このカテゴリーでは初の邦人作曲家である。
彼の経歴などはウィキペディアで。
安部幸明
彼の作品との出会いは、師匠の木村恵子先生(新日)が、植木三郎氏達と弦楽四重奏曲第12番を演奏したのを聴いた所から始まる。当時すごく感動して、そのままJFCのスコアを買って来てしまった。その演奏は後にFMで放送されてカセットテープにとって、何回も聴いた記憶が有る。その後も音大時代の先生筋のイソ弦楽四重奏団での演奏など、新作を発表するたびに東京文化会館小ホールなどに聴きに行った。何回かそのお姿を目にした事が有る。
彼は、弦楽四重奏曲第1番(1935)から第15番(1993)まで生涯を通じて弦楽四重奏曲を作曲した邦人では珍しい作曲家だ。先頃、やっとNaxos日本作曲家撰輯からCDが出た。しかし管弦楽曲であり、CDには縁がない作曲家であると言えよう。LP時代には第7番などの盤が有るみたいだが、入手が難しい。
実は山形響に入団したばかりの時、暇なので彼の作風を真似した弦楽四重奏曲を書いた事があった。中爺君などにコンピュータで無理矢理聴かせたが、後で恥ずかしくなったので破棄してしまった。苦い思い出である。
譜面が手に入るようだったら、山形Qで是非演奏してみたいんだけど・・・・・。
どんな方法があるかな・・・・・・・。
一度お目にかかってお話をしてみたかった。挨拶だけでも門前払いだけでもよかった。彼という人物にふれてみたかった。惜しくも2006年年末に亡くなってしまった。後悔している。
彼の経歴などはウィキペディアで。
安部幸明
彼の作品との出会いは、師匠の木村恵子先生(新日)が、植木三郎氏達と弦楽四重奏曲第12番を演奏したのを聴いた所から始まる。当時すごく感動して、そのままJFCのスコアを買って来てしまった。その演奏は後にFMで放送されてカセットテープにとって、何回も聴いた記憶が有る。その後も音大時代の先生筋のイソ弦楽四重奏団での演奏など、新作を発表するたびに東京文化会館小ホールなどに聴きに行った。何回かそのお姿を目にした事が有る。
彼は、弦楽四重奏曲第1番(1935)から第15番(1993)まで生涯を通じて弦楽四重奏曲を作曲した邦人では珍しい作曲家だ。先頃、やっとNaxos日本作曲家撰輯からCDが出た。しかし管弦楽曲であり、CDには縁がない作曲家であると言えよう。LP時代には第7番などの盤が有るみたいだが、入手が難しい。
実は山形響に入団したばかりの時、暇なので彼の作風を真似した弦楽四重奏曲を書いた事があった。中爺君などにコンピュータで無理矢理聴かせたが、後で恥ずかしくなったので破棄してしまった。苦い思い出である。
譜面が手に入るようだったら、山形Qで是非演奏してみたいんだけど・・・・・。
どんな方法があるかな・・・・・・・。
一度お目にかかってお話をしてみたかった。挨拶だけでも門前払いだけでもよかった。彼という人物にふれてみたかった。惜しくも2006年年末に亡くなってしまった。後悔している。
私は小さい頃から、村山市の弁天太鼓を聞いて育ち、「作曲者は村川千秋先生だよ」と聞いていて、幼な心にすごい方だなーと思っていました。後に、山形交響楽団さんをつくったと聞き、感激したのを覚えています。
昨日はひなまつりのご馳走を作り、娘が「ひなまつりの歌を歌うね!」と歌い出したら、、、定番の「♪明かりをつけましょ~~」ではなく、村川千秋先生作曲のひなまつり「♪ふえさん陽気にぴーぴぴぴ」でした(^-^)
門前払いでもいいからお会いしたくて、実行にうつし、、、門前払いされなかった私たち、、、幸せですね(^_-)
村川先生は作曲業もしてますものね。
作曲科も出られているので、マルチ人間です。
ちょうど娘さんも山形に帰ってこられて、キラキラ会がリニューアルしたタイミングなので、入団の時期が最高だったと思います。
親子3人の親身な指導が受けられるわけですから。
娘さんも何者かの力で導かれたのでしょう。
さらに頑張れ!ということかもしれません。
ともちゃんさんが村山市出身というのも何かの縁でしょうから。
なお安部幸明先生の「シンフォニエッタ」がこの6月14日、広島交響楽団により演奏される予定です。
ご案内ありがとうございます。
いずれ演奏をする意志がありますので、力を借りる事ができれば幸いです。
貴HPの邦人作曲家の文章は興味深く読ませてもらいました。今後ともよろしくお願いします。