* はな わらふ *

すてきな人生のための、おぼえ書きみたいなひとりごと

忘れない

2018-08-09 07:01:15 | たいせつなこと
今日は長崎の日ですね。

毎年思うのですが
なぜか 広島の日ほど
報道がされないように
感じます

そうでもないのかな?

世界の歴史上
明確な意図をもって
核兵器が使用された 2日

当時の原爆使用の是非については
結論のつけようもないと
思いますが

これだけは 言える

二度と 核兵器を 使用してはならない

味方であろうが 敵であろうが
善良な市民であろうが 残虐な敵兵であろうが
長く根を張る樹も 朝生まれたかげろうも
大切ないのちを
あのように無惨に 破壊する兵器を
もうこれ以上 使ってはならない

そう思っています

回していく

2018-07-19 07:48:09 | たいせつなこと

生きていく上で

様々な存在の

お世話になります

 

受けたご恩を

直接 相手に返せたらいいけど

そうでないこともしばしば

むしろ そうでないことの方が

多いかも・・・

 

そういうときには

「受けたご恩を 循環させよう」と

考えるようにしています

 

自分が受けたご恩を

お返しを期待しないで

他のひとに 渡していく

 

「余っているご恩」だから ね

 

そうすると

受けっぱなしのご恩への心配も

自分に対する不義理へのいらだちも

ちょっと軽くなる

気がします

 

お金 ならぬ

ご恩は天下の回りもの(笑)


身につく

2018-07-18 09:52:43 | たいせつなこと

なんらかの新しい動作を

 

ーー 例えば

TVを観て覚えた

ストレッチや簡単!お掃除法 とか

あるいは

新しく買った電化製品を使う とか

一通り暗譜までした曲をさらに弾きこむ とか ーー

 

そういったことを

日々 継続していると

ある時 ふいに

その動作が

身体の内から

自然と出てくるような感覚が

起こるときがあります

 

これが 身につくという

感じなのかな

 

ピアノでも

きちんと身についた曲は

何年も弾いてなくても

ある日突然

思い出して弾いてみても

一通りは 弾けるものです

(細かいところは無理だけど)

(こういうのをレパートリーって言うのね きっと)

 

身につくって すごいなぁ

 

そして やっぱり

身につくまで 継続するのは

大切なんだなぁ・・・

と 思います


成長を助ける

2018-07-16 10:45:58 | たいせつなこと

(ブログタイトルをクリックすると画像が大きくなります)

 

昨日の夕方 家人が

アスファルト道路のど真ん中で

動かなくなっているセミの幼虫を

保護してきました

 

夜のうちに 見事に羽化し

元気に旅立ちました

 

セミの羽化は

絶対 手伝ってはいけないそうで

手伝ってしまうと

ちゃんと飛べなくなって

しまうそうです

(殻から 体を出すときとかのことです)

 

ひとの成長も

同じなのかな・・・

 

環境を整えてあげたりすることは

できる かも しれないけど

 

本当の意味で

手伝えることなんて

ありは しない

 

ひととして

援助職として

基本的で 大切な

心得だと 思います


「個」〜自分も相手も大切にする〜

2018-07-09 10:31:32 | たいせつなこと

「個」ということばは

日本では あんまりいいイメージがない

と 思います

 

きっと

「自分勝手」とか

「我がまま」とか

「協調性がない」とか

「傍若無人」とか

「孤独死(!)」とか

そういうネガティブなことを

連想することが

多いからではないかと

思います

 

でも 私は

本当の「個」

あるいは「個人主義」は

違う意味だと

思っています

 

私の考える「個」は

己を冷静に見つめ

自分を大切にすることです

そして ゆくゆくは

他人も 自分と同じく

自分を大切にする「個」である

と 気づき

自分が自分を大切にするのと同様に

他人のことも 大切にできるようになる

ということです

 

自分を大切にすることは

他者とつながり

絆を大切にすることと

本来は まったく矛盾しません

 

中途半端な「個」が

はびこっているから

ネガティブなイメージも

はびこってしまうのですよね

 

「和すれど 同ぜず」

 

全部をペンキ一色で

べた塗りするような

無思考のまま

全体主義に染まることを

強制するような「仲良し」

じゃなくて

どんなに気に食わない相手でも(!)

戦うべきところは 戦いつつも

お互いを 一人の「個」として認め

必要な時には

手をつなぎ 助け合える

そんな こころもちでありたい

と 思います

 

つまり ね

「一緒にお手洗いに行ってくれなきゃ

お友達じゃな〜い!!!」といった幼女的思考や

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といった短絡的思考は

いい加減に卒業しましょうよ?

