ギリシャへ そして ギリシャから From Greece & To Greece

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シンタグマ広場で結婚式?

2011-05-29 | ギリシャから

元の記事ekathimerini.com , Friday May 27, 2011 

25日からアテネのシンタグマ広場には

パパンドレウ首相の厳しい緊縮政策に反対する数千人の人たちが集まっていました。

プロテストが始まって3日目の写真がこれです。

 

周りの人たちがみんな拍手して新婚のふたりを祝福しています。

群衆の中で結婚式を挙げたカップルがいたのか

それともたまたま(?)通りかかったのか

KATHIMERINIの元の記事には

このふたりに関して何も情報がでていないのです。

とても良い写真なのですけれど・・

 

まぁ、3日続けてのデモンストレーションも、

そこの中で結婚する人も

その写真だけ出して説明をしない新聞も

それもこれもひっくるめてが

ギリシャらしいということなのかもしれません。

 

 


海から

2011-05-24 | 管理人のひとり言

朝早い海は青く輝いていました。

島影からモーターボートが

この辺りは流れの速い海峡です。

たくさんのイルカが群れて漁をしていました。

ヨットの操縦に手を塞がれてチャンスを逃し・・

残念ながら写ってませんね。

島の港には漁船がいっぱい

さっそく島の猫さんが挨拶にやってきます。

島の山にはオレンジの花が咲き乱れ甘い香りを放っています。

さてここはどこだと思いますか?

 

エーゲ海・・・ではなくて瀬戸内海です。 

正しくは伊予灘から速水の瀬戸を通って豊後水道へ抜けたあたりの海と島です。

港は大分県津久見市の保戸島、甘夏の花はそのすぐ南にある大入島のものです。

 

保戸島は明治時代からの遠洋漁業の基地で、

昔は島の男の子は中学を卒業するとみな船乗りになって、

はるか遠い海で漁をする海の男になったものだそうです。

そんな歴史もギリシャと共通するところがあります。

島には平地がほとんどなく、山の上に向かって

四角い小さな住宅がひしめきあっていて

その間を細い階段が上へ上へと続いています。

ギリシャとよく似ているでしょう?

ただし、

ギリシャのようにロバはいないので、

ここでは人間が

背中に背負ったカゴで荷物を運ぶのです。

 


入場無料でした

2011-05-19 | ギリシャから

 

5月18日、ギリシャ国内の46の美術館、博物館、遺跡などの入場料が無料になりました。

その理由は私の誕生日を記念して・・・というわけではなく、1977年に制定された「国際美術館の日」だったのだそうです。日本ではどうだったのでしょう?

そういえばお店などでも誕生日だと割引してくれたりするところがありますね。日本の美術館も無料にしてくれないかしら。


エーゲ海の夏

2011-05-11 | ギリシャ映画

Nicostratos and a great kid in Pagotodrama .Filmed & edited by AZ Cabanis.

よくコメントをくださるkyotakabaさんに教えていただきました。ギリシャの島を舞台にした「エーゲ海の夏」という映画のメイキング映像。制作したのはフランスの会社のようです。ギリシャのバカンスは今もフランス人のあこがれなのかしら?

タイトルの「Nicostratos:ニコストラトス」はこの子どもではなくてペリカンの名前です。Pagotodramaというタイトルがいいですね。pagotoはアイスクリームのことです。「アイスクリーム・ドラマ」あるいは「アイスクリーム・事件」と訳せるかもしれません。

子どもよりも、ペリカンの方が演技が達者です。それにこの子はかなりのおデブちゃん、「もうこれ以上アイスを食べない方がいいよ」というニコストラトスの思いやり(?)かもしれません。

もうひとつの映像ではたくさんの僧侶が僧服で踊っています。ギリシャ正教の僧侶が踊るところを、私は実際に見たことがありません。ちょっと不思議な光景です。

 

 


母の日

2011-05-08 | ギリシャ音楽

Χάρις Αλεξίου - Μανούλα μου

世界中のお母さんへ

ハリス・アレクシウが唄う”マヌーラ・ムゥ”

作曲 マノス・ハジダキス

作詞 ヤコボ・カバネリ

ギリシャ語で「お母さん」はマナ

ΜΑΝΑですが、マヌーラ:MAΝΟΥΛΑは親しみを込めた呼び方でいってみれば「お母ちゃん」です。

ギリシャには「マヌーラ・ムゥ」というタイトルの歌がたくさんあるのですが、

2008年の母の日に紹介した「ギリシャ版おふくろさんの歌」とは別の歌です。

母を泣かせてしまったのを後悔する子の心情を唄う『私のお母ちゃん』

二番の歌詞に「ふたつぶの涙に 42回のため息」という一節がでてきます。

40というのはギリシャの歌につきものの数で「多い」という意味です。

お母さんはため息をつき涙を流しています。いったいなにがあったのでしょうか。

 

