラオケルームでの練習がてら実際に唄ってみた録音です。ギリシャの伝統曲は肩の凝らない日本の民謡のようなもの、皆さんにもぜひ唄って頂きたいと思います。楽しいですよ!

8月7日のギリシャ音楽ライブ『イリオス日和』会場でも販売する予定ですが、当日会場に来られない方、遠方の方には郵送もできますので、お手数ですがKompania ILIOSまでお申し込み下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


笑顔

2011-06-09 | ギリシャ音楽

Na mai kala - Haris Alexiou

 

ハリス・アレクシウは優れた歌手であるだけでなくて、

70を超える曲を書いてもいます。

最近の彼女が作詞作曲したなかで特に好きなのがこれです。

タイトルは ΝΑ ΜΑΙ ΚΑΛΑ

好きになったのはこのビデオを観てからです。

 

”笑うことは愛、笑うことは生きること”というテロップで

始まるこのビデオが気に入っている理由はその登場人物たち。

トラックドライバー、ライキ市場のお肉屋さん、

街角のキオスクの人、カフェのウエイター、

何十年も同じ背広を売っているような店の年齢不詳の老人、

ティシオ公園で物を売っているアフリカ系の人たち。

そして、おびただしい数の壁の落書き、おしゃれな

エルムー通りの真ん中にぽつんと取り残された11世紀の教会、

アトラクションの乗り物が古い、懐かしい夜の遊園地などとともに

アテネの日常の生活感がとてもうまくとらえられているからです。

観光局の写真に出てこない素顔のアテネ。

 

”私が元気でいられますように

あなたが元気でいますように

私があなたを愛せる為に。”

 

「あなたが笑顔でいますように!」

皆さんへアレクシウと私からのメッセージです。

 



母の日

2011-05-08 | ギリシャ音楽

Χάρις Αλεξίου - Μανούλα μου

世界中のお母さんへ

ハリス・アレクシウが唄う”マヌーラ・ムゥ”

作曲 マノス・ハジダキス

作詞 ヤコボ・カバネリ

ギリシャ語で「お母さん」はマナ

ΜΑΝΑですが、マヌーラ:MAΝΟΥΛΑは親しみを込めた呼び方でいってみれば「お母ちゃん」です。

ギリシャには「マヌーラ・ムゥ」というタイトルの歌がたくさんあるのですが、

2008年の母の日に紹介した「ギリシャ版おふくろさんの歌」とは別の歌です。

母を泣かせてしまったのを後悔する子の心情を唄う『私のお母ちゃん』

二番の歌詞に「ふたつぶの涙に 42回のため息」という一節がでてきます。

40というのはギリシャの歌につきものの数で「多い」という意味です。

お母さんはため息をつき涙を流しています。いったいなにがあったのでしょうか。

 

関連ブログ

マノス・ハジダキスのドキュメンタリ

今だから・・・ハジダキス

 

 

 

 

 


エヴィアの歌と踊り

2010-11-28 | ギリシャ音楽

ΓΑΡΥΦΑΛΛΑΚΙ ΜΟΥ カーネーションのつぼみ

 

Πες μου Γαρουφαλάτσι μου / Kύμη, Εύβοια - 2008.12.14


ごく最近エヴィアに住む友人ができました。伝統音楽に詳しい方で、現在ギリシャのパラドシアカ:伝統の歌を翻訳している私のさまざまな質問に、いつもていねいに答えて下さいます。

ご自分の住むエヴィアの伝統的な歌で好きなものはという質問に返ってきた答えがこのふたつの映像でした。

私はダンスには詳しくないのですが、これまで知っていたギリシャのダンスとちょっと違うような気がします。ペアになって踊っているのも珍しいのではないかと思います。

それと西洋音階では表現きれないような微妙な音程がとても美しく哀しげにこころに響きます。

ギリシャは地理的には小さな国なのに、その文化や言語の多様さにはいつも圧倒されてばかりいます。

 

Εύβοιαエヴィアを大きな地図で見る

 


海峡の「嵐」

2010-10-28 | ギリシャ音楽
orhan osman seni alırsa fırtına



上の映像でトルコ語で唄われている歌はseni alirsa firtina「あなたが嵐にさらわれたら」。firtinaはトルコ語の「嵐」ですが。実はギリシャ語の「嵐」furtunaから来ています。

