
孫の2歳児と公園に行こうと家を出た。キックバイクにまたがり、彼は左方向へ蹴り出したので木工を趣味にする近所のおじいさんの仕事場近くを通ることになった。
ドアが開いているのがわかると、「おっちゃんのとこ行こっ」と寄り道だ。「今日はまっすぐに行こうよ」なんていう私の言葉など耳に入らないのだろう。道路の真ん中にバイクを横倒しにして駆け込んでいった。「おお~、来たのか!」「一人で来たのか?」 いつもと同じ言葉で迎えてくれている。
この日、「おはようございます、って行くわ」と口にした。おはようございます?? 午後2時を回っている。つい、「こんにちは、って行かなくちゃ」と口をはさんでしまった。
【子供の好奇心を「どう育てるか」という議論には、それを「どう守るか」の視点が大切で、子供の好奇心を尊いと思うことに尽きます】
と、幼稚園の園長先生が言われていた。
2歳児は月に2回、“がっこう”(幼稚園)に通っている。ああ、「挨拶」を覚えてきているんだな、などと面白く嬉しくも受け止めた。それなのに、だ。時刻がどうのと、大人のジョーシキ、思いで彼を支配してしまったような後味の悪さが湧いてくる。どう言葉をつなげたらよかったのか。なぜかあれから心に引っかかって仕方がない。