らびおがゆく Vol.3

山形県を中心とした演奏活動等

金剛院

2007年10月20日 22時04分06秒 | 歴史探訪
 連日の飲み会のため旅日記が、飲み日記と化している。反省(汗)。週末、山形響が休みのため舞鶴で休息となった。妻が音大時代の親友に会うため京都にいったので、一人の休日となった。酒で弛んだ体のため、タクシーで向かうべき距離を歩くことに。(写真)JR小浜線の踏切。ここ舞鶴は、海も山も田んぼもきれいな空気もあってなかなか良い場所だ。国道27号を東にひたすら歩いていくと一つの神社が目にとまり立ち寄る。
     
 阿良須神社というらしい。説明によると、「崇神天皇十年丹波将軍道主王が賊を征伐。豊受大神を神奈備の浅香の森にお奉りしたのを創祀とする。」とある。平成16年10月20日の台風によって大木が倒れ、寄付金により再建されたとのこと。舞鶴市の文化財らしいが、こういう神社がそこいらにあるのも京都にいることを実感させられる。国道27号はトラックなどが通るため排気ガスくさいが、通りに面している敷地内は、急に空気が澄みひんやりとしている。不思議だ。

 1時間半位歩いて、お目当ての鹿原山慈恩寺「金剛院」に着いた。パンフレットによると、平安時代初期の天長6年(829)人王第51代平城天皇の第3皇子、高岡親王によって創建された。ご本尊の波切不動明王は、第72代白河天皇の病気平癒祈願の為、永保2年(1082)若狭の国から勧請されたものだそうだ。帝の病気は回復し、当時荒廃していた当山を復興し、三重塔を建立して、勅願寺として「慈恩寺」の寺号を下賜された。
 
 また、第74代鳥羽天皇の皇后美福門院も深く仏法に帰依し、平忠盛(清盛の父)を造営奉行に命じ、久安2年(1146)新たに阿弥陀堂を建立し堂塔を修復するなどして、本坊の金剛院の外に十二坊舎、食堂、浴室なども整備され全盛期を迎えた。戦国動乱や天災人災にも耐え今日にいたる。江戸時代に歴代田辺城主も外護し、三重塔から本堂にいたる山腹の楓は細川幽斎の植栽だそうだ。
     
おみくじをひく。「中吉」ん~なんだかなぁ~。

 散策コースという立て看板の方向に。金剛院は京都府の保有林のなかにあり、とにかく空気がきれい。たっぷり酸素を体にいれて、疲れを癒す。
     
 写真は、途中の「弘法の滝」。写真にはうまく写らなかったが、水の滴る所にずーと虹がかかっていて、とても幻想的で頭の中も癒される。神社仏閣等の古の時代の空気を感じると気持ちが落ち着いてくるというか、体中がきれいになっていく気がする。明日もどこかに行こう。

 帰り道は、国道27号をさけ田園地帯の農道を通って、ホテルに帰って来る。結局4時間以上歩いた。
コメント (2)
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