京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

待ち時間

2008年11月06日 | 日々の暮らしの中で
…♪時計を見ながらただ一人 今か今かと気をもんで 
あなた待つのもまつのうち
なんやらこんな歌詞が浮かんできたが…。「待つ」のはお好きですか?

「待ちわびカフェ」、日時限定で開かれたという。
招待者側は、事前に待ち合わせ時間を書いたはがきを相手に出す。ルールが一つある。わざと遅刻する。相手を30分以上待たせることだ。「待つ時間」を相手にプレゼントする、これが企画者のねらいだという。
はたして日常的にはどの程度の「待ち時間」が許容範囲なのだろう。

9月、エントリーシートの提出から始まり、筆記、面接を順次こなしすでに1ヶ月が過ぎた。最終面接を目前に控え、さらに数日待って一区切り。現職をこなしながら、何やら挑戦中の息子。
簡単なメールが入ってくる。「そっかー、よかったね~~」「風邪引かないでよ~」体調管理を促すことぐらいだろうか。「ぼちぼちやるわー」の返信あり。

「○日、△時に起こしてやー」
携帯に“家電”にかけまくり、ひたすら応答を待ち続けたことは数知れず。
そのねぼすけが、早起きし、なんやら「ゲン」をかついで開始までの時間を待つらしい。
心のゆとりが、何かをもたらしてくれているなら嬉しいが。

わくわく、ドキドキの人待ち、結果待ち…がいいかな。相手によってはたまに待たすことも手のうちだ。
でももうそんな駆け引きもいらないか。

  
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排気ガスはストップ!で

2008年11月05日 | 日々の暮らしの中で
     (イチゴの木だとか…)

入園料大人一人200円。60歳以上無料。
一人ぶらぶらと今日も陽気に誘われて…散歩がてら府立植物園へ。

色づき出した木々に囲まれ澄んだ空気を吸って、「心にうつりゆくよしなしこと」に、とりとめもなく一人しみじみ浸るには格好の場所でもある。
紅葉の美しさに酔うには早い。が、一日のほんのわずかな時間を自分と向き合い、少しばかり秋がもたらす風情にこころを遊ばせるのも良いものだ。一人でいる時間も本当に好きだ。

「よく来ているんですよ」
私よりは少しご年配の女性だ。車でいつも来るのだけれど、800円が高くてとおっしゃる。満車のことはなく空いているのだから安くしてもらえないのだろうか。平日だけでもいいんだけれど、って。

800円か~って思ったけれど…。
この方も私と同様、車の便利さに慣れ、足代わりに使ってるのだろう。
園内ではこの自然をよりよい形で残そうといつも土いじりに余念がなく働く方達を見かける。
こんな街なかにこれだけのものを、維持・管理に努められるからこそ恩恵にあずかれるのだ。
せめて公共機関の利用に切り替えて、片道だけでも歩くとか、無駄な排気ガス噴出ストップに協力した方がよいのではございませんか?
あなたに、私にできる身近な一つの協力だろう。
どうせバスだって「敬老乗車券」で無料でしょう…。
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冬はつとめて…

2008年11月04日 | 日々の暮らしの中で
“夏の甲子園”を聞きながら、タオル鉢巻・くわえ煙草の“万さん”が響かせていたハサミの音。
樹齢100年に近い見事な枝ぶりを一面に張っていた松。ちょっとご自慢の松だった。当時相次いでいた松くい虫の被害を避けきれず、一升瓶ごと根元に酒を注ぎ、それなりに手を打ったものの、切り倒された。

次代を育てて20年を越えるが、先代の何分の一か、赤子も赤子。年月がはぐくんだ偉容には、取って代わるものがない。今日はわずかに伸びた松の支柱を化粧直してくれている。
昨年から10か月余をかけ本堂屋根瓦をふき替え修理、欄干も新調。堂を覆ったすべてが取り払われ、出入りのトラックも消え…、静かになった。

11月28日、90歳で入滅された親鸞聖人。
間もなく、年間で最大の行事、そのご恩に報る、感謝の念をささげる、報恩講を勤めることになる。お花の芯に立てる松を切り出しに、山へ行く日も近い。
足元からシンシンと冷え込む早朝から、炭をおこし火鉢を用意し、湯を沸かし、お仏飯のための米をとぎ…。
寒さが骨身に応える。辛抱が足りんのだ。冬はとにかくつらい。
あ~、まさに試練の時、修行どきだ~。

気持のよい一日だったけれど、少しの風があった今日。
あ~、寒くなっていくんだなあ。まちがいなく寒くなるんだ…。

    
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笑ってよ!

