京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「椿の花が赤い」

2018年03月23日 | 日々の暮らしの中で

あでやかな大輪は枝先をしならせるほどの存在感で、下からのぞき込む花の中心部には縮れた細かな赤色の花弁が詰まっています。京都は椿園芸の発祥地として様々な品種を生み出してきたようです。これは「日光(じっこう)椿」という種類で、中心部が白いものは「月光椿」と呼び、このような咲き方を「唐子咲き」というのだそうな。「日光・月光」と聞けば、菩薩像が思いうかぶでしょう。

通りすがりの、確か天台宗の寺院でしたが、参道の両脇にたくさんの椿の赤さが目に入って、門をくぐらせてもらいました。なんともまあ、この、ちょっと見ではグロテスクとも言えそうな造りに加え、花の赤さは鮮烈でした。日常の身辺で、ふと立ち寄った先でのささやかな発見に驚かせてもらい、新しく覚えたことは増えるし、感動です。

ところで、『徒然草』の講座は先日最終回を迎えました。「書けない恋」だが、書いて残しておきたい。兼好は恋人との10ほどの場面を書いて、『徒然草』の中に封じ込めました。作品は兼好の死後100年を経て世に出ます。伏せなくてはならなかった理由があったのです。

「その手法は、『伊勢物語』に似せたのでしょう」。そうかぁ、と思った瞬間はちょっと嬉しく。兼好は先人の言葉やエピソード、書物から、日常伝聞したことから、記憶の引き出しから等々、引用を多く用いて文章を書いていることに思い当たるのです。それは、「随筆の根本は古今東西の本をたくさん読んで、その中からいい言葉を見つけ出してそれを引用することにあるという基本を忘れないように」、と言われる川本三郎さんの言葉に重なることです。
学べることはたくさんたくさんある、ということがまた楽しく思えてきます。
コメント (4)
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