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歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪古文の勉強(法)について≫

2024-01-27 19:00:09 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文の勉強(法)について≫
(2024年1月27日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、古文の勉強について、考えてみたい。
 単語と文法については、以下の本を以前のブログで紹介してみた。
〇黒川行信『体系古典文法』数研出版、2019年[1990年初版]
〇武田博幸/鞆森祥悟(河合塾講師)『読んで見て覚える 重要古文単語315[三訂版]』
桐原書店、2014年[2004年初版]
〇山村由美子『GROUP30で覚える古文単語600』語学春秋社、2020年[2017年初版]

 今回のブログでは、古文の読解の方法または古文学習の目的について、以下の本を紹介しながら、考えてみたい。

〇富井健二(東進ハイスクール講師)『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]
〇山村由美子(河合塾)『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]
〇元井太郎(代々木ゼミナール)『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]
〇塩沢一平・三宅崇広(駿台予備校)『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]
〇藤井貞和(日本文学者、東京学芸大学教授、のち東京大学名誉教授)『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]




【富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』はこちらから】

富井の古文読解をはじめからていねいに (東進ブックス―気鋭の講師シリーズ)



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・はじめに
・古文の勉強法~富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』より
・古文の勉強法~山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』より
・古文の勉強法~元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』より
・古文の勉強法~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より
・古文学習の目的~藤井貞和『古文の読みかた』より







古文の勉強法~富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』より


古文を攻略するには、どうすればいいのか。
まっさきに浮かぶのは、古文単語と古典文法を身につけることという答えだろう。
しかし、単語と文法を一通り暗記しただけでは、スラスラと古文を読解することはできない。
なぜならば、古文単語も古典文法も「文脈」を理解して、はじめてその知識が生かされるからである。
例えば、古文単語の意味には色々あり、その文脈に合った意味をあてはめなければならない。古典文法、例えば、助動詞の意味の決め方にはテクニックが存在するが、最終的には文脈を考慮して、その意味を決定しなければならない。
だから、「読解法」を学ぶ必要がある、と富井健二先生はいう。

受験生を見ていると、単語や文法の知識を身につけるための時間は多く割いているが、実際の古文を読みながら、その知識を使って確認していく時間が少ないらしい。
単語や文法の意味をある程度チェックしたら、どんどん古文読解をしてゆくのがよいようだ。
定着と実践の同時進行、それが古文の上達するポイントであると説く。

古文は本当に楽しく、奥の深い教科である。古文読解の力がついてくるうちに、この教科の本当の魅力に気づくそうだ。真の実力とは、真の興味のもとに宿ると力説している。

(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、2頁~3頁)

プロローグ


古文の読解法には、2つの中心がある。
A その古文問題の「ジャンル」を決定する
B 主語を補足しながら文章を読んでいく
  (地の文と「 」の文に分けて、それぞれの補足方法を駆使する)

※これに「古典文法・古文常識・作品常識」などの知識をプラスして読解していく
⇒STEP 1~19で、Bの読解法を学ぶ
 STEP 20~23で、Aの読解法を学ぶ
 つまり、古文は、Aジャンルを決定し、B主語を補足しながら読んでいけばいいようだ。
(富井健二『富井の古文読解をはじめからていねいに』株式会社ナガセ(東進ブックス)、2004年[2019年版]、10頁~11頁)

古文の勉強法~山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』より


・この本は、「古文の読解力を身につけたい」「正しく読解できるようになる方法を知りたい」という人のために書いたものだという。
 みなさんは、古文を「何となくこんな感じの意味かなあ」などと、「雰囲気」で読んでいないだろうか。言い方を変えると「文脈」だけを頼りに読んでいないだろうか。
 しかし、これだと文脈把握が間違っていたら、読解も間違うことになる。
 そこで、本書では、「はじめて見る本文でも読めるようになる確かな『読解力』を身につける」ために、「読解のワザ」を紹介しているという。
 入試のほとんどが、受験生にとっては「はじめて見る本文」であるから、これはまさに入試に直結する読解力養成のための本といえるとする。
 「古文のプロ」が時間と労力をかけて導き出した、正しく読解するためのいわば“一般公式”が「読解のワザ」であるそうだ。すべての「ワザ」」は、プロの感覚と知恵と経験に基づいたものである。
 また、本書は、読解の最も根底的な部分を中心に話している。
 言い方を変えると、どんな文章にでも適用するような読解力を身につけてもらおうと思って話している。どんな文章にでも使えるように説明しているので、学んだワザを、他の文章にも使って、自分のモノにしていってほしいという。
(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、ii頁~iii
頁)

例えば、「読解のワザ」には、次のようなものがある。
ワザ29 舞台特定のワザ
 働く女性が作者のノンフィクション作品(日記・随筆)なら、職場が舞台!
ワザ31 位置関係から状況をつかむワザ
 登場人物の位置関係をチェックして、“見える”範囲を特定せよ!
ワザ75 本文周囲にあるヒント発見・活用のワザ
 「注」には、本文読解のヒントだけでなく、問題を解くヒントもある!
ワザ76 本文周囲にあるヒント発見・活用のワザ
 「設問文」にさりげなく含まれる、主語のヒントを見逃さないで!
(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、99頁、103頁、248頁~249頁)

前後で主語が変わりやすいパターン


ワザ6 接続助詞に注目するワザ②【パターン的中率70%】
☆前後で主語が変わりやすいパターン
 Aさんは……を、(に、ば、)(Bさんは)……

・接続助詞「を・に・ば」が出てくると、多くの場合、そのタイミングで主語が変わる。
 それまで「Aさん」が主語だったとしたら、「を・に・ば」の後は、普通「Aさん以外の誰か」が主語になる。
※古文では、一つの場面にはたいてい2~3人ぐらいしか登場していない。
※<ちょっと注意>
 助詞の「を」・「に」には接続助詞の他に格助詞も存在する。
●助詞「を・に」の識別
①……名詞(または連体形)+を、(に、)……→格助詞
 このまま「を」(または「に」)と訳しても、ヘンではない場合
②……連体形+を、(に、)……→接続助詞
 「を」(または「に」)のままだとヘン。
 「のに」「ので」「~すると」だと自然な場合
※つまり、「を」と「に」の訳を変えるときは主語も変わりやすい!
(山村由美子『図解古文読解 講義の実況中継』語学春秋社、2013年[2019年版]、18頁~20頁)

古文の勉強法~元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』より


おすすめの勉強法!


〇「はじめに」(4頁~5頁)において、
・本書の内容をとりあえずたどって読むことをすすめている。
 通読することで、大学側が要求している古文読解のイメージと、本番で点をとるイメージをつかんでほしいという。
 (古文の苦手な方や、高一・高二の方などは、例題の全文訳をはじめに見てもかまわない)
 1か月で2~3回ほど通読してみるぐらいのペースがよい。(暗記のコツは、くり返し!)
・本番レベルの得点分析から、効率よい勉強法のイメージを自分なりにつかんでもらうのが、本書の意図することだとする。

・受験生に贈る言葉
「苦悩のあとの歓喜を」(L.V.ベートーヴェン・第九、というかシラー)
「明けない夜はない」(W.シェークスピア)
「汝は汝の汝を生きよ。汝は汝の汝を愛せ」(M.スティルナー)

〇「第三講 “読解”を点数に結びつけろ! 実戦③ おすすめの勉強法!」(309頁~318頁)において、次のように述べている。

<視点>
・本番で高得点するために、いかに古文を短時間の勉強量でこなし、他教科に時間をまわせるか!
 本番で、いかに速く正解できるか?が問われている。

<勉強法>
①各教科の基礎をザット覚える。
(反復復習が有効。ある程度わかったら、本番レベルの設問分析と並行して、基礎を引き続き定着させる。基礎だけ独立して学習しようとしない)
②第一志望レベルの問題で、得点に至る過程を分析する。
③出題のパターン性を、問題量をこなす中でつかむ。
④復習を中心に制限時間を意識し、本番で得点できるイメージを作り上げていく。

※基礎をふまえた具体的な問題から、自分なりに得点できるアプローチを作ることが大事。
 「自分なりに」つかんだ方法でないと、本番で使えない。
 他人のマネをしても、本番では得点できない。“自力本願”あるのみ。
(抽象的な方法論に走ってはいけない。具体的な問題をこなしていく中で、自然と自分なりのアプローチがつかめてくるはずである)
 
〇おすすめの学習要素
1 まずは、本番第一志望レベルの問題(過去問・受けない他学部の過去問・同レベル他大の過去問など)を、解くか解かないかの中間ぐらいで分析
・全訳があったら活用する。
 全訳を活用して、全文の主語、目的語を拾いだす。
 つまり、直訳のために全訳を使うのではなく、文脈のために全訳を活用する。
 わかった文脈で、古文の全文をザットたどる。
・設問の正解・解答を活用する。
 正解の本文根拠を、正解そのものが本文のどこにどうあるか? という視点で本文をチェックする。
・選択肢の研究
 正解の選択肢の本文根拠だけでなく、不正解の選択肢の本文根拠もさぐる。
 選択肢の現代語の言いまわしと古文の単語・文法を照合しておく。
 選択肢の横の構成ポイントを切ってみて、量をこなす。

<問題分析のガイドライン>
①全訳で文脈(主語・目的語)を通し、本文の全体的な話をつかむ。
②全訳で通した文脈を、古文の本文でたどる。
 訳的にわからないところは、すぐ全訳を見て照合する。
③設問の正解をチェック(問題を解かない)
④選択肢の分析(できたら、「出題意図は何?」とさぐる)
⑤正解・不正解の根拠を、本文でチェック
⑥本文根拠と、設問の傍線の関係を分析
(この段階で出題意図がわかることが多い)

2 復習をメインにする。(本番での“解けるイメージ”を固めること)
・まっ白い本文でなく、根拠をチェックした本文をたどり直す。
(本文の文脈を古文的に読み直しながら、対応するところでは、“目のとばし” (斜め読み)
を練習し、古文の読み慣れ、速読を心がける)
・設問にからんでいない単語・文法を、読み込みながら覚えようとする。
・一回の復習(チェックしたあとの“読み込み”)は、30分以内をメドとする。
(とにかく一回で復習し切ろうとしない。何度も反復する中で具体的につかもうとすることを心がける)
・“読み込み”のための問題の量をためる。
(慣れるまでは、数題の同じ問題をくり返す。慣れてきたらどんどん問題量を増やし、反復して“読み込む”)
・選択肢と本文根拠を、“読み込み”の中で、何度も照合する。
・メインの教科の合い間に、古文の“読み込み復習”をさし込む。
(最低一日一回は、古文の速読をやる。チェックしてある本文だから、時間もかからない)

※これらの要素に留意して、生活にとりいれること。
 初めは手ごたえがないので悩むかもしれないが、一か月は続けてみて、効果を測ってみること。
 実験心理学で「フィード・バック」という。
 「人間の記憶容量を保つには、くり返しが最も効果ある」ことは、実証されている。
 これにもとづいた復習法がよい。
(元井太郎『改訂版 元井太郎の古文読解が面白いほどできる本』KADOKAWA、2014年[2019年版]、4頁~5頁、309頁~318頁)

古文の勉強法~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より


〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]

「古文の力」とは?


 駿台予備校の塩沢一平先生は、「センターは、こんな試験~古文編」において次のようなことを述べている。(共通テストにも、あてはまる点が多々あるので、紹介しておく)
【文章の長さ】
・文章の長さは、例年1500字程度。速読・即答する問題処理テクニックが求められる。
 例えば、出典別に読み方を変えるテクニックを身につける必要があるし、設問タイプ別のテクニックも必要になる。

(ちなみに、ネットによれば、2023年の共通テストの字数は1319字、2024年のそれは、1147字だったそうだ)

【出典】
・センター試験の出題ジャンルは、上代の文章が出題される可能性は低いようだ。
 中古~近世(江戸)の作品で出題されるのは、教科書に掲載されていない作品か、掲載されていてもまったくマイナーな部分だという。
 学校の授業で勉強した部分がセンターで出題されることはまずない。つまり、はじめて読む作品・部分が出ても、対応できる実力と対処法を身につけることが必要だと強調している。
 歌物語が出題されていないのは、設問を作りやすい『伊勢物語』『大和物語』が、様々な大学で既に出題されていることや、章段自体が短いものが多く、1500字の長さにならないものが多いためらしい。
・時代的には、中世・近世の文章が多い。
 その中で、特に擬古物語(平安時代のつくり物語に似せて作られた物語)の出題が多い。
 登場人物の心情をつかむため、形容詞・形容動詞をきっちり覚えておこう。
・また心情は、和歌に凝縮された形で示される。

〇出題された文章のジャンル
 中古=歴史物語・つくり物語・日記・説話
 中世=歴史物語・説話・日記・随筆・軍記物語・歌論・擬古物語
 近世=随筆・紀行・日記・擬古物語

(周知のように、2024年の共通テストの古文は、「車中雪」という江戸時代の擬古物語(平安時代の物語を模した文章)であった)

【設問タイプ】
①語句の意味
 文章構造をとらえて解く、クールで渋い論理的な思考が必要である。
②文法・敬語問題
 品詞分解・語の識別と、敬語が3対1の割合。
 敬語では、尊敬・謙譲・丁寧のどれにあたるか、本動詞か補助動詞かが問われる。
③内容説明・心情説明・理由説明問題
 どれか1問が出題される。
④内容合致(不合致)・趣旨選択問題
 これもよく出る。訳せても“言いたいこと”がわかって、しかも選択できなければ点数にならない。
⑤和歌関連問題
 和歌を含む文章が出たときは必ず設問になっている。
 攻略法10~12で和歌問題をマスターして、大きく差をつけよう。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、10頁~15頁)

<合格のための+α解説>


内容合致・不合致問題、主旨選択問題の選択肢は、内容理解の大きなヒント

……「次の文章を読んで後の問いに答えよ」という設問を真に受けてはいけない。
なぜなら、「文章を読んで」から設問に取りかかったとしても、(問題を解くためには)また最初に戻って読まなければならないから。
 当たり前だが、まず設問を読んで、何が問われていて、何に注意して本文を読むか、見当をつけること。
 たとえば、不合致問題なら、選択肢の一つ(ないしは二つ)を除いて、内容は本文と合致しているのだから、これを読めば内容のアウトラインの七・八割は分かるはず。

 また、内容合致問題にしても、不正解の選択肢の内容のすべてが合致していないのではなく、一部分が合ってないという選択肢がほとんど。やはりヒントになるはずだ。
※内容合致・不合致問題は、設問としては難しいけれど、逆に内容理解のヒントにもなるのだ!
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、133頁)

古文学習の目的~藤井貞和『古文の読みかた』より


古文学習と現代語訳


・昔の古文を現代人が読むということは、古文から現代への、一方的な交通、一方的な伝達にすぎないのだろうか?と著者は問いかけている。
 コミュニケーションという言葉と、その意味を、知っているはずである。
 伝達とは、このコミュニケーションのことなのである。
 communicationのcom-は、“お互いに”“共通の”ということを意味しているが、そのとおり、昔の古文がわれわれ現代人に伝達されるということは、けっして一方的におこなわれるのではなく、現代人からも積極的に古文にたいして、はたらきかけることによってはじめて成りたつ、コミュニケーションとしてある。
 古文と、現代人とが、対等に向きあい、対話する関係である、といったらいい。
 では、どのように現代人から古文へはたらきかけるのか?
 本書で重視してきた現代語訳(口語訳)は、その試みの一つであるという。
 古文が正確に理解できるということを、現代人が実際に紙と鉛筆とを使って証明する、それが現代語訳のしごとであるとする。




さて、『源氏物語』桐壺の巻の引用を、本書ではこのように訳文をあたえておいた。

【訳文】
中国にも、こうした発端からこそ、世も乱れてひどいことになったのだったと、だんだん、世間一般にも、おもしろからぬ厄介種(やっかいだね)になって、楊貴妃の例をも引き合いに出しかねないほどになってゆく事態に、まことにいたたまれない思いのすることが多くあるけれど、おそれ多い帝の御愛情のまたとないことを頼みにして、宮仕えなさる。

※ぎこちない訳文だが、正確さを優先させたと著者はいう。

・『源氏物語』は、与謝野晶子や谷崎潤一郎といった、近代の歌人や作家が、現代語訳を試みている。最近のものでは作家の円地文子(えんちふみこ)も現代語訳を完成させた。
(いずれも文庫本になっており、手にはいりやすくなっている)

・与謝野晶子の現代語訳を見ると、つぎのようになっている。
 唐の国でもこの種類の寵姫(ちょうき)、楊家の女(じょ)の出現によって乱が醸(かも)されたなどと蔭ではいわれる。今やこの女性が一天下の煩(わざわ)いだとされるに至った。馬嵬(ばかい)の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。
(『全訳 源氏物語』上、角川文庫、昭和46年版)

※なかなか流麗な、味わいの現代文になっているという。

・谷崎潤一郎のほうはどうか?
 唐土(もろこし)でもこういうことから世が乱れ、不吉な事件が起ったものですなどと取り沙汰をし、楊貴妃の例なども引合いに出しかねないようになって行きますので、更衣はひとしお辛いことが多いのですけれども、有難いおん情(なさけ)の世に類(たぐい)もなく深いのを頼みに存じ上げながら、御殿勤(ごてんづと)めをしておられます。
(『潤一郎訳源氏物語』一、中公文庫、昭和48年版)

※こちらは“です”“ます”調の文体になっているが、晶子訳にくらべて、『源氏物語』の本文にかなり忠実な訳文であることが、ざっと読んでみるだけで明らかだろう。
 晶子訳は大胆な意訳で、潤一郎訳はかなり忠実な意訳である。
 意訳であることには変わりはない。

※高等学校の教科書では、二年生ぐらいになると、『源氏物語』の一部を勉強する。
 桐壺の巻か、若紫の巻か、あるいは夕顔の巻かをおそわることになる。

☆もっとたくさん読みたいと思ったらどうするのか?
 『源氏物語』全体は五十四巻あるといわれている。その全部を読みたいと思ったらどうするか?
 与謝野晶子の訳した『源氏物語』を読んだらいい。あるいは、谷崎潤一郎の訳した『源氏物語』を読んでみるとよい。また円地文子の訳した『源氏物語』(新潮文庫に入っている)を読むのもいい。他にも現代語訳はある。
 晶子訳がいいか、潤一郎訳がいいか、文子訳がいいか、それはまったく好みの問題。
 いずれも、訳者が、精魂こめて『源氏物語』に取りくんだものであって、どの一つを取りあげても、『源氏物語』であることにちがいはない。
 くれぐれも、原文を読まなければ『源氏物語』を読んだことにはならない、などと思わないように、と著者はいう。現代語訳を読んでも、りっぱに『源氏物語』を読んだことになる。
 つまり、『源氏物語』の全体を読みたいと思って、すぐれた近代の歌人や作家の作った現代語訳を読んだことによって、現代人から古文の世界へ積極的にはたらきかけたのである。
 コミュニケーションを成しとげたことになるという。

・ただし、条件があるという。
 コミュニケーションは伝達であるから、媒介になるものがかならずある。
 その媒介物が、『源氏物語』の原文にほかならない。原文の実態をまったく知らないではすまされない。原文の一部を学ぶことによって、その実態をおおよそ理解できるようにしておきたい。必要があれば、現代語訳のもとになった原文に立ちかえって、たしかめることができるようにしておきたい、とする。
⇒これがわれわれの、古文を直接学習しようとする目的なのであると著者は強調している。

・晶子訳は大胆に意訳しており、原文にある敬語などを省略して、ダイナミックな『源氏物語』にした。潤一郎訳は、原文に忠実のようでも、ときに原文にない説明を加えるかと思うと、敬語はやはり省略したりして、現代人に読みやすい『源氏物語』にしている。
・原文の実態は敬語もあり、さまざまな助動詞や助詞の使いわけもあるので、われわれはひととおり学習して、古文の特徴をだいたい知る必要があるという。
 だから、皆さんの試みる現代語訳は、学習のためだから、ぎこちなくていいので、正確であることを心掛けてほしいと著者はいう。敬語を省略してはいけない。助動詞や助詞を訳し分けてほしい。
 
※本書は、「はじめに」でも述べたように、
Ⅰ 古文を解く鍵
Ⅱ 古文の基礎知識
Ⅲ 古文を読む
の三段階に分けて、その古文の特徴を、平易な叙述のなかにも、深く掘りさげて解説している。
敬語の理解につまずいたり、助動詞や助詞の訳し分けがわからなくなったら、該当するページに何度でも立ちもどって、研究してほしいという。
(藤井貞和『古文の読みかた』岩波ジュニア新書、1984年[2015年版]、204頁~208頁)



≪赤壁之戦(資治通鑑)~小川環樹・西田太一郎『漢文入門』より≫

2023-12-30 19:00:36 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪赤壁之戦(資治通鑑)~小川環樹・西田太一郎『漢文入門』より≫
(2023年12月30日投稿)