トルコ語の海に関する言葉のほとんどがギリシャ語起源。たとえば「港」liman_リマンも、もちろんギリシャ語のΛιμάνι_リマニからきています。内陸にある中央アジアの民だった彼らは海とギリシャ人に同時に出会ったのでしょう。

さて、下の映像はオリジナルのΣτο πα και στο ξαναλεω sto pa kai sto ksanaleo 親が子どもに注意する時よく使う決まり文句です。意味は「何度も同じ事をいわせないで」 Τζιβαέρι μου「私の宝石」に並び、私の好きなもうひとつのパラドシアカ。もともとは子守唄ではないかと思いますが、一音節の中で音程がゆらゆらと揺らぎながら進むところがたまらず好きです。

これはメリスマ唱法といって、グレゴリオ聖歌やビザンチン聖歌に由来するという説もあります。教会の聖堂のドーム屋根に響かせ、人びとに宗教的陶酔をもたらしたと言われています。

目を閉じダララスの声に耳を澄ますと、自分が時という流れを遡上していく、小さな魚になったような思いがします。そして、この歌がギリシャという国の歌でもトルコという国の歌でもない、小アジアの歌であることに思いは至ります。

レスボス島を含む東北エーゲ海とドデカニサ諸島からトルコの岸まではほんの4、5キロの距離。両サイドに住む人たちにとって海峡は彼らを隔てるものではなく、お互いを繋ぐ絆でした。ふたつの国が国家主義、民族主義、領土問題で激しく対立し、戦闘が起こっている間も。

レスボスの冬、海が荒れるとトルコの漁船が港に避難してきたものです。街の人も警察も見ぬふりをしていました。レスボスの漁師たちも同じようにトルコの港に避難しているかもしれないのですから・・・。

ふたつの映像で同じ曲を両サイドの人たちがそれぞれの言葉で唄い、同じように喝采をしています。

国境は国家間の都合で作られ、武力行使でしばしば移動するもの。そこに物理的に存在しているわけではなく、私たちの考えの中にすり込みとして描かれている線であることを忘れてはいけないと、この歌は教えてくれているような気がします。




歌詞の日本語訳はstixoisに移動しました。



私の宝石

2010-10-15 | ギリシャ音楽


最近ちょっとしたきっかけからΠαραδοσιακά_パラドシアカといわれるギリシャの伝統的な歌曲を改めて聴いたり翻訳したりしていました。

ひとくちにパラドシアカといってもマケドニア地方や東エーゲ海地域、小アジア地域など、その地方ならではの特色のある歌やダンス曲がたくさんあります。現在のギリシャ語のもとは近代国家としてのギリシャ誕生と時を同じくして、アティカ地方の口語方言が「現代ギリシャ語」とされたという背景があります。ところがパラドシアカの歌詞には土地土地で話されていた言葉がちりばめられているので難解なものが多いのです。でも、それだからこそ地方ごとの歴史や多民族性を象徴していて興味が尽きません。

さて中でも好きなのがこの曲です。Τζιβαέρι μου_ジィバエリ・ムゥは小アジアの古い曲で、ギリシャ語の語源辞典で調べるとΤζιβαέριの語源はトルコ語の古語で宝石 cevahirが起源のようです。

ギリシャ語の古歌によくある男女の愛ではなく、異国へ送り出した息子を思う母親の歌です。お母さんの気持ちがよく分かって、とても切なくなります。こういう歌を唄わせたら、並ぶ人がいないΠασχάλης Τερζής パスハリス・テルジースの歌声でお聞き下さい。古歌はどれもそうなのですが、世代を超えて歌い継がれて行くうちに変化し、これ以外にも様々な歌詞のバリエーションが存在しています。

ジィバエリ・ムゥ 私の宝石 の歌詞はStixoisに移動しました。





今だから・・ハジダキス

2010-09-05 | ギリシャ音楽



現代ギリシャの音楽に大きな影響を与えた2人の音楽家ミキス・テオドラキスとマノス・ハジダキス。

テオドラキスが「その男ゾルバ」の主題曲を、ハジダキスが「日曜はダメよ」の主題歌を作曲したことで、日本でも彼らの名は知られています。

テオドラキスの曲は政治的メッセージ性が強く、軍事政権下で自由に焦がれるギリシャの若者たちに愛されました。その時代の残り香を愛し、すなわち、それがギリシャを愛する理由になった私は、これまでず~っと頑固なテオドラキス派でした。

