京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

井戸端会議から…

2008年11月19日 | 日々の暮らしの中で
木枯らし1号が吹いた翌日、シンシンと冷え込む本堂の一角でおしゃべりの声も弾んだ。

お内陣の仏具を報恩講に向けて磨き上げる“みがきもの”の日。みがき粉・クレンザーに水を使い、わらを束ねたもので磨き上げる。手がまっ黒になり、冷たい作業である。背中に少しでも暖をと、ご婦人方を囲んで石油ストーブを置く。席を移し簡単にお昼を取っていただいて半日の予定は終了。おかげさまでピッカピカに。

井戸端会議。話題は最近の新聞投稿記事。

女子高生がバスの中で女性に席を譲ってあげた、その時の光景を見ていた女子大生の投稿。

…お礼を言うどころではなく、降りしなに女子高生に向けて、『言葉づかいが間違っている、「変わりましょうかではなく、どうぞお掛け下さいでしょ」』と説教した。「もってのほかだ」。「近頃の大人ときたら」と結ぶ。

その後の紙上での反響も大きい。「恥を知れと言いたい気分だ」と大人の身勝手さを怒る男子高校生の声も目を引いた。

ここ本堂からも…
なさけないな~
ありがとーって感謝した方がしあわせやな~
「変わりましょうか」は京都の言葉としては汚い…(そっかな…)
あたり前におもてはるんやろ…

なぜ言葉づかいに及んで捨てぜりふのように浴びせかけたのだろう。お疲れだったかな…。
やさしい心で、相手の気持ちに合わせることはできなかったのか。
その場を共有し、譲ってもらったことを喜び、感謝に変えた方が、この女子高生とも幸せな気分を分かち合えただろうに。
こうした日常に出会う些細なことの中で、人への関わりを持とうとすることの方がよほど大きな意味があるはずだ。
コメント (2)
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