悪いこと
嫌なこと
狡いこと
そういったことをされると
辛い
それをしたひとが
得してたり
いい気分になっていたりしたら
なおさら だ
腹も立つし
時には「天罰が下ればいいのに」と
思うことも
あるかも しれない
でも 本当は
悪いこと
嫌なこと
狡いこと をした時点で
そのひとは
罰を受けるのだ
一見 そうは見えなくても
誰かをいじめたひとは
「自分もいつかいじめられるのでは?」という種を
自分の中に持つことになる
(自分がいじめた事実を忘れてしまっていても)
ずるをして 得したひとは
「自分もいつか誰かに出し抜かれるんじゃないか?」という種を
自分の中に持つことになる
悪いことをしたひとは
「いつか自分の悪事がばれるんじゃないか?」という種を
自分の中に持つことになる
(そして案外 しっかりばれているものだ)
表面上は そうは見えないかもしれない
実際 そういった考えが
そのひとの意識に上がっているとは 限らない
でも 自分でまいた悪意の種は
自分の中の深いところに しっかりと根を下ろし
無意識のうちに 不安やおびえやイライラとなり
こころ穏やかに生きることを
むずかしく するのだ
他人の目は ごまかせても
自分自身は ごまかせない
悪事を重ねれば重ねるほど
「自分はその程度の人間である」と
自分に刷り込むことに なる
自分を信じることが むずかしくなる
神様の罰は 奥が深いのだ