ってことなんです

勾配差のある人間関係も うんざりです

老若男女 どんな違いがあっても

各人に等しく基本的な価値を認めて

相手と 向き合いたい

向き合えるようになりたい

 

時には そういう偏りに

陥ってしまうとしても

もうそろそろ

しっかりと「個」を身につけた

自分に なりたいのです


一意専心

2018-06-23 11:18:57 | たいせつなこと

今 目の前のこと「のみ」に

集中するのって

案外 難しい

 

洗い物をしていても

ご飯を食べていても

テレビを見ていても

 

頭の片隅で

別のことを

考えている

 

時には

「そうそう あのことが」

って感じで

別のこと 始めちゃったり

なんかして・・・

 

作務が 禅の修行で

瞑想に負けず劣らず

重要っていうのが

よくわかるなぁ・・・

 

注)作務とは

日常行われる雑用(主に掃除)のことを作務と言います。

禅宗では、作務を一心に(それのみに集中して)行うことを修行の1つとしています。

掃除のみに集中して取り組むことで悟りを開いた(!)という方もいらっしゃるとか。


震度6

2018-06-18 13:41:34 | たいせつなこと

今朝の地震

 

すごく 揺れました

びっくり しました

 

大切なのは

・備えを怠らないこと

・したいこと、すべきことを

 後回しにしないこと

と 思いました

 

本当に おかげさまで

我が家はほとんど

被害なく 済みました

 

でも

 

亡くなられた方

家の中が ぐちゃぐちゃになった方

思わぬ事故に見舞われた方 など

様々な難に遭われた方が

おられます

 

手伝える方は 手伝い

目の前におられない方は

無事を祈りつつ

余震に備えたいと

思います


既成の曲を演奏するということ

2018-05-29 16:23:12 | たいせつなこと

先日「にっぽんの芸能」という番組にて

坂東玉三郎さんが出演・解説を

されていました

 

その中で

こころに残った発言がありましたので

記録がてら ここに上げておきます

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(役を演じる時に)

演じている役者は

消えていかなければならない

けれども

演じ手の魂だけは 半透明に見えないと

役の中に魂が入っていかない

(これがあるから)

「誰それの演じる○○(役名)」と

こうなるんでしょうね

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

歌舞伎の世界 特に古典の作品では

役の型が決まっています

クラシックの既成曲を弾く時よりも

よほど厳密です

ですが 型が決まっているからこそ

演じ手(演奏者)の色が

ありありと浮き上がってくるという

なんとも一見矛盾したようなことに

なります

 

クラシック音楽を演奏する場合も

まず前提として楽譜がありますから

一定の決まり事は あります

ですが 歌舞伎の世界ほど厳密に

型を問われることはありませんので

(コンクールではちょっと違う?)

同じ楽譜からでも

歌舞伎の世界では考えられないほど

自由気ままなものが 飛び出してきます(笑)

(それでも「クラシックは不自由だ」という方は

大勢いらっしゃいますが・・・ 笑)

 

演奏に決まりはありませんので

どう解釈するか どう演奏するかは

ひとそれぞれです

楽譜至上主義のひともいれば

時代の変化に合わせて

演奏も変わっていくべきというひとも

あります

 

その中で 私は

玉三郎さんがおっしゃるような

「型の向こうに(演者の)魂が透けてみえる」

という演奏をしたいなぁ と

思っています

 

どれが正しい ではない

単なる好みの問題です

 

ちなみに

 

上記のような演技ができるようになるには

「演じている自分が透明になるまで

繰り返しお稽古をすること」が

必要だそうです(笑)

 

道ははるか遠く 険しい・・・


負の連鎖を断ち切る

2015-11-21 21:06:55 | たいせつなこと

広く報道されている記事なので、ご存知の方も多いかと思いますが

自分の覚え書きとして

パリのテロ事件で妻を失ったアントワーヌ・レリス氏の手記の和訳全文を掲載します

ー ー ー ー ー

金曜の夜、君たちは素晴らしい人の命を奪った。

私の最愛の人であり、息子の母親だった。

でも君たちを憎むつもりはない。

君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。

君たちは死んだ魂だ。

君たちは、神の名において無差別な殺戮(さつりく)をした。

もし神が自らの姿に似せて我々人間をつくったのだとしたら、

妻の体に撃ち込まれた銃弾の一つ一つは神の心の傷となっているだろう。

 

だから、決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。

君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。

君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。

だが君たちの負けだ。(私という)プレーヤーはまだここにいる。

 

今朝、ついに妻と再会した。

何日も待ち続けた末に。

彼女は金曜の夜に出かけた時のまま、そして私が恋に落ちた12年以上前と同じように美しかった。

もちろん悲しみに打ちのめされている。

君たちの小さな勝利を認めよう。

でもそれはごくわずかな時間だけだ。

妻はいつも私たちとともにあり、再び巡り合うだろう。

君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国で。

 

私と息子は2人になった。

でも世界中の軍隊よりも強い。

そして君たちのために割く時間はこれ以上ない。

昼寝から目覚めたメルビルのところに行かなければいけない。

彼は生後17カ月で、いつものようにおやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。

そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。

彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから。