地球の危機!

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「「自主・自立」が地球を破壊する」

2011-01-30 13:50:08 | Weblog
「「自主・自立」が地球を破壊する」

○私は、「国際競争に勝つ」とか、「日本はGDP2位から転落した」というようなことに、だんだん関わりたくない、と思うようになってきました。

『里山ビジネス』 (玉村豊男著、集英社)にこういう文章がありました。

(P.159)
「労働は永遠の権利である」

経済こそ、拡大しなければ持続しない、最たるものです。毎年経済成長率の数字が示され、それはプラスである事を求められます。

しかし地球上の全ての国と地域が、常にプラスの成長率を示すことがあり得るでしょうか。

拡大する経済は必ず衝突し、争いを生みます。それでも強者の拡大する経済を弱者が(望まないにせよ)吸収する余地があった20世紀まではまだしも、かつて弱者だった国々が立ち上がって、その経済を急速に拡大し始めると、資源も環境もこれ以上は持続できそうもない事が明らかになってきています。

グローバル化は国境を越えた金と資源の分捕り合戦。まっとうに暮らしている私たちがそのとばっちりを受けるなど、真っ平ごめんです。
                               (引用終わり)

思うに、「国際競争に勝つことを目指します」と言った時点で、「人の命は粗末にせざるを得ません」という事になると思います。


「勝つ」という事は、「強者生存」(弱肉強食)で、皆が生きる=「共生」とは両立しないと思います。どちらかでしょう。

アメリカは、他国の犠牲の上に「勝つ」のだから、もう「勝つ、勝つ」と言ってほしくないです。それがアメリカには通じない。

どうしてアメリカは、「勝つ、勝つ」と言うのだろう?


○思うに、人間は不完全に創られているのです。それなのに、「自主自立」とか、「自己責任」を要求することは、たとえが不適当かも分かりませんが、「背の高さが1メートル以下の人は、人間ではありません」と言うようなものではないでしょうか。仮に、「背の高さが1、5メートル以下の人は、人間ではありません」とすると、私も人間ではなくなります。

無視され、はねっこ(仲間はずれ)にされると、私だったら、逃げるか、仕返しをするか、すると思う。

「自立していなさい」よりも、「助けたり、助けられたりも、大事な事です」の方が、人間の扱い方としては適切なのではないかと思います。


○私は姉と、少しですが、両親の介護(二人とも歩いたりはできる)をしています。

私は親に対しては、クソ爺、クソ婆と、言い抜きました。姉に対しても、(要らないものは家族だ!)と思っています。

’一触即発’のような状況にしばしば、なります。

(どうしてうまくいかないんだろう?)と毎日考えました。

姉は、家事がのろまだったり、/親が高齢なのに排泄で失敗したりすると、凶暴’になるのです。

理由は? 理由は?  …

分かりました。

姉自身が失敗したり、ゆっくりだったりしたら、攻(責)められてきたのです。きっとそういう過去がある筈です。そういう状況の中でできるようになっていかなければいけなかかった。

だから、姉と一緒にいる人が完璧にできるのが当り前だし、かつ、自分を「よくやっているね」と、認められたい、認められる必要があるのだと思います。

やっと見つけました!


○米国人は「自立」している事を求められますよね。

「自立している事」は、とてもレベルの高いことです。病気や怪我をしている人や、障がいのある人の中には、他者の助けを必要としている人も多いでしょう。子供は自立していませんね。高齢者も全員が自立している訳ではありません。

自立していられるのは、強い人で、かつ、人生の何割かの期間のみでしょう。

「家事が完璧にできること」と同じくらいレベルの高いことではないでしょうか。(家事ができるのは当たり前か)

姉のような人は、私はもうたくさんです。人間を人間らしく扱ってほしい。’サイボーグ’を生み出さないでほしい。


○米国人にとって必要なことなは何だろう? 「早く、速く」かつ、「お金持ち」であることかな? 違うかもしれない。何だろう?



○「1番! 1番!」だと、1番の人だけが人間らしくいられます。

「2番でもいいいよ」とされると、1番と2番の人が人間らしくいられます。

「3番もいいよ」だと、1番と2番と3番の人が人間らしくいられます。

…  

「全てのことに価値がある」とすると、全ての人に居場所が与えられます。


どうです? 「全てのことに価値がある」にしませんか?(→そうすれば「全ての人は価値がある」になるだろう。 ムフフなのだ)


「謝らない」

2011-01-30 13:23:04 | Weblog
「謝らない」

昨日、空を見上げたら、ケムトレイルが3本、4本。私は(ははん)と思った。一昨日、自分のブログに「反省しました」(自分が間違っていたと思いました)と書いたのだ。そしたら、ケムトレイルだ。

そうか、米国人の前では、絶対に自分の非を認めたらいけないのだ。認めたら、突け込まれるのだ。

それならば、アメリカを攻撃してやる。「9、11」は謀略だ。「9、11」のみでなく、外国に対しても謀略をしている。例えば、アフリカだ。


ルワンダで、フツ族がツチ族を殺すという悲惨な事件があった。その事件が「コンゴ内戦」へとつながっていた。(『アフリカン、ブラッド、レアメタルーー94年ルワンダ虐殺から現在へと続く「虐殺の道」』 大津司郎著、無双舎より)

(P.19)
アメリカが並々ならぬ関心を注いできたコンゴの鉱物資源、その争奪の戦いの新たな始まり、それを導いたもの、それが、’ルワンダ虐殺’だった。あえて言えば、コンゴの鉱物物資源獲得のためにルワンダ虐殺は仕掛けられたと言っていい。さらに地域から旧宗主国フランスを追放することによって地域を再編、強力なアメリカ主導によるアメリカン・グローバリゼーションを実現する。それがルワンダ虐殺のワケであり、黒幕たちのシナリオだった。
                             (引用終わり)

アメリカよ、謀略は、やめろ!

私は謝らない! 私は悪くない!