真室川中央公民館のロビーに展示してあった絵画。
昨日に引き続き、藤田明弘さんの作品。
雨が降る、地面に水溜まりができる。
その水溜まりに、周りの森の風景が映り込む。
昨日の「明日に続く道」と姉妹作品かしら。
真室川中央公民館のロビーに展示してあった絵画。
昨日に引き続き、藤田明弘さんの作品。
雨が降る、地面に水溜まりができる。
その水溜まりに、周りの森の風景が映り込む。
昨日の「明日に続く道」と姉妹作品かしら。
真室川中央公民館のロビーに展示してあった絵画。
ホールに行く時は、ほぼお仕事。演奏する音楽の事などで頭がいっぱい。
ブログで「ホール美術」のカテゴリーを作った事で、ホールのあちこちを歩き回るようになりました。
今までそこにあったのに、見る余裕さえなかったのが少し残念。
飯豊あーすのロビーに展示してあった絵画。
手塚久雄さんは、萩生出身。
この絵は2006年の物なので、比較的新しいですが、この作家については調べ切れませんでした。
祭りの一風景を描いたのでしょう。遠くから見ると一瞬写真のようにも感じられ、生きている人をうまく切り取っています。
會津風雅堂に展示されていた美しい漆パネル。
角田弘司さん(1932〜)は、会津若松市出身。会津漆器の代表的な技法の一つである沈金(漆面を刃物で彫り、そこに金箔・金粉を入れ込む技法)を得意とする漆芸作家です。日展や県展を中心に作品を発表する一方、地元である会津に工房を構え、モダンな色彩感覚とデザイン性豊かな構成による作品制作に取り組んでいます。(ネット調べ)。
絵を描くにも色々な方法があるものだと、改めてその奥深さに感心しました。
各地域のホールへ行くので、ホール美術の世界は、これからも続きます。
ほくしか鹿鳴ホール(大館市民文化会館)に展示されていた油彩画。
美術団体「蒼杉会」の現会長を務める松村六也さん。
ネットで調べると松村さんの油彩画が数多く出てきます。暖かい色合いが好みのようで、ほとんどの絵が明るい、暖色系のイメージで描かれています。
プロフィールまでは調べ切りませんでしたが、秋田県で数多く作品が残っているようです。
ほくしか鹿鳴ホール(大館市民文化会館)に展示されていたブロンズ像。
1937年東京に生まれた日高頼子さんは、1961年に東京芸術大学彫刻科卒業、1962年に二科展で特選受賞。1963年国立近代美術館「彫刻の新世代展」出品。
日本全国に作品があり、Webで検索すれば、その作品写真がむずうに出てきます。
「奏」と題されたこの作品は、ほくしか鹿鳴ホールのホール入り口に展示されて、お客さまを温かく見守っています。
ほくしか鹿鳴ホール(大館市民文化会館)に展示されていた版画。
長山耕助さん(1892〜1979)。
連日暑いですね。毎日のように35度越えで皆様もうんざりな気分だと思います。大館を訪れた日もそんな暑い日でした。
ホールに展示してあった「秋の山」。作者の長山耕助さんは、大自然の山々や風景を描く作家だったようです。
紅葉している山・・・・・・。
いつ涼しくなるのでしょう?暫しそんなことを思いながら鑑賞していました。
ほくしか鹿鳴ホール(大館市民文化会館)に展示されていた版画。
勝平得之さん(1904〜1971)は、秋田県出身の版画家で、本名は徳治。家業である紙漉き業、左官業の傍ら、絵を描いていましたが、農民美術運動の木彫講習をきっかけに版画家を志します。竹下夢二の作品に魅了された勝平は、色摺版画の研究をし、独自の自画、自刻、自摺による色鮮やかな彩色版画の抜法を開発。その後は、郷土秋田の自然や風俗をテーマにした作品を一貫して制作し、建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)の紹介により国際的にも名を知られました。代表作に「秋田十二景」、「秋田風俗十態」、「米作四題」などがあります。秋田県文化功労賞、秋田市文化賞、河北文化賞受賞。
東京生まれの私にとって、田んぼは田舎の象徴に感じられて、田んぼが見える風景が子供の頃からとても好きでした。よく千葉の叔父の家に夏休みなど遊びに行っていたので、カエルやメダカ、ザリガニなどを獲るのに子供にとって最適な遊び場でもあったのです。
