Επεισόδια Αθήνα 08/12/2008
12月8日19:30ー40のシンタグマ広場から生中継映像 ΣΚΑΪ
この数日 息をのんで 刻々と伝わるニュースや
インターネットの映像を見ていました。
6日の夜 少年が警官に撃たれて死亡したことから始まりました。
ネットで呼びかけられた 抗議のデモ隊の衝突が
商店の襲撃 放火 略奪へとエスカレートし コロナキから
エルムー通りの高級な商店街の130店以上が被害を受けました。
事態はまだ収束に向かっているとは言えません。
この出来事をどう受け止めれば良いのか、私の気持ちは複雑で混乱しています
前のブログで74年12月6~8日アテネの様子を書こうとしていた
ところでした。
実は74年12月6日のアテネも大混乱の中にありました。
その年の7月 キプロスの半分を失うという大きな代償を払いながらも
独裁軍事政権がついに崩壊し 11月にはコンスタンティノス・カラマンリス
(なんという偶然でしょう、現首相の叔父です)率いる民主主義政権が誕生し
王制を維持するか、それとも共和制をとるかという
国政を決定する国民投票を2日後に控えていたからです。
アテネの街の広場は政治ビラの紙に覆われ、まるで雪が降ったように白くなり
建物のいたるところに 王制を拒否するOXIという文字が書きなぐられ
そこここでちいさなグループ同士が今にも殴り合わんばかりの議論を繰り広げ
ていました。シンタグマの交差点でバスを停止させ屋根によじ上って
叫んでいた人たちもいました。
私の記憶の中で ギリシャは常に政治が揺れている国で
最近が例外的に平穏であったのだという気がします。
大騒ぎをしないと変わらない。変われないギリシャ。
それは みんなで変えていけるギリシャということであり、
きっかけを作るのはいつも若者でした。
73年には軍事政権に反対する学生のデモ隊が大学を占拠。
そこへ軍が戦車まで動員して鎮圧。この衝突で多くの若者が亡くなったことを
引き金に74年にゲオルゲス・パパドプーロスが失脚して軍事政権が倒れます。
80年代の「敵」はアメリカでした。
国内の米軍基地に反対する巨大なデモ隊に巻き込まれて
オモニア広場で数時間立ち往生したことも、付近の催涙ガスのために
シンタグマのホテルから出られなくなったこともありました。
それでも私は怖いと思ったことはありませんでした。
「独裁者」「軍事政権」「アメリカ帝国主義」戦う相手は明確でした。
皆が求めていたのは「民主主義」や「自由」という誰にもわかりやすい対象でした。
しかし、それらを勝ち取り 30年を経た今
若者をこれほど怒らせているのはなんなのでしょう。
「ユーロ導入後の行き過ぎたインフレ」「社会保障制度の悪化」
「学生の意見とは相容れない大学改革」「現カラマンリス政権の規制緩和により生まれ拡大した格差」
これらは人間の不満や怒りという負のエネルギーを餌に急速に
成長する「社会不安」という名のモンスターです。
閉塞感に息が詰まり怒りを爆発させる若者たちの目にも
攻撃するべき相手の姿ははっきりとは見えていないのではないでしょうか。
インターネットにある73年の学生デモの映像と
現在のデモ隊の映像を見比べていると
強いデジャブ・既視感に襲われます。
そしてそこにある 大きな違いに気づくのです。
長くなってしまったので、その違いについては次のブログで
書くことにしましょう。