
歌仙の肖像画を「歌仙絵」といい、社殿でよく見かける絵馬が思い浮かぶ。また、百人一首のよみ札にある人物絵は、身近で広く名歌とともに親しまれているものだろう。
「佐竹本三十六歌仙絵」は13世紀ごろ成立したとみられ、江戸後期に秋田県の藩主・佐竹家に渡ったために「佐竹本」と呼ばれ、現存する最古のものだという。一旦は実業家の手に渡るが、ふたたび売りに出されることになった。だが、あまりに高額で買い手がつかなかった。そこで、海外流出を懸念した経済界の重鎮・益田鈍翁が発起人となり、絵巻を一歌仙ごとに切断し共同購入することを決めた(大正8年)。だれがどの絵かは、くじ引きで決められた。(鈍翁は最も高額で斎宮女御を手に入れたとか)
散りじりになった歌仙絵。中にはその後も転売されたり譲渡、寄贈の流転もあったようだが、鎌倉時代の絵師によって描かれた絵に大正時代の茶人が出会い、新たな美意識で表装され、大切に保管されてきた。
その変遷、科学的な分析によって明るみに出たこと(衣装や顔の表情の描き方、使われている絵の具・・)等々、新聞紙上や10月来3回ほどNHKの番組でもオベンキョーさせてもらった。これは御覧になられた方も多いことでしょう。

今日からは後期の展示が始まり、作品の一部入れ替えで小大君が掛けられた。
歌の情趣を解し、詠んだ人物の心情までを描き出す細やかな絵師の工夫。恋の病に浮かれて頬をポーッと染める藤原仲文の表情をかわいいと言ってよいのかな。後ろ向きの小野小町に添えられた歌が「花の色は…」ではなく、「色みえで移ろふものは世の中の人の心のはなにぞありける」だったことは、奥深くある女の(小町の)心情を歌って、いいなあと思うところだった。
歌と組み合わせた肖像画の描き方、見方。ものにはさまざまな感受の仕方があるということが面白い。小町、斎宮女御、小大君に伊勢、そして中務、この5人の女性の美しさを、できればもう一度見分けておきたいが…。