笛吹きひゃらりのひゃらひゃら日記

器用貧乏系OLひゃらりが平穏な日常の中でフルート吹いたり歴史に夢中になったりしている日記です。

偽ドミトリーという存在①【お気に入り人物伝】

2010-08-07 22:31:24 | ロシア史なお話
『実は生きていた!』

古くは源義経から最近では韓流ドラマに至るまで世間一般に広く好まれるシチュエーションですが、
普通なら伝説とか娯楽レベルで済まされる話ですよね。
しかしロシアは違う。
ロシアはこんな情報に踊らされて20年近くも国が内戦状態に陥ってしまったのです。
この時代は『スムータ(動乱)』と呼ばれています。
まんまやないけ。
日本で言うと16世紀末~17世紀初頭、ちょうど安土桃山時代から江戸時代に移行するころの話ですね。
ことの起こりはイヴァン4世(雷帝)の後継者問題です。
余談ですがイヴァンが雷帝って呼ばれるの、おかしいなぁって思うのです。
ピョートル大帝が始めてロシアにおいて皇帝という名乗りを上げたのは、イヴァンの治世より150年くらいあとのことです。
けどまぁ、ごちゃごちゃすると分かりにくいので今は皇帝ってことにしておこう。

こちらイヴァン4世。肖像のフチが花柄でかわいい。

イヴァン4世はその通り名からも分かるように苛烈な性格であったといわれており、
当時皇太子であった次男(長男は早逝)を口論の末誤って杖で撲殺したという過去がありました。
こちら、イリヤ・レーピンによる『イヴァン雷帝とその息子』という絵です。

ズームしてみましょう。

激情に駆られて息子を打ったものの、
我に返ったイヴァンが「自分はなんということをしてしまったんだ!」とショックを受けているシーンですが、
鬼気迫る表現力と言わざるを得ません。
ともあれ、皇太子を失ったイヴァン4世にはふたりの息子が残されました。
1人は、皇太子の同母弟にあたるフョードル。生まれつき病弱、かつ知的障がいがあったと言われています。
もう1人は、教会に正式に認められていない妻が産んだ(つまり庶子扱いとなる)ドミトリー。
このとき、まだ幼児です。
イヴァンの死後、とりあえず順当に兄のフョードルが帝位につきますが、
彼は傀儡にしか過ぎません。
数多の政敵を押しのけて最終的に実権を握ったのは、フョードルの妃の兄、ボリス・ゴドゥノフでした。

ボリスはけっこう英邁な摂政だったようです。
もとが下級貴族なので大貴族たちの特権を制限したし、
外交上手の戦争上手で国土の拡大に努めました。
しかしながらここで勇み足。
田舎の領地に押し込められていた皇弟ドミトリーが謎の死を遂げます。享年8歳。
これに関しては、ボリスの密命により暗殺されたという説が有力です。
しかしながら公式には事故死と発表されました。
こちらがかわいそうなドミトリー。 8歳のわりにおとなっぽいイメージです。


さらに時を置かずして病弱だったフョードルが実子を残さず他界。
すると、リューリク朝に繋がる血脈の人間やその他の有力貴族はいるものの、
なかなか後継者が決まらないという事態に陥ります。
そしてなんと、それを受けて集められた全国会議(貴族だけじゃなく、聖職者や商人・町人階級も召集されました)でボリスが皇帝に選出されます。
その出自や政策の明解さから、民衆を味方につけたのが吉と出たんでしょうね。
というわけで晴れて帝位についたボリスでしたが、なってみるとけっこうタイヘン。
当然ながら大貴族の反発は潜在的だし、
彼の治世はけっこう飢饉やら天災やらが多かったらしく、
最初は支持母体だった民衆を味方につけるのもだんだん難しくなってきました。
おまけに、
その、
なんというか…
スネに傷持つ身だし…
そんなときにロシアを席巻したのが、冒頭のウワサだったのでした。

『実は、ドミトリー皇子は、生きていた!』

つづく。

参考文献:
『ボリス・ゴドノフと偽のドミトリー-「動乱」時代のロシア』 栗生沢武生 山川出版社
『ロシアとソ連邦』 外川継男著 講談社学術文庫
『イヴァン雷帝』 アンリ・トロワイヤ著 工藤庸子訳 中公文庫
Wikipedeia 英語版/ロシア語版

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