【はじめに】


 この秋(9月~11月)、フジテレビ系列で「パリピ孔明」というドラマが放送されていた。
 そのあらすじといえば、蜀の軍師・諸葛孔明(向井理)は、魏と蜀が争う五丈原の戦い(234年)の最中に病死したが、現代の日本に転生し、駆け出しのシンガーソングライターの月見英子(上白石萌歌)のマネージャー(軍師)となり、その知略で彼女をスーパースターにしていくという、奇想天外なストーリーであった。ライブハウスのオーナー小林(森山未來)が三国志オタクで、「泣いて馬謖を斬る」など、諸葛孔明にまつわる故事成語を解説していた。孔明の主君である劉備を演じていたディーン・フジオカが、中国語によるナレーター役もつとめており、その中国語のうまさに感心させられた。
(この故事成語は、『漢文必携』(185頁)でも言及されている。同じく、「水魚の交わり」とは蜀の劉備と諸葛亮との交際についていった言葉である)
 
 ところで、日本における三国志人気には、根強いものがある。
 先に紹介した三宅崇広先生も「<コラム>目で見る漢文④ (三国志)」においても、三国志の主要人物(魏:曹操、司馬懿、夏侯惇、呉:孫権、孫策、周瑜、蜀:劉備、諸葛孔明、関羽、張飛)、そして『三国志』から生まれた故事成語(水魚の交わり、泣いて馬謖を斬る、白眉、桃園の誓い、三顧の礼)を取り上げている。
(三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]、295頁)
 
 さて、今回のブログでは、この劉備と諸葛孔明の登場する赤壁の戦について、『資治通鑑』を史料として、紹介しておきたい。
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
なるべく数多くの漢文の文章に触れて、漢文の句形や内容を知ってほしい。
(返り点は入力の都合上、省略した。白文および書き下し文から、返り点は推測してほしい。)



【小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)はこちらから】
小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)







〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
【目次】
はしがき
第一部 
一 漢文とは何か
二 句読および訓点
三 訓読の利害
四 語法概説(単語の結合)
五 語法概説(構文)

第二部 短文篇
1 楚荘王伐陳(説苑)
2 仲尼之賢(説苑)
3 子思立節(説苑)
4 忠臣不死難(説苑)
5 晏子諫君(説苑)
6 師経諫君(説苑)
7 于公決獄、未嘗有所冤(説苑)
8 有陰徳者、必有陽報(説苑)
9 徙薪曲揬之策(説苑)
10 契舟求剣(呂氏春秋)
11 蛇足(戦国策)
12 狐借虎威(戦国策)
13 非知之難、処知則難(韓非子)
14 愛憎之変(韓非子)
15 不死之薬(韓非子)
16 人当師聖人之智(韓非子)
17 普天之下、莫非王土(韓非子)
18 君主之柄(韓非子)
19 兼人者有三衛(荀子)
20 有治人、無治法(荀子)
21 性悪説(荀子)
22 君子遠庖厨(孟子)
23 推恩足以保四海(孟子)
24 君子有三楽(孟子)
25 菽粟如水火、民無不仁者(孟子)
26 荘子鼔盆而歌(荘子)
27 死之説(荘子)
28 杞憂(列子)
29 多歧亡羊(列子)

第三部 各体篇
散文と韻文および駢文と古文
一 論弁類
1 原人(韓愈)
2 論語辯(柳宗元)
二 序跋類
3 五代史伶官伝序(欧陽脩)
4 釈秘演詩集序(欧陽脩)
三 奏議類
5 陳情表(李密)
四 書牘類
6 答陳商書(韓愈)
7 与李方叔(蘇軾)
8 答楊済甫(蘇軾)
五 贈序類
9 送王秀才塤序(韓愈)
10 名二子説(蘇洵)
六 詔令類
11 賜南粤王趙佗書(漢文帝)
七 伝状類
12 方山子伝(蘇軾)
13 大鉄椎伝(魏禧)
八 碑誌類
14 石君墓誌銘(韓愈)
15 太常博士尹君墓誌銘(欧陽脩)
16 寒花葬志(帰有光)
九 雑記類
17 藍田県丞廳壁記(韓愈)
18 鈷鉧潭記(柳宗元)
十 箴銘類
19 瘞硯銘(韓愈)
20 韓幹画馬贊(蘇軾)
十一 哀祭類
21 独孤申叔哀辞(韓愈)
22 祭女拏女文(韓愈)
十二 辞賦類
23 登楼賦(王粲)
24 阿房宮賦(杜牧)
十三 叙記類
25 赤壁之戦(通鑑)
26 晋公子重耳之亡(左伝)

第四部 漢字の形・音・義
一 字体と字形
二 字形の構造(六書)
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四 字音

参考文献
字音かなづかい表




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・赤壁の戦について
・『資治通鑑』について
・『資治通鑑』に記された赤壁之戦







赤壁の戦について



25赤壁之戦(資治通鑑)
つぎの文は『資治通鑑』巻65の漢紀57、建安13年(208)の条である。
本文にさきだって、事件の背景を略述する。
 中国には古来宦官というものがあり、元来、刑罰で去勢されたものが宮女の番人にされたが、天子の側近にあって権益を得る機会が多いので、のちには、自ら去勢したり子供を去勢して宦官を志願するものも現れ、後漢(25-220)の末には、宦官の政治上の勢力がすこぶる大きくなった。
 漢の権臣、袁紹・何進は宦官を滅ぼそうと謀り、何進は将軍董卓(とうたく)を招いたが、そのいまだ至らぬうちに、袁紹は宦官二千人を殺した。そののち董卓が入京し、ときの幼帝を廃して献帝(190-220)を擁立し、権勢をほしいままにした。
 各地の官僚・豪族は袁紹を盟主として董卓を討とうとし、董卓はやがて殺されたが、そののち官僚・豪族の勢力争いとなり、それらの戦の一つとして、漢の丞相曹操の軍と、劉備・孫権の連合軍との赤壁の戦がある。
 ここに引用する文は、この赤壁の戦の経過を述べたものである。
 この戦では、曹操は大敗するが、そののち、曹操の子の曹丕(そうひ)は献帝に強いて帝位をゆずりうけ(220)、劉備もまた漢中(いまの四川省)で帝位につき、孫権も長江下流で帝を称し、魏・蜀漢・呉の三国が交争し、やがて、蜀漢が魏に滅ぼされ(263)、魏もその権臣の司馬炎に位を奪われ(265)、晋となり、そののち呉も晋に滅ぼされた(280)。

『資治通鑑』について


〇『資治通鑑』は宋の司馬光(1019-1086)の編。
 司馬光の伝は、『宋史』巻336にあり、字は君実、王安石の新法に反対した大政治家であった。死後、国師温国公を贈位されたので、世に司馬温公という。
 彼は歴代の史書が繁多で人主があまねく読むを得ないことをうれえ、『通志』8巻を作り、英宗(1064-1067)に献じた。
 これはその記述が、戦国より秦の二世に至るまでにとどまっていたので、英宗は編集局を設け学者を集めてこれをつづけさせて、司馬光がこれを取捨して編纂し、神宗(1068-1085)の元豊7年(1084)に完成した。戦国時代から唐末五代までの歴代の興亡が記されている(403B.C.-959A.D.)。
 神宗はその功を賞し、御製序をたまい、かつ命じて資治通鑑と名づけさせた。政治に役立てるという意味で「資治」といい、一国だけでなく歴代にわたっているから「通」といい、君主がこれを見ておのれを正すから「鑑(かがみ)」と名づけられたのである。
 わが国で史書に『大鏡』『増鏡』などの名のあるのはこれにならったのであろう。

 中国の正史は、主として一王朝について、「紀」といって天子の伝記、「書」または「志」といって刑罰とか経済とかの重要事項についての叙述、および「伝」といって官僚や学者その他の個人の伝記の部分などから成立しているので、この体裁を「紀伝体」というが、『通鑑』は年代順に史実を記述しているので「編年体」といい、編年体の史書の代表的なものである。
 通鑑には元の胡三省(こさんせい)が注をつけ、これが一般に普及しており、わが国にもこれに句読・訓点を施した和刻本がある。



『資治通鑑』に記された赤壁之戦


 それでは、『資治通鑑』に記された赤壁之戦について見ていこう。

 初魯肅聞劉表卒、言於孫權曰、荊州與國鄰接、江山險固、沃野萬里、士民殷富、若據而
有之、此帝王之資也、今劉表新亡、二子不協、軍中諸將、各有彼此、劉備天下梟雄、與操
有隙、寄寓於表、表惡其能而不能用也、若備與彼協心、上下齊同、則宜撫安、與
結盟好、如有離違、宜別圖之、以濟大事、肅請得奉命、弔表二子、并慰勞其軍中用
事者、及説備使撫表衆、同心一意、共治曹操、備必喜而從命、如其克諧、天下可定
也、今不速往、恐爲操所先、(一)

【書き下し文】
初め魯肅 劉表卒(しゆつ)すと聞き、孫權に言つて曰く、『荊州は國と鄰接し、江山險固、沃野萬里、士民殷富なり。若し據りて之を有(たも)たば、これ帝王の資なり。いま劉表新たに亡(ぼう)し、二子協(かな)はず、軍中の諸將、各(おのおの)彼此有り、劉備は天下の梟雄(きようゆう)にして、操と隙(げき)有り、表に寄寓せしが、表その能を惡(にく)みて用ふる能はざりしなり。若し備 彼と心を協(あは)せ、上下齊同(せいどう)せば、則ち宜しく撫安し、與(とも)に盟好を結ぶべし。如し離違有らば、宜しく別に之を圖(はか)り、以て大事を濟(な)すべし。肅請ふ命を奉ずるを得、表の二子を弔し、并(あは)せて其の軍中の事を用ふる者を慰勞し、及び備に説きて表の衆を撫せしめ、心を同じくし意を一にし、共に曹操を治めんことを。備必ず喜びて命に從はん。如し其れ克く諧(かな)はず、天下定む可きなり。いま速かに往かずんば、恐らくは操の先んずる所を爲らん』と。(一)

【語句】
・初=さて話はもとにもどって。
 史家の文は事件が起った順序に年月日をおうて書くものであるが、一つの史実をしるし、つぎに別な史実を過去にさかのぼって書きおこすことがあり、そのようなときに「初」と書く。
・宜撫安、與結盟好=彼ら即ち劉表の子および劉備と同盟を結ぶがよい。
 「好」はよしみ。
・宜別圖之、以濟大事=別に対策を立てて、大事業を成しとげるがよい。
・如其克諧=「其」は単なる語助で意味はない。仮定文でよく用いる。
 「克」は「能」と同じ。「諧」は都合よくゆく。
 「もしうまく話がまとまることができたら」



權即遣肅、行到夏口、聞操已向荊州、晨夜兼道、比至南郡、而琮已降、備南走、肅徑
迎之、與備曾於當陽長坂、肅宣權旨、論天下事埶、致殷勤之意、且問備曰、豫州今
欲何至、備曰、與蒼梧太守呉巨有舊、欲往投之、肅曰、孫討虜聰明仁惠、敬賢禮士
江表英豪、咸歸附之、已據有六郡、兵精糧多、足以立事、今爲君計、莫若遣腹心、
自結於東、以共濟世業、而欲投呉巨、巨是凡人、偏在遠郡、行將爲人所併、豈足託
乎、備甚悦、肅又謂諸葛亮曰、我子瑜友也、即共定交、子瑜者亮兄瑾也、避亂江東、爲
孫權長史、備用肅計、進住鄂縣之樊口、(二)

【書き下し文】
權即ち肅を遣す。行きて夏口に到る。操已に荊州に向へりと聞き、晨夜(しんや)道を兼ぬ。南郡に至るに比(およ)んで、琮(そう) 已に降り、備 南走す。肅徑(ただ)ちに之を迎へ、備と當陽の長坂に曾す。肅 權の旨を宣べ、天下の事埶(じせい)を論じ、殷勤の意を致し、且備に問うて曰く、『豫州いま何(いづ)くに至らんと欲するか』と。備曰く、『蒼梧(そうご)の太守呉巨と舊(きゅう)有り、往きて之に投ぜんと欲す』と。肅曰く、『孫討虜は聰明仁惠、賢を敬し士を禮し、江表の英豪、咸(みな)之に歸附す。已に六郡を據有し、兵精(くは)しく糧多く、以て事を立つるに足る。いま君の計を爲すに、腹心を遣し、自ら東に結び、以て共に世業を濟(な)すに若くは莫し。而るに呉巨に投ぜんと欲す。巨は是れ凡人にして、遠郡に偏在す。行くゆく將に人の併(あは)す所と爲らんとす。豈託するに足らんや』と。備甚だ悦ぶ。肅又諸葛亮に謂つて曰く、『我は子瑜(しゆ)の友なり』と。即ち共に交りを定む。子瑜なる者は亮の兄瑾なり。亂を江東に避けて、孫權の長史と爲れり。備 肅の計を用ひ、進んで鄂縣の樊口に住(とど)まる。(二)

【語句】
・豫州=劉備はさきに豫州の刺史すなわち州長であったから、劉備をさしてこのようにいった。
 豫州は今の河南省の東南境、及び安徽省の淮河以北。
・莫若遣腹心、自結於東、以共濟世業=腹心の家来を遣わし、東方の呉と結びつき、そして一世の大事業を成しとげるのが一番よい。
 自結は「自分を結びつける」



曹操自江陵、將順江東下、諸葛亮謂劉備曰、事急矣、請奉命求救於孫將軍、遂與魯
肅、倶詣孫權、亮見權於柴桑、説權曰、海内大亂、將軍起兵江東、劉豫州收衆漢南、與
曹操共爭天下、今操芟夷大難、畧已平矣、遂破荊州、威震四海、英雄無用武之地、故
豫州遁逃至此、願將軍量力而處之、若能以呉越之衆、與中國抗衡、不如早與之絶、
若不能、何不按兵束甲、北面而事之、今將軍外託服從之名、而内懐猶豫之計、事急而
不斷、禍至無日矣、權曰、苟如君言、劉豫州何不遂事之乎、亮曰、田横齊之壯士耳、猶
守義不辱、況劉豫州王室之冑、英才蓋世、衆士慕仰、若水之歸海、若事之不濟、此乃
天也、安能復爲之下乎、(三)

【書き下し文】
曹操 江陵より、將に江に順つて東下せんとす。諸葛亮 劉備に謂ひて曰く、『事急なり。請ふ命を奉じて救ひを孫將軍に求めん』と。遂に魯肅と、倶に孫權に詣(いた)る。亮 權に柴桑に見(まみ)え、權に説いて曰く、『海内大いに亂れ、將軍は兵を江東に起し、劉豫州は衆を漢南に收め、曹操と共に天下を爭へり。今操は大難を芟夷(さんい)し、畧(ほぼ)已に平(たひら)ぎ、遂に荊州を破り、威 四海に震ひ、英雄 武を用ふるの地無し。故に豫州遁逃して此に至れり。願はくは將軍 力を量りて之に處せられんことを。若し能く呉越の衆を以て、中國と抗衡せば、早く之と絶つに如かず。若し能はずんば、何ぞ兵を按じ甲を束(つか)ね、北面して之に事(つか)へざる。いま將軍 外は服從の名に託して、内は猶豫の計を懐(いだ)く。事急にして斷ぜずんば、禍(わざはひ)至ること日無けん』と。權曰く、『苟くも君の言の如くんば、劉豫州何ぞ遂に之に事へざるか』と。亮曰く、『田横は齊の壯士のみ、猶ほ義を守り辱(はづか)められざりき。況や劉豫州は王室の冑(ちゆう)にして、英才 世を蓋(おほ)ひ、衆士慕仰すること、水の海に歸するが若し。事の濟(な)らざるが若きは、此乃ち天なり。安んぞ能く復た之が下と爲らんや』と。(三)

【語句】
・抗衡=はり合ふ。
 「衡」は車の軛(くびき)の上の横木で、衡をつっぱり合せて避けたり退いたりしないこと。
 一説に衡ははかりの横木で均衡をたもつことから、相手にはりあって屈服しないことを意味する。
・北面而事之=北面は臣下の地位につくこと。
 中国の古来の習慣では、身分の高い者は南面または東面し、身分のひくい者は北面または西面した
・田横齊之壯士耳、猶守義不辱=むかし漢の高祖が天下を取ったとき、斉の田横は、かつて一国の主として高祖と対等であったのに、いま高祖に臣下として事えることは恥じであるとして自殺した。
・冑(ちゅう)=子孫、系統。劉備は前漢の景帝の子の中山靖王勝の子孫といわれている。



權勃然曰、吾不能擧全呉之地、十萬之衆、受制於人、吾計決矣、非劉豫州、莫可以當
曹操者、然豫州新敗之後、安能抗此難乎、亮曰、豫州軍雖敗於長坂、今戰士還者、及關
羽水軍、精甲萬人、劉琦合江夏戰士、亦不下萬人、曹操之衆、遠來疲敞、聞追豫州、輕
騎一日一夜、行三百餘里、此所謂強弩之末熱、不能穿魯縞者也、故兵法忌之曰、必蹶
上將軍、且北方之人、不習水戰、又荊州之民附操者、偪兵埶耳、非心服也、今將軍誠
能命猛將、統兵數萬、與豫州協規同力、破操軍必矣、操軍破必北還、如此則荊呉之
埶強、鼎足之形成矣、成敗之機、在於今日、孫權大悦、與其群下謀之、(四)

【書き下し文】
權 勃然として曰く、『吾 全呉の地、十萬の衆を擧げて、制を人に受くる能はず。吾が計(はかりごと)決せり。劉豫州に非ずんば、以て曹操に當る可き者莫し。然れども豫州新敗の後、安んぞ能く此の難に抗せんや』と。亮曰く、『豫州の軍は長坂に敗れたりと雖も、いま戰士の還る者、及び關羽の水軍、精甲萬人あり、劉琦 江夏の戰士を合するに、亦萬人を下らず。曹操の衆は、遠く來りて疲敞(ひへい)す。聞く豫州を追ふに、輕騎 一日一夜に、行くこと三百餘里なりと。此れ所謂強弩の末埶(まつせい)魯縞を穿つ能はざる者なり。故に兵法これを忌みて曰く、「必ず上將軍を蹶(たふ)す」と。且つ北方の人は、水戰に習はず。又荊州の民の操に附する者は、兵埶に偪(せま)らるるのみ、心服せるに非ざるなり。いま將軍誠に能く猛將に命じ、兵數萬を統べ、豫州と規(はかりごと)を協せ力を同じくせしめば、操の軍を破らんこと必(ひつ)せり。操の軍破れなば必ず北に還らん。此の如くんば則ち荊呉の埶(いきほひ)強く、鼎足の形成らん。成敗の機は、今日に在り』と。孫權大いに悦び、其の群下と之を謀る。(四)

【語句】
・強弩之末熱、不能穿魯縞者也=弩は「いしゆみ」、ばね仕掛で石や矢をはじき飛ばす弓。
強い弩で矢を飛ばしても、遠くまで飛んで行った先での力は、魯の国にできる薄い白絹をも突き通せない。
 魯は山東省にあった昔の国名、その地方にはうすい白絹が産出される。
 史記長孺国伝には「彊弩之極矢、不能穿魯縞、衝風之末力、不能漂鴻毛、非初不勁、末力衰也」とある。



是時曹操遺權書曰、近者奉辭伐罪、旌麾南指、劉琮束手、今治水軍八十萬衆、方與將
軍會獵於呉、權以示臣下、莫不響震失色、長史張昭等曰、曹公豺虎也、挾天子以征
四方、動以朝廷爲辭、今日拒之、事更不順、且將軍大埶、可以拒操者長江也、今操得
荊州、奄有其地、劉表治水軍、蒙衝鬪艦、乃以千數、操悉浮以沿江、兼有歩兵、水陸倶
下、此爲長江之險、已與我共之矣、而埶力衆寡、又不可論、愚謂大計不如迎之、魯
肅獨不言、權起更衣、肅追於宇下、權知其意、執肅手曰、卿欲何言、肅曰、向察衆人
之議、專欲誤將軍、不足與圖大事、今肅可迎操耳、如將軍不可也、何以言之、今
肅迎操、操當以肅還付鄕黨、品其名位、猶不失下曹從事、乘犢車從吏卒、交游士
林、累官故不失州郡也、將軍迎操、欲安所歸乎、願早定大計、莫用衆人之議也、
權歎息曰、諸人持議、甚失孤望、今卿廓開大計、正與孤同、(五)

