らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

伯父さん

2008年01月14日 01時06分27秒 | 家族・親族
 最近よく父の兄(伯父)の事を思い出す。祖父の家に子供の頃、遊びに行って同居していた伯父に会った。伯父は物静かな人で、いつも縁側で本を読んでいた。食事を一緒にとる事も無く、遊んでくれる事も滅多に無く、無愛想というわけではないが、優しい眼差しで私たち兄弟をたまに見ていた。そんな静かな伯父を父はよく自慢する。どんな人だったのかこの歳になって興味がわいた。既に故人になっているためインターネットなどを駆使して色々調べてみた。東京大学農学部の教授をしていたという知識だけしかなかったが。

 森山俊治さんという人の文にいきついた。伯父の人柄が表れている良い文章だと思った。下記に記す。
倉田悟の世界 1
ネイチャーインタフェイス歳時記

ヤマザクラ

 大正11年、愛知県岡崎市に生まれた倉田悟は、東京大学農学部林学科卒業後、そのまま研究室に残った。どうしても植物の研究をしたかったからである。そして、理学博士号も取得した。

 生涯独身を通し、日本各地の里人から樹木・植物の方言名、またそれに関わる民俗の研究に一生を捧げた。その一方、当時自然保護に世論が関心を持つようになると、樹木学者の立場から「これまでの日本は経済成長という目的を拵え、それに合うように物事を考え回してきた。それでは生活にゆとりが生まれるはずがない。自然保護の基準は、失われようとしている自然をまず真っ先に保護すべきだ」と、自然保護のルールを説いた。

 ある時、私は倉田先生と本郷の天麩羅屋にいた。すると「森山君、ぼくは最近、生ビールならジョッキ1杯ぐらいは飲めるようになったよ」と、照れくさそうに言う。邪気のない笑顔であった。 この図鑑の制作途上、毎日、地方の山から、大学に枝が送られてくると、先生から私に電話がはいる。私は直ぐさま社を飛び出し、画家のもとへと枝を持って行くのだが、いつも時間帯は夕方で、電車はラッシュアワーの最中。枝に着いた花を落とすまいと、頭の高さにまで持ち上げて、相模大野やら成増、西船橋、国立などへ赴く。 

 そして先生は、常に言う。「ぼくの本は、森山君だけにやってもらう。他の出版社に出す気持ちはないよ」と。本当に嬉しかった。

 その倉田先生も、東京大学農学部教授(林学科森林植物学教室)『日本シダの会会長』を最後に、昭和53年、病に倒れ、いまは練馬区高野台の長命寺に眠っている。享年56歳であった。
 
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その他著作も多く「シダの世界」では、有名人だったのだ。一つの事を極めた人だったのだ。知らなかった私が愚か者だった。早くに亡くなったのだが、今生きていれば色々相談にのってもらったり出来たのに。家には伯父の好きだったクラシックレコード(SP)を聴く時だけが、伯父との交流だ。

 そういえば実家に帰った時、弟が伯父にそっくりになっていてびっくりしたっけ・・・・・・・。
       

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4 コメント

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倉田悟先生 (anamnesis1964)
2011-07-29 14:46:15
はじめまして。

小学生のころ、「日本シダの会」の会員として倉田悟先生にはお世話になりました。

広島の田舎町で採集したシダのうち、うまく名前がわからないものを標本にしてお送りすると、お葉書で同定結果を教えてくださいました。

大学のお仕事でお忙しかったでしょうに、小学生相手によくあそこまで、と思います。感謝の念に堪えません。葉書の末尾には必ず「お元気で」と書いてありました。

私が中学3年の時、新聞に訃報が載りました。まだお若くて、学者としてはこれからだったのに、といまも残念に思います。
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>anamnesis1964さん (らびお)
2011-07-30 00:05:27
こんばんは。はじめまして。
貴重なお話しありがとうございます。

悟伯父さんは、家の父のお兄さんなのですが、年とってきた父の顔を見ると最近特に悟伯父さんに似てきた気がします。父の兄弟も3人だけとなりました。他の兄弟は伯父さんと同じ練馬区高野台の長命寺に眠っています。最寄りの駅は練馬高野台という駅です。

伯父さんとは子供の頃に何度も会っているのですが、あまり会話をしたことが無く(もちろん子供でしたから)、どういう人か親交があった人からの話だけなんですよ。。残してくれた本を読みながら、こういう人だったのだと想像をするだけなのが残念です・・・・。
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倉田悟先生 (coastal_kei)
2012-08-17 23:52:07
はじめまして。
倉田先生の記事を検索し、こちらのサイトにたどり着きました。私がシダに取り組んだ卒論の時には、すでにお亡くなりになられていましたが、先生のお人柄は数多くの著書を通じて伝わり、私にとってあこがれの方となっています。
素敵なエピソードだったので、思わず書き込みをしてしまいました。申し訳ありません。
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>coastal_keiさん (らびお)
2012-08-18 00:46:56
はじめまして、こんにちは。
コメントありがとうございます。コメントをいただいて、叔父のことを思い出しました。ビールを一杯飲めたのを自慢げに話しているのが叔父らしく(家の家系はは元来アルコールに弱いんです)、律儀な性格だったようですね。叔父の弟である私の父も、既に77才。祖父が90代半ばで亡くなったことを考えると、叔父がいかに早死にだったのかわかります。今更ながら惜しいです。

ありがとうございました。
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