2008年11月03日 | 日々の暮らしの中で
月曜日は○○大の学生たちと過ごす。他大学の学生の教科書点訳、小学生のリクエスト漫画の点訳・使用解説書・レシピ・献立メニュー…と和やかに分担をこなす。祝日だが集まりもよい。様々な学部から寄って話題豊富。
ずば抜けた賢さに好ましい人間性も同居。人間、要は「こころ」、この場が楽しめる私、捨てたものじゃない。

華奢な体つき、静かで控えめ、伏し目がちな…かわいいM子さん。入門のガイドをしたためによく隣り合わせで過ごしてきた。
「声が小さい、聞こえないよ~。笑顔みたいよ~。声に出して笑ってよ~」
内心ずっと思ってきた。
こんなことは余計なお世話だった。出会って1年半、あんまり変わらない。

最近、今日も思う。
私だって外に向かっては、「心」に見えないバリアをいつも張っているよ。取っ払おうなんて考えたこともないよ。ズカズカ踏み込まれたくない部分ってあるからね。でも、だからと言って偽って生きてはいないよ。そうすることで人に迷惑をかけてもいないと思うし。無防備になって傷つくこともいらない。多かれ少なかれ人はそんなもの。あなたなりに適度な間隔を維持しているんだと。

夕刻から久しぶりに居酒屋へお付き合い。ビールがうまい!
笑わそうと話しかけ、ちょっとだけ頑張っちゃった。笑ってよ!かわいい顔で。
何もしてあげられない。でもいつか、目を見てお話しできたらいいね…(余計な御世話とは言わせない)。
一足お先にさようなら。肩に触れて「またね」。M子、かすかににっこり。
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海に国境はない…

2008年11月02日 | 日々の暮らしの中で
『銭谷五兵衛と冒険者たち』童門冬二著より。

「海に国境はない」。
この理念に共鳴した多くの人間が出会い、一時代の活躍が描かれている。

江戸時代後期の豪商、北前貿易を推進し海運業者として財を築いた銭谷五兵衛。
武士、商人、町人もが相当な力を持って北方貿易をしている現状がある。

「海とは、何だろう」と龍馬。
「この不思議なもの、心揺さぶるもの。何か自分の心の底に埋もれている無限の力、出口を求めて噴き出ようとしている得体のしれない力……。それを引き出してくれるもの。」
時代の動揺の中で心をを揺らす、熱っぽい竜馬が描かれている。

「人間はどんな時代になっても、国と国の間に、あるいは人間と人間の間に垣根を作りたがります。そればかりでなく、自分の心の中にもいつの間にか囲いをつくって、そこから出ようとしなくなる。そういう境をどんどん突き破って、海の街道を自ら先頭に立って進んで行こうとする精神はこれからますます必要になってくるんですよ」と、語っている。

童門氏の時代小説の大ファンである私は、彼の描いた龍馬像を思いながら、今日のNHK大河ドラマ「篤姫―龍馬死す―」を見た。
国のありようを思い、行く末の危機感を抱き、時代の先駆けとなって生きた人間のエネルギー。

篤姫の毅然とした姿にも心揺さぶられる。人の心をとらえる「徳」。
山岡宗八が家康に言わせている。
「大将と言うものはな、…惚れさせて心服させよ」が極意だと。
竜馬があの時代を生き抜いていたとしたら…、何を日本にもたらしただろう。
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『お家さん』

2008年11月02日 | こんな本も読んでみた
『お家さん』玉岡かおる著 (上巻)

最初の結婚に失敗し、鈴木岩次治朗と再婚のために神戸に嫁ぐ。
夫が始めた鈴木商店を夫亡きあと、「勝負師感覚」と「ブレーキ役」、両輪の番頭の働きを得、日本一の商社に育て上げていく。実在の〈のれんの後ろですべてを動かした女〉の物語。

よねは言う。
「自分が働いた形跡は、どうせこうして消えていく。本店も、大里も。やはり自分の務めは、そうやってまぼろしのように手にしては消えていく商売(ビジネス)という潮流に、定かな位置を示して進む船の船長となることなのだろう。」

毎朝早く起きて神棚に手を合わせ、家内をきれいに掃き清めみんなの安全と健康を祈る。自分の役割、をわきまえているのだ。
いつの世も、何のために働くか、目標、大きな大義名分がいることもある。
あそこからいつも私達を見ていてくださる、わかっていて下さると思えるのだ。
そう思えればこそ、あの方のためならと命をかけても働くというものだろう。
自分が生きていく目的のような存在。「お家さん」はその象徴なだという。

『ある日、直吉がこう言った。
「今日よりは、こないよばしてもろてよろしおますか?」
訊き返す間もなかった、彼はそのまま膝で三歩下がって、頭を下げた。
「おかみさん、ではのうて、“お家さん”と」
……世間にそれと認められ、働く者たちのよりどころたる「家」を構えて、どこに逃げ隠れもできない商家の女主人にのみ許される呼び名である。…』、とある。

よかれと勧めてきた自分の価値観は自分にも他人にも厳しい。
母としてのよねは、息子、娘と思って育てた珠喜も手から離すことになる。
お家さんである自分が示して来た道。だが、若い者には惹かれてやまない場所があったことを知る。決して母の傍が嫌と言うだけのことではないのだが。
台湾へ行ってしまった珠喜を思う母・よねの胸の内…

今後、さらなる激動の時代の中で、働く者の精神的支柱としてどう役回りを果たしていくのだろう。母としても。逃げられない世界に身を置き、感傷に浸りながらも自らの生きる道を自覚し、常に自らを発見していく。そうした心に触れながらよねさんの生きざまを味わえることが魅力的だ。よねの器の大きさ…。
上巻を終えて。

コメント (2)
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