笛吹きひゃらりのひゃらひゃら日記

器用貧乏系OLひゃらりが平穏な日常の中でフルート吹いたり歴史に夢中になったりしている日記です。

アレクサンドル・メンシコフ【お気に入り人物伝】

2010-07-24 21:07:33 | ロシア史なお話
どこの馬の骨とも判らないよーな人間が成り上がって政権の中枢に食い込んでいく→栄華を極める→没落する、という絵ヅラが好きです。
ロシア史でいうとアレクサンドル・メンシコフ公爵なんて、ほんと面白い。


このヒトがアレクサンドル・メンシコフさん(1673年 - 1729年)。
帝政ロシアのピョートル1世(大帝)治世からエカチェリーナ1世、ピョートル2世治世まで権勢を振るった政治家にして軍人です。
ちなみに私はこの時代の変なヅラにいまいち馴染めません。

アレクサンドル…長いので、この名前の愛称であるサーシャという呼び方でこのひとの人生をたどっていってみたいと思います。

サーシャは貧しい馬丁の子として生まれました。
この時点では爵位はおろか、下級貴族ですらないわけです。
もちろん教育を受けるチャンスすら得られなかったサーシャ(生涯文盲であったと言われています)は、少年のうちからピロシキ売りを生業として街頭に立つようになります。
このとき、お忍び好きの(リアル暴れん坊将軍ですな)ロシア皇帝ピョートル1世の遊び仲間となったのがサーシャの運命の分かれ道その1でした。
ピョートルの趣味は軍事教練だったそうですが、
それに熱心に参加することで若き皇帝のハートをゲットします。
ここらへん、サラリーマン社会に通じるニオイを感じます。
今までゴルフなんてしたこともなかったのに急に熱心になるタイプ、というところでしょうか。


こちら暴れん坊将軍さん。

ピョートル1世は軍政強化やサンクト=ペテルブルグ建設など、ロシア史でも屈指のド派手系皇帝でいらっしゃるわけですが、リアル暴れん坊将軍だわ女性にだらしないわ大酒飲みの酒乱だわ熱しやすく冷めやすいわ気分屋さんだわ、
まあ私としてはそばにいて欲しくないタイプの方です。

けど、サーシャはピョートルとウマが合ったらしい。
どのくらいウマがあったかっていうと、

サーシャのお手つきのオネーチャンをピョートルに献上しちゃうくらいに…
ちなみにそのうちの1人はピョートルの正妻(つまり皇妃!)になっちゃうってんだからすごいです。


こちらがその、昇りつめちゃったオネーチャン、
エカチェリーナ1世です。
もとはリヴォニア(今のラトビアです)の農家の娘で、ドイツ人牧師の家庭に住み込みの女中として引き取られました。
長じてスウェーデン人の軍人と結婚しましたが、戦火に巻き込まれて捕虜となります。
けど、どうやらとっても打たれづよいタフなお嬢さんだったんでしょう、
捕虜から占領軍の洗濯婦に、そして軍高官の愛人さんになったかと思ったら皇帝の恋人になってお妃様になって…と、ジェットコースターも真っ青な人生すごろくをやってのけます。
そしてその先にはもっとすごいすごろくのアガリが待っていたわけで…
肖像画を見ると大してキレイなわけじゃないけど、とっても明るくて楽しい女性だったんだそうです。

で、ゴマすりサラリーマンと女衒のコンボ技で見事サーシャは爵位を手に入れます。
しかしながらワンマン皇帝ピョートルのコネしか頼るよすがのない身の上。
これって冷静に考えるとかなり危うい立場ですよね。
ピョートルがポックリ逝っちゃったりなんかしたら、それこそ…

というわけで、ポックリ。

写真はピョートルのデスマスクです。
死因は…膀胱炎とか、尿管結石とか…
痛そうです。

さて、ピョートルが崩御したその日、サーシャは自分に都合の良い帝位継承者を擁立すべく、クーデターを起こします。
ピョートルは先妻との間にもエカチェリーナとの間にも息子がいましたが、ふたりとも父親より先に亡くなっており、後継者が確定していなかったんですね。
先妻のほうの息子の子供、ピョートルの孫にあたるピョートル2世はまだ幼く、皇太子として正式に定められてはいませんでした。
で、誰を立てるって?
エカチェリーナを立てるって…
いやはや、思わず「アンタ正気?」って聞きたくなるチョイスじゃありませんか。
ロシア人でも皇族でも、貴族ですらないエカチェリーナさんですよ。
いくら明るく楽しいおかみさんであっても、帝位登極にはどう考えても無理がある。
けどやっちゃった。近衛兵なんて使っちゃってさ。
ここが運命の分かれ道その2、でしょうか。

というわけでエカチェリーナが『エカチェリーナ1世』として即位します。
しかしながら、というか当然のことながら、というか、
まぁ、彼女はかつての愛人であるサーシャの傀儡でしかないわけで。
エカチェリーナがイケメンさんといちゃいちゃしたり大酒かっ食らったりしているあいだ、サーシャが実権を握ります。

さて、このころにはサーシャもいいおっさんなのでメンシコフと呼び替えたいと思います。
メンシコフのやった政治そのものは悪くないんじゃないかな、と私は思います。
親ピョートルの自分たち新興貴族と反ピョートルの大貴族との融和を図ったり、神聖ローマ帝国のカール6世(有名なマリア・テレジアさんのお父さんです)と同盟を結んだり、
うん、がんばったんじゃないかな。
がんばったがんばった(棒読み)。

けれどエカチェリーナは即位して2年余りで死の床につきます。
度重なる出産(12人出産、うち成人したのは2人のみ)と深酒、荒淫がたたったのでしょうか。
そこで抜け目ないメンシコフ、先のクーデターのときでないがしろにしたピョートル大帝の嫡孫、ピョートル2世を即位させ、
自分の陣営に引き入れようと腐心します。
婚約者のいたはずの娘マリーヤの縁談を白紙に戻してまでピョートル2世と婚約させてみたり。
おっさんメンシコフ、必死です。
けれどクーデターに笑うものはクーデターに泣く。
政敵ドルゴルーキーによって失脚させられてしまいます。
もちろんピョートル2世とマリーヤとの婚約は破談、
財産没収、一家そろってシベリア流刑です。
さすがロシア、成り上がるのもスケールがでかい代わりに落ちぶれるのもハンパないです。


こちら、ロシアの画家スリコフによる『シベリアのメンシコフ』。
落ちぶれ感がたまりません。

無位無官となったメンシコフはシベリアに流された2年後、失意の中亡くなりました。

参考文献:
『大帝ピョートル』 アンリ・トロワイヤ著 工藤庸子訳 中公文庫
『ピョートル大帝の妃』 河島みどり著 草思社
『サンクト・ペテルブルグ—よみがえった幻想都市』 小町文雄著 中公新書
『大帝の椅子』 原求作著 講談社

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