らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

放熱への証

2021年09月12日 23時59分59秒 | お気に入りのCD

 1992年に尾崎豊さんは26才という若さで亡くなりました。

 死の直前に遺作となる本アルバムが発売されました。

 学校が全国的にあれていた時期で、私達の年代は多かれ少なかれ授業もまともに行われていない学校と関わっていた時期が有って、校内暴力や喧嘩、煙草、暴走族など日常に目のあたりにしていました。という私も引きこもりではないですが、不登校の日々を送っていた事もあります。なので(文章的に繋がりませんが)、上〜世間なのか親なのか先生なのか?対しては反抗心があって、校内暴力が起こっている学校にもなんとも思わないで生活していましたっけ。

 そんな頃、尾崎豊さんがデビューして、ちょうど過ごした地域も環境も同じような境遇で、私達のような行き所の無い若者の心をわしづかみにしてしまったのだと思います。

 順調に名作と言われる3枚のアルバムを出し、その後渡米したり、薬物で逮捕されたり、TVに初めて出たり色々経て、最近何しているの?と思ったら悲報が全国に流れてしまいました。

 その頃から、私自身は尾崎豊さんの音楽を聴かなくなり、数十年が過ぎました。

 生きていれば、今年56才。(来年没後30年ですね。)もしかしたらあの頃、尖っていたよねと膨らんだ腹を抱えて笑う良いおじさんになっていたかもしれない・・・・。大人のロックやバラードを歌っていたかもしれない・・・・。

 伝説に残った人は、生き急いでしまった気がします。

 で、遺作になったアルバムは、初めてのセルフプロデュースで、デビュー前のデモテープを無理矢理当時のサウンドに乗せた曲、もしくは1〜5枚目までの没曲(言い過ぎか・・・)をリメイクして入るような・・、約30年ぶりに新しい彼の曲を聴いた感想とします。若さに任せて書いた曲を一流のミュージシャン達がちゃんと整えてくれていた10代〜20代前半の曲達と少し乖離がある気がします。よく言えば、尾崎豊さん自身が原点に戻ったとも言えるし、やはりこういう曲想が好きなんだと開き直ったともとれるし・・・・。

 このアルバムが一番好きというファンの方もおそらくたくさんいる事でしょう。すみません。サラリーマンになった太った豚となった中年には、あまり心にしみなくなっています。

 初期の頃のアルバムには青春の懐かしさから聞き続けられるのですが・・・・・。


HMVジャパン

コメント
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