おはようございます
今日から新しい年度が始まりますね。
新しい人、新しい物、新しい環境
希望と不安が入り混じった複雑な時ですが、
希望を胸に今年度も頑張りましょう
どんな時も希望はあなたの胸の中
今日という日に希望をこめて、
今日も一日がんばりましょう
『惚れる』(ほれる)
☆-------------人、特に異性に心を奪われて、ぼんやりする-------------
『惚れる』の原型は「ほる」。
ぼんやり、放心するという意味です。
どちらかというと、老いたり、病的なことで、呆(ほう)けるという
意味合いが、強かったといいます。
「ほる」が、「ほれる」に変化していく中で、本来の意味をあらわす
場合は、「ぼれる」と濁るようになったのだとか。
やがて、同じ意味の「ぼける」という言葉の中に吸収されていきました。
そうして、『惚れる』の方は、もっぱら、恋心を担当するようになった
のだそうです。
意味が明確に分かれたのは、室町時代ごろだといいます。
ですが、漢字は、「ほれる」も「ぼれる」も「ぼける」も、
「惚」を用いますね。
春霞(はるがすみ)や、朧月(おぼろづき)……。
春に、恋が生まれやすいのも、『惚れる』の心理状態を映したような、
風景のせいなのでしょうか。
そういえば、「醒める」「冷める」は、「寒い」と同根の言葉だそうです。
とすると、相手をぼ~っと眺めることが、恋の秘訣なのかもしれませんね。
そう、春の景色を、背景にして……。
『器量』(きりょう)
☆------------------------力量、または、容貌------------------------
本来の意味は、字のごとく、「器(うつわ)」に入る量。
「器」だけでも、才能や心の広さにたとえられますが、
『器量』も同じく、才能や力量という意味で使われるようになりました。
「器量人(きりょうじん)」といえば、才能や人徳を備えた人をいいます。
ところが日本では、いつのまにか、
容貌や顔立ちのことも意味するようになりました。
明治以降では、こちらの用法が主で、特に女性に対して使われます。
ですから、「器量よし」といえば、美人のこと。
「器量好み」は、顔立ちの美しい女性ばかりを選ぶ人、
いわゆる、「面食(めんく)い」のことです。
目に見えない人の器。
それを、無理やり測ろうとすると、中身より、外見に目がいってしまう
のかもしれません。
「器量より気前」ということわざもあります。
この『器量』も、外見の美しさ。
「気前」は、この場合、気立てのことです。
器からあふれるようにして、出てくる気持ち……。
本当は、そちらの方を、よく見つめるべきなのですね。
今日から新しい年度が始まりますね。
新しい人、新しい物、新しい環境
希望と不安が入り混じった複雑な時ですが、
希望を胸に今年度も頑張りましょう
どんな時も希望はあなたの胸の中
今日という日に希望をこめて、
今日も一日がんばりましょう
『惚れる』(ほれる)
☆-------------人、特に異性に心を奪われて、ぼんやりする-------------
『惚れる』の原型は「ほる」。
ぼんやり、放心するという意味です。
どちらかというと、老いたり、病的なことで、呆(ほう)けるという
意味合いが、強かったといいます。
「ほる」が、「ほれる」に変化していく中で、本来の意味をあらわす
場合は、「ぼれる」と濁るようになったのだとか。
やがて、同じ意味の「ぼける」という言葉の中に吸収されていきました。
そうして、『惚れる』の方は、もっぱら、恋心を担当するようになった
のだそうです。
意味が明確に分かれたのは、室町時代ごろだといいます。
ですが、漢字は、「ほれる」も「ぼれる」も「ぼける」も、
「惚」を用いますね。
春霞(はるがすみ)や、朧月(おぼろづき)……。
春に、恋が生まれやすいのも、『惚れる』の心理状態を映したような、
風景のせいなのでしょうか。
そういえば、「醒める」「冷める」は、「寒い」と同根の言葉だそうです。
とすると、相手をぼ~っと眺めることが、恋の秘訣なのかもしれませんね。
そう、春の景色を、背景にして……。
『器量』(きりょう)
☆------------------------力量、または、容貌------------------------
本来の意味は、字のごとく、「器(うつわ)」に入る量。
「器」だけでも、才能や心の広さにたとえられますが、
『器量』も同じく、才能や力量という意味で使われるようになりました。
「器量人(きりょうじん)」といえば、才能や人徳を備えた人をいいます。
ところが日本では、いつのまにか、
容貌や顔立ちのことも意味するようになりました。
明治以降では、こちらの用法が主で、特に女性に対して使われます。
ですから、「器量よし」といえば、美人のこと。
「器量好み」は、顔立ちの美しい女性ばかりを選ぶ人、
いわゆる、「面食(めんく)い」のことです。
目に見えない人の器。
それを、無理やり測ろうとすると、中身より、外見に目がいってしまう
のかもしれません。
「器量より気前」ということわざもあります。
この『器量』も、外見の美しさ。
「気前」は、この場合、気立てのことです。
器からあふれるようにして、出てくる気持ち……。
本当は、そちらの方を、よく見つめるべきなのですね。