【書き下し文】
是の時 曹操 權に書を遺(おく)りて曰く、『近者(ちかごろ) 辭を奉じて罪を伐ち、旌麾(せいき)南に指せば、劉琮 手を束(つか)ねたり。いま水軍八十萬の衆を治め、方に將
軍と呉に會獵(かいりよう)せん』と。權以て臣下に示す。響震し色を失はざるは莫し。長史張昭等曰く、『曹公は豺虎(さいこ)なり。天子を挾(はさ)みて以て四方を征し、動(やや)もすれば朝廷を以て辭を爲す。今日これを拒(ふせ)がば、事 更に不順ならん。且將軍の大埶(たいせい)、可て操を拒ぐ可き者は長江なり。いま操は荊州を得、其の地を奄有(えんゆう)す。劉表は水軍を治め、蒙衝鬪艦(もうしようとうかん)、乃ち千を以て數へしが、操悉く浮べて以て江に沿ひ、兼ねて歩兵有り、水陸倶に下る。これ長江の險、已に我と之を共にすと爲す。而して埶力(せいりよく)衆寡、又論ず可からず。愚謂(おも)へらく大計は之を迎ふるに如かず』と。魯肅獨り言はず。權起(た)ちて更衣す。肅 宇下に追ふ。權その意を知り、肅の手を執りて曰く、『卿 何をか言はんと欲す』と。肅曰く、向(さき)に衆人の議を察し、專ら將軍を誤らんと欲す。與に大事を圖るに足らず。いま肅は操を迎ふ可きのみ。將軍の如きは不可なり。何を以て之を言ふ。いま肅 操を迎へなば、操當に肅を以て鄕黨に還付すべし。其の名位を品するに、猶ほ下曹從事たるを失はず、犢車(とくしや)に乗り、吏卒を從へん。士林に交游し、官を累(かさ)ぬれば故より州郡を失はざるなり。將軍 操を迎へなば、安くに歸する所あらと欲するか。願はくは早く大計を定めんことを。衆人の議を用ふる莫きなり』と。權歎息して曰く、『諸人が議を持する、甚だ孤の望(のぞみ)を失す。いま卿(けい)は大計を廓開(かくかい)し、正に孤と同じ』と。(五)

【語句】
・奉辭伐罪=天子の命令を承けて悪者を討伐する。
 曹操は天子を後楯(うしろだて)にしているから曹操に反抗する者を罪人と称しているのである。
・旌麾南指=「旌」は狭義では牛の尾(しっぽ)の毛や鳥の羽のさいたのを竿にぶらさげた旗、広義では旗の総称。「麾」は指揮に用いる旗。
 曹操の魏の国は北方にあり、南の方へ向って進軍したから南指という。
 



時周瑜受使至番陽、肅勸權召瑜還、瑜至、謂權曰、操雖託名漢相、其實漢賊也、將軍
以神武雄才、兼仗父兄之烈、割據江東、地方數千里、兵精足用、英雄樂業、當横行天
下、爲漢家除殘去穢、況操自送死、而可迎之邪、請爲將軍籌之、今北土未平、馬
超韓遂、尚在關西、爲操後患、而操舎鞍馬仗舟楫、與呉越爭衡、今又盛寒、馬無藁
草、驅中國士衆、遠渉江湖之間、不習水土、必生疾病、此數者用兵之患也、而操皆冐行
之、將軍禽操、宜在今日、瑜請得精兵數萬人、進住夏口、保爲將軍破之、權曰、老
賊欲廢漢自立久矣、徒忌二袁・呂布・劉表與孤耳、今數雄已滅、惟孤尚存、孤與老賊、
勢不兩立、君言當擊、甚與孤合、此天以君授孤也、因抜刀斫前奏案曰、諸將吏敢復
有言當迎操者、與此案同、乃罷會、(六)

【書き下し文】
時に周瑜 使を受けて番陽(はよう)に至れり。肅 權に勸めて瑜を召して還さしむ。瑜至る。權に謂ひて曰く、『操は名を漢相に託すと雖も、其の實は漢賊なり。將軍 神武の雄才を以てし、兼ねて父兄の烈に仗(よ)り、江東に割據し、地 方數千里、兵精にして用ふるに足り、英雄は業を樂しむ。當に天下に横行し、漢家の爲に殘を除き穢(あい)を去るべし。況や操自ら死を送れるに、而も之を迎ふ可けんや。請ふ將軍の爲に之を籌(はか)らん。今北土未だ平(たひら)がず、馬超・韓遂、なほ關西(かんせい)に在り、操の後患を爲す。而るに操は鞍馬を舎(す)て舟楫(しゆうしゆう)に仗り、呉越と衡を爭ふ。いままた盛寒にして、馬は藁草(こうそう)無し。中國の士衆を驅り、遠く江湖の間に渉(わた)り、水土に習はず、必ず疾病を生ぜん。此の數者(すうしや)は用兵の患なり。而るに操みな冐(をか)して之を行ふ。將軍 操を禽(とりこ)にせんこと、宜しく今日に在るべし。瑜請ふ精兵數萬人を得、進んで夏口に住(とど)まり、保して將軍の爲に之を破らん』と。權曰く、『老賊 漢を廢して自立せんと欲すること久しかりき。徒(ただ)二袁・呂布・劉表と孤とを忌みしのみ。いま數雄已に滅び、惟(ただ)孤のみなほ存す。孤と老賊と、勢ひ兩立せず。君「當に擊つべし」と言ふは、甚だ孤と合(がつ)す。此 天 君を以て孤に授くるなり』と。因つて刀を抜き前の奏案を斫(き)りて曰く、『諸將吏敢へて復た「當に操を迎ふべし」と言ふ者有らば、此の案と同じからん』と。乃ち會を罷(や)む。(六)

【語句】
・託名漢相=曹操は後漢の献帝の建安13年に漢の丞相(じょうしょう)となった。「漢の丞相ということに名目をかこつけているけれども」
・舎鞍馬仗舟楫=「舎」は「捨」の省文、騎馬戦をしないで水上の戦をする



是夜瑜復見權曰、諸人徒見操書言水歩八十萬而各恐懾、不復料其虚實、便開此議、甚
無謂也、今以實校之、彼所將中國人、不過十五六萬、且已久疲、所得表衆、亦極七八
萬耳、尚懐狐疑、夫以疲病之卒、御狐疑之衆、衆數雖多、甚未足畏、瑜得精兵五萬、
自足制之、願將軍勿慮、權撫其背曰、公瑾、卿言至此、甚合孤心、子布・元表諸人、
各顧妻子、挾持私慮、深失所望、獨卿與子敬、與孤同耳、此天以卿二人贊孤也、
五萬兵雖卒合、已選三萬人、船糧戰具倶辦、卿與子敬程公、便在前發、孤當續發人
衆、多載資糧、爲卿後援、卿能辦之者誠決、邂逅不如意、便還就孤、孤當與孟徳
決之、遂以周瑜程普爲左右督將兵、與備幷力逆操、以魯肅贊軍校尉、助畫
方略、(七)

【書き下し文】
是の夜 瑜復た權に見(まみ)えて曰く、『諸人徒だ操の書に水歩八十萬と言ふを見て、各ゝ(おのおの)恐懾(きようしよう)し、復た其の虚實を料らず、便ち此の議を開く、甚だ謂(いひ)無きなり。いま實を以て之を校するに、彼の將(ひき)ゐる所の中國の人は、十五六萬に過ぎず、且已に久しく疲れたり。得る所の表の衆も、亦極めて七八萬なるのみにして、なほ狐疑を懐く。夫れ疲病の卒を以(ひき)ゐ、狐疑の衆を御す、衆數(しゆうすう)多しと雖も、甚だ未だ畏るるに足らず。瑜 精兵五萬を得ば、自ら之を制するに足る。願はくは將軍慮(おもんぱか)ること勿れ』と。權その背(はい)を撫して曰く、『公瑾、卿の言此に至る、甚だ孤の心に合す。子布・元表の諸人は、各ゝ妻子を顧み、私慮を挾持(きようじ)し、深く望む所を失ふ。獨り卿と子敬とは、孤と同じきのみ。此れ天 卿二人を以て孤を贊(たす)くるなり。五萬の兵は卒(には)かに合(あつ)め難し。已に三萬人を選び、船糧戰具ともに辦(べん)ぜり。卿(けい) 子敬・程公と、便ち前に在りて發せよ。孤當に續きて人衆を發し、多く資糧を載せ、卿の後援を爲すべし。卿能く之を辦ずる者は誠に決せよ。邂逅意の如くならずんば、便ち還りて孤に就け。孤當に孟徳と之を決すべし』と。遂に周瑜・程普を以て左右督と爲し兵を將(ひき)ゐ、備と力を幷せて操を逆(むか)へしめ、魯肅を以て贊軍校尉(さんぐんこうい)と爲し、方略を助畫(じよかく)せしむ。(七)

【語句】
・夫以疲病之卒=夫れ疲病の卒を以(ひき)ゐ 「以」この場合は「もって」でなく「ひきいる」である、昔の人は「ゐる」「ゐて」とも訓じた。
・程公=程普。孫権の諸将のうちで程普が最年長であったから、人々はみな程公と呼んだ。
・邂逅不如意=「邂逅」は思いがけず会うこと。「予期せぬ事態になって意の如くならなかったら」
・孟徳=曹操の字
・逆操=曹操をむかえうつ。「逆」はこの場合は「迎」という意味。
  同じく「迎える」といっても、降参して迎える場合と迎えうつ場合とがあるから注意すべきである。



劉備在樊口、日遣暹吏於水次、候望權軍、吏望見瑜船、馳往白備、備遣人慰勞之、瑜
曰、有軍任、不可得委署、儻能屈威、誠副其所望、備乃乘單舸、往見瑜曰、今拒
曹公、深爲得計、戰卒有幾、瑜曰、三萬人、備曰、恨少、瑜曰、此自足用、豫州但觀瑜
破之、備欲呼魯肅等共會語、瑜曰、受命不得妄委署、若欲見子敬、可別過之、備
深愧喜、進與操遇於赤壁、(八)

【書き下し文】
劉備 樊口に在り、日ゝ暹吏(らり)を水次に遣(つかは)し、權の軍を候望せしむ。吏 瑜の船を望見し、馳せ往きて備に白(まう)す。備 人を遣し之を慰勞せしむ。瑜曰く、『軍任有り、委署するを得可からず。儻(も)し能く威を屈せば、誠に其の望む所に副(そ)ふ』と。備乃ち單舸に乘り、往きて瑜を見て曰く、『いま曹公を拒(ふせ)ぐは、深く計を得たりと爲す。戰卒幾(いくば)く有るか』と。瑜曰く、『三萬人』と。備曰く、『恨むらくは少なし』と。瑜曰く、『此れ自ら用ふるに足る。豫州は但だ瑜の之を破るを觀よ』と。備 魯肅等を呼びて共に會語(かいご)せんと欲す。瑜曰く、『命を受けたれば妄りに委署するを得ず。若し子敬を見んと欲せば、別に之に過(よぎ)る可し』と。備深く愧(は)ぢ喜ぶ。進んで操と赤壁に遇(あ)ふ。(八)

【語句】
・暹吏=巡吏と同じ。見廻りの役人。
・白=告白の白、「つぐ」と読むも可。
・有軍任、不可得委署=軍事上の任務があるから部署を離れうるわけにはいかない。
 「委」は「棄つ」
・儻能屈威、誠副其所望=儻は「もし」「ひょっとして」。また「たとい」の場合もある。
目上のものがわざわざ目下のものに会いにくるから「威を屈す」という。
「副其所望」の「其」は周瑜をさす。「こちらの希望にかないます」
・此自足用=これだけで十分役に立つ。
・愧喜=魯肅を呼ぼうとした過ちをはじ、周瑜の言行の正しいことを喜ぶ。



時操軍衆已有疾疫、初一交戰、操軍不利、引次江北、瑜等在南岸、瑜部將黄蓋曰、今寇
衆我寡、難與持久、操軍方連船艦、首尾相接、可焼而走也、乃取蒙衝鬪艦十艘、載燥荻
枯柴、灌油其中、裹以帷幕、上建旌旗、豫備走舸、繋於其尾、先以書遺操、詐云欲
降、時東南風急、蓋以十艦最著前、中江擧帆、餘船以次倶進、操軍吏士、皆出營立觀、
指言蓋降、去北軍二里餘、同時發火、火烈風猛、船往如箭、焼盡北船、延及岸上營落、
頃之煙炎張天、人馬焼溺、死者甚衆、瑜等率輕鋭繼其後、靁鼓大震、北軍大壞、操引軍
從華容道歩走、遇泥濘道不通、天又大風、悉使羸兵負艸塡之、騎乃得過、贏兵爲
人馬所蹈藉、陷泥中死者甚衆、劉備周瑜、水陸並進、追操至南郡、時操軍兼以饑疫、
死者大半、操乃留征南將軍曹仁、横野將軍徐晃守江陵、折衝將軍樂進守襄陽、引軍北
還、(九)

【書き下し文】
時に操の軍衆已に疾疫(しつえき)有り。初め一たび戰を交ふるや、操の軍利あらず、引きて江北に次(じ)す。瑜等南岸に在り。瑜の部將黄蓋曰く、『いま寇は衆(おほ)く我は寡(すくな)く、與に久しきを持し難し。操の軍方に船艦を連ね、首尾相接す、焼きて走らす可きなり』と。乃ち蒙衝鬪艦十艘を取り、燥荻枯柴(そうてきこさい)を載せ、油を其の中に灌(そそ)ぎ、裹(つつ)むに帷幕(いばく)を以てし、上に旌旗(せいき)を建て、豫(あらかじ)め走舸を備へ、其の尾に繋ぐ。先づ書を以て操に遺り、詐(いつは)りて「降らんと欲す」と云ふ。時に東南風急なり。蓋(がい) 十艦を以て最も前に著(つ)け、中江に帆を擧げ、餘船 次を以て倶に進む。操の軍の吏士、皆營を出で立ちて觀、指さして『蓋降る』と言ふ。北軍を去ること二里餘にして、同時に火を發す。火烈(はげ)しく風猛(たけ)く、船往くこと箭(や)の如く、北船を焼盡し、延(ひ)いて岸上の營落に及ぶ。頃(しばら)くにして煙炎 天に張(みなぎ)り、人馬 焼溺(しようでき)し、死する者甚だ衆し。瑜等 輕鋭を率ゐ其の後を繼ぎ、靁鼓(らいこ)大いに震ふ。北軍大いに壞(やぶ)る。操 軍を引ゐ華容道より歩走す。泥濘に遇ひて道通ぜず。天又大いに風ふく。悉く羸兵(るいへい)をして艸(くさ)を負ひ之を塡(うづ)めしめ、騎乃ち過ぐるを得たり。贏兵 人馬の蹈藉(とうせき)する所と爲り、泥中に陷りて死する者甚だ衆し。劉備・周瑜、水陸並び進み、操を追ひて南郡に至る。時に操の軍 兼ぬるに饑疫を以てし、死する者大半なり。操乃ち征南將軍曹仁、横野將軍徐晃を留めて江陵を守らしめ、折衝將軍樂進には襄陽を守らしめ、軍を引ゐて北還す。(九)

【語句】
・引次江北=退いて揚子江の北岸に集結した。「次」は軍隊を駐屯すること。
・最著前=「殿最」という熟語があり、軍隊の前へ突き進むのを「最」といい、隊後に在るのを「殿」という。従って功多きを「最」といい、功少なきを「殿」という。
 ここでは、「最」は「著」の副詞、「前」は「著」の補語、「最前列的に前に著ける」。
 「最」はこのように動詞の副詞として用いる場合と、「最善」「最悪」のように形容詞の副詞として用いる場合とがある。
・頃之=ここの「之」は直接に指示するものはない。動詞として文字を使用するときに「之」をつけるのであって、ここでも「久之」などと同じく「頃」「久」一字だけでは口調の悪いとき、「之」をつけ口調をととのえ、かつ時間的経過をあらわしている。
・靁=太鼓をはやうちすること
・羸兵=つかれた兵。羸(るい)は「つかれる、やせる」の意。
・征南・横野・折衝=すべて将軍の名称。
 将軍というのは本来は常置してあるのではなく征討に際して任命したもので、官名として定まった名称もあるが、その都度の任務などによって名称がつけられることもあり、ここでは「南方の敵を征する」「大平原をよこぎる」「敵の衝をくじく」という意味で名称がつけられている。 
 なお「衝」とは敵陣につきあてる戦車、タンクのような役割をするもの。

(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、310頁~333頁)


≪漢文の文章~小川環樹・西田太一郎『漢文入門』より≫

2023-12-30 18:31:56 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪漢文の文章~小川環樹・西田太一郎『漢文入門』より≫
(2023年12月30日投稿)

【はじめに】


 この秋(10月~12月)、TBS系火曜ドラマ枠で「マイ・セカンド・アオハル」が放送されていた。
 高校卒業後、非正規の仕事を転々としていた白玉佐弥子(広瀬アリス)が30歳を過ぎて、謎の大学生・小笠原拓(道枝駿佑)の一言を契機に学び直しを決意して、工学部建築学科に入学し、恋に勉強に夢に奮闘するラブコメディであった。建築学科の学生は、設計図を作成する以外にも、模型を製作しなくてはならないのかと、改めて文系の学生との違いを思い知らされた。
 ところで、当初、「マイ・セカンド・アオハル」というドラマのタイトルが気になった。
「マイ・セカンド」は英語だとわかるにしても、「アオハル」という言葉に対して、頭に疑問符が浮かんだ。ストーリーなどを追っていくうちに、「アオハル」とは、「青春(せいしゅん)」の読み方を訓読みに変えたものであることに気づいた。「青春」の辞書的な意味は、「夢や希望に満ちた活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの」という。「アオハル」にすると、「青春」の意味よりもさらに、「初々しさ」「未熟さ」「エネルギッシュ」といったイメージが強くなるらしい。
 さて、この「アオハル」「セイシュン」といった「青春」という言葉を考えてみると、漢語の構造に思いが及ぶ。
 例えば、菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店、1999年[2019年版]、10頁~11頁)では、漢文を読むためには、漢語の構造についての理解が不可欠であるとして、二字の漢語の構造を、日本文と語順が同じものと違うものに分けて、整理していた。
 すなわち、

【日本文と同じ語順の構造】
①主語+述語(日暮、地震、心痛)
②修飾語+被修飾語(高山、蛇行、山積)
③並列(出入、難易、天地)

【日本文と異なる語順の構造】
④述語+補語(即位、登壇、就任)
⑤述語+目的語(読書、飲酒、行政)
⑥否定語を上にもつ(無力、不屈、非凡)
<修飾語>…主語・目的語・補語・述語の内容を詳しく説明する語。
      「被修飾語」はその働きを受ける語。
<補語>…行為の行われている場所や原因を表す語。
     「ニ・ト・ヨリ」などを送ることが多い。
<目的語>…行為の対象を示す語。
     「ヲ」を送ることが多い。

【音と訓】
・漢語の読みには、音(おん)と訓(くん)がある。
 音は中国から伝わった読みであり、訓はその漢語に相当する日本語を当てた読みである。
 漢文を読むときには、一字の漢語は訓で読み、熟語の漢語は音で読むのが原則である。
 音には、「呉音(南北朝時代の呉の地方の音)」~例 世間(セケン)
    「漢音(隋、唐時代の長安地方の音)」~例 中間(チュウカン)
    「唐宋音(宋代以降の音)」~例 椅子(イス)
・漢文を読むときは、呉音を用いることもあるが、原則として漢音を用いる。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、10頁~11頁)

 今回、紹介する漢文の本でも、「語法概説(単語の結合)」(7頁~12頁)で、次の14の漢語の構造について解説している。
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
(1)日没 (2)氷解 (3)撃破 (4)晩成 (5)殺傷 (6)傷害 (7)読書 (8)父母
(9)大国 (10)流水 (11)城門 (12)蒙古 (13)矛盾 (14)決然
例からすると、「青春」は、【日本文と同じ語順の構造】②修飾語+被修飾語(高山)、ないし(9)大国と同じく、形容詞が名詞の前にある結合関係とみてよいであろう(詳しくは該当ページを参照のこと)

 さて、今回のブログでは、こうした漢語の問題のみならず、漢文の文章を引き続き紹介してみたい。
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
 この本に収録された漢文は、旧字で載せてあり、解説も高度な内容で、読みにくい。しかし、「契舟求劒」(呂氏春秋)、「蛇足」(戦国策)、「狐借虎威」(戦国策)、「杞憂」(列子)など、皆さんがよく知っている故事成語を取り上げたので、原文ではどのようになっているのかを味わってほしい。



【小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)はこちらから】
小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)







〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]
【目次】
はしがき
第一部 
一 漢文とは何か
二 句読および訓点
三 訓読の利害
四 語法概説(単語の結合)
五 語法概説(構文)

第二部 短文篇
1 楚荘王伐陳(説苑)
2 仲尼之賢(説苑)
3 子思立節(説苑)
4 忠臣不死難(説苑)
5 晏子諫君(説苑)
6 師経諫君(説苑)
7 于公決獄、未嘗有所冤(説苑)
8 有陰徳者、必有陽報(説苑)
9 徙薪曲揬之策(説苑)
10 契舟求剣(呂氏春秋)
11 蛇足(戦国策)
12 狐借虎威(戦国策)
13 非知之難、処知則難(韓非子)
14 愛憎之変(韓非子)
15 不死之薬(韓非子)
16 人当師聖人之智(韓非子)
17 普天之下、莫非王土(韓非子)
18 君主之柄(韓非子)
19 兼人者有三衛(荀子)
20 有治人、無治法(荀子)
21 性悪説(荀子)
22 君子遠庖厨(孟子)
23 推恩足以保四海(孟子)
24 君子有三楽(孟子)
25 菽粟如水火、民無不仁者(孟子)
26 荘子鼔盆而歌(荘子)
27 死之説(荘子)
28 杞憂(列子)
29 多歧亡羊(列子)