関連ブログ

マノス・ハジダキスのドキュメンタリ

今だから・・・ハジダキス

 

 

 

 

 


自然エネルギー

2011-05-06 | ギリシャから

 

地震と津波で沈んだアトランティス大陸の所在地ともいわれるギリシャは地震が頻繁に起きる場所です。幸いにも原子力発電所はひとつもありません。

これまで多くの島が火力発電に頼ってきました。レスボス島に住んでいた頃、冬から春にかけて強風が続くと重油を運ぶタンカーが来られなくなって、停電が起きたものでした。

問題は大多数の家庭で、電気オーブンとコンロが調理用に備えられていることで、私の住んでいる家もそうでした。昼ご飯にスパゲティーを食べようとミートソースを作り、さてパスタを茹でようと鍋に放り込んだとたんに停電...パスタは湯の中でご臨終、、、しかたなく炭火焼きのスブラキ屋さんへ食事に行くというような経験が何度もありました。

そう、昼ご飯を自宅で食べる習慣のギリシャでは電力消費のピークが12~13時頃に訪れるのです。家ではそれくらいの被害ですが、お肉屋さんや、アイスクリームを売っているスタンドなどでは電力公社を相手に訴訟も起きていました。

このたびの原発の事故を教訓として、日本でもやっと風力発電が注目され始めました。

ギリシャは自然エネルギーに恵まれた国、特に風力発電に関しては先進国でした。伝統的な風車は小麦を挽いていました。そして実際の役目を終えたギリシャの風車ですが、その景観が今や観光のシンボルとなって活躍しています。

さて、今年になってギリシャでは風力発電所の建設が続々と発表されています。今年度の第二四半期にイドラ島のすぐ近くにある無人島に23基の風車を有する発電所を建設し観光地イドラへ210万ワットの電力を供給する計画です。建設を手がけるのはイタリアの会社で費用は1憶5千万ユーロ。

また、これとは別にギリシャの電力公社DEHが中国の会社と共同出資で200−300万キロワットを生産できる発電所を建設する契約に合意したと発表しました。元の記事

日本も早く太陽や風などの自然エネルギーに切り替えられることを願ってやみません。

photo from: alternative-energy-action-now.com


5月

2011-05-01 | Lesvos

loANTISSA LESVOS 2009

ギリシャの5月の日差しはもうすっかり夏です。観光客の多いところは建物の漆喰を白く塗り直したり、窓やバルコニーを青く塗ったり、夏のシーズン前の準備に忙しくなります。ガイドブックに出てこない、観光客があまり来ない、美しい街や村がギリシャには何千と、いえ、数えきれないほどあります。そして、それこそがギリシャの魅力なのだと私は考えています。

そういう村のひとつ、レスボス島のアンティッサ村の美しいビデオをお楽しみください。

神話の時代、太陽の息子Makarasは父親にレスボス島を与えられ王となります。そして自分の5人の娘、Mytilini(ミティリーニ)、 Issa(イッサ)、Antissa(アンティッサ)、Mithymna(ミティムナ) Avrisi(アヴリシ)とErressos (エレソス)という息子の名前をつけた街を築いたと言われています。

レスボスの村や街ではそれぞれが独特の美しい建築様式を楽しむ事ができます。首都ミティリーニにはネオクラシックの華麗な邸宅が保存され、今も政府関係の建物やホテルなどに使われています。

ミティムナにはオスマン帝国のパシャが築いたトルコ風の建築が残っています。一方アンティッサやエレソスにはこのビデオに出てくるような、石作りの古い家々が多く残されています。

大きな石を積み上げた家の壁は厚さが50センチ以上もあります。

夏の暑さと冬の寒さを防ぐために窓は小さくて、そのかわりに夏はほとんどの時間を葡萄棚で日陰を作った中庭やベランダで過ごします。

集落の中の道は人やロバの為に作られたので、自動車では通れないくらい道幅が細いくて、迷路のように続いていくのですが、迷子になるのを気にしないで歩き続けると、必ず大きなプラタナスの木が枝を広げる広場:プラティアに出られるようになっています。さて、広場のカフェでひとやすみしましょうか。

みなさま、良い5月を! カロ・ミナ!