この田植という版画を見て、竹下夢二だ!と思ったのは、後で調べてみると(上記の経歴)当たらずとも遠からず、他の秋田の風景などを描いた雪景色なども、心の中に温かさを感じるような作品が多いようです。
美術には疎い方ですが、自分が好きな方向というのは、色々見てくると出てくるものですね。
今年度は演奏旅行が多いために、色々なホール美術に出会う事ができます。特に地方のホールは展示物が多めです。
昨日までいたほくしか鹿鳴ホール(大館市民文化会館)。
まず目についたのが、大きいお杉わらべ。
「お杉わらべ」は、秋田県大館の郷土玩具です。秋田杉のPRを兼ねて大館工芸社で作られたお杉わらべは焼き杉の木目を生かし、シンプルながらとても美しいフォルムです(以上ネット調べ)。
秋田のイメージは蓑と共にあるので、横からの雪にも強い蓑が昔は使用されていたのでしょう。
子供たちも蓑を背負って外に行ったのでしょうね。
なんかほのぼのです。
會津風雅堂に展示されていた美術の続き。
新国孝雄さんは、1931年会津若松市に生まれました。会津工業高校卒業後上京し、故日展彫刻家の内弟子となりました。1956年創型会会員となり1970年同会脱退。後に、二紀会委員石彫刻家に師事。優秀賞、二紀賞、各賞を経て二紀会会員になります。1971年第2回現代国際彫刻展(箱根彫刻の森美術館)に入選。以後、福島県内、狭山市などに石彫のモニュメントを制作、建立。狭山市美術家協会会長をしながら彫刻のある街づくりに専念。故郷会津若松の本郷大橋に氏の最後の作品「はばたく」の石彫が夫人の作品と共に建立されています。1990年59歳で死去。
「黙然」は1972年二紀会秀作展出品作品で、平成4年度会津若松市優秀美術作品奨励事業として所蔵されたものです。
黙然〜黙っている様・・・・・。絶対喋りませんみたいな人物を表しているのでしょうか?私には分かりかねますが、不思議な魅力のオーラがある作品。
會津風雅堂に展示されていた美しい絵画。
照井 久良人 (てるい くらと) 1916〜1999年。
岩手県出身。高名な蒔絵師で会津漆器の発展に貢献した津田得民に師事するため、1935年本市に移住。尾瀬の自然などを題材にした詩情豊かな作品を制作しながら、多くの後進を育てました。
写真に風景が反射してしまうのは、ご愛嬌。
ず〜と凝視していると細かい作業に目を奪われます。黒い背景に咲く椿。
色々な想像を掻き立てられるのが良いです。
本日は山形響會津風雅堂演奏会にご来場くださりありがとうございました。
ここ何年か、ホールに着く体ほぐしのためホール内をウロチョロするのが習慣になっています。外は暑いですしね。
1931年南会津郡田島町に生まれた細井良雄さんは、1959年に東京藝術大学彫刻科を卒業されたそうです。
第44回二科展にて特選。以後「会員努力賞」「会員記念賞」「ローマ賞」「文部大臣賞」など受賞されたそうです。1983年には、東京野外現代彫刻展に参加して「東京都知事賞」受賞。「大地に祈る人」は、1983年に制作されて。翌年に収蔵されたようです。
私は埴輪のような古代をモチーフにした人々の営みを著している彫刻を見るのが、割と好きです。写実的ではなくとも古の空気感が作品によっては伝わるからです。この「大地に祈る人」もそんな作品です。
(写真)天童市市民文化会館の原秀造「讃華紅花」です。
第90回記念国展(2016)出品作品。
国画会の会員である原秀造さんの絵は、紅花が描かれることが多いらしく、この作品もまた紅花の黄色が印象深い作品です。
花を摘み取り、干すとあの見事な赤になり、紅餅にしてから出荷。
口紅などの原料となるらしい。
山形県民なのに、紅花の知識乏しいなぁと改めて、思いました。
魅力的な作品。
河北町サハトベニ花ロビーに展示してあった絵画。
菅泰則さんは河北町の方のようで、雪景色などの油絵が多いみたいです。
昔は何処でもあったような井戸端の風景を描いている本作品は、何処か懐かしいような気持ちにさせられます。
私は好きです。