第三部 各体篇
散文と韻文および駢文と古文
一 論弁類
1 原人(韓愈)
2 論語辯(柳宗元)
二 序跋類
3 五代史伶官伝序(欧陽脩)
4 釈秘演詩集序(欧陽脩)
三 奏議類
5 陳情表(李密)
四 書牘類
6 答陳商書(韓愈)
7 与李方叔(蘇軾)
8 答楊済甫(蘇軾)
五 贈序類
9 送王秀才塤序(韓愈)
10 名二子説(蘇洵)
六 詔令類
11 賜南粤王趙佗書(漢文帝)
七 伝状類
12 方山子伝(蘇軾)
13 大鉄椎伝(魏禧)
八 碑誌類
14 石君墓誌銘(韓愈)
15 太常博士尹君墓誌銘(欧陽脩)
16 寒花葬志(帰有光)
九 雑記類
17 藍田県丞廳壁記(韓愈)
18 鈷鉧潭記(柳宗元)
十 箴銘類
19 瘞硯銘(韓愈)
20 韓幹画馬贊(蘇軾)
十一 哀祭類
21 独孤申叔哀辞(韓愈)
22 祭女拏女文(韓愈)
十二 辞賦類
23 登楼賦(王粲)
24 阿房宮賦(杜牧)
十三 叙記類
25 赤壁之戦(通鑑)
26 晋公子重耳之亡(左伝)

第四部 漢字の形・音・義
一 字体と字形
二 字形の構造(六書)
三 字(漢字の多様性)
四 字音

参考文献
字音かなづかい表




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・訓読について
・語法概説(単語の結合)
・契舟求劒(呂氏春秋)
・蛇足(戦国策)
・狐借虎威(戦国策)
・杞憂(列子)
・送王秀才塤序(韓愈)






訓読について



第一部序説 二 句読と訓点
【訓読】
わが国に中国の書物がはじめて伝わったときには、当時の中国の発音に従って読んでいたに違いない。しかしこれを訳読することも非常に早くから、恐らく奈良朝以前から起った。訳読というのは、漢文の各々の字義に対応する日本語の訳語をあてて読むことで、これを訓読(くんどく)という。もっとも中国の単語のすべてに訳語をつくることができず、中国の発音をそのまま使った単語もある(それらは今日まで日本語のなかでそのまま使われているものも少なくない。いわゆる「字音語」または「漢語」)。してみると、漢文の読み方としては、訳読の単語と音読の単語とがいりまじっていることになるが、言語の構造からいえば、日本語として了解できるようになっているから、訓読が主で音読が従だということになる。それでこのように訳読された漢文を訓読漢文という。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、4頁)

三 訓読の利害
漢文はもともと外国語の文であるから、一般に外国語を学ぶときのように、まず音読し、それによって意味を考えるのが正常な方法であり、訓読の方法は変則だといってもよい。すべての言語は、それぞれ特有のリズムがあり、また音と意味とのあいだに或る関係があるからである。また訓読にはつぎのような欠点もある。すなわち、訓読の方法と訓読に用いられることばとは平安朝時代に大体さだまり、そののち幾分かは変化したものの、ほとんどそのまま伝承されたから、訓読された漢文は日本語としても一種の古典語であって現代語ではなく、原文の意味をわかり易く伝えようとすれば、もう一度現代語におきかえなければならなくなったことがこれである。それにもかかわらず、この書物で訓読のかえり読みの法を用いたのはつぎの理由による。
 第一に、本書は入門の書であって、漢文の読み方をはじめて学ぶ人々、または若干の知識をすでに有しさらに深く学びたい人々のために編まれたものであるが、もし漢文を音読のみによって学ぼうとすれば、中国語の発音をまず学ばねばならない。それには特別の練習を必要とし、その便宜のない人々には困難と思われる。
 第二に、われわれの祖先は主として訓読した形でのみ漢文を知っており、また漢文学が日本文学に与えた影響も、直接に原文からではなく、訓読を通したものである。のみならず、わが国で復刻された中国の古典は、そのほとんどすべてが訓点をつけて出版されている。訓読の方法を知ることによって、それらの意味を知り、それらを利用することができる。
 われわれは以上の理由で訓読の法を用いる。しかし決して音読の方法を排斥するものでなく、中国語の発音を習得する機会のある人々、またすでに習得した人々は、音読によって漢文特有のリズムをとらえていただきたいし、いちいち返り読みをしないでも原文の意味をとらえる練習も望ましい。外国語を学ぶ以上、翻訳なしで原文の意味をとらえることが最後の目標であるからである。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、5頁~7頁)

語法概説(単語の結合)


・漢文はもともと漢字が並べてあるだけで、それには語尾変化もなく、主語と述語動詞との対応もなく、また格を示す助詞もない。
 従って、漢文の解読には、まず漢文の構文(syntax)を知る必要がある。
 漢文の構文・語法においては、文字(単語)の位置が文章や語句の意味を決定する。
 文字の位置といえば、文字相互の前後関係に要約できる。
・そこでまず、わが国で常用している二字で成立している漢語を用いて、この漢語を構成する二字の結合の関係を分析して、研究してみよう。

(1) 日没
(2) 氷解
(3) 撃破
(4) 晩成
(5) 殺傷
(6) 傷害
(7) 読書
(8) 父母
(9) 大国
(10) 流水
(11) 城門
(12) 蒙古
(13) 矛盾
(14) 決然

(1) 日没
・「日が没する」で、名詞の後に動詞があり、主語・述語の関係にある。

(2) 氷解
・(1)と同じく、主語・述語の関係から、「氷が解ける」という意味になるが、また別に「氷のように解ける」ことをも意味する。
 かくして「林立・鯨飲・毒殺・穴居」などにおいて、動詞の前の名詞は、状態・材料・手段・場所などを示す副詞的修飾語の役目をすることがある。

(3) 撃破
・動詞が二つ重ねられていて、「撃って破る」を意味し、「撃つ」と「破る」とには時間的継続関係がある。
 なお、漢文ではこのような場合に、「撃而破之」(撃ちて之を破る)というように「而」の字を用いることもある。

(4) 晩成
・「晩(おそ)く成る」であり、前の「晩」は後の動詞の「成」に対する副詞的修飾語である。
 このような場合、副詞的修飾語になるのは、もとから副詞的な語のほかに、(2)のように名詞もその働きをするし、また「立飲」(立ちながら飲む)、「生得」(生れつきとして得る、生きながらにしてとらえる)などのように、動詞もその働きをし、そのほかいろいろの場合がある。

(5) 殺傷
・(3)と同じく動詞が二つ重ねられているが、前後の二字は並列または選択の関係にあり、「殺し及び(and)傷つける」、または「殺しあるいは(or)傷つける」ことを意味する。

(6) 傷害
・(3) (5)と同じく動詞が二つ重ねられているが、前後の二字はこの場合それぞれに共通の字義を紐帯として結合されているのであって、二字で「そこなう」とか「きずつける」とかを意味する。
 「計算」「集合」などもこれと同じで、このような形式で結びついている語を連文または連語という。

(7) 読書
・動詞が前にあり、名詞が後にあり、「書を読む」を意味し、後の名詞は前の動詞の補語である。
(この書物では、述語の後に在ってその述語の内容を補足する語を補語と仮りに名づける。これはフランス文法の用語を借りたもので、補語のうちに目的語も含まれるものとする。もし補語のうちから目的語だけを弁別しようと思うならば、前の語が他動詞であるかどうかで区別すればよいが、漢文では決定し難い場合もある。)

※これらの七つの語はまた名詞としても取扱いうる。

(8) 父母
・名詞が二つ重ねられており、(5)と同じく並列または選択の関係にあり、「父と(and)母」または「父あるいは(or)母」を意味する。
 この(5) (8)に類するものに「大小」「軽重」などがあり、いずれも並列あるいは選択の関係にあるが、これらはまた概括的に「大きさ」「重さ」を意味し、また「緩急」のように、そのうち「急」のみに重きを置く場合もある。
 また「国家」などのように、元来の意味は「国と家」であったが、のちには「国」だけを意味する場合もある。

(9) 大国
・形容詞が名詞の前にあり、「大きい国」を意味する。

(10) 流水
・(7)と同じく動詞が名詞の前にあるが、「流れる水」を意味し、前の動詞は、(9)の場合と同様に、後の名詞の形容詞的修飾語の役目をしている。
・(9) (10)に類するものに、「錦衣」「木像」の如く、名詞が形容詞的修飾語の役目をして、その属性をあらわすことがある。

(11) 城門
・(8)と同じく名詞が二つ重ねられているが、この場合は「城の門」を意味し、前後の二字に従属の関係が成立している。なお、漢文では、このひょうな場合((9) (10)の場合も)、「城之門」というように、「之」の字を用いることがあり、「之」は英語のofと同様な役目をするが、語順は異なる。

(12) 蒙古
・構成している二字のそれぞれの字義には関係がなく、二つの字の音の総合で一つの単位をなす固有名詞ができている。
・「瑠璃(るり)」「瑪瑙(めのう)」「葡萄(ぶどう)」なども同様で、これらは外来語の音を漢字で表現したのである。

(13) 矛盾
・二つの名詞が重ねられており、起源的には「ほことたて」に関係があるが、この二つのものに関係した或る寓話的故事から、単にcontradiction(くいちがい)を意味する。
・また「友于兄弟」という語句から兄弟の二字をわざと省き、「友于」の二字だけで「兄弟が仲が良い」ことを意味する場合があり、これを歇後(けつご)の語とよぶ。
 漢文にはこのような故事成語が多いから、これらの語義はその起源をさかのぼってきわめねばならない。

(14) 決然
・「忽焉」(こつえん、たちまち)、「確乎」、「卒爾」(不用意に)、「突如」などと同様に、或る字に「然・焉・爾・如」などの助辞が付けられて、その字の意味に基づいて、ものごとの状態をあらわす語が成立している。
・またある状態をあらわす字を二字重ねて双字とする場合がある、「洋洋・悠悠・堂堂」などがこれである。
・これらの語の意味はいずれもそれを構成している文字の意味に関係がある。
・ところが、「従容」(しょうよう)、「磊落」(らいらく)などの語は、これを構成する「従」「容」「磊」「落」などのそれぞれの字義には関係がなく、二字の音の特殊な結合によって、或るものごとの状態を形容しているのである。
 すなわち、「従容」の場合、syō yōと二字とも同じ韻が重ねられているのであり、この関係を「畳韻」(じょういん)という。
⇒「矍鑠」(かくしゃく)、「纏綿」(てんめん)、「蹉跎」(さだ)、「彷徨」(ほうこう)などはこの例である。

・これに対して、「磊落」はrai raku(ただし中国ではlai lakというような発音をした)というふうに、同じ発声(音節の初の子音)をそろえたもので、これを「双声」という。
⇒「悽愴」(せいそう)、「陸離」(りくり)、「玲瓏」(れいろう)、「淋漓」(りんり)などがこの例である。
・畳韻・双声の語は、いずれもこれを構成する二字の音の結合がものごとの状態についての感じを表現するもので、日本語の擬声語・擬態語に似ている。
 従って、畳韻・双声の語は、必ずしもそれをあらわす文字が限定されない。
 双声の「猶予」(ゆうよ)はまた「猶与」「猶預」とも書かれ、「匍匐」(ほふく)は「蒲伏」「蒲服」「扶匐」とも書かれ、畳韻の「逡巡」(しゅんじゅん)はまた「逡遁」「逡遯」「逡循」「蹲循」(いずれもシュンジュン)と書かれる。
 なお、双声・畳韻の場合、音とともに或る字義がその状態を現すのに適しておれば、その字を用いることもあるが、重点はその重ねられた二字の音にあるのである。
 これらはいずれも、文字の意味や音の特殊な結合によって、ものごとの状態をあらわす語が作られているものである。
 



以上で、すべての語と語との結合関係を網羅したわけではないが、主要なものはほぼすべて挙げたという。
これらを整理すると、次のようになる。
A 主語 述語~国語の口語で「aがbする」「aはbである」を意味する。
 ただし、漢文では主語が省略される場合が多い。

B 述語 補語~国語の口語で「aを・へ・に・から・よりbする・bである」などを意味する。

C 修飾語 被修飾語~国語の口語で「どのようなa」「なにのa」「なにでできているa」、および「どのようにaする・aである」を意味する。
 被修飾語が名詞の類のものであれば、修飾語は形容詞的となり、被修飾語が動詞・形容詞・副詞の類のものであれば、修飾語は副詞的修飾語となる。

D 並列~aとb。aし及びbする。
E 選択~aまたはb。aしまたはbする。
F 時間的継続~aしてbする。
G 従属~aのb(aに従属しているb)
H 上下同義~a=b

ここにあげた語と語との前後の相互関係は、大体からいって、名詞とか動詞・形容詞とかの実質的意味内容をもっている語、すなわち実辞(じつじ)についてのべたものであるが、漢文にはまた別に助辞(じょじ、または助字)というのがある。
 助辞というのは単独では実質的内容のある意味をあらわさず、他の実辞や文に結びついて、その語や文の意味を充実させるもので、「雖」「則」「也」「乎」「者」などがこれである。
 これらの語も、或いは他の語との関係において、或いは文章のなかで果す役割において、それぞれの位置がきまっている。
 ただ、助辞の性格は極めて多様で、いまここにまとめて述べることはわずらわしいので、以下の叙述中に、折にふれて説明することにするという。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、7頁~12頁)

契舟求劒(呂氏春秋)



第二部
契舟求劒(呂氏春秋)

菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店、1999年[2019年版]、186頁)の故事成語にも、次の話は出てきた。

「舟に契みて剣を求む」『呂氏春秋』察今

楚人有渉江者。其剣自舟中墜於水。遽契
其舟曰、「是吾剣所従墜。」舟止。従其所契者、
入水求之。舟已行矣。而剣不行。求剣若此。
不亦惑乎。以此故法為其国与此同。時已徙矣。
而法不徙。以此為治、
豈不難哉。

【書き下し文】
楚人に江を渉(わた)るも者有り。其の剣舟中より水に墜(お)つ。遽(には)かに其の舟に契(きざ)みて曰く、「是れ吾が剣の従りて墜つる所なり」と。舟止(とど)まる。其の契みし所の者より、水に入りて之を求む。舟已に行く。而も剣行かず。剣を求むること此くのごとし。亦惑(まどひ)ならずや。此の故法を以て其の国を為(おさ)むるは此と同じ。時已に徙(うつ)れり。而も法は徙らず。此を以て治を為(な)すは、豈に難(かた)からずや。

【現代語訳】
楚の国の人に長江を渡る人がいた。その人の剣が舟の中から水の中に落ちた。いそいでその舟に刻んでしるしをつけて言った、「ここが私の剣が(水に)落ちたところだ」と。舟が止まった。その人が刻んでしるしをつけたところから、川の中に入って落とした剣を探し求めた。舟はもう進んでしまった。それなのに剣は進まない。剣を探し求めることはこのようである。なんと見当違いではないか。古い法律や制度によって国を治めることはこれと同じである。時勢はすでに移り変わってしまっている。それなのに法律や制度は変わらない。この古い法律や制度で政治を行うことは、なんと困難ではないか。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、169頁~184頁)

それでは、小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)では、どうなっているのだろうか。

10契舟求劒(呂氏春秋)

楚人有渉江者、其劔自舟中墜於水、遽契其舟曰、是吾劔之所從墜、舟止、從其所
契者、入水求之、舟已行矣、而劔不行、求劔若此、不亦惑乎、以此故法爲其國
與此同、時已徙矣、而法不徙、以此爲治、豈不難哉、有過於江上者、見人方引嬰
兒而欲投之江中、嬰兒啼、人問其故、曰、此其父善游、其父雖善游、其子豈遽善游哉、
(呂氏春秋、察今)

【書き下し文】舟に契みて劒を求む
楚人に江を渉(わた)るも者有り。其の劒舟中より水に墜(お)つ。遽(には)かにその舟に契(きざ)みて曰く、『是れ吾が劒の從つて墜ちし所なり』と。舟止(とど)まる。その契みし所の者從り、水に入りて之を求む。舟已に行けり、而も劒は行かず。劒を求むること此の若きは、亦惑(まどひ)ならずや。此の故法を以て其の國を爲(をさ)むるは此と同じ。時已に徙れり、而も法は徙らず。此を以て治を爲(な)すは、豈難(かた)からずや。江上を過ぐる者有り。人の方に嬰兒(えいじ)を引きて之を江中に投ぜんと欲し、嬰兒啼(な)けるを見る。人その故を問ふ。曰く、『此その父善く游(およ)ぐ』と。其の父善く游ぐと雖も、其の子豈遽(なん)ぞ善く游がんや。(呂氏春秋、察今)

(注1)「楚人有渉江者」の「有」について
「有」は元来「もつ」という意味で、例えば「有陰徳者、必有陽報」は、「陰徳をもっている者は必ず陽報をもつ」であって、文法的には「有」「無」の上の語が主語である。
 このことは37頁の「我有子無」で明らかである。
 従って「楚人有渉江者」は「楚人が江を渉る者をもった」となる。
 「有楚人渉江者」ならば、文法上の主語がなくて、「楚人の江を渉る者をもつ」を意味する。
 ところが「もつ」という表現は固有の国語として適当でなく、「がある」というのが普通であるから、訓読では「楚人有渉江者」を「楚の人に江を渉る者がいた」という表現法をとる。
 漢文の「有」に関する語法は、文法上からいって、フランス語のそれと類似している。
 フランス語では「彼は二冊の書物をもっている」は≪Il a deux livres.≫といい、「二冊の書物がある」は≪Il y a deux livres.≫という(このilは英語のhe, it のいずれをもあらわし、英語に逐語訳をすると≪He has two books.≫≪It there has two books.≫となる)
 この場合、文法上、ilはaの主語であり、deux livresは補語である。
 漢文の「人皆有兄弟」(論語 顔淵)においても、文法的にいって、「人」は「有」の主語であり「兄弟」は「有」の補語であることは明らかである。
 しかし漢文では主語を省略することが多く、また特定の主語のない場合があり、そのような場合に漢文ではilに当る語がないから「有天地、然後有萬物」(易 序卦)というように文法上の主語なしに書かれる。主語がないというこのことは「有」に関係した場合だけでなく、「使我言而無見違」(49頁)も同じで、この場合も特定の主語がないのであって、希求文や命令文だから主語がないというわけではないのである(漢文では命令文は必ず主語を省くという原則はない)。
 ところが、ここに一つ問題がある。漢文で述語の上にある語は、主語だけでなくて、副詞的修飾語の場合があり、名詞も単独で副詞的修飾語となる。(中略)
 そこで「傍有積薪」「世有伯楽」「楚有孝婦」「楚人有渉江者」などの場合、さきに「楚人」が主語であるといったが、「傍」「世」「楚」「楚人」などは「有」という述語の場面とか範囲とかをあらわす副詞的修飾語で、これらの文では特定の文法上の主語がないという考えもあるということになる。甚だ曖昧なようであるが、主語の人称や単数複数と述語動詞の変化との対応のない漢文では、これはやむを得ない。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、66頁~74頁)



蛇足<戦国策>


蛇足については、菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店)では、次のように述べていた。
蛇足<戦国策>
よけいな付け足し。
※楚の国で蛇を早く描く競争をしたところ、早く描いた人が蛇に足を描き加えたために負けてしまったことから。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、182頁~186

次に、小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)では、どのように述べているのか。

11蛇足(戦国策)
 昭陽爲楚伐魏、覆軍殺將、得八城、移兵而攻齊、陳軫爲齊王使、見昭陽、再拜賀
戰勝、起而問楚之法、覆軍殺將、其官爵何也、昭陽曰、官爲上柱國、爵爲上執珪、陳軫
曰、異貴於此者何也、曰、唯令尹耳、陳軫曰、令尹貴矣、王非置兩令尹也、臣竊爲公
譬、可也、楚有祠者、賜其舎人巵酒、舎人相謂曰、數人飮之不足、一人飮之有餘、請
畫地爲蛇、先成者飮酒、一人蛇先成、引酒且飮之、乃左手持巵、右手畫蛇曰、吾能
爲之足、未成、一人之蛇成、奪其巵曰、蛇固無足、子安能爲之足、遂飮其酒、爲蛇
足者、終亡其酒、今君相楚而攻魏、破軍殺將、得八城、不弱兵欲攻齊、齊畏公
甚、公以是爲名(居)足矣、官之上非可重也、戰無不勝、而不知止者、身且死、爵且
後歸、猶爲蛇足也、昭陽以爲然、解軍而去、(戰國策 齊策)