一方のハジダキスの曲は美しいけれど甘く感傷的で、そのころ世界中を席巻していた「ハリウッド的な夢」をちりばめたようで商業的すぎると思っていました。

ところが、ごく最近、とても若い人からハジダキスの歌曲をカバーしたCDを貸してもらって、ちょうどその頃出かけた瀬戸内海セーリング中によく聞きました。

長い一日の航海を終え、日が沈んで行くころあいに島に近づいて行きます。無事ヨットを係留し、日暮れて涼しい風が吹く堤防で、ビールやワインを飲みながら金星や月が登る場所でハジダキスを聴くと、これまでとすっかり違う印象を持ちました。

「夏の夕方、海辺のハジダキス」は私の彼に対する30年の評価をスッカリ変えてしまったのですから音楽とは不思議です。

さて、最初の映像は1955年映画「ステラ」でハジダキスの代表曲 "Agapi pou gines dikopo Maxairi"を歌うメリナ・メルクーリ。彼女の映画の中でも最初の頃です。

さて、メルクーリの歌唱力というのもとても不思議で、うまいのかへたなのかよくわかりません。そういう評価が及ばない魅力があるということかも・・。

下の映像は1989年に同じ歌を唄う彼女。メリナでなければこういう唄い方はできません。ダララスがギターで伴奏しています。






アレクシウとこどもたち

2010-06-17 | ギリシャ音楽



レスボス島カロニでのコンサート2009/7/29
途中でアレクシウがマイクを向け唄う人がこの曲の作詞家レフテリス・パパドプウロス、引退後レスボス島のモリボスに住んでいます。

昨年はレスボス島のカロニで、一昨年は古代オリンピアで、アレクシウのコンサートに行きました。

彼女についてはもう何度も取り上げましたがコンサートの楽しさ、自由なリラックスした雰囲気で彼女に勝る人はそれほどいないと思います。

年代も様々なお客さんの中に7歳から12歳くらいの子どものグループがたくさん来ていました。

古代オリンピアは15ユーロ、カロニは20ユーロとチケット代は日本では考えられないくらい安いのですが、小さい子たちがそんなにお金をはらえるわけがないと思い、ひとりの女の子に聞いてみると、ただで入れてくれたといいます。

カロニの会場はサッカーの競技場にプラスチックのイスを並べただけなのですが
ステージと最初の席までが5メートルくらい離れています。

そこに子どもを入れてステージにかじり付きで見させていました。日本だと警備員さんに追い払われますよね。そういえば彼女のコンサートには警備員というのが見当たらないのです。

時には気に入った子どもをステージに上げて一緒に唄ったりします。オリンピアの古代劇場もステージ前は子どもらで溢れていました。

そして彼女はステージの端ぎりぎりまで出てきて前にいる子どもたちとひとりひとり握手をするので、引っ張られて落ちるのではと心配になるほど・・

多くの子どもたちが皆彼女歌の歌詞を空で覚えていて、私の隣にいた7、8歳の子が「今夜、私は飲まずにはいられない・・」と一緒に唄うのは可愛いくもあり、とてもおかしいのでした。

あぁこうして子どもたちはアレクシウのファンになり、大人になっても彼女の歌を聴きつづけるということなのだ、だからお客さんが全員一緒に唄えるのだなぁと、カロニの月の下で感動したのでした。

コンサートが終わったのは真夜中を過ぎていましたが、親は見当たらなかったし、コンサート後子どもたちだけでグループになって帰っていったので、やはりみんな無料で入れて貰ったのでしょう。都会のアテネでは、こういうわけにはいかないのだろうと思います。

さて、今年はなぜかコンサートのスケジュールが公式WEBサイトに出ていないのですが、またどこかで彼女と、ファンクラブ(?)の子どもらに会えるでしょうか?楽しみです。