【書き下し文】
昭陽 楚の爲に魏を伐ち、軍を覆(くつがへ)し將を殺し、八城を得、兵を移して齊を攻む。陳軫(ちんしん)齊王の爲に使(つかひ)し、昭陽に見(まみ)え、再拜して戰勝を賀し、起ちて問ふ、『楚の法、軍を覆し將を殺さば、その官爵は何ぞや』と。昭陽曰く、官は上柱國と爲り、
、爵は上執珪と爲る』と。陳軫曰く、『異(こと)に此より貴き者は何ぞや』と。曰く、『ただ令尹のみ』と。陳軫曰く、令尹は貴し。王は兩令尹を置くに非ざるなり。臣竊(ひそ)かに公の爲に譬へん、可ならんか。楚に祠者(ししゃ)有り。其の舎人(しゃじん)に巵酒(ししゅ)を賜ふ。舎人相謂ひて曰く、「數人これを飮めば足らず、一人これを飮めば餘(あまり)有り。請ふ
地に畫(ゑが)きて蛇を爲(つく)り、先づ成る者酒を飮まん」と。一人蛇先づ成る。酒を引き且に之を飮まんとし、乃ち左手もて巵を持し、右手もて蛇を畫いて曰く、「吾能く之が足を爲る」と。未だ成らざるとき、一人の蛇成る。その巵を奪つて曰く、「蛇固より足無し、子安んぞ能く之が足を爲らんや」と。遂にその酒を飮む。蛇足を爲す者は、終(つひ)にその酒を亡(うしな)へり。いま君楚に相(しよう)たりて魏を攻め、軍を破り將を殺し、八城を得、兵を弱めずして齊を攻めんと欲す。齊の公を畏るること甚だし。公これを以て名を爲さば足れり。官の上は重ぬ可きに非ざるなり。戰(たたかひ)勝たざることなく、而して止(とど)まるを知らざる者は、身は且(かつ)死し、爵は且後歸(こうき)せん。なほ蛇足を爲すがごときなり』と。昭陽以て然りと爲し、軍を解いて去る。(戰國策 齊策)

【語句】
・引酒且飮之=酒をひきよせてこれを飲もうとした。 
 「且」は「將」に同じ
・公以是爲名(居)足矣=あなたはこれで名声をあげなさったら十分です。
 「居」は「名」と字形が似ているので、誰かが誤って書きいれた余計な字であろう。
 なお、あるテキストには「居」は「亦」になっているが、「亦」ならば、この場合、「それだけでも」という意味である。
・官之上非可重也=上柱国となったら、「その官の上は重ねて官を得べきものではないのである」。
 というのはそれより上の令尹の官にはすでに人がおり、二人の令尹を置くことがないから。
・身且死、爵且後歸=身は死ぬであろうし、また爵は後任の将軍の手に帰すであろう。
 漢書鼂錯(ちょうそ)伝の「且馳且射」などと同じく、二つのことがらが同時に行なわれることをあらわす。「歸」は「帰着」「帰属」

(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、74頁~79頁)


狐借虎威(戦国策)


12 狐借虎威(戦国策)
荊宣王問羣臣曰、吾聞北方之畏昭奚恤也、果誠何如、羣臣莫對、江乙對曰、虎求百
獸而食之、得狐、狐曰、子無敢食我也、天帝使我長百獸、今子食我、是逆天帝命
也、子以我爲不信、吾爲子先行、子隨我後、觀百獸之見我而敢不走乎、虎以爲然、
故遂與之行、獸見之皆走、虎不知獸畏己而走也、以爲畏狐也、今王之地、方五千里、
帶甲百萬、而専屬之昭奚恤、故北方之畏奚恤也、其實畏王之甲兵也、猶百獸之畏虎也、
(戰國策 楚策)

【書き下し文】狐 虎の威を借る
荊の宣王羣臣に問うて曰く、『吾北方の昭奚恤(しょうけいじゅつ)を畏るるを聞けり、果して誠に何如(いかん)』と。羣臣對(こた)ふる莫し。江乙對へて曰く、『虎百獸を求めて之を食らふ。狐を得たり。狐曰く、「子敢て我を食らふ無きなり。天帝われをして百獸に長(ちょう)たらしむ。いま子われを食らはば、是れ天帝の命に逆ふなり。子われを以て信(まこと)ならずと爲さば、われ子の爲に先行せん。子わが後に隨(したが)ひ、百獸の我を見て敢て走らざらんやを觀よ」と。虎以て然りと爲し、故に遂にこれと行く。獸これを見て皆走る。虎獸(じゅう)の己を畏れて走れるを知らざるなり、以て狐を畏ると爲すなり。いま王の地、方五千里、帶甲(たいこう)百萬、而して専ら之を昭奚恤に屬(しょく)す。故に北方の奚恤を畏るるや、其の實は王の甲兵を畏るるなり。猶ほ百獸の虎を畏るるがごときなり』と。
(戰國策 楚策)

【語句】
・子以我爲不信=「信」は「まこと」「うそをいわぬ」。
 「以我」の「以」は対象を示す。
 逐語訳をすれば、「我をばまことでないと思うなら」、すなわち「私がうそをいっていると思うなら」(注1)

・(注1)「以爲」について
 「子以我爲不信」の「以a爲b」は「aをbとする」「aをbだと思う」を意味する。
 「虎以爲然」の「以」には「狐のいうことを」という観念が含まれているのである。
 このように「以爲」とつづいている場合には「虎以爲(おも)へらく然りと」と読んでもよい。 
  「以爲」は「おもへらく」と訓読するが、「……と思う」であって、「……を考える」ではない。この点とくに注意すべきである。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、79頁~82頁)


杞憂(列子)


28杞憂(列子)
 杞國有人憂天地崩墜、身兦所寄、廢寢食者、又有憂彼之所憂者、因往曉之曰、天
積氣耳、兦處兦氣、若屈伸呼吸、終日在天中行止、柰何憂崩墜乎、其人曰、天果積氣、
日月星宿、不當墜邪、曉之者曰、日月星宿、亦積氣中之有光耀者、只使墜亦不能有
所中傷、其人曰、柰地壊何、曉者曰、地積塊耳、充塞四虚、兦處兦塊、若躇歩(𧾷+此)蹈、
終日在地上行止、柰何憂其壊、其人舍然大喜、曉之者亦舍然大喜、長廬子聞而笑之曰、
虹蜺也、雲霧也、風雨也、四時也、此積氣之成乎天者也、山岳也、河海也、金石也、火水
也、此積形之成乎地者也、知積氣也、知積塊也、奚謂不壊、夫天地空中之一細物、
有中之最巨者、雖終難窮、此固然矣、難測難識、此固然矣、憂其壊者、誠爲大遠、
言其不壊者、亦爲未是、天地不得不壊、則會歸於壊、遇其壊時、奚爲不憂哉、子
列子聞而笑曰、言天地壊者亦謬、言天地不壊者亦謬、壊與不壊、吾所不能知也、
雖然彼一也、此一也、故生不知死、死不知生、來不知去、去不知來、壊與不壊、
吾何容心哉、(列子 天瑞)

【書き下し文】
 杞の國に人天地崩墜せば、身寄する所兦(な)きを憂へ、寢食を廢する者有り。また彼の憂ふる所を憂ふる者有り。因つて往きてこれを曉(さと)して曰く、『天は積氣のみ。處として氣兦きは兦し。若(なんぢ)屈伸呼吸し、終日天中に在りて行止(こうし)す、柰何(いかん)ぞ崩墜を憂へんや』と。その人曰く、『天果して積氣ならば、日月星宿は、當に墜つべからざるか』と。これを曉す者曰く、『日月星宿は、また積氣中の光耀(こうよう)有る者なり。只使(たと)ひ墜つるもまた中傷する所有る能はず』と。其の人曰く、『地の壊(くづ)るるを柰何(いかん)せん』と。曉す者曰く、『地は積塊のみ、四虚に充塞し、處として塊兦きは兦し。若躇歩(𧾷+此)蹈(ちゃくほさいとう)し、終日地上に在りて行止す、柰何ぞ其の壊るるを憂へんや』と。その人舍然(しゃぜん)として大いに喜ぶ。これを曉す者もまた舍然として大いに喜ぶ。長廬子(ちょうろし)聞いてこれを笑ひて曰く、『虹蜺(こうげい)や、雲霧や、風雨や、四時や、此積氣(せきき)の天に成る者なり。山岳や、河海や、金石や、火水や、此積形(せきけい)の地に成る者なり。積氣を知り、積塊を知らば、奚(なん)ぞ壊(くづ)れずと謂はん。夫れ天地は空中の一細物、有中の最巨なる者、終(つく)し難く窮(きは)め難し。此固より然り。測り難く識(し)り難し。此固より然り。その壊るるを憂ふる者は、誠に大遠と爲す。その壊れざるを言ふ者は、亦未だ是(ぜ)ならずと爲す。天地壊れざるを得ずんば、則ち會(かなら)ず壊るるに歸す。その壊るるに遇はば、奚爲(なんす)れぞ憂へざらんや』と。子列子聞きて笑ひて曰く、『天地壊ると言ふ者も亦謬(あやま)り、天地壊れずと言ふ者も亦謬れり。壊るると壊れざるとは、吾が知る能はざる所なり。然りと雖も彼は一(いつ)なり、此は一なり。故に生きては死を知らず、死しては生を知らず、來(らい)には去を知らず、去には來を知らず。壊るると壊れざると、吾何ぞ心に容れんや』と。(列子 天瑞)

【語句】
・『列子』 『老子』『荘子』と同じく道家に属する。
 列子・列禦寇の名は紀元前400年の前後70年ほどにわたって生存した人物として先秦の書物に見えるが、『史記』にはその伝記が載せられていず、その実在を疑う学者もある。
 『漢書』芸文志に列圉寇(れつぎょこう)の著として『列子』8巻があるから、少くとも漢代には『列子』という書物の存在したことは確かである。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、131頁~136頁)

送王秀才塤序(韓愈)


第三部 各体篇 贈序類
送王秀才塤序(韓愈)

吾嘗以爲孔子之道大而能博、門弟子不能徧觀而盡識也、故學焉而皆得其性之所近、其後
離散分處諸侯之國、又各以所能授弟子、原遠而末益分、(一)

【書き下し文】
王秀才塤(けん)を送る序(韓愈)

吾嘗て以爲(おもへ)らく、孔子の道は大(おお)いにして能く博(ひろ)うす。門弟子、徧(あま)ねく觀て盡(こと)ごとくは識ること能はざるなり。故に學びて而うして皆其の性の近き所を得たり。其の後離散して諸侯の國に分處するや、又各おの能くする所を以て弟子に授く。原(もと)は遠くして而うして末は益ます分れたりと。

【語句】
・徧觀而盡識=觀るおよび識るの目的語は孔子の道である。
 識はみさだめること。
・得其性之所近=性は生れつきのもちまえ。
 「其」は門人それぞれ。
 孔子の学説の中から各人の天分に応じて、近づきやすい部分をつかんだ。
・原遠而末益分=根源である孔子の道からはしだいに遠ざかり、まご弟子以後になると、その学説はいよいよ分れていった。



蓋子夏之學、其後有田子方、子方之後、流而爲荘周、故周之書、喜稱子方之爲人、荀卿
之書、語聖人必曰孔子子弓、子弓之事業不傳、惟太史公書弟子傳、有姓名字、曰(馬+干)臂
子弓、子弓受易於商瞿、孟軻師子思、子思之學、蓋出曾子、自孔子没、群弟子莫不有
書、獨孟軻氏之傳得其宗、故吾少而樂觀焉、(二)

【書き下し文】
蓋し子夏の學、其の後、田子方有り、子方の後、流れて荘周と爲る。故に周の書には、喜(この)んで子方の人と爲り稱し、荀卿(じゅんけい)の書には、聖人を語れば必らず孔子・子弓と曰ふ。子弓の事業は傳はらず、惟(ただ)太史公の書の弟子傳に姓名字有るのみ。(馬+干)臂(かんぴ)子弓と曰ふ。子弓は易を商瞿(しょうく)より受く。孟軻(もうか)は子思を師とす。子思の學は、蓋し曾子(そうし)に出づ。孔子の没して自り、群弟子 書有らざるは莫し。獨り孟軻氏の傳のみ其の宗を得たり。故に吾 少(わか)うして觀るを樂めり。

【語句】
・蓋子夏之學=この一段の前半は、孔子の学説が、いかに分れて行ったかの一例を示す。
 そのつぎの孟子の系統をひき出すためである。
・其後=子夏は孔子の直弟子でるが、田子方は直接子夏について学んだ人ではないことを暗示する。
・子方之後=荘周もまた子方の直弟子ではない。
・荘周=荘子(そうじ)とよばれる人。荘が姓、周が名。「荘子」は書名であって荘周の学派を集録する。
・荀卿=姓は荀、名は況(きょう)。卿は尊称。
 戦国時代の末から秦にかけての儒家の学者、漢代の儒学はほとんど荀況から出ている。そのあらわした書物を「荀子」という。
・太史公書=前漢の司馬遷があらわした歴史「史記」をさす。
・弟子傳=「史記」の第六十七巻「仲尼弟子列伝」をさす。仲尼は孔子のあざな。
・曰(馬+干)臂子弓=(馬+干)[かん]が姓、臂(ひ)が名で、子弓はその字(あざな)だと言う。韓愈は(馬+干)臂が姓だと考えたのかもしれない。
・受易於商瞿=易は周易、すなわち五経の一つの易経のこと。
 商瞿は魯の国の人で、あざなは子木(しぼく)と言い、孔子より29歳年少だったと、史記に見える。
・孟軻=すなわち孟子、姓が孟、名が軻である。
・子思=孔子のまご孔伋(こうきゅう)のあざな。
・子思之學、蓋出曾子=子思は直接孔子から学問をうけることができなかったので、かれが学んだのはたぶん曾子すなわち曾參(そうしん)であったろう。
・得其宗=その本すじを失わなかった。宗の原義は直系の子孫。



太原王塤、示予所爲文、好擧孟子之所道者、與之言、信悦孟子而屢贊其文辭、夫沿
河而下、苟不止、雖有遲疾、必至於海、如不得其道也、雖疾不止、終莫幸而至
焉、故學者必愼其所道、道於楊墨老荘佛之學、而欲之聖人之道、猶航斷港絶潢以
望至於海也、故求觀聖人之道、必自孟子始、今塤之所由、既幾於知道、如又得其
船與檝、知沿而不止、嗚呼、其可量也哉、(三)

太原の王塤、予に爲(つく)る所の文を示し、好んで孟子の道ふ所の者を擧ぐ。之と言へば、信(まこと)に孟子を悦んで而うして屢(しば)しば其の文辭を贊す。夫れ河に沿ひて下り、苟(まこと)に止(とどま)らずんば、遲疾有りと雖も、必らず海に至らん。如し其の道を得ずんば、疾(と)くして止らずと雖ども、終に幸(さいはひ)にして至ること莫らん。故に學者は必らず其の道する所を愼(つつし)む。楊・墨・老・荘・佛の學に道して、而うして聖人の道に之(ゆ)かんと欲するは、猶ほ斷港絶潢(だんこうぜつこう)に航(こう)して以つて海に至らんことを望むがごときなり。故に聖人の道を觀んことを求むれば、必らず孟子より始む。
今塤の由る所は、既に道を知るに幾(ちか)し。如し又其の船と檝(かい)とを得て、沿ひて止らざることを知らば、嗚呼、其れ量る可けんや。

【語句】
・太原王塤=ここで始めてこの文の本題に入る。太原は王塤の本籍。
・孟子之所道者=この「道」はやや特別の用法で、「いう」こと。
 「詩経」にすでにこのような用法が見える。孟子がいったことば。
・與之言=わたくし韓愈が王塤と話してみると。
・苟不止=とちゅうで止まることさえしなかったならば。
 「苟」は仮定の助字であるが、仮定した条件を強く限定する機能をもち、つぎの「如」が一般的な仮定であるのと異なる。
・莫幸而至焉=「幸而」の二字は、しあわせなことにはの義であるが、ここは否定の字「莫」が上にあるから、そんな――到達するような――しあわせなことは有りえないの意。
・道於楊墨老荘佛之學=楊墨以下の学問を道すじ、順路として。
楊は楊朱。自我を愛するべきことを説いた。
墨=墨翟(ぼくてき)。孔子より少しのちの学者。楊朱と反対に兼愛すなわち他人をひろく愛すべきことを説いた。
老=老子。
荘=まえにあった荘周。現象にとらわれない絶対的な生を説いた。
佛=仏教。
以上、五種の学説は韓愈の奉ずる儒家の立場からは異端とされる。

【付記】
・この文では、王塤という人が作者韓愈の学問上の同志であるのみを述べ、送別の場所はもちろん、王塤がどこからどこへ行こうとしているのかも、全然記述されていない。
 しかし、そのような事は枝葉として除き去ったことによって、作者の信念が強く表現されたのみならず、たぶんかれの弟子である王塤への期待と信頼の情がつよくかがやいている。簡潔さの力を示す一例であるという。
(小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]、198頁~203頁)


≪漢文の文章~幸重敬郎『漢文が読めるようになる』より≫

2023-12-29 19:00:05 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪漢文の文章~幸重敬郎『漢文が読めるようになる』より≫
(2023年12月29日投稿)

 カテゴリ  :ある高校生の君へ
 ハッシュタグ:#漢文 #幸重敬郎 #矛盾 #韓非子 #荘子 #伯楽 #春望 #杜甫 #呂氏春秋

【はじめに】


漢文の勉強法について考える際に、現在、私の手元にある参考書として、次のものを挙げておいた。
〇菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]

これらのうち、受験に特化し、効率的な勉強法を説いた参考書としては、次の2冊であった。
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
 
今回のブログでは、次の参考書について、紹介しておきたい。
〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
 この本も、受験を視野には入れているが、単に受験用の漢文参考書の域を超えるような試みが感じられる。
著者略歴によれば、幸重敬郎(ゆきしげ よしろう)先生は、1963年生まれで、愛媛大学法文学部を卒業し、熊本大学大学院文学研究科修士課程を修了され(専攻は中国史の宋元代)、その後予備校で漢文を教え始め、1997年より河合塾講師だという。
予備校の講師の著作という意味で、受験を視野には入れている。「あとがき」(214頁~215頁)にも、「これまで漢文の読み方を直接受験生に指導しながら、漢文の読み方におけるさまざまな誤解や間違いを見てきました。それを本書で生かしていこうと思い、書いてきました」と著者は記している(215頁)。
ただし、一般の受験参考書と違い、入試問題は一切、掲載されていない。
漢文の文章を取り上げ、その句形、語句の意味、文章の解釈を解説しているのが特徴である。
そういう意味では、高校で漢文を学んだのちに、もう一度、漢文を勉強し直してみようという人、例えば社会人などにも適した本といえるかもしれない。
このことは、端的に「あとがき」にあらわれている。
例えば、本書をきっかけにして、さらに様々な漢文を読んでもらいたいという。
専門的な見地から書かれた漢文の入門書として、
〇吉川幸次郎『漢文の話』(ちくま学芸文庫)を薦めている。
 また、日本における漢和辞典の最高峰として、次の辞典を薦めている。
〇大修館書店の諸橋徹次『大漢和辞典』(図書館で利用してほしいという)
 そして、コンパクトな漢和辞典としては、
〇角川書店の『新字源』、三省堂の『全訳漢辞海』
が最もお薦めであると記している。

今回のブログでは、なるべく数多くの漢文の文章に触れて、漢文の句形や内容を知ってほしいという意図から、『韓非子』の矛盾の話、杜甫の「春望」などの漢文を取り上げて、紹介しておこう。
(返り点は入力の都合上、省略した。白文および書き下し文から、返り点は推測してほしい。)





【幸重敬郎『漢文が読めるようになる』(ベレ出版)はこちらから】
幸重敬郎『漢文が読めるようになる』(ベレ出版)






〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
【目次】
はじめに
第一章 送り仮名・返り点の付いている漢文を読む
短い文を読んでみる
【文章】その一 「矛盾」の話 『韓非子』
【文章】その二 「きびしい政治は虎よりも恐ろしい」『礼記』
【文章】その三  三国時代の英雄「関羽」と軍師「諸葛亮」『三国志』陳寿
【文章】その四 「熟練の技」『帰田録』欧陽脩
【漢詩】その一 「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」李白
【漢詩】その二 「春望」杜甫

第二章 返り点の付いている漢文を読む
短い文を読んでみる
【文章】その一 「推敲」の話 『唐詩紀事』
【文章】その二 「ホタルの光、窓の雪」『晋書』
【文章】その三 「職務を忠実に守る」『韓非子』
【文章】その四 「伯楽と名馬」「雑説」韓愈
【文章】その五 「幽霊を売った男」『捜神記』

第三章 送り仮名・返り点の付いていない漢文を読む
短い文を読んでみる
【文章】その一 「母の老いを知る」『説苑』
【文章】その二 「進んでいる舟にしるしを刻みつけた男」『呂氏春秋』
【文章】その三 「書物からの知識よりまず体験せよ」『荘子』

あとがき
付録




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


第一章 送り仮名・返り点の付いている漢文を読む
【文章】その一 「矛盾」の話 『韓非子』
【文章】その二 「きびしい政治は虎よりも恐ろしい」『礼記』
【文章】その三  三国時代の英雄「関羽」と軍師「諸葛亮」『三国志』陳寿
【漢詩】その二 「春望」杜甫

第二章 返り点の付いている漢文を読む
【文章】その二 「ホタルの光、窓の雪」『晋書』
【文章】その四 「伯楽と名馬」「雑説」韓愈
【文章】その五 「幽霊を売った男」『捜神記』

第三章 送り仮名・返り点の付いていない漢文を読む
【文章】その二 「進んでいる舟にしるしを刻みつけた男」『呂氏春秋』
【文章】その三 「書物からの知識よりまず体験せよ」『荘子』






再読文字について


例によって、漢文といえば、再読文字についてまとめている。
例えば、次のような例文がある。
蓋君子善善悪悪、君宜知之。『史記』

【書き下し文】
蓋し君子は善を善とし悪を悪とす、君宜しく之を知るべし。
【現代語訳】
思うに君子は善をよいことと見なし、悪を悪いこととみなす、あなたはそのことを知っているはずだ。

【語句】
 「蓋」は「けだし」と読んで「思うに」という意味である。
 漢文ではよく使うので覚えておこう。
 「君子」は「くんし」と読んで「徳のある立派な人物」という意味である。
 「善善悪悪」は「善を善とし悪を悪とす」と読む。「善」と「悪」は名詞でもあり、動詞としても読む。
 「君」は「きみ」と読んで、「あなた」という意味である。

【再読文字】
「宜」は「よろしく―べし」と読む。
 「宜」は再読文字である。
 「宜知之」は「宜しく之を知るべし」と読む。
 「宜」という字はまず返り点と関係なく「よろしく」と読んで、次に返り点に従って「べし」と読む。一つの漢字を二度読むのでも再読文字と呼ぶ。

 ここで、再読文字をまとめておく
 未―     いまダ―ず    まだ―しない・―しない
 将―・且―  まさニ―ントす  今にも―しようとする
 当―・応―  まさニ―ベシ   当然―するはずだ・―するだろう
 須―     すべかラク―ベシ ―する必要がある
 宜―     よろシク―ベシ   ―するのがよい・―するはずだ
 猶― なホ―ノごとシ・なホ―ガごとシ  まるで―のようだ
 盍― なんゾ―ざる           どうして―しないのか
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、157頁~159頁)

「矛盾」の話 『韓非子』


「矛盾」という故事成語は、高校の副教材である菊地隆雄ほか『漢文必携』(桐原書店)でも取り上げられていた。

矛盾<韓非子>
つじつまの合わないこと。
※矛と盾を売っている人がその両方を自慢したため、話のつじつまが合わなくなってしまったことから。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、182頁~186頁)

ところが、幸重敬郎『漢文が読めるようになる』(ベレ出版、2008年)には、次のようにある。

楚人有鬻楯与矛者。誉之曰、「吾楯之
堅、莫能陥也。」又誉其矛曰、「吾矛之利、
於物無不陥也。」或曰、「以子之矛、陥子
之楯、何如。」其人弗能応也。 『韓非子』説難一

●書き下し文
 楚人に楯と矛とを鬻(ひさ)ぐ者有り。之を誉めて曰く、「吾が楯の堅きこと、能く陥(とほ)す莫きなり」と。又其の矛を誉めて曰く、「吾が矛の利(するど)きこと物に於て陥さざる無きなり」と。或ひと曰く、「子の矛を以て、子の楯を陥さば、何如」と。其の人応(こた)ふること能はざるなり。 

●現代語訳
楚の国の人に楯と矛を売る者がいた。売っている物をほめて言った、「自分の売っている楯は突きとおすことができるものがないほど頑丈だ」と。いっぽうで自分の(売っている)矛をほめて言った、「自分の売っている矛はどんなものでも突きとおすするどい矛だ」と。ある人が言った、「あなたの矛で、あなたの楯を突きとおせば、どうなるのか」と。その楯と矛を売っていた人は答えることができなかった。

〇この文章は、『韓非子』(かんぴし)という書物の中のたとえ話である。
 この文章は、「矛盾」という言葉のもとになった話である。
 『韓非子』は今から約2200年前、戦国時代末期の人「韓非」の手になる書物である。
 「信賞必罰(功労のある者には確実に褒美を与え、罪を犯した者には必ず罰を与える)など、法家の思想がまとめられている。
 
【語句】
・楚人~「楚」は国名で「そ」と読む。
 戦国時代に長江の中流域にあった国。「楚人」は「そひと」と読む。現代語では、「日本人」は「にほんじん」のように、「人」を「じん」と読むが、漢文では、「国名+人」は「ひと」と読む。
・鬻~難しい漢字であるが、「ひさぐ」と読んで、「売る」という意味。
・何如~「いかん」と読む。「何」を「い」、「如」を「かん」と読んでいるわけではない。
 「何如」の二文字で「いかん」と読む。
 「所謂」を「いわゆる」と読んだり、「所以」を「ゆゑん」と読むのと同じ。
 「何如」は疑問を示す語句で、「どうか・どのようか」という状態を尋ねる。
 ここは「どうなるのか」と少し意訳したほうがわかりやすい。
 「あなたの矛で、あたなの楯を突きとおせば、どうなるのか」と所謂「矛盾」を指摘したわけである。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、20頁~27頁)

「きびしい政治は虎よりも恐ろしい」『礼記』


苛政猛於虎
孔子過泰山側。婦人哭於墓者而哀。
夫子式而聴之、使子路問之曰、「子之哭也、
壱似重有憂者。」而曰、「然。昔者、吾舅死於
虎、吾夫又死焉。今吾子又死焉。」夫子曰、「何
為不去也。」曰、「無苛政。」夫子曰、「小子識
之。苛政猛於虎也。」  『礼記』

●書き下し文
孔子泰山の側(かわはら)を過ぐ。婦人の墓に哭する者有りて哀(かな)しげなり。夫子(ふうし)式(しょく)して之を聴き、子路をして之を問はしめて曰く、「子の哭するや、壱(いつ)に重ねて憂ひ有る者に似たり」と。而(すなは)ち曰く、「然り。昔者(むかし)、吾が舅(しうと)虎に死し、吾が夫又死す。今吾が子又死せり」と。夫子曰く、「何為(なんす)れぞ去らざるや」と。曰く、「苛政無ければなり」と。夫子曰く、「小子之を識(しる)せ。苛政は虎よりも猛(まう)なるなり」と。

●現代語訳
孔子が泰山の麓を過ぎた。婦人が墓のところで大声を上げて泣いていて悲しそうであった。先生は車の手すりに手をかけて婦人の泣き声をじっと聴き、子路にこれをたずねさせて言った、「あなたが泣いている様子はまことに何度も悲しいことがあったかのようである」と。そこで言った、「そのとおりです。以前、私の夫の父親は虎に殺され、私の夫もまた(虎に)殺されました。今また私の息子も(虎に)殺されてしまいました」と。先生が言った、「どうして立ち去らないのか」と。(婦人が)言った、「きびしい政治がないからです」と。先生が言った、「おまえたち、このことをおぼえておきなさい。きびしい政治は虎よりも恐ろしいものなのだ」と。

※本文は、『礼記(らいき)』という書物の中にある。
 『礼記』は孔子が生きた時代(春秋時代)よりもずっと後の前漢時代に作られた書物である。
 それでも今から約2000年前の作品である。
 「苛政は虎よりも猛なるなり」は故事成語(昔の話にもとづくことわざ)としても有名である。
 ここでいう「苛酷な政治」とは、やはり重い税金である。
 人民を苦しめる重税は虎に襲われる災難よりも恐ろしいということわざである。
 人を襲う虎が出るようなところには、役人も税を取り立てには来なかったでしょう。
 なお、「苛政は虎よりも猛(たけ)し」と読んでいるテキストもある。


【語句】
・孔子~儒家の祖。姓を「孔」、名を「丘」、字を「仲尼」という。春秋時代、魯の国の人。
 「泰山」は中国の人にとって、日本人にとっての富士山のような山である。
・「使」を「しむ」と読んで使役
 「使子路問之曰」は「子路→之→問→使→曰」の順で「子路をして之を問はしめて曰く」と読む。
 子路は孔子の弟子の名。子路は字(あざな)で、姓を「仲」、名を「由」という。
※ここでは「使」の用法に注意せよ。
 「使」は「―させる」という使役の意味を表して「しむ」と読む。
 「使」の下に使役する相手、つまり「―させる」相手が書かれている場合には、その相手に「をして」という送り仮名を付ける。「子路をして」がそれにあたる。
 そして次に動作を表す「問」がきて「問ふ」+「しむ」→「問はしむ」と読む。
 意味は、「子路に、これをたずねさせて言った」となる。
・何為~「なんすれぞ」 
「何為不去也。」は「何為(なんす)れぞ去らざるやと」と読む。
 「何為」は「どうして」という意味。
 「也」は「なり」ではなく、「や」と読んで、ここでは疑問を示している。
 「どうして立ち去らないのか」という意味。家族が次々と虎に殺されているのに、どうして虎がいるような危険なところを立ち去らないのか」という。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、27頁~36頁)

三国時代の英雄「関羽」と軍師「諸葛亮」『三国志』陳寿


『三国志』「蜀志」陳寿

 羽聞馬超来降。旧非故人。羽書与諸葛亮、
問超人才可誰比類。亮知羽護前、乃答之
曰、「孟起兼資文武、雄烈過人。一世之傑、黥彭
之徒也。当与益徳並駆争先。猶未及髯之
絶倫逸群也。」羽美鬚髯。故亮謂之髯。

【人名の説明】
・関羽: 字は雲長。三国時代、蜀の武将。劉備、張飛と義兄弟の契りを結ぶ。三国時代、屈指の大豪傑。
・馬超:字は孟起。はじめ味方した曹操に父馬騰を殺され、のちに劉備に仕え、蜀の将軍として活躍する。
・諸葛亮:字は孔明。劉備の三顧の礼をうけて軍師となる。「天下三分の計」を立てる。蜀成立後は丞相(宰相)となる。
・黥布(げいふ)・彭越(ほうえつ):ともに劉邦に仕え、漢の建国に功績のあった武将。
・張飛:字は益徳(『三国志演義』では翼徳)。劉備・関羽の義兄弟。一人で万人の敵を相手にできると称された豪傑。

※この話は、新たに劉備の武将となった馬超に対する関羽の微妙な心理状態を察知した諸葛亮が、関羽のプライドに配慮し、関羽こそが武将として一番だと称え、関羽を安心させたというものである。

●書き下し文
羽馬超来降すと聞く。旧(もと)故人に非ず。羽書もて諸葛亮に与へ、超の人才の誰に比類すべきかを問ふ。亮羽の護前せるを知り、乃ち之に答へて曰く、「孟起は文武を兼資し、雄烈人に過ぐ。一世の傑、黥彭の徒なり。当に益徳と並駆し先を争ふべし。猶ほ未だ髯の絶倫逸群なるに及ばざるなり」と。羽鬚髯(しゅぜん)に美なり。故に亮之を髯(ぜん)と謂ふ。

●現代語訳
関羽は馬超が降伏してきたと聞いた。もともと(馬超は関羽にとって)昔なじみではなかった。関羽は手紙を諸葛亮に送り、馬超の才能をだれになぞらえることができるかをたずねた。諸葛亮は関羽が自分のほうが劣っていると言われたくないと思っているとわかり、そこで関羽に返事をして言った。「孟起(=馬超)は文武の才能を兼ね備え、勇猛さは普通の人以上である。一代の英雄であり、黥布や彭越の(ような古代の英雄の)仲間である。益徳(=張飛)と並んで馬を駆せ先陣を争うほどの人物である。それでもあなたのずば抜けてすぐれているのには及ばない」と。関羽はあごひげ・ほおひげが立派であった。それで諸葛亮は関羽のことを髯と呼んだのである。。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、36頁~42頁)

【語句】
・「すなはち」と読む漢字
 漢文で「すなはち」と読む漢字は「乃」のほかに「則」「即」「便」「輒」などがある。
 「すなはち」と同じ読みをしても、漢字によって意味が違う。
 「乃」は、「そこで」と訳すことが多いが、「やっと」「それなのに」「なんと」と訳すこともある。ほかの「すなはち」と読む漢字については、文中に出てきたところで確認しよう。
・再読文字「当」
 「当与益徳並駆争先。」では、「当」に注意すること。
 「当―」は再読文字で「当(まさ)に―べし」と二回読む。
 読む順でもまず「当」を読む。
 「当→益徳→与→並駆→先→争→当」の順になる。
「当に益徳と並駆し先を争ふべし。」と読む。
「益徳(=張飛)と並んで馬を馳せ先陣を争うほどの人物である」という意味である。

・再読文字「未」
 「猶未及髯之絶倫逸群也。」では、「未」に注意すること。
 「未」は「当―」と同じく再読文字である。
 「未―」は「未(いま)だ―ず」と読む。
 「猶→未→髯→之→絶倫→逸群→及→未→也」の順で読む。
 「猶ほ未だ髯の絶倫逸群なるに及ばざるなりと。」と読んで「それでもあなたのずば抜けてすぐれているのには及ばない」という意味である。

(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、36頁~42頁)

「春望」杜甫


「春望」杜甫
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭搔更短
渾欲不勝簪

※この杜甫の詩は、あまりにも有名である。
 題名の「春望」とは、「春のながめ」という意味である。
 杜甫や李白が活躍したのは、唐の全盛期である。玄宗皇帝の治世である。
 都長安も国際的な都市として栄えていた。日本からも遣唐使が派遣された。
 ところが、玄宗皇帝は晩年になると、楊貴妃という絶世の美女に心を奪われ、政治を顧みなくなり、その結果反乱が起こる。有名な「安史の乱」である。この反乱で、都も陥落し、皇帝も四川に逃れる。華やかさを誇った都長安も荒廃してしまった。それこそが「国破れて山河在り、城春にして草木深し」なのである。

●書き下し文
「春望」杜甫
国破れて山河在(あ)り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火(ほうくわ)三月(さんげつ)に連なり
家書万金に抵(あ)たる
白頭搔(か)けば更に短く
渾(す)べて簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す

●現代語訳
 「春のながめ」杜甫
国都長安は破壊されてしまったが山や河だけは変わらずに残っている
(廃墟となった)長安の町中にはふたたび春がやって来て草木が生い茂っている
(戦乱という)この時代を痛み悲しんでは花を見ても涙を流し
家族との別れをうらんでは鳥の鳴き声にも胸をつかれてはっとする
戦いを知らせるのろしはもう何ヶ月にもわたって上げつづけられており
家族からの手紙は万金もの価値に相当する
白髪頭をかきむしるうちに髪はますます短く(少なく)なり
もうすっかり冠を髪にとめるピンも挿せなくなろうとしている

【語句】
・濺ぐ~「涙を流す」という意味。
・烽火~「のろし」=戦場で敵の攻撃などの危急を知らせるための合図に上げる煙り。
・家書~「家族からの手紙」と「家族への手紙」という意味がある。ここは「家族からの手紙」
・簪~冠を髪にとめるためのピン

【対句】
・対句とは、二つの句で文の構造が同じであり、語句の意味や文法的なはたらきが対応していることである。
・この杜甫の詩では、第一句と第二句、第三句と第四句、第五句と第六句が対句になっている。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、59頁~67頁)

「ホタルの光、窓の雪」『晋書』


「ホタルの光、窓の雪」『晋書』
『晋書』車胤伝
車胤、字武子、南平人也。曾祖浚呉会稽
太守、父育郡主簿。太守王胡之名知人、
見胤於童幼之中、謂胤父曰、「此児当大興
卿門。可使専学。」胤恭勤不倦、博学多通。
家貧不常得油。夏月則練嚢盛数十螢火
以照書、以夜継日焉。

※この文章は歴史書の列伝である。
 歴史書では司馬遷の『史記』以来、「紀伝体」というスタイルが用いられる。
 「紀」とは「本紀」のことで、帝王・皇帝を中心とする記録である。
 一方、「伝」は個人の伝記で「列伝」という。
 『晋書』は、三国時代の三国を統一した晋朝の歴史を記した書で、やはり「紀伝体」
で編纂されている。上の文章は、その列伝の中にある「車胤」という人物の伝記の冒頭である。 
 伝記の冒頭には、もちろん姓名、そして字(あざな:成人するときに付ける呼び名)が記述され、次に出身地、続いて祖先の経歴が記される。
 車胤は、後に「尚書郎」という高官に出世する。貧しかった車胤がホタルを集めてその灯りで勉強したというこの話と、同じ晋代の孫康という人物が、やはり貧しくて油が買えなかったので、雪明かりに照らして書物を読み、後に出世したという話があり、この二つの話から「螢雪の功」という言葉が生まれる。「苦労しながら学問をしたその成果」という意味である。
 卒業式などで歌われる「螢の光」の冒頭「螢の光窓の雪、ふみ読む月日かさねつつ」という歌詞も、この話にもとづくものである。
 なお、王羲之という人物を知っている人もいると思うが、ちょうどこの文章と同じ晋代の人で、書の神様(書聖)と称えられている。

●書き下し文
車胤、字は武子、南平の人なり。曾祖浚(しゅん)は呉の会稽太守、父育は郡の主簿たり。太守王胡之人を知るに名あり。胤を童幼の中に見て、胤の父に謂ひて曰く、「此の児(こ)当に大いに卿の門を興(おこ)すべし。専ら学ばしむべし。」胤恭勤(きょうきん)にして倦(う)まず、博学多通なり。家貧しくして常には油を得ず。夏月には則ち練嚢(れんなう)もて数十螢火を盛りて以て書を照らし、夜を以て日に継ぐ。

●現代語訳
車胤は字を武子といい、南平郡の出身である。曾祖父の浚は(三国時代の)呉の会稽郡の長官で、父の育は郡の主簿であった。郡の長官の王胡之は人の能力を見抜くことで有名で、子どもたちの中にいる胤を見て、胤の父に次のように言った、「この子はそなたの家を大いに興すに違いない。学問に専心させなさい」と。胤は礼儀正しく勤勉で何事にもあきることなく、博学でひろく事物に通じている。家が貧しくていつも油を買えるとは限らなかった。夏にはねり絹の袋に数十匹のホタルを入れてそれで書物を照らし、昼に続いて夜も勉強した。

【語句】
・再読文字「当」
 「此児当大興卿門。」ではまず「当」に注目してほしい。
 「当」は再読文字である。「当―」は「当(まさ)に―べし」」と読む。
 「きっと―するにちがいない」などと訳す。
 「此の児当に大いに卿の門を興すべし。」と読んで、「この子はそなたの家を大いに興すに違いない。」と訳す。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、93頁~101頁)

「伯楽と名馬」(「雑説」韓愈)


「伯楽と名馬」(「雑説」韓愈)

 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而
伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於奴隷人之
手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。馬之
千里者、一食或尽粟一石。今食馬者、不知其
能千里而食也。是馬也、雖有千里之能、食
不飽力不足、才美不外見。且欲与常馬等、
不可得。安求其能千里也。策之不以其道、
食之不能尽其材。鳴之不能通其意。執策
而臨之曰、「天下無馬。」嗚呼、其真無馬邪、
其真不知馬邪。

※この「伯楽」とは、もともと天馬をつかさどる星の名前である。
 それが春秋時代の孫陽という名馬を見抜く人物を呼ぶのに使われるようになり、以後名馬を見抜く人物を「伯楽」というようになった。
※この文章は、ただ馬の話がしたいのではない。「人」を「馬」にたとえている。
 たとえ優秀な能力を持つ人でも、それを認めてくれる人物がいなければ、野にうずもれたまま一生を終えるということを述べているのである。

【語句】
・「不常」は部分否定
 「不常―」は「つねには―ず」と「常に」に「は」を付けて読む。
 「いつも―するとは限らない」という意味で部分否定という。
 「常不―」は「つねに―ず」と読んで「いつも―しない」という意味である。
 「不常―」は「常には」と「は」を付けることで、部分否定であることを示している。
 「不常有「常には有らず」と読んで、「いつもいるとは限らない」と訳す。
 「千里の馬はいつもいるけれども、伯楽はいつもいるとはいるとは限らない。」となる。

・「於」を使った受身
 「祇辱於奴隷人之手」は置き字「於」に注意せよ。
 ここは「奴隷の手によって辱(はづかし)められる」という意味になる。
 読みは「奴隷人の手に辱(はづかし)められる」と読む。
 「□於A」の形で「Aに□る・Aに□らる」と読み、「Aに□される」という意味になる。

・「能」の読み方
 たとえば「能走」のように「走る」という動作を表す漢字の上に「能」が位置する場合には「能(よ)く」と読み、「能走」は「能(よ)く走る」と読んで「走ることができる」という意味になる。
 これが「走能」となると、いくら「走レ能」と返り点を付けても「能く走る」とは読まない。「走能」は「走る能」と読むしかない。意味も「走る能力」となる。
 つまり、「能」を「よく」と読んで「―できる」と訳すのは、「能」が動作を表す漢字よりも上に位置する場合なのである。
「雖有千里之能、」で動作を表す漢字は「有」で、「能」はその下に位置するから、「よく」と読むことはできない。「雖有千里之能、」は「千里走るほどの能力を持っていても、」と訳す。

・「且欲与常馬等、不可得。」
 「得べからず」は「得るべからず」と読まないように注意せよ。
 「得」は「え・え・う・うる・うれ・えよ」と活用する(ア行下二段活用の動詞)。
 「不レ得」となっていると「えず」と読む。
 「不レ可レ得」では「可=べし」が終止形に接続する助動詞なので、「得」は終止形のままで「得(う)べからず」と読む。「得る」と読むと連体形になる。
 「且欲与常馬等、不可得。」は、「その上、普通の馬と同じぐらいのはたらきをしようと思っても、(千里の馬には)できない。」と訳す。