よく見たら、私が画面の端にちらっと写っていました。私をよく知っている人だと見つけられるかも・・子どものふりして握手もしてもらいました。

この記事に関連する過去ブログ
「ハルーラ歌の力」
「古代オリンピアで」
「海の声を持つ人」


歌の島のソロン

2010-05-02 | ギリシャ音楽



彼の名はソロン・レッカス、ΣΟΛΩΝ ΛΕΚΚΑΣ 、音楽界ではレスボスのソロンで知られています。

レスボス島では紀元前からアテナイとは異なる言語アイオリア語を使っていました。アルカイオスもサッポーもこの言葉で、詩を作り唄っていましたが、今もレスボスの方言はアッティカとは異なり、特に山深い村のアヤソスや陸路がなかった海辺のプロマリでは 独自の言語と詩(歌)が細々と生き延びています。

ソロン・レッカスは生きる文化財ともいうべき人で、島に伝わる古いアマネス(アマン:アーメン)の歌い手です。アマネスは人々が喪失の痛みを歌って癒す伝統の哀歌で、彼の「ペルガモス」はことに秀逸と言われています。



レスボスから数キロの海を挟む、現在はトルコになっているふるさとアイバリへの郷愁を詩うこの曲を唄えるのは、今ではソロンだけで、彼が亡くなったら唄える人はいません。

35年前には普通だった黒いだぶだぶズボンに立派なヒゲを蓄えた彼のような男性も今ではほとんど見かけなくなってしまいました。

昨年夏、私を招待してくれたモリボスのアート・フェスティバルにソロンも出演していたので、久しぶりに唄声を聞きましたが、つややかな高音は今も健在でした。長生きしてくれることを祈ります。

最初の画像はERT3テレビで放映された特集”ΤΟ ΑΧ ΚΑΙ ΤΟ ΑΜΑΝ”でyoutube上にあり、4本に別れています。
ΤΟ ΑΧ ΚΑΙ ΤΟ ΑΜΑΝpart2
ΤΟ ΑΧ ΚΑΙ ΤΟ ΑΜΑΝpart3
ΤΟ ΑΧ ΚΑΙ ΤΟ ΑΜΑΝpart4

part3にはアヤソス村のお年寄りらが両親から聴いたアマネスを唄い、ソロンが見事な伝統のダンスを踊ってみせ、part4ではソロンがアマネスの曲の構成や唄い方のテクニックを語っています。アテネ地方のギリシャ語に慣れている方の耳には少し聞き取りにくいかもしれません。

関連映像にマルコス・バンバカリスのアマネスΑμανες - Μαρκος Βαμβακαρης もあります。アマネはゼイベキコの一種と考えられているようですが、サントゥーリやウードが入るのがレスボスの特徴です。

レスボスのアマネには楽譜はなく、歌い手が哀しみを言葉にして唄い始め、楽器がそれについて行きます。詩poetryと歌songが同じ意味を持つレスボスならではの伝統なのかもしれません。


ゾルバとミキス

2010-04-14 | ギリシャ音楽



ここにあるお宝映像は2000年ミュンヘンでのコンサ-トで再会したミキス・テオドラキスとゾルバことアンソニー・クインです。

この曲を作曲したミキス・テオドラキスと踊るために250マイルも(400km)離れたウィーンから駆けつけてきたのだと、クインはミキス・テオドラキスにいっています。

しかし舞台の上でクインのステップはもどかしいのです。なにしろ映画「その男ゾルバ」の撮影から40年以上たっているのですから。

そして、この曲の特徴でもあるテンポがはやくなる後半には、クインのステップはフラメンコみたいになってしまっています。

それでも素晴しいのは、つれられたテオドラキスが、たまらずに指揮台から降りてきてクインと同じように踊るところです。ふたりとも嬉しくて楽しくて、踊らずにはいられなかったのでしょう。

映画ではなくてカザンザキスの「その男ゾルバ」の中で、ゾルバが言葉の通じない男と知合いになり、言葉が詰まると考えを踊って見せるという下りを想いださせます。

踊りの原初とは、なによりも楽しむため、喜びを表すためなのだというのを、ふたりの偉大な人物がここに体現してみせてくれています。

オーケストラの人たちもみんな笑顔になっています。
いいなぁ、この場に居合わせたひとたち。うらやましい。

アンソニー・クインはこの動画の翌年、2001年に亡くなってしまいましたが、そんなこと信じられないくらい、元気です。

おまけ:クインが一生懸命思い出そうとしていた映画「その男ゾルバ」のダンスシーン