・「安」は「いづくんぞ」
 「安求其能千里也。」は「安んぞ其の能く千里なるを求めんや。」と読む。
 「安」は「いづくんぞ」と「いづくにか」という読み方があるが、ここは反語で「どうして―しようか、いや―しない」という意味になるので、「いづくんぞ」と読む。
 「いづくにか」と読むと「どこに」という意味で、「どこにあるのか」や「どこに行くのか」などと使われる。
 
・句末「んや」は反語
 また、「求めんや」と、句末を「んや」と読むのも反語の特徴である。
 「ん」は古文の文法でいうと、推量の助動詞「む」である。
 漢文の送り仮名では「ム」ではなく「ン」と表記する。
 「や」は疑問や反語を示す終助詞で、「か」と同じなのであるが、反語では「か」は使わずに「や」を使って読む。
 「安くんぞ其の能く千里なるを求めんや。」は「どうしてその馬の千里走れる能力を求めることができようか、いやできない。」という意味になる。

・「不レ能」は「あたはず」
 「能」は「よく」と読んで「―できる」という意味であるが、「不レ能」となると「あたはず」と読んで「―できない」という意味である。
 「よく」と読む場合は「能走」で「能(よ)く走る」と読んで「走ることができる」という意味であるが、「あたはず」は「不レ能レ走」で「走る(こと)能(あた)はず」と読んで「走ることができない」という意味である。
 「能(よ)く」は動詞「走る」よりも先に読むが、「能(あた)はず」は「走る」という動詞よりも後に読む。
 また「能はず」では動詞は連体形になり、さらに動詞と「能はず」の間に「こと」を補って読んでもかまわない。「走る能はず」の「走る」は連体形である。たとえば動詞が「落つ」だと「落つる能はず」となる。

【書き下し文】
 世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬ありと雖も、祇(た)だ奴隷人の手に辱(はづかし)められ、槽櫪(さうれき)の間に駢死(へんし)し、千里を以て称せられざるなり。馬の千里なる者は、一食に或ひは粟(ぞく)一石を尽くす。今の馬を食(やしな)う者は、其の能く千里なるを知りて食はざるなり。是の馬や、千里の能有りと雖も、食(しよく)飽かざれば、力足らず、才の美外に見(あらは)れず。且つ常馬(じやうば)と等しからんと欲するも、得べからず。安くんぞ其の能く千里なるを求めんや。之に策(むちう)つに其の道を以てせず、之を食ふに其の材を尽くさしむる能はず。之に鳴けども其の意を通ずる能はず。策(むち)を執りて之に臨みて曰く、「天下に馬無し。」嗚呼、其れ真(まこと)に馬無きか、其れ真に馬を知らざるか。

【現代語訳】世の中に伯楽がいて、その後で千里の馬がいる。千里の馬はいつもいるけれども、伯楽はいつもいるとはいるとは限らない。だからたとえ名馬がいたとしたも、ただ奴隷の手によって辱められ、馬小屋の中で首を並べて死に、一日に千里走るほどの能力を持っていることでほめたたえられないのである。馬の中で千里も走れる名馬は、一回の食事でときには穀物一石も食べ尽くしてしまう。今馬を飼育している人は、その馬が千里走ることができると知って養っている者はいないのである。この馬は、千里走る能力を持っていても、食糧が満足でなければ力も足りなくなり、才能のすばらしさが外にあらわれない。その上、普通の馬と同じぐらいのはたらきをしようと思っても、(千里の馬には)できない。どうしてその馬の千里走れる能力を求めることができようか、いやできない。千里の馬を鞭で打って走らせるのにそれにふさわしい扱い方をせず、その馬を飼育するのにその能力を十分に発揮させられない。飼い主に向かって鳴いても(飼い主と)その気持ちを通じることはできない。むちを手にとって馬に向かって言う。「この天下に名馬はいない」と。ああ、なんとほんとうに馬がいないのか。(それとも)なんとほんとうに名馬を見つけられないのか。

【解説】
・この文章は、唐代の大文章家・韓愈(かんゆ)が書いたものである。
 馬のたとえを使って、優秀な能力を持っていてもそれを発揮することの困難さを述べている。
優れた能力を持つ人でも、それを見抜ける人がいなければ、能力を発揮する機会も与えられず、相応の処遇もないので、結局その能力を発揮することはないと説いている。
 だからこそ「伯楽」のように能力を持つ人を見つけ出す人物こそ重要なのである。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、113頁~129頁)

「幽霊を売った男」『捜神記』


「幽霊を売った男」『捜神記』
 南陽宋定伯、年少時、夜行逢鬼。問之、鬼
言、「我是鬼。」鬼問、「汝復誰。」定伯誑之言、「我
亦鬼。」鬼問、「欲至何所。」答曰、「欲至宛市。」
鬼言、「我亦欲至宛市。」遂行数里。鬼言、「歩行
太遅。可共逓相担、何如。」定伯曰、「大善。」鬼
便先担定伯数里。鬼言、「卿太重。将非鬼也。」
定伯言、「我新鬼。故身重耳。」定伯因復担鬼、
鬼略無重。如是再三。
 定伯復言、「我新鬼、不知有何所畏忌。」鬼
答言、「惟不喜人唾。」於是、共行。道遇水。定伯
令鬼先渡、聴之、了然無声音。定伯自渡、漕漼
作声。鬼復言、「何以有声。」定伯曰、「新死、不
習渡水故耳。勿怪吾也。」行欲至宛市、定伯
便担鬼著肩上、急執之。鬼大呼、声咋咋然、
索下、不復聴之。径至宛市中、下著地、化為
一羊。便売之。恐其変化、唾之。得銭千五百
乃去。当時石崇有言、「定伯売鬼、得銭千五百。」

※この文章には「鬼」が出てくる。 
 漢文に出てくる「鬼」は幽霊や妖怪である。日本のおとぎ話や節分の時などに出てくる角のはえた赤鬼とか青鬼ではない。漢文では「おに」と読まずに「き」」とそのまま音読みする。
 内容も比較的気楽でおもしろいので、読んでいこう。

【書き下し文】
 南陽の宋定伯、年少(わか)き時、夜行きて鬼に逢ふ。之に問へば、鬼言ふ、「我は是れ鬼なり」と。鬼問ふ、「汝は復た誰ぞ」と。定伯之を誑(あざむ)きて言ふ、「我も亦鬼なり」と。鬼
問ふ、「何れの所に至らんと欲す」と。答へて曰く、「宛市(ゑんし)に至らんと欲す」と。鬼言ふ、「我も亦宛市に至らんと欲す」と。遂に行くこと数里なり。鬼言ふ、「歩行太(はなは)だ遅し。共に逓(たが)ひに相担ふべし、何如。」定伯曰く、「大いに善し」と。鬼便(すなは)ち先づ定伯を担ふこと数里なり。鬼言ふ、「卿太だ重し。将た鬼に非ずや」と。定伯言ふ、「我新鬼なり。故に身重きのみ」と。定伯因りて復た鬼を担ふに、鬼略(ほぼ)重さ無し。是くのごときこと再三なり。
 定伯復た言ふ、「我新鬼なれば、何の畏忌する所有るかを知らず」と。鬼答へて言ふ、「惟だ人の唾を喜ばざるのみ」と。是に於て、共に行く。道に水に遇ふ。定伯鬼をして先づ渡らしめて、之を聴くに、了然として声音無し。定伯自ら渡るに、漕漼(さうさい)として声を作(な)す。鬼復た言ふ、「何を以て声有る」と。定伯曰く、「新たに死し、水を渡るに習はざる故のみ。吾を怪しむ勿かれ」と。行きて宛市に至らんと欲するに、定伯便ち鬼を担ひて肩上に著(つ)け、急に之を執(とら)ふ。鬼大いに呼び、声咋咋(さくさく)然として、下さんことを索(もと)むるも、復た之を聴かず。径(ただ)ちに宛市の中に至り、下して地に著くれば、化して一羊と為る。便ち之を売る。其の変化せんことを恐れ、之に唾す。銭千五百を得て乃ち去る。当時石崇言へる有り、「定伯鬼を売りて、銭千五百を得たり」と。

【現代語訳】
南陽の宋定伯が、若かった時、夜出かけて幽霊に遭遇した。宋定伯がそれにたずねると、幽霊は言った、「自分は幽霊だ」と。幽霊がたずねた。「おまえはだれなのか」と。定伯は幽霊をだまして言った、「自分もまた幽霊だ」と。幽霊はたずねた、「どこに行こうとしているのか」と。答えて言った、「宛市に行こうと思う」と。幽霊が言った、「私もまた宛市に行こうと思っている」と。
こうして数里(いっしょに歩いて)行った。幽霊が言った、「(おまえは)歩くことが遅い。二人が順番に相手を背負うことにしよう、どうか」と。定伯は言った、「とてもよい」と。幽霊はすぐに先ず定伯を数里背負った。幽霊は言った、「そなたはとても重い、もしかすると幽霊ではないのか」と。定伯が言った、「私は新しい幽霊である。だから身体が重いのだ」と。定伯はそこでさらに幽霊を担いだところ、幽霊はほとんど重さがなかった。このようなことが二度三度と続いた。定伯はさらに言った、「私は幽霊になったばかりなので、おそれきらうものは何があるのか知らない」と。幽霊は言った、「ただ人のつばが嫌いなだけだ」と。そこで、いっしょに歩いていった。途中の道で川に遭遇した。定伯は幽霊にさきに川を渡らせてみて、その音を聞いたが、まったく音はしなかった。定伯が自分から川を渡ると、ざぶざぶと音を立てた。幽霊がふたたび言った、「どうして音がするのか」と。定伯は言った、「死んだばかりで、水を渡るのになれていないからだ。私をあやしまないでくれ」と。進んで行って宛市に到着しようとすると、定伯はすぐに幽霊を担いで肩の上にくっつけて、急に身動きできないように捕らえた。幽霊は大声で呼び、ぎゃあぎゃあとさけび、下ろすことをもとめたが、定伯はもう言うことを聞かなかった。まっすぐ進んで宛市の中に到着し、幽霊を下ろして地面につけると、一匹の羊に化けた。定伯はすぐにこの幽霊が化けた羊を売った。定伯は幽霊がもとに戻ることをおそれ、その羊につばをつけた。千五百銭を手に入れてなんと去って行った。その当時石崇が次のように言った、「定伯は幽霊を売って千五百銭もの金を手に入れた」と。

【解説】
・「令」は使役「しむ」
 「令」は「使」と同じように使役の助動詞として「しむ」と読む。「―させる」という意味。
 この「令」と動詞「渡」の間にある「鬼」が使役の対象なので、「鬼をして」と「をして」という送り仮名を付けなければならない。
 「了然として」は「まったく」という意味。
 「定伯は幽霊にさきに川を渡らせてみて、その音を聞いたが、まったく音はしなかった。」と訳す。
・「何以」は「なにをもつて」
 「何以」は「なにをもつて」あるいは「なにをもつてか」と読んで「どうして」という意味。
 「鬼がふたたび言った、『どうして音がするのか』と」という意味。
・「鬼大呼、声咋咋然、索下、不復聴之。」は「鬼大いに呼び、声咋咋(さくさく)然として、下さんことを索(もと)むるも、復た之を聴かず。」と読む。
 「咋咋然」は「ぎゃあ、ぎゃあ」とさけぶ擬音語。
 「索」は「さがす」と読むこともあるが、ここは「もとむ」と読んで、「要求する」という意味。
 「不復―」は「また―ず」と読んで、「もう―しない・二度と―しない」という意味。
 「幽霊は大声で呼び、ぎゃあぎゃあとさけび、下ろすことをもとめたが、定伯はもう言うことを聞かなかった。」と訳す。

※幽霊を売りとばした男の話である。
 日本だと古典落語に出てきそうな話である。この『捜神記』(そうしんき)という作品は今から1400年前の晋代に書かれたものである。幽霊の出てくるような作品を「志怪小説」という。
 「志」は「誌」と同じで、「しるす」という意味があり、「怪しいことをしるしたこばなし」という意味である。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、130頁~148頁)

「進んでいる舟にしるしを刻みつけた男」『呂氏春秋』察今


菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店、1999年[2019年版]、186頁)の故事成語にも、次の話は出てきた。

「舟に契みて剣を求む」『呂氏春秋』察今

楚人有渉江者。其剣自舟中墜於水。遽契
其舟曰、「是吾剣所従墜。」舟止。従其所契者、
入水求之。舟已行矣。而剣不行。求剣若此。
不亦惑乎。以此故法為其国与此同。時已徙矣。
而法不徙。以此為治、
豈不難哉。

【書き下し文】
楚人に江を渉(わた)るも者有り。其の剣舟中より水に墜(お)つ。遽(には)かに其の舟に契(きざ)みて曰く、「是れ吾が剣の従りて墜つる所なり」と。舟止(とど)まる。其の契みし所の者より、水に入りて之を求む。舟已に行く。而も剣行かず。剣を求むること此くのごとし。亦惑(まどひ)ならずや。此の故法を以て其の国を為(おさ)むるは此と同じ。時已に徙(うつ)れり。而も法は徙らず。此を以て治を為(な)すは、豈に難(かた)からずや。

【現代語訳】
楚の国の人に長江を渡る人がいた。その人の剣が舟の中から水の中に落ちた。いそいでその舟に刻んでしるしをつけて言った、「ここが私の剣が(水に)落ちたところだ」と。舟が止まった。その人が刻んでしるしをつけたところから、川の中に入って落とした剣を探し求めた。舟はもう進んでしまった。それなのに剣は進まない。剣を探し求めることはこのようである。なんと見当違いではないか。古い法律や制度によって国を治めることはこれと同じである。時勢はすでに移り変わってしまっている。それなのに法律や制度は変わらない。この古い法律や制度で政治を行うことは、なんと困難ではないか。

【解説】
・「已」と「巳」「己」
 ここで「已」に関連して、字形の似ている三つの漢字について区別の仕方を紹介しておく。
 「み」は上に…………巳
 「おのれ」「つちのと」下に付き…………己
 「すでに」「やむ」「のみ」中ほどに付く…………已

 巳は十二支の「ね、うし、とら、う、たつ、み…」の「み」である。上まで閉じる。
 「己」は「自己」の「こ」である。訓読みでは「おのれ」と読む。
 「つちのと」という読み方は漢文ではまず出てこないが、五行(木・火・土・金・水)のそれぞれに陽(兄=え)と陰(弟=と)を当てて、「木の弟(きのと)」とか「火の兄(ひのえ)」などとし、これを十干(かん)(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)に当てはめた読みである。
 十干の六番目に「己」があるので、五行の三番目の「土」と「陰=弟」を組み合わせて、「土の弟(つちのと)」と読むわけである。
 
 「已」は「すでに」「やむ」「のみ」の三つの読みがある。
 漢文では三つともよく出てくる。古文の「已然形」の「已」である。
 ちなみに「已然形」の「已」は「すでに」の意味で、「已然形」は「すでにしかるかたち」、すなわち「もうすでにそうなってしまったかたち」という意味である。
 
・「為」は「をさむ」
 この文は難しい。まず「為其国」の部分の読みからいこう。
 「為」は「ため」「なす」「なる」など読み方の多い漢字であるが、ここは「国」とあるのに注目する。「為」は「をさむ」と読んで「治」と同じく「国をおさめる」という意味がある。
 「為其国」は「為二其国一」と返り点を付けて、「其の国を為(をさ)む」と読む。
 次に「与」と「同」に注目する。
 「与」にもいろいろな読みがあるが、「与」には「と」という読みもあって、「A与レB同」「AはBと同じ」と読む。「為其国与此同」は「為二其国一与レ此同」と返り点を付けて「其の国を為(おさ)むるは此と同じ」と読む。
 では「以此故法」の読みを見てみよう。
 「故」には「ふるい」という意味があり、「故法」で「ふるい法」という意味である。
 「以此故法」は「以二此故法一」と返り点を付けて「此の故法を以て」と読む。
 「以」はここでは「―を使って・―によって」という手段を示す。
 「此の故法を以て其の国を為(おさ)むるは此と同じ。」と読んで、「古い法律や制度によって国を治めることはこれと同じである。」という意味である。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、169頁~184頁)

「書物からの知識よりまず体験せよ」『荘子』天道篇


「書物からの知識よりまず体験せよ」『荘子』天道篇

桓公読書於堂上。輪扁斲輪於堂下。釈
椎鑿而上、問桓公曰、「敢問、公之所読為
何言邪。」
 公曰、「聖人之言也。」
 曰、「聖人在乎。」
 公曰、「已死矣。」
 曰、「然則君之所読者、古人之糟魄已夫。」
桓公曰、「寡人読書。輪人安得議乎。有説
則可、無説則死。」
 輪扁曰、「臣也以臣之事観之。斲輪、徐則
甘而不固。疾則苦而不入。不徐不疾、得之
於手而応於心。口不能言。有数存焉於
其間。臣不能以喩臣之子。臣之子亦不能
受之於臣。是以行年七十而老斲輪。古之
人与其不可伝也死矣。然則君之所読者、
古人之糟魄已夫。」

【書き下し文】
桓公書を堂上に読む。輪扁(りんぺん)輪を堂下に斲(けづ)る。椎鑿(つゐさく)を釈(お)きて上(のぼ)り、桓公に問ひて曰く、「敢へて問ふ、公の読む所は何の言と為すや」と。公曰く、「聖人の言なり」と。曰く、「聖人在りや」と。公曰く、「已に死せり」と。曰く、「然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄(さうはく)のみなるかな」と。桓公曰く、「寡人書を読むに、輪人(りんじん)安くんぞ議するを得んや。説有らば則ち可なるも、説無くんば則ち死せん」と。
輪扁曰く、「臣や臣の事を以て之を観ん。輪を斲るに、徐なれば則ち甘にして固からず、疾なれば則ち苦にして入らず。徐ならず疾ならざるは、之を手に得て、心に応ず。口言ふ能はず。数の焉(これ)を其の間に存する有り。臣以て臣の子に喩(さと)す能はず。臣の子も亦之を臣より受くる能はず。是を以て行年七十にして老いて輪を斲る。古の人と其の伝ふべからざると死せり。然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄のみなるかな」と。

【現代語訳】
桓公が書物を表座敷の中で読んでいた。車大工の扁が車輪を表座敷の外で削っていた。(車大工の扁は)つちとのみを置いて(表座敷に)あがってきて、桓公にたずねて言った、「思いきっておたずねしますが、お殿様の読んでいらっしゃるものは何の言葉ですか」と。桓公が言った、「聖人の言葉だ」と。(車大工の扁が)言った、「聖人は生きているのですか」と。桓公が言った、「もうすでに死んでいる」と。(車大工の扁が)言った、「それならお殿様がお読みになっていらっしゃる物は、昔の立派な人物のかすにすぎませんね」と。桓公が言った、「わたしが書物を読んでいる。車大工ごときがどうして口だしなどできようか。申しひらきがあればよいが、申しひらきがなければ(おまえの)いのちはないぞ」と。
(車大工の扁が)言った、「わたしは自分の仕事でこれを考えてみましょう。輪をけずることが、ゆっくりだとはめ込みが緩くてきっちり締まらない。急ぎすぎるとはめ込みがきつくて入らない。ゆっくりでもなく急ぐでもない手加減は、これを手で覚えて心で会得するものです。口では説明できません。仕事のコツというものが、そこにはあるのです。わたしはそれをわたしの子に教えることはできません。わたしの子も同じように仕事のコツをわたしから教わることはできません。こういうわけで年齢が七十になって老いても輪をけずっています。昔の立派な人とその人たちが伝えることができなかったものとは、もうなくなっています。そうだとすればお殿様の読んでいる物は、昔の立派な人のかすにすぎません」と。

※『荘子』に出てくる「桓公」のように、ともすると文章に書いてあることを鵜呑みにしたり、頼ったりしがちである。
もちろん人の意見や幅広い知識を「文字」というものから知ることは大切だが、「車大工」の言葉のように、「文字」では伝えられないこともある。だからこそ、目で文字を追いながら読むだけでなく、自分で体験してみることが大切であるという。

【語句】
・「已」は「すでに」「やむ」「のみ」
 「已」には「すでに」「やむ」「のみ」という三つの読み方がある。
 どの読みになるかは、文の意味から判断するが、ここは句末にあたるので、「のみ」と読む。

・「安」は「いづくんぞ」
 「安」には「いづくんぞ」と「いづくにか」という読みがあるが、ここは「どうして―できようか」と反語の意味になるので、「いづくんぞ」と読む。「いづくにか」と読むと「どこに」という意味になる。
 「安得議乎」は「安くんぞ議するを得んや」と読む。「安得」の形はまず反語と見てまちがいない。ここは「乎」もあり、「安得―乎」の形で反語である。「いづくんぞ―をえんや」と読む。
 また「いづくんぞ」の送り仮名は「安くんぞ」と「安んぞ」のどちらでもかまわない。
「輪人安得議乎。」は「輪人安くんぞ議するを得んや。」と読んで、「車大工ごときが、どうして口だしなどできようか。」という意味である。

・「則」は「レバ則」
 「則」は「すなはち」と読んで条件を示す。
 「有れば則ち」「無ければ則ち」と「バ」を付けて読む。それで「則」のことを「レバ則(そく)」と呼ぶことがある。
 「則(すなは)ち」自体訳す必要はない。ただ「―すれば」と条件を示している。

・「可」は「かなり」
「有説則可」は「説有れば則ち可なり」と読む。「可」は「かなり」と読む。
 ここは「べし」と読んではいけない。
「可」を「べし」と読む場合には、「可」の下に動詞や助動詞にあたる文字がなければならない。たとえば「可レ学」だと「学ぶべし」と読む。
ここは「可」の下には何もないので、「べし」とは読まずに「かなり」と読む。
「可なり」とは、「よい・よろしい・かまわない」という意味である。

・「也」は「や」
 「臣也」の「也」は「や」と読む。
 「也」は「なり」と読んだり、疑問や反語の文で句末にあるとき「や」と読むが、ここのように文の途中にあるときにも「や」と読む。意味は「―は」「―のときには」などである。
 「臣也」は「臣や」と読んで「わたしは」という意味である。「臣」はもともと「臣下・家臣」という意味であるが、会話の中では自称として使われる。

※この本も、読者に漢文を体験してもらうためのものである。
ここに紹介した文章を何度も声に出して読んでみてほしいという。
何度も繰り返していくうちに、漢文訓読の基本がひとりでに身についてくるとする。
(この意味で『荘子』の話は示唆的である!)
訓読の基本が身についたら、今度は新たな漢文に挑戦してほしいそうだ。
自分で漢文が読めるようになるおもしろさを味わってほしい、と著者はいう。
本書をきっかけにして、さらに様々な漢文を読んでほしいという。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、185頁~213頁)


≪漢文総合問題~三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』より≫

2023-12-24 18:31:04 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪漢文総合問題~三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』より≫
(2023年12月24日投稿)

【はじめに】


  漢文の勉強法について考える際に、現在、私の手元にある参考書として、次のものを挙げておいた。
〇菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]

これらのうち、受験に特化し、効率的な勉強法を説いた参考書としては、次の2冊である。
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
 
 今回のブログでは、次の参考書の漢文総合問題を解いてみよう。いわば実践的な勉強である。
(共通テストにかわったが、センター試験の過去問は良問が多いともいわれるので、練習のつもりで取り組んでもらえたらと思う)
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
 出典は、『能改斎漫録』『朱子文集』で少々読むのが難しいかもしれない。
なるべく数多くの漢文の文章に触れて、漢文の句形や内容を知ってほしい。
(返り点は入力の都合上、省略した。白文および書き下し文から、返り点は推測してほしい。)



【三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』(学研プラス)はこちらから】
三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』(学研プラス)





〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』
【目次】漢文編
攻略法0 センター漢文攻略のためのルール

<句形別攻略法>
攻略法1  再読文字
攻略法2  使役
攻略法3  受身
攻略法4  否定
攻略法5  疑問
攻略法6  反語
攻略法7  比較
攻略法8  限定
攻略法9  累加
攻略法10  仮定
攻略法11  抑揚
攻略法12  禁止
攻略法13  詠嘆
攻略法14  その他の句形

<設問別攻略法>
攻略法15  読み方・書き下しの問題
攻略法16  解釈の問題
攻略法17  語意を問う問題
攻略法18  漢詩の規則を問う問題

漢文総合問題
漢文総合問題 解答・解説
 
<コラム>目で見る漢文① (儒家)
<コラム>目で見る漢文② (道家)
<コラム>目で見る漢文③ (法家)
<コラム>目で見る漢文④ (三国志)
(三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]、8頁~9頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・漢文総合問題~『能改斎漫録』より
・漢文総合問題~『朱子文集』より






漢文総合問題~『能改斎漫録』より



漢文総合問題
※『能改斎漫録』は『漢文必携』(157頁)にも例文として掲載されている。参考にしてほしい。

1呉曾『能改斎漫録』
 范文正公少時、嘗詣霊祠禱曰、「他時得位相乎。」不
許。復禱之曰、「不然願為良医。」亦不許。既而嘆曰、「夫
不能利沢生民、非大丈夫平生之志。」他日有人謂公
曰、「大丈夫之志於相、理則当然。良医之技、君何願
焉。A無乃失於卑耶。」公曰、「嗟乎、B豈為是哉。古人有
云、『常善救人、C故無棄人。』且大丈夫之於学也、固欲
遇神聖之君、得行其道。D思天下匹夫匹婦有不被其
沢者、若己推而内之溝中。能及小大生民者、固惟相
為然。既不可得矣、夫能行救人之心者、莫如良医。
果能為良医也、上以療君親之疾、下以救貧民之
厄、中以保身長年。E在下而能及小大生民者、捨夫
良医、則未之有也。」

(注)
1 范文正公―北宋時代の政治家・詩人、范仲淹(989~1052)のこと
2 利沢  ―利益と恩沢を与えること
3 生民  ―すべての人々

【書き下し文】
 范文正公少(わか)き時、嘗て霊祠に詣(いた)りて禱(いの)りて曰はく、「他時相に位するを得るか」と。許されず。復た之に禱りて曰はく、「然らずんば願はくは良医と為らん」と。亦た許されず。既にして嘆じて曰はく、「夫れ生民を利沢する能はざるは、大丈夫平生の志に非ず」と。他日人の公に謂ふもの有りて曰はく、「大丈夫の相に志すこと、理としては則ち当に然るべし。良医の技、君何ぞ焉を願ふや。乃ち卑(ひく)きに失すること無からんや」と。公曰はく、「嗟乎(ああ)、豈に是と為さんや(豈に是が為ならんや)。古人云へる有り、『常に善く人を救ふ、故に人を棄つる無し』と。且つ大丈夫の学に於けるや、固より神聖の君に遇ひ、その道を行ふを得んと欲す。天下の匹夫匹婦に其の沢を被(かうむ)らざる者有るを思ふこと、己の推して之を溝の中に内(い)るるが若し。能く小大の生民に及ぼす者は、固より惟だ相のみ然りと為す。既に得べからずんば、夫れ能く人を救ふの心を行ふ者は、良医に如くは莫し。果たして能く良医と為らば、上は以て君親の疾(やまひ)を療(いや)し、下は以て貧民の厄(わざはひ)を救ひ、中は以て身を保ち年を長らふ。下に在りて而(しか)も能く小大の生民に及ぼす者は、夫の良医を捨(お)きては、則ち未だ之れ有らざるなり」と。


問1 傍線部A「無乃失於卑耶。」のように、ある「人」が言うのはなぜか。
  その説明として最も適当なものを一つ選べ。
① 医者になろうと願うことによって、低い官職をも失うことになると考えたため。
② 医者になると願いが、宰相の次に挙げるものとしてはあまりに低いと考えたため。
③ 宰相への願いを卑俗な祠(ほこら)のお告げだけで断念するのは、あまりに軽率であると考えたため。
④ 宰相になれないから医者になりたいと願うのは、初志を曲げる卑怯なことだと考えたため。
⑤ 医療技術を磨くばかりでは、貧しい人々を救おうとする高い倫理観を失うことになると考えたため。

問2 傍線部B「豈為是哉。」の読み方として最も適当なものを、一つ選べ。
① あにぜとなさんや。
② あにぜをなさんかな。
③ あにこれをなさんかな。
④ あにこれがためならんや。
⑤ あにこれがためなるかな。

問3 傍線部C「故無棄人。」の「人」は、范文正公の言葉の中ではどのような人に当たるか。。
  最も適当なものを、一つ選べ。
① 相
② 良医
③ 君親
④ 生民
⑤ 大丈夫

問4 傍線部D「思天下匹夫匹婦有不被其沢者、若己推而内之溝中。」の解釈として最も適当なものを、一つ選べ。
① 天下の人民一人でもその恩沢に浴さない者があれば、自分がその人間を溝の中へ突き落したかのように思う。
② 天下の人民一人でもその恩沢に浴さない者があれば、自分がその人間に溝の中に突き落されたかのように思う。
③ 天下の人民一人一人が互いに恩恵を与えあわなければ、自ら進んでその人間を溝の中に突き落としたかのように思う。
④ 天下の人民一人でもその恩沢に浴さない者があれば、わが身に推し量って自分が溝の中に落ち込んだかのように思う。
⑤ 天下の人民一人一人が互いに恩恵を与えあわなければ、彼ら自身押しあって、溝の中に突き落としているかのように思う。

問5 傍線部E「在下」の意味として最も適当なものを、一つ選べ。
① 臣下であっても
② 若い時であっても
③ 低い官位にあっても
④ 貧しい時であっても
⑤ 在野の身であっても

問6 范文正公の言葉の主旨として最も適当なものを、一つ選べ。
① 祈禱の結果などに惑わされず、理性的な志を持つのが、大丈夫の生き方である。
② 神聖の君に会うことによって、貧しい人々の災いを救うのが、大丈夫の志である。
③ 宰相であれ良医であれ、人々に恵みを及ぼすことこそ、大丈夫の志とすべきことである。
④ 宰相になるより医者になって人々に恵みを及ぼす方が、大丈夫の志にかなうことである。
⑤ 良医になるより宰相になって人々に恵みを及ぼす方が、大丈夫の志にかなうことである。



【解答・解説】
【解答】
問1 ②
問2 ①or④
問3 ④
問4 ①
問5 ⑤
問6 ③

【解説】
問1 「無乃~耶」は、「~ではないですか」と相手に同意を求めるときに使われるやや特殊な反語。
 ※頻出するものではなく、特にポイントにもなっていない。
・選択肢を横に見渡せば、「失於卑」の解釈がポイントだと分かる。 
 「~に失す」は、「~でありすぎる」の意味で現代語でも使っている表現であり、「卑きに失す」は「低すぎる」と訳すことになる。

問2 「豈」は反語で文末を「んや」で結ぶから、選択肢を横に見渡して、①・④に絞れる。
・実は出題ミスでその両方が正解になった問題であるようだ。
 ①は「どうして正しいと判断しようか、いや正しくない(医者をめざすことが志として低すぎるという考えは正しくない)」
 ④は「どうしてこんな理由であろうか、いやこんな理由ではない(医者をめざすのは技術を身につけることが目的ではない)」
 どちらでも意味が通る。

問3 傍線部は直前の一句と対句である。
・少なくとも「善棄人」と「無救人」の「人」が同じものであることはわかるだろう。
 その「救人」に対応する表現である。同内容になっているのが「利沢生民」であると気づけば答えが決まる。「生民」の(注)もポイントになっている。

問4 選択肢を横に見渡して、「不被其沢者」の解釈で、③・⑤がまず除外される。
 後半は「之ヲ」という読み方に注目できれば、「その人間を」と訳している①に絞ることになる。

問5 宰相になれないなら医者をめざしたいという趣旨を見失わずに、医者とはどんな立場の人かを考えれば答えが決まる。
 「在野」とは「民間」のことであり、「お上」に対する「下じもの身」ということになる。

問6 ①は「祈禱の~持つ」、④は「宰相になるより医者になって」、⑤は「良医になるより宰相になって」が不適。
 ②は「貧しい人々の」が「生民」の解釈として不十分。

【口語訳】
 范仲淹がまだ若かった時のこと。ある時、霊験あらたかな社に詣で祈って言った「私はいつの日か宰相の地位につくことができるでしょうか」と。願いはかなわなかった。そこでもう一度祈って言った「宰相の位がかなわぬのなら、良医にならせて下さい」と。この願いもまたかなわなかった。まもなくして、ため息をついて言った「いったい、万民に利益と恩沢を与えることができない人生は、大丈夫たる私の平生の志に合わない」と。
 後日ある人が范仲淹に言った「大丈夫たるあなたが宰相を志すことは、道理として当然のことでしょう。しかし、良医の技量などどうして願うのですか。(大丈夫たる者の志としては、)低すぎるのではないでしょうか」と。
 范仲淹が言った「ああ、医者になりたいと言うのは技術を身につけることが目的ではありません。古人の言葉に『いつもうまく人を助ける、だから人を見捨てることがない』とあります。それに、大丈夫たる者学問をするのは、優れた君主に出会い、そのもとで政治を行いたいと考えてのことです。天下の人民の中に一人でもその恩沢に浴さない者があれば、自分がその人間を溝の中へ突き落したかのように思うのです。世のすべての人々に政治の恩沢を及ぼすことができる職といえば、もちろん宰相だけです。だから、もし宰相になることができないというのであれば、人を救いたいという平生の志を実現できる仕事としては、良医が一番です。もし良医になれるならば、一方では君親の病を治してさし上げられますし、他方では貧民の苦しみを救ってやれるでしょうし、また一方では自身の健康を保ち長生きもできましょう。在野の身であっても、世の人々を救うことができる仕事は、この良医をおいて他にありません」

(三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]、308頁~317頁)

漢文総合問題~『朱子文集』より



2『朱子文集』

大抵観書、A先須熟読、使其言皆若出於吾口。継以精思、使
其意皆若出於吾之心。然後可以有得爾。」(イ)至於文義有疑、衆
説紛錯、則亦虚心静慮、B勿遽取捨於其間。」(ロ)先使一説自
為一説而随其意之所之、以験其通塞、則C其尤無義理者、不待
観於他説而先自屈矣。」(ハ)復以衆説互相詰難而求其理所安、
以考其是非、則似是而非者、亦将奪D於公論而無以立矣。」(ニ)
大抵徐行却立、処静観動、如攻堅木。先其易者而後其節
目、如解乱縄。有所不通、則姑置而徐理之。此読書之法也。

(注)
・観書――四書五経などを読み、考察する。
・紛錯――いりみだれる。
・通塞――通じるか通じないか。
・詰難――欠点を非難し問いつめる。
・徐行却立――ゆっくり進みまた立ちどまる。
・攻――細工する。

問1 傍線部A「先須熟読、使其言皆若出於吾之口。」の書き下し文として最も適当なものを、一つ選べ。
①まづまさに熟読し、その言をして皆吾の口より出づるがごとからしむべし。
②まづよろしく熟読し、その言の皆をして吾の口に出づるがごとからしむべし。
③まづすべからく熟読し、その言をして皆吾の口より出づるがごとからしむべし。
④まづまさに熟読し、その言の皆をして吾の口に出づるがごとからしむべし。
⑤まづよろしく熟読し、その言をして皆吾の口より出づるがごとからしむべし。
⑥まづすべからく熟読し、その言の皆をして吾の口に出づるがごとからしむべし。

問2 傍線部B「勿遽取捨於其間。」はどういう意味か。最も適当なものを、一つ選べ。

① 性急にあれこれの説のよしあしを決めてはいけない。
② あわててあれこれの説にまどわされない方がよい。
③ あわてるとあれこれの説から正解をとり出すことができない。
④ いきなりあれこれの説から結論を導き出せるはずがない。
⑤ 性急のあまりあれこれの説の要点を見落としてはいけない。


問3 傍線部C「其尤無義理者、不待観於他説而先自屈矣。」の解釈として最も適当なものを、一つ選べ。

① そのもっとも道理に外れたものは、他説を参考にしようとせず、しだいになげやりになる。
② そのもっとも道理に合わぬものは、他説をみるまでもなく、ひとりでになりたたなくなる。
③ そのもっとも道理を欠いたものは、他説を受け入れようともせず、自然にかたくなになる。
④ そのもっとも道理に反するものは、他説と照らし合わせるまでもなく、先に批判すべきだ。
⑤ そのもっとも道理にそぐわぬものは、他説と比較するまでもなく、自説を撤回すべきだ。

問4 傍線部Dの助字「於」と同じ用法のものを、一つ選べ。

① 霜葉紅於二月花。
② 労力者治於人。
③ 万病生於怠惰。
④ 読書於樹下。
⑤ 入於洛陽。

問5 この文章を論旨の展開上、三段落に分けるとすれば、(イ)~(ニ)のどこで切れるか。最も適当なものを、一つ選べ。

① (イ)と(ロ)
② (イ)と(ハ)
③ (イ)と(ニ)
④ (ロ)と(ハ)
⑤ (ロ)と(ニ)

問6 著者は、読書の方法として、まず熟読精思し、解釈に疑問が生じた場合にはどうすべきだといっているか。最も適当なものを、一つ選べ。

① 似て非なる説を敬遠する読み方をすべきである。
② それぞれの説の特徴をとりいれた読み方をすべきである。
③ 最初に自説にかなった説を選ぶ読み方をすべきである。
④ 諸説の是非をゆっくり検討していく読み方をすべきである。
⑤ 前後の文脈から解決の手がかりを求める読み方をすべきである。


【書き下し文】
大抵書を観るには、先づ須らく熟読し、その言をして皆吾の口より出づるがごとからしむべし。継ぐに精思を以てし、其の意をして皆吾の心より出づるがごとくならしむ。然る後以て得ること有るべきのみ。文義に疑ひ有りて、衆説紛錯するに至りては、則ち亦虚心静慮して、遽(にはか)に其の間に取捨する勿かれ。先づ一説をして自ら一説為(た)らしめて其の意の之く所に随ひ、以て其の通塞を験(しら)ぶれば、則ち其の尤(もつとも)義理無き者は、他説を観るを待たずして先づ自ら屈せん。復た衆説を以て互相(たがひ)に詰難して其の理の安んずる所を求め、以て其の是非を考ふれば、則ち是に似て非なる者は、亦将に公論に奪はれて以て立つこと無からんとす。大抵徐行却立し、静に処(を)りて動を観ること、堅木を攻(をさ)むるが如くす。其の易き者を先にして其の節目を後にすること、乱縄(らんじよう)を解くが如くす。通ぜざる所有れば、則ち姑(しばら)く置きて徐(おもむろ)に之を理(をさ)む。此れ読書の法なり。

【口語訳】
一般に四書五経などを読み、考察する場合は、まずそこに書かれたことが、皆自分の口から出たと思えるまでに熟読する必要がある。その次はその内容が、皆自分の心から出たと思えるようになるまでじっくり考察する。そうした後でこそ本当の意味で納得することができる。
文章の意味に疑問点があり、多くの説が入り乱れている場合は、先入観を廃して冷静に考えるのであり、慌ててそれら様々な説の中から取捨選択してはならない。まず、ある一つの説を一つの説として取り上げ、その解釈に従って読み進め、意味が通じるか通じないかを調べると、特に道理に合わない説は、他説を見るまでもなく、ひとりでに成り立たなくなる。また、様々な説を突き合わせ互いに欠点を問い詰め、道理が落着する地点を探し、それぞれの説の正しい点・正しくない点を考察すれば、一見正しいようで実際は正しくない説は、公平な議論に論拠を奪われ、成り立たなくなる。
一般に、ゆっくり進んではまた立ち止まり、自分を冷静に保って(論理の)動きを読み取るのだ。堅い木を細工する時のように、やさしい箇所から読んでゆき、節目となる難しい箇所は後回しにするのだ。乱れた縄をほどく時のように、解けない箇所があれば、しばらく放置し、ゆっくり細かく読み解いてゆく。これが読書の方法である。


【解答】
問1 ③
問2 ①
問3 ②
問4 ②
問5 ③
問6 ④

【解説】
問1
・再読文字「須」の読み方で、③と⑥に絞る。
「言葉が口から出る」と言うから、③「口より」のほうが、⑥「口に」より丁寧な読み方だが、これは決め手にならない。
問題は使役の読み方である。
「使」に続く使役の対象は名詞であり、だからこそ格助詞「をして」がつく。
・ところが、漢文の「皆」はすべて副詞であり、名詞にならない。
 よって、「皆をして」と読むことは不可能である。
 本文中に同様表現として、「使一説自」がある。

問2
・禁止「勿」の解釈で、①と⑤に絞る。
 「取捨」とは良いものを取り入れ、悪いものを捨てること。

問3
・傍線部に細かいポイントがあるにはあるが、最も大事なのは、「先使一説~先自屈矣」と「復以衆説~無以立矣」、とりわけ傍線部と「似是~立矣」が対応する表現になっていることに気づくかどうかである。
「屈」=「無以立」、つまり「なりたたなくなる」と解釈することになる。
・漢文の随筆では、対句・対応表現が使用されることが多く、これがあればセンター試験でも設問のポイントになるのが普通である。


問4
・「於」は多くの用法を持つが、設問になったらまず受身か比較ではないかと考えてみることが重要。
 この場合は原文の送り仮名から受身だと分かる。
 それぞれの選択肢は、
① 霜葉は二月の花よりも紅なり(比較)
② 力を労する者は人に治めらる(受身)
③ 万病は怠惰より生ず(起点)
④ 書を樹下に読む(場所)
⑤ 洛陽に入る(目的)
正解は②

問5
・センター試験の漢文で段落分けが問われたら、まずは切れ目の文頭の語を比べてみよう。
 何らかの法則性があるからこそ、段落分けが出題されるのである。
 この場合は「大抵」が冒頭の話題提示と最後の結論の部分で繰り返されているのがポイント。
 (ニ)で切れている③と⑤に絞る。
 (イ)の後~(ニ)の前は疑問点の解決方法を述べている一連の部分なので、ここで切ることは出来ない。
 よって⑤は不適。

問6
・①「似て非なる説」、②「特徴をとりいれた」、③「自説にかなった」、⑤「前後の文脈から」がそれぞれ不適。

(三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]、312頁~319頁)